エンドロール
ここまでのモンスター情報。学校に巣くう怪物は夜間にのみ活動する。日中は身体を変色させて擬態しているため、人目にはつかない。また、長年見つからずに済んだのはダクトのなかに潜んでいたからである。今は長きに渡る眠りから覚めて、とてもお腹を空かせている状態――だそうです。図書室の古本より。
怪物はお腹いっぱいになったらまた数年間の眠りにつく。つまりこの物語は今夜限りの地獄絵図。なるほど、そうじゃなきゃこれから毎晩セコムが消えるはめになるもんね。
そして、映画開始から眠りについた凛ちゃんの目覚めた回数、ゼロ。よぉく眠ってますなぁ。わたしの恐怖と緊張を分けてあげたい。吸い取ってほしい。いや、守ってほしい。……恐怖映像から……? 倒置法からの自問やめー。
でもホラー映画は我慢とは違くて、怖いけど観たい……みたいな? 観たがりの怖がり。人間矛盾だらけなのである。
まあ、本当に嫌なときはわたしも席を立つけど、凛ちゃんの分までは見届けたい。もう少しでフィナーレだ。モンスターから身を潜めて、ここからどんな展開を見せるんだろう。
過去にわたしが動けなくなったのは、映画じゃなくて現実による恐怖だった。延々と続く、恐怖心と緊張状態。
そんな心の反応に、咄嗟に身体が応えられないときもある。恐怖による支配だ。
わたしの話――わたしと凛ちゃんの話。もう少し上映してもいいかな?
凛ちゃんの隣は、学校の警備なんかよりもずっと安心感がある。精神的にも、肉体的にも、わたしの経験上からしても。いざってときの凛ちゃんは、白馬の王子様よりも頼りになるんだ。
被害に遭ったのは中一の秋。体育祭を終えて、残る行事は定期テストと合唱コンクールのみとなった二学期の半ば。
髪留めの一件が過ぎ去っても、凛ちゃんはわたしに声をかけてくれた。まるであの時の万引きはなかったみたいに、見てなかったみたいに――凛ちゃんは学校でも普通に接してくれる。
けれどなかったことにはならないし、わたし自身なくすつもりはなかった。暗黙の了解から生まれたわたしと凛ちゃんだけの『ヒミツ』として、ずっと心に留め続ける。留め続けたい。
ほかの子と遊ぶときはいつも三人以上いたけれど、凛ちゃんと遊ぶときは大抵二人きりだった。例外は渉くんと(その友達と)お家で映画鑑賞したときくらい。……またしても渉くん。またしても映画である。
テスト勉強の息抜きにと、凛ちゃんと二人で映画を観に行ったその日の帰り。当時流行っていたラブコメ映画の感想も言い尽くして、わたしと凛ちゃんは大人しく満員電車に揺られていた。ここが悲劇の舞台である。
それはひらがなだと三文字。漢字だと二文字で表すことができる。ヒントはわたしも凛ちゃんも立っていたということ。そこで被害に遭ったものとはいったいなーんだ? って、なぞなぞクイズにもなってないか。
あー……んー……えっとー……なんだ、うん、その。チカン、ってやつ。置き換えるほうじゃないよ。
わたしの後ろに、仕事帰りっぽいおじさんが立ってたんだ。街でよく見かけるサラリーマンって風貌で。で、わたしは片手を吊り革に、もう片方の手は鞄を支えていた。つまるところ無防備なわけですよ。電車内で完全防備というのも難しい話ではあるけれど置いておく。
遊び疲れて睡魔襲来中の頭でもおかしいなって気づいた。あ、これ触られてるなぁって。いやいや、実際はパニックに近かった。まったくもって冷静ではない。
うわーマジかーこういうのってあるんだなー。でもなぜそこでわたし? 全然色気ありませんが。大人しそうな子を狙っての犯行かー。どうしよう、どうしたらいいんだろなー。
うわ、離れたら寄ってきたよこのやろー。えー? マジでどうしたらいいのこれ。
汗びっしょり。顔面蒼白。脳停止しても心は多弁。肌寒いくらいの九月下旬でも冷や汗は健在な生理である。
悲鳴が上がったのはその時だった。息を呑むような短い「いっ!」というだけの――おじさんの声。同時に、身体に触れていた不快感がなくなって、わたしは肩をビクつかせながらそっと振り向いた。
首を回す途中で、凛ちゃんがおじさんを見ているのが視界に入る。いや、見ているのは認識できたけれど、それが本当に凛ちゃんかどうかは一瞬じゃわからなかった。姿は同じなのに、顔つきがまったく違う。
凛ちゃんは、健康的な顔色を曇らせて唇をつぐみ、血走った両目をかっ開いておじさんを見据えていた。怒りにしては冷たさが目立つ、氷のような無表情。
その小さな片手には、おじさんの手首が掴まれている。スーツの袖にしわができるくらい、強く指先を食い込ませて捕らえていた。おじさんが引きつった顔で身じろぎするけど、凛ちゃんは手を離さない。
そして小さな声で、たった一言だけ。
「許しません」
その言葉に否定のすべてがこもっていた。誤魔化しも嘘も通用しないことを物語り、抵抗も言い訳をも封じ切る凛ちゃんの圧。
おじさんはゴクリと喉を鳴らして、次の駅までじっとしていた。その間も凛ちゃんはおじさんを捕らえ続け、逃がそうとはしない。
駅で一緒に降りて、凛ちゃんはまっすぐ駅員さんの元に行き、「痴漢です」と言っておじさんを突き出した。駅員さんは険しい顔をして「警察まで来てもらいます」と、おじさんを連れて一件落着。
いつもなら真面目な場面でもつい笑い飛ばしてしまうわたしだけど、からかえる心境じゃなかったし、凛ちゃんに悪いと思ったから黙ってた。騒がず
それに、顔から火が出てるみたいに熱いや。心臓は飛び出そうな勢いで脈打ってる。いろんなことがいっぺんに起きて頭が渋滞しちゃったせいだ。
凛ちゃんはわたしの手を取ると、「行こう」と軽い調子で先導した。おじさんを掴んでいたのとは逆の手でぎゅっと握られる。
大丈夫? 平気? 怖かったね、酷い目に遭ったね。そんな同情も心配も、凛ちゃんはしない。されないのが心地よかった。
ううん、凛ちゃんのことだから心ではきっと思っているはず。でもそれを表に出されないのが気持ちよくて、嬉しくて。
お父さんとは違う。その他大勢との馴れ合いとは違う。凛ちゃんは己の面目よりも、わたしの気持ちを優先してくれた。守ってくれて、寄り添ってくれた。
それが、凛ちゃんに惚れたわたしの
たとえ凛ちゃんがわたしのことを信じていなくても、わたしは凛ちゃんを信じ続ける。凛ちゃんにとってわたしがその他大勢のうちの一人だとしても。凛ちゃんにならわたしの心、預けてもいいよね。
痴漢事件からわたしはもっともっと彼女に寄生するようになった。誰よりも凛ちゃんを優先したし、能動的に関わるようになった。傍から見てもわたしは凛ちゃんの親友だろう。常に隣にいる右腕のような存在だ。
強くて優しくて、悪を決して許さない百井凛ちゃん。そんな凛ちゃんにも、ただ一人の本命がいた。幼馴染の望月渉くんである。
と言っても、好きな人を「渉くんでしょ?」と尋ねても凛ちゃんははっきりとは肯定しないんだけど、二人が両思いなのは見ていればわかることだ。以心伝心、相思相愛の仲だもん。わたしがからかっても嫌な顔しないし。
渉くんもわたしに相談なんかしてないで早く伝えちゃえばいいんだよ。好きだよって。俺から離れていかないでって。
でも旦那から相談を受けるのは悪い気はしないですよ、わたしを親友と知ってのことだもの。ほっほっほ。
先月の上旬だったっけ。渉くんは、『凛が……デートに誘われてたんだけど』と、頬を掻きながらわたしに尋ねた。どうすればいいと思う? って、それ自分の気持ちを認めてることだという自覚はあるのかボーイ。
『大丈夫じゃない? 凛ちゃんだし』苦笑いするワタクシ。
『うん……俺も、そう思うけど……』なら何を心配しているんだろう、な渉くん。
『ちなみに相手って誰かわかる?』
『えーっと……A組の――顔がいい奴』
その顔がいい
廊下を担架で運ばれていくあの子の姿を思い出して、ちょっと胸焼け。思い出さないようにしてたのに――わざわざホラー映画を観に来た理由が最後の最後で潰れちゃった。
確か、えっと、
スクリーンに映る『スケープゴートファイブ』はエンドロールを迎えた。このまま主人公だけ生き残るのかなーと思いきや、もう一人の男の子が裏切って終わり。主人公とキスまでしてたのに、彼がすべての黒幕だったんだ……怪物を飼っているのは彼で、餌を与えるために今夜みんなを集めたんだ……。
五人の生贄のなかに彼はおらず、タイトルを指しているのはほか四人とセコムってことなんだろう。なんて男だよー、バッドエンドだよー。これは衝撃作って言われちゃうよ。凛ちゃんと重ねて応援しちゃってた主人公には生き残ってほしかったな……。そりゃわたしの気持ちも沈むわい。
真っ黒画面が終了して、徐々に館内の明かりが灯っていく。
「凛ちゃーん」
映画終わったよー、おはようだよー、ようやくモーニングコールだよー。「むにゃあ」って凛ちゃんの鳴き声、可愛いな。今何時だろ、お昼過ぎ?
スマホの電源を入れて時刻を確認。おややや? 重要メール……学校から?
本校の生徒二名が事件に巻き込まれた模様って……どういうこと? ニュースになってたりするのかな……やめてよもー。立て続けに、嫌なことばっかり。
『藤ヶ咲北高校 事件』で検索。トップニュースに出てきた記事をタップする。――校門前……死体遺棄事件?
あれ? この名前……もう忘れちゃってた、誕生日にカップケーキをくれた二人だ。
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