非行少女
修学旅行の経験から生まれた教訓――相手の話を鵜呑みにしない。本心を見せない。人は信じない。情報は自分自身で探る。
そして、家族の話をしない。これが一番大きいかも。
知りたいことは自分で集めるし、誰にも本当の心は見せないって決めた。もうマルマルくんのような男の子の気持ちには同意しないし、自分の気持ちも伝えない。それ以前に、本人外から聞いた言葉を信じない、鵜呑みにしない。信用に値するかどうかは自分の目で確かめる。
うちの親すんごい過保護でさぁ、ってうっかり愚痴ってしまうことはあるけれど……。会話は聞き役に回り、自分のことは――特に家のことはなるべく話さないようにした。
とまあ一息に並べると大仰に見えてしまうわたしの中身。別に人間不信ってわけじゃないよ。仲のよさに差はあるけれど、友達ならいっぱいいる。
でも、親友はただ一人だけ。一緒にいて一番楽しいと思える、
だからさ、サンカクちゃんがバツ子ちゃんでも、シカクちゃんがプラスくんでも、マルマルくんがマルマルちゃんであっても、どうでもどうでもどおおおぉおぉおおおぅでもいい。
凛ちゃん以外は全部同じ。全部モザ子ちゃんで、全部モザ男くん。例外は、今のクラスメートや部活動の人たち、凛ちゃんの交友関係――主に渉くんなどがそれにあたる。
凛ちゃん――わたしの親友。わたしの
* * *
凛ちゃんと出会って間もない中学一年生の春に、わたしははじめて補導された。夜間の防犯パトロールをしている学校の先生に見つかって、そのまま家まで強制連行。
昨年の卒業生が不祥事件を起こしたことから、指導員による防犯活動が広まっていたらしい。そんなの新入生のわたしが知るわけないよー。あなたうちの生徒よね? って、呆気なく見つかっちゃった。
家を抜け出したのは、両親が寝静まった頃。ゲームセンターで一時間ほど遊ぼうと街に向かった矢先に、後ろから肩を叩かれた。ホラーが苦手なわたしでも、さすがに幽霊出現とは思わないよ。辺りがネオン街ならなおさらね。
それより先生の洞察力にびっくりした。どうしてバレたんだろう。
家に帰ったわたしを見て、お父さんとお母さんは開いた口が塞がらなかった。その理由は、大事に大事に育ててきた一人娘が非行少女であった事実のほか、わたしの姿にも問題があったと思う。
二人は、わたしの化粧顔を見たことがなかった。わたしのお小遣いが何に費やされているのか知らなかった。顔も髪型も、服も靴も。わたしが夜どんな姿で出歩いているのか、そのすべてを見たことがなかった。
先生は、蛍光色の上着を羽織るわたしの背中を押して、事情を説明した。
「防犯パトロール中、歓楽街で見つけて保護しました。我々も帰る途中でして、見つけられてよかったです」
日付の変わりそうな夜遅くまで仕事してるなんて、指導員って大変だなー。と、わたしは上の空であくびを殺す。
お母さんは「すみませんでした。ご迷惑をおかけしました」と言って深々と頭を下げた。釣られてわたしもお辞儀する。
情けない、とお父さんは吐き捨てるように言った。わたしは、ようやくお父さんに怒ってもらえるんだと期待した。でも、矛先は違っていた。
「頭なんて下げるな、情けない」
お父さんは続けた。
――先生、これは何かの間違いでしょう。いい子の千里が、夜遊びなんてするはずないですよ。うちの子が遊んでいただなんて証拠が、いったいどこにあるんですか。
お父さんはなおも話し続けて、挙句の果てには先生に謝罪を求めた。うちの子を悪いもの扱いするなんて許せない。教師失格だ! とかなんとか。
お父さんは今でも、わたしの過ちが一度だけだと思っている。いや、過ちすら過ちであると信じて疑わない。お父さんはわたしを『悪い子』にはしてくれないし、認めようともしないんだ。
わたしは全然、いい子じゃないよ。本当のわたしは、いい子なんかじゃない。
だけどもだけども、幸せ者のお父さん。
身近な幸せに気づけない人が不幸になるわけじゃないけれど、不幸に鈍感な人はずっと幸せでいられるんだ。だからずっと、お父さんは幸せのまま。
無知っていいね。
『Okay to eat ?』
『Yes. Almost like forbidden fruit.』
赤いリンゴを手にした主人公が、片眉を上げて微笑する。対する男の子は、校舎に侵入して一番に単独行動をはじめた彼。映画はいよいよ終盤に突入。序盤ではぐれた男の子がまさかここまで生き残るとは……。
スクリーンには二人の男女が、禁断の果実と称してリンゴをかじり合っている。スケッチ用に美術室で保管されていた本物のリンゴなんだって。非常食には最適だ、とアメリカンジョークが流れた後、見つめ合っちゃうお二人さん。手を握り合って、顔を近づけて――? ……わあ、そこでチューしちゃうんだ……。
急にはじまった、いわゆるお色気シーン。または死亡フラグ。思わず横目で凛ちゃんを見た。健やかに眠っているようで何より。
でも禁断の果実って、リンゴじゃなくてイチジクだったはず。いや、ザクロだっけ?
映画前に買ったジュース、リンゴ味にしなくてよかったぁ……。死亡フラグの味とは思いたくないし。映画の帰りに事故で死ぬとかごめんだよー。
そうそう、わたしが凛ちゃんに惚れたのも、映画の帰りだった。寄生虫になったのはもう少し前。夏休みの間だったなあ。
* * *
小学校のみんなとは別の中学に通うわたしにとって、周りは知らない人だらけだった。入学式から早くも縄張りが作られていく教室内で、とりあえずこの子と友達になろうと声をかけたのが百井凛ちゃんである。理由は、出席番号順で席が近かったから、それだけ。
あちらこちらの木々から蝉が元気に余命主張をする中一の夏休み。今日はそんな百井凛ちゃんとデパートへお買い物である。
『友達』と二人きりで遊ぶ機会はあまりなくて、なんだか新鮮な気持ち。わたしも新しい服が欲しかったから、予定を合わせたに過ぎないけれど。
「ちーちゃん見て、この髪留め可愛い」
服を買い、適当に入ったアクセサリーショップで凛ちゃんが手招きした。その手に持っているのは、シンプルなリボン調の赤い髪留め。
「似合うんじゃない? ちーちゃん」
「そうかなぁ」
凛ちゃんは物欲しげな目で髪留めを見ている。色はともかく、シンプルな見た目が好きなのかな。服も鞄も地味だし、清楚なクラス委員長って感じ。
そう、凛ちゃんはクラス委員を務めている。迷わず挙手して立候補したときは驚いた。後ろから『はい』って声がして振り向けば、まっすぐな瞳で黒板を見てたんだもん。こういう子のことを、いい子って言うんだろうなぁ。ご両親もさぞ自慢だろう。
「凛ちゃんのほうが似合うよ。髪伸びてきて切ろうか迷ってたじゃない? これで留めちゃえばオッケーだよ」
「んー、でも学校には着けていけないし……」
「あ、そっか」
校則厳守の百井委員長、オフでも酷く真面目である。
入学してひと月も経つ頃には、わたしと凛ちゃんって少し似てるなぁと思った。どこのグループにも所属しないし、凛ちゃんは唯我独尊を貫いている。正義感が強いせいか、人と仲良くなるのは不得意みたい。
「着けるとしたら遊ぶときくらいだよね。あとは高校になってからか……ちーちゃん次いつ空いてる?」
「えっ、あぁ、部活ないから明日かな」
「じゃあ明日着けよ! これ、プレゼントする」
え? と瞬きをして、わたしは顔の前で両手を振った。
「いいよいいよそんな――!」
「ううん、今日付き合ってくれたお礼」
最初から贈るつもりだったのだろうか。凛ちゃんはえへへと微笑んでレジに向かっていった。……どうしよう。
付き合ってくれたお礼だなんて、はじめて言われた。わたしも何か贈らなきゃだよね。でも何を贈ればいいんだろう。凛ちゃんが欲しいもの……それは何?
わたしは先ほどの凛ちゃんの、物欲しそうな目を思い出した。本当は自分が欲しかったけれど、わたしに寄越してみせた? 凛ちゃんは、同じものが欲しい……?
手を伸ばせば届く距離に、髪留めはまだひとつ残っていた。自分も連れて行って、そう言っているかのようにぽつんと置かれて。
でもプレゼントするなら、今凛ちゃんにバレてはいけない。レジに持っていかずに、入手しなくちゃ。
だからわたしは、髪留めを掴んでポケットに入れ――「ちーちゃん」
張り付く瞼を持ち上げて、声のしたほうを振り返る。
「レジ、空いたよ」
凛ちゃんは口元に弧を描く。だけど、両目は笑っていない。
わたしは恐る恐るポケットから物を取り出して、そのままレジへと進んでいった。お金を渡し、商品を受け取り終えるまで、凛ちゃんはわたしの隣に並んで見守っている。これなら店員に突き出されたほうがマシ。けれども凛ちゃんは赤裸々にわたしを監視するだけで、悪事を告げることは最後までなかった。
出入り口の扉を抜けて、凛ちゃんは髪留めの袋を差し出した。
「はい、じゃあこれプレゼント。明日着けてきてね、約束だよ」
「凛ちゃん……」
「ん?」
「あの、盗んだこと、聞かないの?」
「ああ、えっと……予備用?」
凛ちゃんは眉をひそめて、ついでに首を傾げる。盗んだ理由ではなく、何のためのふたつ目なのかが気になるらしい。単に空気を和ますために言ったのかも。
うん、予備用だよ。凛ちゃんに悪いと思って隠したかったの――と、わたしの口はそうとは言わずに、
「凛ちゃんに贈りたくて……でも、内緒にしておきたくて……」
「そっかぁ、私がいたから、レジ使いづらかったかー」
「……ごめん」
「うん。全然嬉しくない」
全然嬉しくないよ。凛ちゃんは繰り返した。
「駄目だよ、盗むなんて。それで手にしたものを贈られても、私は嬉しくない。悪いことをするちーちゃんなんて、もっと駄目」
ズキリと心が悲鳴を上げた。万引きは今までもやってきたし、見つかってもいい、叱られてもいい。そう思っていたのに――なぜ、開き直りきれない……?
補導された夜はこんな罪悪感抱かなかった。やっと親にバレるんだって、むしろ心が踊っていた。
けれど今、わたしは凛ちゃんに磔にされている。悪いことは駄目なことなんだよって、真正面から撃ち抜かれている。
別にいいじゃん、これがわたしなんだから。って、開き直れないのはなぜ? 嘘をついて言い訳しなかったのはどうして? どうしてわたしは、本心で謝ってしまったんだろう。
悪い子を嫌うお父さんと、今目の前にいる凛ちゃんは何が違うの?
「ごめんね……」
わたしは謝るしかなくて、顔を伏せるばかりだった。
たぶん、凛ちゃんは、悪人をすぐに切ることができる。わたしが『悪い子』なのだと知ったら、容赦なく、未練なく、首を斬り落とすことができる人なんだ。そこがわたしのお父さんとの違い。悪から顔を背けるお父さんと、悪を正面から切り捨てる凛ちゃん。
わたし……凛ちゃんに叱られるのは、幻滅されるのは――嫌だ。
「次はちーちゃんの番だよ」
うつむいたまま唇を噛み締めるわたしに、凛ちゃんは手のひらを差し出した。
「贈るもの、あるんでしょ?」
「で、も……」
嬉しくないって、言ってたのに。凛ちゃんはきょとんとした顔で、「さっき買ってた髪留め、やっぱり予備用だった?」と尋ねる。わたしはううんと首を振った。
もう凛ちゃんのなかで、わたしへの制裁は済んでいるのだ。
「これ、凛ちゃんにも、着けてほしくて……」
わたしはレジで買った髪留めを取り出す。凛ちゃんは「お揃いだ!」と笑みをこぼした。
そっか、お揃い……。そんな発想もなかったな。凛ちゃんの欲しいものを買ってあげたかっただけで、同じものに対する抵抗もなかった。
お揃い。また、はじめてを取られちゃったな。
次の日、凛ちゃんは髪留めを着けて待ち合わせ場所に来た。わたしも同じ髪留めを着けてきた。凛ちゃんはハーフアップ、わたしはサイドテールにして。
お揃いの赤い髪留めは今も使っている。学校でも着けているし、休日にもしている。二度と悪いことをしないように、わたしを咎め続けてくれるんだ。
お父さんがわたしに嫌われたくないように、わたしも凛ちゃんには嫌われたくない。嫌われたくないから、嫌われないように寄生する。そばにいるから、徐々に親友へと発展して。必然的に、心の拠り所になるわけだ。
お父さんは『悪い子』なわたしを認めなかった。もしも凛ちゃんがいい子ではなくて、『悪い子』だとしたら――? ううん、凛ちゃんに限ってそんなことありえない。
なーんて。そう思ってしまうわたしはやっぱり、お父さんの子供。蛙の子は蛙なんだ。
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