憎らしいほど青空

 六月一日に戻ると、芽亜凛は必ず彼の番号に電話をかけていた。前回に続いて、今回も。繋がることはなかったのに。

 もしもし、そちら橘芽亜凛さんの携帯電話で間違いないでしょうか? こちら警視庁捜査一課の金古かねこ流星メテオと申します。石橋先生からお聞きしてこの度ご連絡に上がりました。私とお話するのははじめて? それともお久しぶりでしょうか?

 学校に着いて早々、登録済みの電話番号からかかってきたのは、そんな一息の刑事の声だった。


 小坂と一緒に送迎車を降りた千里は、『先行ってるね』と生徒玄関を指差し口パクする。芽亜凛は軽く頷き二人と別れると、校舎の隅まで歩きながら耳を傾けた。


「……ずっと待ってました。かけても繋がらないし……」

『すみません、なかなか出られなくて。まさか先日からかかっていた電話相手があなただったとは』


 刑事――ネコメの連絡先は今でも暗記している。教えてもらったあのときから、忘れたことはない。

 ――ようやく、繋がった。


 枝葉を切り分けて射し込む木漏れ日を見上げて、芽亜凛は息を吐いた。確実に、いい方向へと変化が起きている。そうとしか思えなくて……。『泣いているんですか?』と静かに問うネコメの声に戸惑いが感じられ、芽亜凛は不器用に笑みをこぼす。


「何度かけても繋がらないので、お忙しいのかと思ってました」

『忙しいですよー。警察はいつだって忙しいです。暇になりたいものですねぇ』


 電話越しでネコメはくくくと笑う。彼の落ち着いた声が、柔らかな口ぶりが、受話器を通して耳朶を打つ。もう繋がることはないのかと思っていた。もう会うことはできないのだろうかと諦めかけていた、神出鬼没の救いの手。

 遅いんですよ。そんなちっぽけな文句は浮上しない。


『こんな朝早くに申し訳ありません。まだ授業ははじまっていないでしょう?』

「ええ、私は登校したばかりで……今は朝部活の時間です」

『部活動には入られました?』

「いえ、まだ……でも、帰宅部になると思います。何かあったときに駆けつけられるよう」


 何か事件があったときに、いや、起きる前に――未然に防げるように。

 みんなと笑って過ごせる未来を救えるのなら、青春の一ページさえ焼き尽くしてみせる。

 ネコメは『なるほど』と呟いた。『守りたい人がいるようですね』


『芽亜凛さん、よろしければ今日の放課後、会って話しませんか? 私に聞きたいこと、頼みたいことがあるでしょう、なんでも言ってください。あ、デザート奢りますよ?』

「ありがとうございます……ぜひ」


 では約束の時間に。はい、という芽亜凛の返事と共に電話は穏やかに切れた。芽亜凛は天に広がる青空を、もう一度だけ瞳に映す。

 刑事として頼りたい。この学校の卒業生として――そして、死のループを乗り越えた先輩として、聞きたいことは山ほどある。

 ねえ、ネコメさん。

 ネコメさんは笑えるようになるまで、何度命を落としましたか。


    * * *


 朝の部活動が終わると、黒板を爪で引っ掻いたような声が教室に帰ってくる。それまで帰宅部が占領していた静寂はいとも容易く裂かれ、どのクラスにも騒々しさが増す。

 二年B組もそうだった。


「ねえ聞いた? めぐの奴、より戻したんだってー」

「えっ、それって朝霧くんと?」

「マジマジ。キスしたって言ってたよ」

「はあー羨ましいー」


 駄弁りながら席に着き、運動部の女子たちは伸びをする。

 朝霧修と小坂めぐみ――別れたはずの二人がよりを戻したという噂は、各クラスに燎原の火のごとく広まっていた。陰ながら小坂を狙っていた男子たちは落胆し、朝霧をアイドル視する女子たちは悔しがる。しかし、B組の彼女らはむしろ逆。


「ねえ、今度祝ってあげよう?」

「いいねー!」

「サプライズとか、めぐっち喜びそう!」


 パチパチパチと一帯で拍手が鳴る。


「そしたらまた、新作のバッグ貰えるかも!」


 おおー! と唸るような歓声と、再び軽々しい拍手。そうと決まれば一斉に、スマホのトーク画面にお祝いメッセージを送り出す。小坂の欲しがる言葉を選び、彼女の好きなキャラクターのスタンプを添える。

 自分勝手に騒ぐ彼女らは、小坂めぐみの取り巻きだった。主人に媚びへつらい、褒美を欲しがるだけの演者たちに過ぎない。


「くだらない」


 ぴしゃりと、鞭を打つような声が前方からした。決して大きくはないのに、はっきりと聞き取れる冷酷さを宿して。危うくひっくり返りそうな勢いで椅子を引き、声の主は席を立つ。


「……今の聞いた?」

「聞いた」

「超キレてなかった?」

「めぐまた恨み買ったのかな」

「さあ……?」


 取り巻きたちは口々に言って、「ライバル視してるんじゃないの。あの子、万年二位じゃん」と、ある結論を導き出した。


「二位ってのもすごいけどね」

「さすが、元A組の委員長さま」


 学年別学力順位二位。元一年A組の女子学級委員長。

 左側が長いアシンメトリーな黒髪をひとつにまとめて、女子の間で不評な学校指定のベストをきっちりと着た『優等生』。

 晩夏ばんかすみれは、窓の外から見える梅雨に似合わない快晴を、白く曇った眼鏡越しに睨めつけた。

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