第一話

終わりのはじまり

 見知った優等生の予想外の登場に、芽亜凛は引いた涙目でしぱしぱと瞬きを繰り返した。追い出した生徒は常連がほとんどだったのか、それ以上保健室に人が来る気配はない。いや、来たではなくすでにいたという表現が正しいのだが――朝霧は最初からここにいた?


「あんた、力貸してやりなさいよ。どうせ暇でしょ」


 猪俣先生は、後ろから覗く男子生徒にとんでもない提案を投げ掛ける。


「その暇な生徒に書類作りを任せてるのはどこの保健教諭ですか」

「終わったの?」

「はい、とっくに」


 ぱらりと束になった書類を掲げる朝霧に、猪俣は「ご苦労」と言って仕切り越しに受け取った。今すぐタバコでも吸い出しそうな大人な雰囲気を醸し出しつつ、書類を確認しながら優雅に足を組む。


「あの……どうして朝霧さんがここに?」


 尋ねなければ永遠に答えは出ないだろうから、こちらから疑問を口にする。なぜ彼がここにいるのだ?

 朝霧はニコニコと笑みを浮かべながらパーテーションの手前に出てくる。向こうからしてみれば初対面なのに、名前を知られていることに関してはもはやスルーのようだ。

 両手を後ろへ回して、朝霧は猪俣先生に顔を近づけて囁いた。


「僕と先生は、特別な関係なんだ」

「しばくぞクソガキ」


 猪俣先生の即答が、抑揚のない低い声で放たれる。朝霧は面白がっているように肩をくつくつと揺らして戯けた。ぽかんと口を開ける芽亜凛を見て猪俣はカリカリと頭を掻く。


「ただのパシリよ。パシリ」

「パシリ……?」


 ――それはいったい何の?


「生徒会執行部だからね、よく猪俣先生の使いっぱしりにされてるんだよ」

「あんた喜んでるじゃない」

「先生からの指名なら、いつでも喜んで」

「うんうん、会長狙いで今のうちにポイント稼いでおきたいんだもんねー。ね、修くん」と猪俣は再び低い声で眉を上げる。

「先生自慢の可愛い生徒でしょう?」

「そうねー、今日も猫被ってて可愛い可愛い」


 二人のやり取りに芽亜凛は首を傾げた。朝霧に群がろうとする女子はみんなしてちやほやするのに、猪俣先生はその逆に近い。しかし朝霧の様子は決して嫌そうではなく、むしろ楽しんでいるよう。一言で表すなら、そう、慣れ親しんでいる。


「あの……猪俣先生って、生徒会の――?」

「ああ、顧問よ」


 知らなかった? と、猪俣は自分の髪に触れる朝霧の手を鬱陶しげに払う。


「知りませんでした……」

「あら、そう?」


 猪俣は芽亜凛の立場を完全に呑んでいるらしく、転校初日だというのに何の疑いもなく会話を続ける。

 普段から時折、筆記用具と紙束を持って保健室からいなくなるのは、生徒会の仕事をしに抜けていたからだった。顧問であることは生徒会メンバーでなければ知る由もないことだろう。


「コレが学年一位なのは知ってる?」

「はい、一応」


 親指を朝霧に向けて、生徒をコレ呼ばわりする保健教諭。猪俣は「じゃあコレがやばい男ってのも知ってる?」と淡々とした口調で続けた。


「ちょっと先生、転校生に妙な嘘吹き込まないでください」

「……まあ、変わり者なのは知ってますけど」

「ふはは、知ってるって。よかったわね朝霧」


 朝霧は一瞬慌てる素振りを見せたが、すぐに「参ったなあ」と苦笑いしてみせる。変わり者という認識をされても猫を脱ぐ気はないようだ。


「お昼食べてないでしょ? これ上げるわ」


 猪俣先生はビニール袋からサンドイッチを取り出し、芽亜凛の前に置いた。昼食に芽亜凛もよくサンドイッチを食べている。今日は買ってくる気にもなれなかったので、朝から何も食べていない。

 芽亜凛は「ありがとうございます」と頭を下げて、ありがたくいただくことにした。それを合図に猪俣は椅子から立ち上がる。


「あたし生徒会室行ってくるから、あんたのしたいこと、こいつに話してみたら? 顔と頭だけはいい男よ」

「褒めてるんですか、貶してるんですか」


 猪俣は朝霧の問いには答えずに「じゃ、行ってくるわ。取って食うんじゃないわよ」と釘を刺して保健室を出て行った。足音が遠ざかっていくのを耳にして、朝霧は猪俣教諭の椅子に腰掛ける。沈黙を埋めるように、芽亜凛は封を切ったサンドイッチをぱくついた。


「きみへの認識は、時をかける転校生、でいいのかな?」

「……疑わないんですか」

「疑わないよ。よくある話だ」


 見かけた売り物を紹介するような口ぶりで言うと、朝霧はくるりと椅子を一回転させて長い足を組んだ。そして、残りのサンドイッチに手を伸ばし、芽亜凛の許可なく口へと運ぶ。


「じゃあ、まずは話を聞こうか。死のループについて」


 飲む? とペットボトルのお茶を差し出して朝霧は朗らかに笑った。芽亜凛はポーカーフェイスを維持して首を振る。自由すぎる優等生は「ふぅん」と相槌を打つと、猪俣先生の鞄から取り出したお茶で無遠慮に喉を潤した。

 芽亜凛は一旦食べるのをやめて、藤ヶ咲ふじがさき北高校でこれから起きるであろう事件について洗いざらい話した。以前、萩野はぎの拓哉たくやに打ち明けた時と同じく、名前は伏せて。


 話を聞き終えた朝霧はウェットティッシュで指先を拭き、「オカルトに便乗して殺人ねぇ……とんだチキン犯じゃないか」と嘲るように笑った。芽亜凛が口を開く前に、優等生は「それに」と言って続ける。


「その呪い人の定義からも逸脱してる。あれはE組内で起きるはずだ。C組やA組の生徒を巻き込むということは、単なる無差別か、あるいは個人的な復讐にも等しい。中心人物によほど執着している奴の犯行だね。はは、ストーカーよりも酷いな」


 生き生きと他人の悪口を並べて朝霧は伸びをする。A組生のくせにE組の呪い人まで把握しているのか。前にも一時的な協力関係を築いたが、毎度こうも現実離れした話をすんなり受け入れられると胡散臭さが漂ってしまう。そうでなくても信頼できる人物とは思っていないが。


「今日狙われるC組の女子生徒って――名前は?」

「……松葉まつば千里ちさとです」


 守るべき対象は教えてもいいはずだ。犯人に繋がりが生じない範囲で――


百井ももいさんと仲のいい子か」


 影響は口にすることで発生する――避けようとする芽亜凛の思考もよそに、早速朝霧は痛い部分を突いてきた。


「ほかにもいるでしょう、仲のいい子なんて」


 反射的に返した芽亜凛に、「いや、百井さん以上に仲のいい子はいないよ」

 朝霧はすぐさま否定してきた。


「広く浅い関係でも、百井さんだけは別格だ。――確か、その人と親しい人間が狙われるんだよね、呪い人って」

「……凛じゃありません」

「そう目を泳がせるものじゃないよ。はいと言っているようなものだ」


 前髪に隠れた芽亜凛の眉間にしわが寄る。これ以上は墓穴を掘ると思い、残りのサンドイッチを食べて誤魔化した。

 朝霧は顎に手を当てて考える素振りを見せる。中心人物がイコール凛であることは、ほとんど確定してしまったようだ。


「そうか、百井さんをねぇ……まさか望月もちづきくんだったりして」

「――違います」


 朝霧はフフッと笑みをこぼして身を乗り出した。


「狙われる可能性はありそうだ」

「詮索するのやめてください」

「卵付いてるよ」


 じろりと視線を這わせるついでに、朝霧は口元に指を差しながら姿勢を戻した。芽亜凛は唇に付いた卵サンドの欠片を指で掬って舐め取る。


「本当に協力する気あるんですか?」

「もちろん。やる気は三十パーセントだよ」


 肯定する割には後半の返しが低い。


「……あとの七割は?」

「興味四割、ジョーク三割」

「…………」


 ――つまりそれは。


「おふざけで相殺してやる気ゼロというわけですか」

「きみに手を貸すメリットがないからね」

「……以前は助けてくれたのに」


 ブツブツと文句を呟いて芽亜凛は押し黙った。

 気分屋で変わり者で物好きな優等生。その根底にあるのが親切心なんかではないことを、芽亜凛は改めなければならない。自分本位で利己的な奴だということを忘れてはいけない。


「じゃあ、こうします。メリットは、望月わたるを救える――これでどうですか?」


 朝霧にとっては金よりも断然、興味を引く内容だ。だが朝霧の反応は薄かった。眉毛ひとつ動かさずに芽亜凛を見据える。その目の色が変わったのを芽亜凛は見逃さなかった。


「あなたは知らないと思いますが、望月さんはあなたのことを――っ」


 むぐ、と。朝霧の手が芽亜凛の口元を押さえた。視界が一瞬で暗くなり、朝霧の大きな影に覆われて硬直する。芽亜凛は胸元のスカーフを掴まれ、強引に引き寄せられていた。そのことに気がつき身震いすると、朝霧はそっと両手を離した。

 芽亜凛は固まったままの身体を引き、形の崩れたスカーフを整える。心臓がばくばくと音を立てていた。


「わかった。協力しよう」


 胸ぐらを掴んだにも関わらず、悪びれる様子を一切見せないで、朝霧は背もたれに身体を預ける。


「まずは松葉さんの対処に当たる、でいいんだよね?」


 芽亜凛は驚きのあまり声も出せず、こくこくと頷いた。朝霧は「よし」と頷き返し、作戦内容を大まかに説明して、


「それじゃあ実行は放課後。彼女が帰る前に呼び止める」

「本当にうまく行くんですか?」

「それは僕らの腕次第。でも一日くらい長引かすことはできるだろう」


 そのデッドラインを越えるのにどれだけかかったことか。今までの経緯を話す気にはなれず、芽亜凛はため息をつくに留めた。代わりに、「どうして協力する気になったんですか?」と最後の質問を投げかける。すると朝霧は席を立ち、


「ネタバレは嫌いなんだ」


 え? と思わず言いかけて、口の動きだけで抑える。まさかそれだけで女子の口を塞いだというのか。珍しく朝霧の顔に笑みはなく、どこか不機嫌そうに曇っていた。


「そうだ。ひとつ聞きたいことがある」


 扉の前まで来た朝霧は振り返り、後ろ手で鍵をかける。前の学校で受けたトラウマが芽亜凛の脳裏をチリリと焼いたが、朝霧が続けたのはただの内緒話であった。


「きみはあと何回死ねるの?」

「……え?」


 今度こそ喉から発せられた声だった。


「まさかきみは、無限にやり直せると思っているのか?」


 立ちはだかる優等生は可笑しそうに目を細める。


 ――考え付きもしなかった。

 いつかこのチカラに、終わりが来ることなんて。

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