少女らの夜
「一目惚れだったの。
めぐが修に出会ったのは、一年前の秋。
掃除時間に、ゴミ箱を運んでいるときにね、出会ったの。その日は木枯らしが冷たくて、悴みそうな手で、重いゴミ箱を抱えてて。
『なんでめぐがゴミ捨て当番なのよ』
一人で愚痴りながら、ゴミステーションに向かって歩いてたわ。みんな友達同士でせっせと運んでるのに、その日はめぐだけが一人ぼっち。
すっぽかしたクラスメートにイライラしながら、ゴミ箱を運んでいる途中でね、めぐ、開放廊下の段差に躓いちゃったのよ。両手は塞がってるし、支えようもないでしょ?
『いったぁーい! もう最悪!』
転んだ勢いでゴミ箱はひっくり返っちゃうし、なかのゴミは散乱してるし。足と手は擦りむいちゃってるしで、とにっかく最悪だった。もうこのまま投げ出してやろうかなーって思ったときにね、王子様が現れたの。
『きみ、大丈夫? 立てる?』
見上げた先には、めぐでも知ってる優等生がいた。成績一位を維持してるって噂の男子生徒だった。頭だけじゃなくて運動神経もいいよねって、B組の女子の間でもすでに人気だったの。私、王子様がいるなら、きっとこんな人なんだろうなって思った。
瞳が大きくて、見てると吸い込まれそうで。小鼻が綺麗で、肌が綺麗で、風に吹かれる髪がすっごくさらさらしてて……。大丈夫? って紡ぐ声がかっこよくて、伸ばした手が大きくって……胸の中心が、ドキドキした。
擦りむいた膝の痛みも、肘の痛みも忘れてぼーっと見惚れていると、『血が出てる。少し待ってて』って。そう言って修は、散らかったゴミを全部集めて、ゴミステーションに持って行ってくれた。
動けない私の元に急ぎ足で戻ってきたかと思えば、『肩を貸すよ』って。私を……お姫様抱っこで持ち上げたの。
『へ……ひゃっ、ちょっと!』
腕のなかで驚く私に、修は『軽いね』って言って笑った。その頃にはもうバスケ部を辞めてたみたいだけど、修ってああ見えて力持ちなのよ? もう私、顔真っ赤になっちゃって。
でね、掃除中の廊下を進んでいくと、みんながめぐたちを見るの。びっくりした顔になるんだけど、めぐの怪我を見て、納得した顔で戻っていく。
その一瞬の顔がね、羨ましそうなの。いいなあって、羨ましいなあって。めぐたちを見てみんなが思ってるの。
あれはまるでね、ヴァージンロードだった。見上げると彼がいて、腕のなかが温かくて、心地よくて……幸せだった。
それで保健室に着いたら、すぐさま手当をしてくれてね。肘とか手とか、あと足も。知らない男に触られるのは嫌だけど、修のは嫌じゃなかった。痛くなかったし、優しいし、手付きも器用で素早いの。あんなに優しくされたの、はじめてだった。
私の……理想の王子様。
それが修だったの」
瞳をきらきら輝かせながら、小坂めぐみの一人談義は終了する。「なるほどねぇー」と千里が感嘆の声を上げた。
「そんなふうにされたら、惚れちまいますわー」
「うふふ。でしょお? あ、でも本当に惚れちゃ駄目よ? 修はめぐのなんだから」
放課後の話し合いが終わったあと、芽亜凛と千里は彼女の送迎車に乗せられて、小坂家に招かれていた。しばらくの間、友達を泊めてあげたいの。娘がそう言うと、小坂の両親は大賛成とばかりに承諾してくれた。
父親が一流企業の社長である小坂めぐみの住む家は、豪邸までとは行かないものの、話どおりの広さを有している。部屋も余っているようだ。
だが、夕飯と入浴を済ませた彼女らは、ひとつの部屋に集まっていた。小坂の言う余り部屋が、ベッドの上から床上まで物置として使われていたからだ。こんな部屋に娘の友達は入れられないわ、と母親が布団を用意してくれて、結局小坂めぐみの部屋を使うことになった。
部屋には普段使いされているベッドがひとつと、床に布団がふたつ並べて敷いてある。修学旅行の夜のごとく、彼女らは絶賛恋バナ中であった。
「いいねいいねー青春だねぇー。それでめぐっちはA組に移ったの?」
「そうよ。修目当てでA組に移ったの。教師にはかなりごねられたけど、お金を出せばちょちょいのちょいよ。ちょうど移りたがってた奴もいたし、入れ替わりで二年から晴れてA組入り。春から修と付き合って、今でもラブラブ中? みたいな?」
「でも別れたんじゃなかったっけ」
「それは勘違いよ。めぐはいつでも修とラブラブだもん。修だってめぐがいないと困るに決まってるわ」
「あー、うん、アツアツだったねー。キスまでしてもらってねー」
「や、やめなさいよその話はぁ」
恥ずかしいんだから、と頬に手を当てて小坂はわかりやすく紅潮する。小坂の言う話はほとんどが強がりだったが、彼のことを話す姿はひたむきで、顔いっぱいに幸せが溢れていた。
しかし小坂は思い出したように目つきを吊り上げると、「ていうかぁ」と低い声を出す。
「なんで修はいないのよー! なーんであんたたちだけなのよ。修はどこ行ったのよ」
「普通に帰ったんじゃない?」
「なーんでよー!」
朝霧は送迎車に乗ることはおろか、迎えが来る前に姿を消していた。千里の言うとおり、黙って帰ったと見る。それもそうだろう、彼は小坂に二人のことを任せただけで、自分も泊まるとは一言も言っていないのだ。断りを入れて彼女の機嫌を損ねる前にばっくれたらしい。
むすーっと膨れる小坂に、「まあいいじゃん、キスしてもらったんだし」と千里がご機嫌取りの舵を切る。「ま、まあね」と小坂は満更でもない顔になり、
「で、なんであんたはさっきからビミョーな顔してんのよ」
びしびしと注がれる鋭い指摘に、芽亜凛はようやく意識を引き戻した。彼女らが恋バナに精を出すなか、芽亜凛は別の物思いに耽っていた。
「なんか悩み事でもあんの? ……生理?」
勘繰る小坂に、芽亜凛は「う、ううん……違う」と首を振る。
「じゃあ何なのよ。辛気臭い」
「まあまあめぐっち、芽亜凛ちゃんにもいろいろあるんだよ」
「恋の相談なら乗るわよ?」
――私を心配してくれる、新しくできた、友人たち。
千里が紡ぎ出す『芽亜凛ちゃん』という言葉が、胸の柔らかいところでころころと転がる。今までは、芽亜凛さんとか橘さんだったのに。たったそれだけの変化に、思わず頬が緩んでしまう。
芽亜凛は、「ううん、本当に大丈夫だから。それより小坂さんのお話のほうが気になるわ」と切り返した。彼女らに余計な心配はかけられない。
「わたしも気になる! も、もうはじめてはお済みですか?」
「そ、そりゃあもう、ね……多いときは毎日だったわよ」
「毎日!?」
千里に乗せられて、小坂は気分上々に語り出す。その間も芽亜凛の頭のなかでは、ぐるぐるぐるぐると黒い影が渦を巻いていた。
保健室で朝霧から言われた、あの言葉が原因だ。
* * *
「まさかきみは、無限にやり直せると思っているのか?」
脳天を貫かれ、強く揺さぶられる。それまでの考えがすべて吹き飛んでしまうかのような、大きな衝撃。
死ねば戻る。死ねば繰り返される。そう思い込んでいた芽亜凛にとって、朝霧の発想は斜め上から降り注ぐ針だった。
呆然と立ちすくむ芽亜凛を眺めて、朝霧はくすくすと笑う。
「考えたこともなかったって顔だね」
図星を指され、視界がいっぺんに眩んだ。口の渇きを誤魔化そうと下唇を舐め、「どういうことですか」と掠れた声で精一杯に返す。
「無償のものなんて存在しない。僕らはいつでも何かを消費して生きている。特殊なチカラを授かったきみは、その代償に何かを失っているはずさ」
朝霧は、鍵をかけた扉から離れてテーブルに腰を下ろす。その一挙一動を追うなかで、朝霧と視線が交差し、芽亜凛は顔ごと目を逸らした。
「それが……繰り返せる回数と言いたいんですか」
「結論を出すならそうなるだろう。きみ自身の体力――例えば寿命なら、いずれにしても結論に辿り着く」
寿命という言葉に背筋が寒くなる。芽亜凛は無意識のうちに片腕をこすった。涼しい顔をして恐ろしいことを言ってくれる。何の配慮もなく、人の命を道具のように――
「猫に九生あり。きみはあと何回死ねる?」
芽亜凛は打たれたように唇を引き、震えた声で言い返した。
「そんなこと……聞かれても困ります」
「はははは。そうだね、つい気になっちゃって」
彼の言うことは正しいが、良識性に欠けている。他人を怯えさせるばかりで、励ましのひとつも言えないのか。どうしてそこまで物事を冷静に分析できるのか。いつかの二重底の一件と同様に、朝霧の本質は冷たすぎる。
「きみはRPGをするかい? ロールプレイングゲーム。きみのそのチカラを
「……ゲームはしません」
「そう。気が合わないね」
朝霧はテーブルから腰を下ろし、今度こそ保健室を出ていこうとした。芽亜凛は身体の向きを変え、「怖くないんですか?」と、口を割いた本音に身を任せる。
「あなたは、死ぬのが怖くないんですか」
ガチャリとロックの外れる音がした。
ふっと吐息を漏らして、朝霧は首だけで振り返り「ああ」と快活な表情を浮かべる。
「死んだこともないのに、怖がりようがないだろ?」
その顔は少年らしい笑顔で覆われていた。なのに、彼から伝わる感情は、一ミリたりとも読み取れない。
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