破壊活動

『あたしの誕生日は一月十八日だから、穂とちょうど五ヶ月差だね』


 そう言われたのも中学一年生の時、はじめてお菓子作りをした日のことだった。『もっと早く教えてくれればプレゼント間に合ったのに』と惜しそうに言った三城は、二年生の六月から毎年誕生日プレゼントをくれるようになったのだ。

 はじめて貰ったプレゼントは、海外の有名キャラクターのハンカチ。ちょっと子供っぽいなと思いつつ、けれど一年前に話した誕生日を憶えていてくれたことがひたすら嬉しくて、それだけで胸がいっぱいになった。


 高校二年生で迎えた誕生日はつい先週の火曜日である。グループでつるんでいる桜井さくらいからはハンドクリーム、三城からはスポーツブランドのタオル、安浦やすうらからは大きなリボン付きのヘアゴムを貰った。


 このなかで椎葉穂を最も満足させたのは、桜井のくれたハンドクリームである。普段から香りに気を遣う女子高生としては大いにポイントが高く、また運動部のおしゃれはさりげなさが重要視される。脳内お花畑の天真爛漫桜井遥香はるかは、ああ見えて意外と椎葉の趣味を理解しているのだ。

 二番目によかったのは安浦千織ちおりがくれたヘアゴムだった。黒髪に映えるパステルカラーのリボンは、椎葉の長いポニーテールを際立たせてくれる。その涼しげなカラーリングはこれから先の猛暑を考えても、椎葉の嗜好を押さえていた。学校で使うのは憚られるが、貴重な休日には重宝すること間違いなしだろう。


 最後は、三城楓のくれたタオル。正直スポーツブランドのタオルは部活と体育でしか使いどころがない上、三城の選ぶ色はいつも黒や青が中心で、男子が使うものと変わりない。しかも三城はこういったスポーツブランド用品を定期的に送ってくるため、特別感も薄かった。

 使わないのも悪いので日用品として使用しているけれど、同じ陸上部の世戸せと瀬川せがわからは、『意識高い系』と陰で言われる始末だ。まさしくそのとおりであるが、そんな彼女らは、カラフルに彩られたキャラクター物のタオルを愛用しており、三城は『ガキみたい』と一蹴している。中学の頃は椎葉も同意していただろう。だけど、子供っぽいなと感じていたそれが、今では女子高生らしくて羨ましいなと思えてしまうのだった。


 それに椎葉はこうも感じている。運動部らしいタオルを使ことによって、協調性を維持しているようだなと。穂はあたしと同じでいてくれるよね、あんなタオル使わないよね、と。


 日曜日のお菓子作りを経て迎えた月曜日。今日からテスト週間のため、朝と放課後の部活動は停止される。三城から貰ったタオルの出番は体育限定となり、学校で活躍する機会はさらに減ってしまった。

 椎葉はグループで昼食を取ったあと、三城に連れられて廊下へと出た。綺麗にラッピングされた手作りカップケーキを手にして歩く三城は、目の前から歩いてきたその人を見つけて呼び止める。


「あ! ちーいー」


 洗面所帰りにハンカチで手を拭いていた松葉まつば千里ちさとは顔を上げて三城を見るや、ランタンのように明るく顔色を調節した。短いサイドテールが彼女のステップに合わせて滑るように跳ねる。椎葉は表情筋が強張るのを感じて目を据えた。

 ――まさか、こいつの誕生日?


「楓ちゃん! えっ、もしかして……」

「はい、これ。今日ちーの誕生日でしょ。だから、プレゼント」

「わぁ! カップケーキ!? 嬉しいー!」


 ハンカチをしまって両手でプレゼントを受け取った千里は目をきらきらと輝かせ、言葉どおりの喜色を浮かべた。三城は自分の癖毛に人差し指を絡めてくるくるといじる。

 それが照れ隠しの癖だと知る椎葉は、唇を横に引いてだんまりを決め込んだ。

 渡したいから一緒に来てほしいと言われ席を立ったが――まさか相手が松葉千里だなんて聞いていない。いや、誰だろうと自分には関係ないし興味もないが、よりによってこの女。

 ただ一人で気が遠くなる椎葉を置き去りにして、二人はきゃっきゃと話し出す。


「去年あたしの誕生日にくれたじゃん。だからあたしも、ね」

「じゃあこれも楓ちゃんの手作り!?」

「うん」

「えっ、すごーい! ありがとうっ! わたしもまた何か作って持ってくね!」


 三城はすっかりご満悦な調子で頷いた。椎葉はきつく腕を組み、片足重心で窓の外に目を向ける。穂に手伝ってもらったんだと話す三城の気遣いも、そうなんだ椎葉さんありがとうと述べる千里の反応も、耳に砂が詰まった椎葉穂には届かない。

 ――つらつらと並び立てられた上辺だけのお世辞にデレデレしちゃって、勝手に未来の約束まで取り付けちゃって。上辺だけの関わりはしない主義のくせに、されるのは構わないんだ。へえ、そう。

 椎葉は親友を見くびることで冷静さを必死に保った。三城が知らないとは言え、自分の嫌いな子と親しげに話す場面など気持ち悪くて見たくない。


「このままE組に来るでしょ?」


 一緒に行こうよと誘う三城に、千里は「ううん、これから職員室」と己の主人を迎えに行くことを明かした。納得する三城は変わらぬ笑みのまま送り出す。


「じゃねっ。食べたら感想聞かせてね」

「うん、バイバーイ」


 千里は三城と椎葉両方に手を振って、階段を軽やかに下りていった。忌々しいハエがいなくなったと気が楽になる。

 椎葉は「渡す相手聞いとけばよかった」と、自主的に教えなかった三城を遠回しに非難した。


 相手が赤の他人だったら、『誕生日だったんだ。おめでとう』と素直な気持ちを伝えられたのに。仲間外れの寂しさも、羞恥心も、自分だけプレゼントを用意していないという居心地の悪さも、相手がどうでもいい奴だったら抱くことはなかったのに。

 最早『嫌い』の対象である松葉千里は、椎葉穂にとってどうでもいい相手ではない。嫌いな奴の誕生日を知ってしまった今、それは忘れられない呪いとなって記憶に宿り続ける。

 そんなことも知らない親友は、何食わぬ顔で椎葉を覗き込んだ。


「なんで? ちーのこと嫌いなの?」

「別に」


 もしここで肯定したとしても三城が椎葉に幻滅することはない。けれどもこの感情をはっきり表明してしまうのは、自身のポリシーに反する行為だ。あんな子に余計な感情を抱いている時点で、椎葉穂にとってはらしくないことに含まれる。その上心の内を明かすなんて、言語道断だ。


「ヤキモチ焼いてるのかと思った」


 何気なく放った親友の一言が、椎葉の片眉をピキリと動かした。ふっと鼻で笑う三城が、あまりにも的はずれなことを抜かしたからである。

 自惚れるのもいい加減にしてよ。そう言ったのが本当に自分だったのかわからない。心の声だったのかもしれない。けれど、少し前に歩み出た親友は確かにこちらを振り向いた。


「女子にやるくらいだったらにやればいいのに」


 早口で言って、椎葉は三城の顔を正面から捉える。今まで避けていた地雷を自ら踏みに行く未知の感覚が全身に甲走った。

 三城はぽかんと目を丸めた後、嘲るように片頬を引きつらせた。


「……えっ、穂に関係ある?」

「…………」


 きっと椎葉と三城は同じことを思ったはずだ。

 どうしてそんなこと言うの?


「てか今、彼女いるし」

「そうやってもたもたしてるから取られるんじゃないの」


 。そう思った椎葉は、三城の咄嗟の誤魔化しを否定した。

 まさか言われると思ってなかったのか、三城はカッと目を見開き、けれども一瞬で勢いを殺して、呆れたみたいに天を仰いだ。


「穂にはわかんないよ。好きな人いない人にはこんな気持ちわかんない」

「だったら愚痴んなよ……」


 またしても心の声が口から漏れた。

 三城は脊髄反射の速度で椎葉の顔を見る。怯えたように瞳を震わせる三城を、椎葉はより強い視線で跳ね返す。


「いつまで片思いの枠に甘えてるの。そんなにそこがいいなら、もう私の前で愚痴んないでよ」

「は……」

「うじうじしてないでアタックすれば? 今日欠席だし、今のうちに取っちゃえば――」

「ふざけないでよっ!」


 机を叩いたみたいな三城の怒鳴り声が廊下の奥にまで響き渡る。窓際でたむろしていた男子や女子がこちらを見て逃げ帰っていった。三城は飼い犬に手を噛まれたような目で椎葉を見る。


「穂に何がわかるの? そんなにデリカシーがないとは思わなかった。あたしのために、何か少しでもしてくれたことあった?」

「……だから、アドバイスとか」

「アドバイス? は? 穂の言うことってさ、全然ためになんないよ。いつも淡々としてるし、どうせ心のなかじゃウザいとか面倒くさいとか思ってるんでしょ!」


 ――なんだ、よくわかってるじゃん。

 そのとおりだよという言葉は湿気を含んだ廊下のフローリングに露と消える。それがあんたの本音ね、なら仕方ない。


「わかった。もう好きにすれば」


 椎葉は上履きをキュッと鳴らして踵を返した。後ろで三城の踏み込む気配がしたが、彼女の手が肩に、髪に、身体に、心に、触れることはなかった。

 廊下を闇雲に突き進む椎葉穂の目の前を、スマホを片手に口元を押さえて男子トイレへ駆け込む、神永かみなが響弥きょうやが横切った。


    * * *


『いいなあ、その髪、すごく綺麗』

 ――綺麗?

『うん、長いしストレートだし。ちょっと触ってみてもいい?』

 ――いいよ。

『わあ……ほら、サラサラ! いいなあ、スベスベで。あたし癖っ毛だからさ、こんなにストレートで羨ましい』

 ――そうかな。

『そうだよ! あ、あたし、三城楓――って、椅子に貼ってあるか……。出席番号の近い者同士よろしくね』


 近所の他人が掻き集められた中学で同じクラスになり、席が前後で声をかけてくれた。

 母からは『鬱陶しくないの?』って鬱陶しいほど問われ続けるこの長い髪を、綺麗だと言って褒めてくれた。

 部活に迷ってるなら一緒の部に入ろうよと、陸上部に誘ってくれた。

 休日は一緒に出かけて遊んだ。

 家に招いて一緒にお菓子作りをした。

 お泊り会をした。

 誕生日プレゼントを貰った。


 好きな人いる? と問われていないよと答えると、あたしはいるよ、ヒミツにしてねと告白してくれた。

 好きな人の名前がキョウヤという男の子であることを教えてくれた。

 キョウヤとは幼稚園と小学校が同じなんだよと明かされた。

 内気で臆病でなよなよしてて、キョウヤのことはいつもあたしが守ってあげてたんだと自慢気に語られた。


 同じ高校を目指すことを承諾して、苦手な勉強を一緒に頑張った。

 一緒に藤ヶ咲ふじがさき北高校に入った。

 藤ヶ咲北高校でキョウヤと再会したと泣きつかれた。


『あたしのこと憶えてないかもしれない。だけど嬉しい。響弥に会えて嬉しい。ねえ穂、これって運命と思わない?』

 ――そうだね。告白しなよ。

『無理無理! だって、なんか、雰囲気全然違うし……別人みたいだし……』

 ――じゃあもういいの?

『駄目! あ、いや、駄目っていうか……う、うぅ……わかんない……。けど、まだ……好きだから……』


 高校一年の春夏秋冬を巡った。


『来年は一緒のクラスがいいなあ。あ、もちろん穂ともそうだけど、響弥と一緒になれたら……。出席番号もたぶん近いし、並んだら同じくらいかもなぁって。背の順にされたら遠いかもしんないね。あいつ去年よりもまた伸びてるし、小さい頃はそんなことなかったんだけどさ。男子の成長期ってすごいね、ちょっと悔しい――』

『あー、うん……別のクラスになっちゃったね。でも穂と同じになれたからラッキーだよ――』

『へえー、転校生ね。なんで六月からなんだろう。なんか中途半端じゃん――?』


『どうしよう穂。グループトークじゃあんなこと言ったけど……あたし、あたし……響弥のこと、嫌だ、諦めたくない……。…………朝帰りって、本当なのかな……穂はどう思う――?』

『……早く別れてほしい。風紀委員のくせに、汚いよ。響弥も響弥だよ。柄にもなく続いちゃって、似合わないよ――』

『えっ、校舎裏に……? そ、それ本当? 本当に響弥だったの? わ、わかった、急いで行ってくる――!』


『響弥に嫌われた。響弥に疑われちゃった。もう意味わかんないよ、そっちがそうならこっちだって、もう……どうでも……よくはないけど……。でもどうやったら響弥と仲直りできるかわかんないし、てかなんであたしなわけ? あたしなんにもしてないのに……なんで疑うのよ馬鹿響弥。助けてやったのに、恩を仇で返すとかサイテーだよ。……後悔はしてないけど、でも響弥に疑われたままは嫌。ああ、もう、どうしよう穂。ねえ、』

 うるさい。

『ねえ穂――』

 うるさい。うるさい、うるさい、うるさい。


 うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!


 いつまで経っても響弥響弥響弥響弥響弥響弥! 神永響弥のことばっかり!


 ねえ楓、私はずっと我慢してきたんだよ。

 楓が神永くんのこと諦めきれないこと。好きとか言って、諦めたくないとか言って、自分では何もしないこと。それなのに彼を知ってるのは自分だと思い込んで意気がってること。彼のこと好きとか言ってるくせに、私に愚痴ってばっかなこと。全部全部全部全部。


 私はずっと我慢してきたんだよ。我慢して、楓のこと応援してきたんだよ。

 早く告白しちゃいなよ。早く思いを伝えなよ――って。


 早く当たって砕けちゃえばいいのにって、ずーっとそう思ってた。


 あのね、楓。

 神永くんにしてもそう、私にしてもそう。

 楓の好きは、ただの依存だよ。

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