閑話 松葉千里

寄生虫

 悲劇は前触れなく訪れる。強盗、殺人、誘拐、不慮の事故。己を狙う矢はいついかなる場所から飛んでくるか不明で、自分だけは大丈夫なんてことは決してない。

 ノストラダムスの予言がいかに信用できないかは、現世を這う生者たちが知っている。過ぎ去った不安に胸を撫で下ろす深層心理に足を付けて、平和という油断に身を預ける。そんな生者に悲劇は囁く。

 地盤崩落。隕石衝突。本物の悲劇は地中から現れるかもしれないし、空から降ってくるかもしれない。現実のそれは構えようも避けようもなくて。アニメ映画みたいに身体を入れ替え時空を繋げ、奇跡を起こすことはできない。


 だから、階段から転落したあの子を襲ったのもきっと、悲劇だったのだろう。


    * * *


 顔を隠すように広げていた両手を膝の上に置いて、左隣を見た。暗闇のなかで背もたれに体躯を沈ませる、りんちゃんの青白い寝顔がてらてらと瞬いている。お揃いの髪留めが潰れないよう首を傾けて、すやすやぴーぴー。

 ……やっぱり眠っちゃったか。予想はしてたけども。


 学校にいるときと変わらず化粧っ気のない柔らかな頬を、つついて起こそうか。でもまたすぐ、ウトウトしてしまうだろうな――と、平日のスヌーズに起こされたときの眠気を思い出し、生やしかけた人差し指を縮めた。まだ開始四十分だよ凛ちゃん。

 でも寝顔を見るのは滅多にない機会なので、心のカメラで激写しておこう。ついでについでに、もしもしわたるくん? 凛ちゃんなら今わたしの隣で寝てるぜ。暗闇のなかでな! がっはっはっはっは。って、心のスマホにお喋りする。

 意味深に伝えても渉くんは、それが何だという反応をするだろうな。凛は最初から俺のものだぜって、余裕綽々で。いいなぁ幼馴染。以心伝心の熟練夫婦。なかなかやりおる男子よのぉ。ほっほっほ。


 まあ……暗いのは事実だけど、二人きりじゃないし。たぶん、百人くらいかな? んー、もっといるかも。後ろはさすがに見れないから、前方の景色だけで判断するしかないけど。


 視界いっぱいに広がるのは大きなスクリーン。映し出されているのは、学校を舞台にした洋画『スケープゴートファイブ』。夜の学校に忍び込んだ若者五人組が、予想外の恐怖に出くわしてしまうという、ものすごくベタなホラー映画みたい。

 タイトルのファイブってのは五人のことを指していて、続編ものではないらしい。日本語に置き換えるなら、五人の生贄? 誤認しちゃうよ。五人だけに。


 ……………………。

 んンんっと、喉の奥で咳払い。多少の雑音も気にならないのが字幕映画のいいところ。目を覆えば怖いシーンも英語のリスニング勉強に転じるからおすすめですぞ。


 まあタイトルはそのまんまだよねー。去年から上映開始された映画だけど、展開が独特らしく、情報量も多くてまだまだ人気みたい。休日なのもあって、人が多い多い。

 ところでハイスクールって高校生? 海外の人って綺麗でかっこよくて子供でも大人びてるよね、大学生に見えちゃうよ。わたしと凛ちゃんなんていまだに中学生かと聞き返されるのに。


 凛ちゃんは低身長、わたしは童顔で。フュージョンしたらいい感じ? 余計なお世話じゃい。

 でもどっちかが年上に見られるよりはいいかなーって思ってる。大人びて見えていいねー、いやいや老けて見えてるだけだよーって、妬みも自虐もする必要ないもん。同級生バンザーイ。


 スクリーンの男女は、忍び込んだ学校の様子がおかしいって言いはじめた。酷く不気味。なんだか寒気がする。雰囲気がいつもと違うわって。彼らの目的は成績表の改竄かいざん。見つかったらまずいという不安と、夜の雰囲気に呑まれているんだろうな。

 どうやらここからが本番のよう。ワタクシ松葉まつば千里ちさとは、窓ガラスにテープを貼って叩き割るシーンだけで何か来るんじゃないかとビクついてましたけど。ええ、わかってますとも。侵入してからが本番です。いきなりバアーンとか、くれぐれもやめてほしい。


 隣で眠る心強い親友とホラー映画を観るのはこれで五回目。ほかジャンルを合わせればもっと多い。鑑賞するのは映画館だったり、互いの家だったりとまちまち。

 場所がどこだろうと、わたしはスマホの電源を落として鞄の底に沈めている。以前ここよりも大きな映画館で、マナーモードにするのを忘れて着信音のリサイタルをやらかしてしまい、それまでの内容ぜーんぶ吹き飛んだ。あの記憶も羞恥心と共に消え去ってほしい。南無三。


 そして凛ちゃんは、ホラー映画となると必ず眠ってしまうと言っても過言ではない。ホラーにオカルティックな睡眠作用でもあるんだろうか、絶対途中で寝ちゃうんだよねぇ。序盤なら通常。中盤まで起きてたら二重丸がつく。ホラーはむしろ得意なほうだと思うけれど。絶賛四連敗中……今日ので五敗目か。


 わたしは全然、いや、かなり苦手。今も口からハートが飛び出そうだし、透明な何かが喉に詰まってるし――言うまでもなく悲鳴なんだけど。

 映画館だから、我慢してる。家だったら、『凛ちゃん凛ちゃん凛ちゃーん! 起きてー! ぎゃーっ! うぅー! きっと来るー!』ってクッションで目隠ししてるし、カラオケ行ったみたいに声枯らしてる。


 トイレは事前に済ませた。手元のジュースもあまり飲んでいない。……意識しはじめたら飲みたくなっちゃったので、ストローを口に運ぶ。

 リンゴジュースとどっちにしようか悩んで、凛ちゃんと同じにしたオレンジジュース。凛ちゃんは半分程度飲んだのかな。わたしのは結構残ってる。終わりかけの溶けた氷で薄まった味は嫌いなので、早めに飲みきりたい所存。しかし上映中にトイレは行きたくはないのでほどほどに。


 チュロスはもう食べちゃった。映画泥棒がロボットダンスしてる間にぺろり。凛ちゃんは買った瞬間にぺろり。

 食べたら眠くなっちゃうよねー、って話したからお昼ご飯はまだなのに。夢のなかへ寄り道中の凛ちゃんには関係なかったご様子。わたしもこんな恐怖のなか眠れるか! って感じだし。


 眠っちゃうとわかっていながらも凛ちゃんをホラー映画に誘ったのは、虚構の恐怖で現実を上塗りしたかったから。その考えがいかに甘かったかは、映画がはじまってから気づいた。

 恐怖の色は、塗り潰そうと重ねた油絵の具のようにいちだんとにおいを濃くするだけ。


 虚構が現実に敵うはずない。


 せめて凛ちゃんが画面に集中できるようにと、吹き替えではなく字幕にしてみたけど、駄目だったかー。お金がパーになるのも申し訳ないし、次行くときはラブコメかアニメ映画にしよう。

 サスペンスは駄目。凛ちゃんが燃えすぎてしまうから。観終わったあと、上映時間よりも長い感想大会がはじまってしまうから。


『黒幕の女優さんすごかったね。嘘をついてるときの目の据わりようったらやたらリアルで……新聞にも出ていない情報を喋ったときはもしかして? と思っちゃったね。でもうっかり漏らしたんじゃなくてそれすらも計画で――』


 と、よく見てるなーって圧倒されたっけ。ホラー映画もこれくらい情熱的で、スクリーンに漂う埃の一つひとつにまで目を配ってくれたらなぁ。

 横目で凛ちゃんを見る。首を傾けて、動かざること山のごとし。これは王子様のキッスじゃなきゃ目覚めないよぉ。今すぐ渉くんに電話を――ってだから上映中だってば。鎮まりたまえ心のスマートフォン。


 凛ちゃんのためには起こしたほうがいいのかな……しかし幸せそうな寝顔を崩すのは心苦しい。わたしだったら起こさないでほしかったって思うし。眠りへの執着ではなくホラー耐性の低さゆえ。

 今日は凛ちゃんの分まで、代わりに楽しむとしよう。それが映画のためだよね。

 さっそく、俺が一人で様子を見に行くって仲間の男の子が暴れ出した。なんでそう一人行動したがるかなぁ、一緒にいればいいのにって思うのはわたしだけ? 主人公の女の子が凛ちゃんだとしたら、わたしは絶対離れないのに。


 強気な主人公は懐中電灯を手にして彼を追う。一人にしてはおけないわって、正義感が強い子みたい。みんなバラバラになっていくのはホラーの十八番だねぇ、とわたしは指の隙間から鑑賞中。だって怖いんだもん。でも英語は好き(得意とは言わない)だから、字幕を見逃しても意味くらいわかるよ。

 見慣れた学校でも、夜間はまるで別の国。映画のハイスクールは藤北の倍広く、一度はぐれると合流するのに手間取りそう。


 背後から聞こえた不審な足音に、残されたメンバーが一斉に散っていく。はぐれてしまった主人公の親友は、トイレの個室に閉じこもった。おおー、ますますわたしみたい。

 逃げ出す背景にちらりと映った影は人っぽかったけど、みんな何に怯えているんだろう。夜間勤務の先生? セコム?

 忍び込んでいるのだから当然ではあるけれど、今のところ五人組は見つかることを第一に恐れているみたい。真の敵は退学か……。映画の売り文句じゃ、身の毛もよだつ予想外の恐怖らしいが。


 主人公の親友はセンサーライトを落ち着かせるために、個室のなかで動きを止める。息を潜める。でもひとつだけドアが閉まってたら、見られた時点でアウトでは? いくらセコムでも女子トイレは調べないか――男性警備員前提です。

 個室の電気が落ちて、映画館全体が影に呑まれる。ホラーは苦手だけど、フェードアウトは好き。闇に包まれて、しんと静まり返るこの感じ。空間が切り離されたみたいに孤立して、途端に放り出された気分になる。


 一瞬の闇に、わたしは現実を感じる。突き放されるのが心地よい。


 徐々に光を取り戻すスクリーンに、誕生日の光景を重ねる。蝋燭を吹き消したあとに、リビングの照明をつけられる眩さ。我先にとケーキの切り分けに入るお父さんの脂顔。照明のスイッチから手を離す、家事疲れを見せないお母さんの笑顔。


 今年学校で祝ってくれたのは凛ちゃん。と、その他大勢。

 渉くんは一言だけくれた。おめでとうって、その一言が嬉しい。

 同じテニス部の英梨えりちゃんとさやかちゃんは、メールで祝ってくれた。軽いノリに心が温まる。

 ほかには――名前も覚えてないような子がちらほら。日付を知っててくれただけでハッピー。便乗してくれただけでわたしは笑顔になる。


 カップケーキをくれたあの子は学校に来ていない。――、か。

 女子トイレの個室は、情報の宝庫だ。休み時間になれば集団でぞろぞろと押しかけて、用も足さずに駄弁り散らす――入口でたむろする様子は、深夜のコンビニ前に座り込むヤンキーとおんなじ――そんな女子たちの話を、愚痴を、噂を、情報を、個室を利用して仕入れる。


 あの片割れの子もきっと、同じ考えを持っていた。わたしの誕生日祝いから不機嫌そうに顔を背けていたあの子。

 そうだ、あの子からコウモリって言われたんだっけ。いや、犬だった? どっちも言われたような……。

 どっちでもいい。あんまり憶えてないや。

 犬とかコウモリとか、そんな可愛らしいものに例えられても実感湧かないし。


 わたしは、寄生虫だもん。

 宿主がいないと生きていけない、ただ一人に寄生する虫なんだよ。

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