新たな繋がり
「あ、あの……あのね、修――」
「なんで小坂さんがここにいるの?」
とても元彼女に向けて放ったものとは思えない冷ややかな声で、朝霧は生徒会室を凍らせる。
しどろもどろに眼球を動かした小坂は、「だって……修が、この子と歩いてたからっ」と千里を睨んだ。急な飛び火に千里は何事かと、目をぱちくりしている。
「大事な話をしてたんだ」
「大事な話って?」
「小坂さんには関係ないだろ」
「か、」
小坂は一瞬言葉を詰まらせて、「関係なくないもん!」と声を荒げた。顔は赤くなっているものの勢いは続かず、「しゅ、修は……だって、めぐの……」と口先だけをもごもごと動かす。彼氏と言うべきか元カレと言うべきかで迷っているようだ。痴話喧嘩はよそでやってほしい。
「どこまで話を?」
間に入る者がいないので芽亜凛が先陣を切る。
「彼女を狙ってるストーカーがいるってところまで」
さも事前に打ち合わせをしたかのような口ぶりで話す朝霧。だが保健室で聞かされたのは、『生徒会室で僕が説明しよう』までである。千里を狙う人物――芽亜凛にとっては神永響弥――のことを、朝霧はわかりやすくストーカーと称しているようだ。
「ス、ストーカー?」
これには小坂も面食らい、当惑した顔つきに転じた。どういうこと? と顔に書いてある。
「匿名のタレコミがあったんだ。松葉千里さんを狙ってるストーカーがいるってね」
朝霧は神妙な面持ちで事の詳細を明かした。清々しいまでの大嘘であるが、匿名と言っておけば情報元を探られる心配はない。よく考えたものだ。
「いやぁ、わたしにはまったく身に覚えがないんですが……」
肝心の本人は信じてなさそうである。困ったように苦笑いを浮かべて肩をすくめる。
「それでしばらく場所を移したほうがいいという話をしていたんだ。その協力者が橘さん」
闖入者にもわかるように説明する朝霧に続いて、全員の視線が芽亜凛に集まった。いや聞いてないです、という言葉は胸に秘めて平静を装う。
「彼女、今一人暮らしをしていてね。友達作りにもなるし、しばらく彼女の家に匿うってのはどうかなって」
何もかもが初耳だが、口にすることはできない。教えてもいない一人暮らしという情報はどこから仕入れたのやら。聞かされてもいない無茶を言うな、と不満を爆発させたいところだが、千里を守るため――ここは我慢だ。
芽亜凛は「千里さんがいいのなら、歓迎するわ」と言って、ニコォっと笑顔を作った。事実、部屋に一人くらい増えても問題はない。
「でも、今日からってのがちょっとなぁ……」
首を傾けて千里はううーんと唸ってみせる。今日からというのも朝霧に言われたことだろう。
「いきなり言われても困るっていうか……」
「何かあった後じゃまずいだろ? すぐに対処すべきだ」
「き、気持ちは嬉しいよ? けど、泊めてもらうだけなら、仲のいい子がいるし……大丈夫だよ! 言ったら絶対、助けてくれると思う」
ね? と強がる千里に狼狽し、朝霧はついに口を閉ざした。
(やっぱり、駄目か……)
以前芽亜凛が説得に失敗したように、初日の千里はやはり手強い。いくらこちらが真剣に頼み込んでも、大した問題じゃないよと考えて折れないのだ。
(このままじゃ……)
「その人の存在も知られている、と言ったら?」
「――えっ?」
芽亜凛が顔を上げるよりも早く、千里は反応を示した。声の主――朝霧修は、力強い眼差しをただ一人に送る。
「松葉さんにとって、その人は大切な人だ。最も信頼できる、きみにとっての親友。でも、相手がそのことを知らないはずないよね? 下手をすればその人――百井さんのことも、傷付けることになる」
千里は、朝霧にすべてを見透かされたように言い切られ、薄く口を開いて静止する。顔色が今までのものと明らかに違っていた。親友の名前に虚を衝かれ、思いもしなかった不安に駆られている。
「繋がりが薄い者同士で関係を築くしかないんだ。自分の身を守ることで大切な人を傷付けずに済むんだよ」
朝霧は落ち着いた口調に切り替え、改まった説得を試みる。ちらりちらりと芽亜凛を窺う千里の表情からは迷いが見て取れた。初対面で家に泊まるという心の壁と、凛に迷惑をかけたくない気持ちの狭間で揺れている。
そうして朝霧が、「無理、かな……?」と弱々しく笑みを漏らしたそのとき。
「んんんんんっ――もうっ! 修が困ってんでしょ!?」
こらえきれずに、小坂はその場に波を起こした。
小坂は顔をしかめて千里の前まで迫ると、「あんた、修を困らせて楽しいわけ?」と激しく追及する。
「そ、そういうつもりじゃ――」
「そんなに嫌ならね、私の家に来なさいよ」
ん? と眉根を寄せた芽亜凛と同タイミングで、千里も「はへ?」と仰天した。――今なんて言った?
「転校生、あんたんちセキュリティーどうなってんのよ。自信はあるの? 絶対に大丈夫っていう保証はあるの?」
小坂の追及は芽亜凛にまで着火し、思考を求める。
芽亜凛の住む場所は家賃も手軽な小さなアパート。セキュリティーの自信は正直なかった。だから返事の代わりに、小首を傾げる。
「あっそぉ、ないわけね。じゃあ私んちに決まりね」
小坂はふふーんと鼻を鳴らすと、「うちのほうが広いし、でっかいし、部屋も余ってるし、防犯対策だって完璧なんだから」
えっへんと胸を張ったかと思えば、ハッとしたように慌てはじめる。
「な、なんなら修も一緒に来ていいのよ? そっちのほうが……う、嬉しいなぁ」
その声を最後に、生徒会室は静まり返った。みな各々が思案顔になり、考え込む。
小坂めぐみ――彼女の家に行くのは案外悪くないかもしれないと芽亜凛は思った。凛との繋がりは遠いほうがいい。同じクラスの芽亜凛が引き受けるよりも、別クラスである小坂との繋がりを得たほうが今後のためにもなる。
それに小坂は被害者になりうる内の一人。行動は、今のうちに制限しておく必要がある。渉を使って、朝霧を救えたように。
「……本当に、いいの?」と、朝霧は声を潜めつつも時を動かす。周りの視線は小坂に自然と注がれる。
「あ、当たり前じゃない! いっくらでもいていいのよ」
「松葉さん、どう?」
「……まあ、そんなに言うのなら……」
決まりだ、と芽亜凛は勝機を得た。霞みかけた視界が鮮やかに広がる。芽亜凛の気持ちを代弁するかのように、「よしっ!」と小坂は小さくガッツポーズをした。
朝霧は安心した顔で「よかった……」と微笑み、
「それじゃあ小坂さん、お願いしてもいいかな」
小坂は頬をピンク色に染めて、おずおずとだが深く何度も首肯した。
芽亜凛と千里は今から彼女の家に向かうことになる。荷物は休みの日に取りに行くとして、今は『ストーカー』に動きを知られぬよう努めること。そしてヒミツの共有は最低限に収める必要があった。
「このことは、誰にも言っちゃいけないよ。百井さんにも」
しーっと朝霧は人差し指を唇に立てて念を押す。千里は先ほどまでとは打って変わった真剣な面持ちで了解した。困ったときは凛に頼りたいという普段の姿勢から、心配をかけたくないという思考に転じたみたいだ。
千里から順に生徒会室を出ていくその手前、小坂は朝霧の袖を引っ張り、上目遣いで彼の顔を見つめた。
「私ね、修の頼みなら……なんでもしてあげたいの。修が困ってるなら、力になりたい。修が喜んでくれるなら、めぐはどんなことでもするよ?」
で、でもね――
「めぐだって、ご褒美はほしい……。――もう一度、修にめぐみって呼ばれたい! もう好きになってなんて言わないから、また一緒に……修と一緒にいたい……!」
芽亜凛は扉の前で立ち止まり、二人の様子に目を留めた。
『好きになってほしいって言われたから別れたんだ』
観覧車のなかで、朝霧は芽亜凛にそう話した。朝霧と小坂が付き合い、別れてしまったことは、芽亜凛にはどうすることもできない事実。でも彼女は、芽亜凛と響弥とのことを応援してくれた。背中を押し、励まし、協力してくれた。
だから、せめて――小坂さんの思いが、彼に届きますようにと。芽亜凛は小さなチカラに願いを込めた。
小坂は朝霧の袖から手を放し、きゅっと唇を引いてうつむく。朝霧の瞳は左右に大きく揺れていた。半開きになった唇が言葉を探すかのように震えて――
不意に片頬だけで、ニヤリと弧を描いた。
見間違いかと注視した瞬間、朝霧の手が彼女の頬を包み込んで優しく持ち上げる。開いたままの扉から戻ってきた千里が顔を覗かせて、芽亜凛の横で息を殺した。
朝霧と小坂は、二人の目の前でキスをした。小坂はビクリと一度痙攣して固まり、見開いた瞳をゆっくりと閉じる。つかの間の幸せに浸るように、彼との時間を味わうかのように。
(よかったね、小坂さん……)
そう心のなかで呟いた矢先、二人の唇の隙間からちろりと舌が蠢いているのが見えて、すぐさま視線を逸らした。隣の千里は顔を手で覆って、指の隙間から二人の様子を見ている。ちゃっかり凝視している。
はあ……とため息をつき、芽亜凛は先に廊下へ出た。温度の上がった室内とは異なり、廊下は涼しいものである。
「めぐみ。彼女らのこと、よろしくね」
「ひゃぃ……」
朝霧と見つめ合う小坂は、顎に涎を垂らしながら呂律の回らない返事をする。この人の家に匿われるのよね……と。先が不安になる芽亜凛であった。
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