風紀委員だとしても

 七限目の委員会に向けて移動が開始された。場所わかる? と気にかけてくれた凛に大丈夫と断って、芽亜凛は人の波に乗りながら指定の教室へと入る。

 なかはもうすでに半数以上の委員が揃っていた。芽亜凛は、和倉わくら柚弦ゆづるの隣に腰掛ける。常に黒マスクを着けているE組の女子風紀委員だ。

 その隣には望月もちづき渉が、机上に指を組んで座っている。芽亜凛が他クラスの委員から「よろしくねー」と小声で挨拶されるなか、二人ともだんまりで黒板を見据えていた。


 芽亜凛が委員会を経験するのはこれで四度目であった。渉が監禁に遭ったルートを除いて、常に三人は揃っている。委員のほとんどはコソコソと談笑に興じているが、渉たちはいつもこんなふうに口をつぐんでいた。

 なんでも、各委員会のなかでも風紀委員は不人気で、押し付けられがちな係らしい。四月の役員決めがどんな様子だったのか芽亜凛は知る由もないことだが、つまるところ渉と和倉は余りもの同士。

 和倉とは話したことがないため正直判断しきれないが、授業中に彼女が意見している姿を芽亜凛は見たことがない。知っていることと言えば、滅茶苦茶絵がうまいことくらいか。渉の場合は立候補した可能性も捨て切れないが、普段の省エネ具合からして特にこだわりはなさそうだ。


 風紀委員の役割は身なりの点検が基本であった。活動タイミングは、定期的に実施される全校集会の服装点検時。各委員がクラスメートをチェックして回り、生徒指導の担任に報告するのだ。

 藤北の校則は最低限さえ守られていれば問題になりづらく、日頃の態度や成績によって大きく左右されるため、生徒によってはアウト判定されたり逆もまた然りである。不人気の理由はこの辺りにあるのだろう。委員はチェックを怠るわけにもいかず、時にはクラスメートから批判を買うことになるのだから。

 また、月によっては挨拶運動も行われている。芽亜凛は未経験だが、毎朝校門や昇降口前に立ち、挨拶を促す活動だ。


 そうこうしているうちに全員が揃い、委員長の号令を合図に報告会がはじまった。

 和倉は委員会ノートを芽亜凛のほうへ滑らせ、書記の役を放棄する。これも毎度のことなので、芽亜凛は軽く一礼して受け取った。

 書記する内容はクラスの実態と委員会のまとめなど。提出したりコピーして配布されることもないため、ノートはただの活動記録帳である。

 和倉が書いたらしきページには、三行に満たない文章と、その下に漫画キャラが描かれていた。選択科目の美術でも和倉の絵を見たことがあるが、彼女の描く絵はとても上手だと思う。話しかける勇気は湧かないが、はじめて見たときは驚いたものだ。


 委員会で報告する内容は、遅刻者のチェックといじめ問題についてなど。ここで挙げられた問題ある生徒は生徒会執行部に伝達され、各クラス委員の協力の下、厳重に注意がされる。風紀委員の活動を通じて、凛や萩野の耳にも入るというわけだ。


 各委員が報告をするなか、二年E組の番が回ってきた。渉はその場で起立する。


「目立った遅刻者はいませんが、授業をサボりがちな男子は三名います。えっと、学級委員と協力して改善に努めていきます」


 そう短く告げて、着席した。次に、女子を代表して和倉が起立する。


「女子は問題ありません」


 芯の通ったアルトボイスが、マスクのなかにこもることなく響いた。和倉が着席すると、一年生の委員にバトンタッチされる。

 遅刻者のチェックが終わると、先月から一年生は遅刻者が目立つため積極的に呼びかけるように、と委員長が注意喚起した。五月のゴールデンウィークが明けると遅刻者が格段に増える傾向がある。特に一年生には数人、常習犯がいるようだ。


 続いて、いじめの有無についての話し合いがはじまる――が、報告はゼロ件で終了した。困り事があれば言ってほしい、と委員長は言うが、これも誰も挙手することなく終わる。

 芽亜凛は、この先の未来のことを告げられたらどんなにいいかと思うのだった。A組とB組の女子生徒がいじめに関与する可能性がある――そう言えたら、小坂こさかめぐみと凛の心配もいらないのに。


 最後に先生の話が挟まって、委員会は幕を閉じる。号令後、席を立った渉に続いて和倉も腰を上げる。芽亜凛もノートを整えて椅子を引いた。すると、

「気をつけたほうがいいよ」と、和倉が言った。え――? と芽亜凛は顔を向ける。


「風紀委員は不純異性交遊も取り締まってる。あんたの彼氏みたいな陽キャは、ここじゃ特に干されがちだ。派手な行為は慎んだほうが、身のためだよ」


 和倉は眉間のしわを濃くした。目元だけでもよく伝わる表情変化だった。


「あんたはいいかもしれないけど、僕や望月にとっては迷惑だから」


 それだけ、と言って和倉は踵を返す。うなじで結んだ尻尾のように垂れ下がった長い髪が、ばいばいと手を振るかのように揺れた。


    * * *


 和倉柚弦にはじめて話しかけられた。千里を救えたように、これも芽亜凛の行動による変化なのだろう。

 今回は、響弥と付き合ったことが分岐点か。あんなふうに思われるのは心外だが、それも仕方ないことだと芽亜凛自身、割り切っている。目立っているのは響弥か自分か、おそらく両方だろう。不純異性交遊と言われても、もう後戻りすることはできない。今後はもっと徹底して人目を避けようと思った。


 E組の教室に戻ると、席への通路を楠野くすのが塞いでいた。見下ろす先には岸名きしなの席がある。当の岸名本人は床に膝をついて机のなかを覗き込んでいるし、芽亜凛は手前の通路を通って席へと着いた。


「トイレに置いてったんにゃ?」

「ううん、持って行ってない。もう、どこー!」


 斜め左前の席で二人が声を上げている。なくしものでもしたのだろうかと芽亜凛は思った。

 岸名と楠野は保健委員だ。ということは響弥も教室に戻っていることだろう。

 芽亜凛は机の中身を片付けておこうと手を突っ込み、ピクリと睫毛を震わせた。


(……ん?)


 つるりとした革のような質感が指先に触れた。ペンケースほどの大きさのそれを三本指で掴み、引っ張り出す。

 眼鏡ケース――? と認識した瞬間――「あ!」


「岸名ちゃんの眼鏡ケースってこれじゃないのー?」


 いつの間にか右隣に立っていた桜井さくらいが、指を差して言った。その声に、楠野は反射のごとく振り返り、芽亜凛の手にあるキャラメル色の眼鏡ケースに飛び付いた。


「にゃにゃん! んー! さやかのだ!」


 鼠を狩る猫のような速さでケースを奪い取ると、キッと芽亜凛に強い視線を向ける楠野。芽亜凛は思わず首を振った。


「わ、私じゃない。あ、いえ、机のなかに入ってたけど……私は、知らない」

「でも――じゃあ誰かが入れたってことかにゃあ?」


 楠野は口角を吊り上げるが、目は笑っていない。砕けた口調もどこか堅いように感じる。


「どこのどいつか、身に覚えある?」


 芽亜凛が再度首を振ると、楠野は今度こそ笑みを消した。芽亜凛はつい、「わかりません」と敬語で口にしていた。


「見つかったならいいよ。行こう、英梨えりちゃん」


 そろりと近寄った岸名が楠野の袖を引っ張る。席に戻っていく二人の背中を呆然と見送る芽亜凛の肩に、桜井の肘が置かれた。桜井は抑えた声で言う。


「あいつら敵に回すと怖いよ」

「でも私じゃないから――」


 見上げた桜井は片眉を上げて笑うように息を吐いた。


「気をつけたほうがぁいいと思うよ」


 そう言って桜井は去っていく。


(私じゃないのに……)


 芽亜凛はうつむき、顔をしかめた。先ほど聞いた和倉の声が、小さな胸のなかで反響する。

『気をつけたほうがいいよ』

 敵意を向けている者がいる。見えない敵が、教室のどこかに身を潜めている。

 芽亜凛は膝の上に丸めた拳をきつくした。大丈夫――大丈夫。私はもう、から逃げない。

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