第一話

駆け引き

 あたしにも好きな人くらいいるっての。でも乗るか乗らないかはまた別じゃん。

 信用できる人にしか話したくないしさ、ただの聞きたがりなんてうんざり。そう、年中修学旅行気分みたいな奴よ。

 だって幼稚園の頃から好きとかさ、重くない? あたしの柄じゃないし、引かれるのが目に見えてるってかさ、だから言わない。

 うん、再会したのは高校で。って、何度も言わせないでよ恥っずいなぁ。

 はあ? そりゃ、今でも好きだけど……告白なんて今さら……。

 悪かったわね、彼氏いない歴年齢で。

 彼女ができたら? いやいや、ないない。あたしの知ってる限りじゃ、向こうも彼女いない歴年齢だし。……もしも?

 ……別に。勝手にすればいいんじゃない。どうせすぐに別れるよ。


    * * *


「ごめんね、変な話しちゃって。大丈夫、私も信じてないから!」


 りんから呪い人の話を聞かされるのは、これで五回目だ。

 教室で『はじめまして』の自己紹介をしたのは六回目だし、一限目から四限目まで必ず一度発言権を与えられて解答をするのは五回目だった。


「わかった。気をつけるようにするわ」


 芽亜凛は、疲れを顔に出さぬように口角を上げて答える。

 ノロイビト。その対象者と、呪いの輪に閉じ込められた者がここに揃っているというのは、我ながらおかしな話だ。――白々しさに、自己嫌悪する。


 力強く頷いた凛は「じゃあ私、職員室行って戻るね」と踊り場を離れていった。

 いつもなら一限目の前に交わしていた『昼休みに校内案内をする』という凛との約束を、今回は断っていた。すなわち凛は昼食後、呪い人の話だけを伝えて職員室に向かった流れとなる。

 凛の親切を自ら断ったのははじめてのことだ。


 彼女を見送った芽亜凛は、片手で額を押さえた。一昨日の土曜日に風邪を引いたらしく、昨日からずっと身体の調子が悪い。

 ――ズキンズキンと痛む頭に、決めたはずの覚悟がぶれそうになる。本番はこれからだというのに。


 が接触してくるのは、決まって昼休み終了前である。凛と別れた直後に廊下で声をかけてくるのだ。今はまだC組で、望月もちづきわたると昼食を取っているだろうし、教室に戻っても野次馬の相手をするだけである。

 芽亜凛は、廊下の窓から外を眺めながら、彼を待つことにした。C組前で渉と出くわすのも気が重いため、B組側に寄っておくことにする。


(こちらから待ち伏せる日が来るなんてね……)


 すれ違う人の視線は感じるけれど、話しかけてくる者はいない。それこそお調子者か、クラスメートでない限りは。


 芽亜凛はスマホを取り出して、発信履歴を表示した。一番新しい発信は、白金頭の刑事――ネコメの携帯番号。

 かけたのは昨日のことだが、電波の届かない場所にあるというアナウンスが流れて、話すことは叶わなかった。時間帯を変えてかけても結果は同じだった。あの刑事なら力になってくれると思ったのに、繋がらないなんて。

 ネコメは地方にいると言っていた。藤北の事件が起きれば駆けつけてくれる、ヒーローみたいな人だ。しかしヒーローというものは、未然には存在しない。事件が起きないと、警察は動かない。本当に皮肉な話である。


「あっ、橘?」


 スマホをしまったとき、無視できない声が滑り込んできた。懐かしさを覚えるその声に、芽亜凛の瞼がわずかに持ち上がる。

 顔を向けた二メートル先に、萩野はぎの拓哉たくやが佇んでいた。目が合うと、萩野はにこりと笑って会釈をする。彼と過ごした一週間で、何度も見た優しい笑顔だ。

 芽亜凛が曖昧に首だけを下げると、萩野は『あ、そっか』と、悟ったように薄く唇を開いた。


「俺、同じクラスの萩野拓哉。百井ももいと一緒にクラス委員をやってる……って言っても、まだすぐには覚えらんないよな」


 鼻の奥がツンと痛んだ。いつもそうだ。彼らは何にも覚えていない。

 共に過ごした日々も、会話も、顔も名前も、全部。

 痛みも絶望も、覚えていない。

 萩野は芽亜凛に認識されていないと思い込んだようらしく、ぽりぽりと照れくさそうに頬を掻いた。


「E組にいるから、困ったらなんでも言ってくれ」


 そう言って萩野は再び一礼し、芽亜凛の横を通り過ぎていった。

 今まで死亡者リストになかった人間でも、芽亜凛が関わることでおびやかされる。ルートに沿った人の生死だけでなく、無関係だった者まで巻き込んでしまう。萩野の件で、それがよくわかった。

 把握している人間以外とは、あまり関わらないほうがいいのかもしれない。それどころか、もう誰とも……。

 これじゃ自分が『呪い人』だ。E組の呪われた輪を思えば間違ってはいないのだろうけれど。ネコメ刑事は確か、『ゼロの輪』と呼んでいた。芽亜凛のゼロが『イチの線』に戻る日は来るのだろうか――


「芽亜凛ちゃん!」


 背後に忍び寄ったその人に、雨音に負けない声量で呼ばれた。全身の毛穴がぞわりと開くような悪寒が、二の腕と背中を中心に甲走る。

 瞳をゆっくりと閉じて目の乾きを潤し、芽亜凛は振り向いた。

 興奮したように握り拳を固めた神永かみなが響弥きょうやが、鼻息荒く捲し立てる。


「お、おおおお、俺と……付き合ってください!」


 固めた拳を開いて片手を差し出し、頭を下げる。その手を、芽亜凛は握り取った。

「――へっ?」と響弥は顔を上げた。「い、いいの……?」と声を震わせて返事を仰いでくる。

 芽亜凛は、こちらを見ている周りにも伝わるように、大きく首を横に振った。


「お願いが、あります」

「なっ何?」


 響弥はすぐさま食らいつく。釣り針にかかっているのは、はたしてどちらのほうだろうか。

 芽亜凛は一歩前に出て囁いた。


「私のお願いを聞いてくれるなら、付き合ってあげてもいいですよ」


 次の響弥の返答は、すぐには来なかった。

 一秒、二秒、三秒……と時が過ぎていく。握った手が払われる気配はない。自分のものか相手のものかわからない老廃物が、手の内側でないまぜになっていく。

 そして、


「…………キク」


 響弥は唇を蠢かせて、「キキマス」と上擦った声を発した。

 芽亜凛は、握った手に力を加える。


「今日の放課後、空いてますよね?」

「アイテマス」

「ではC組に、私から伺いますから、そのときに」


 言葉を切って、彼を引き寄せる。銀のイヤーカフが付けられた耳元に唇を寄せて。


「ヒミツの話をしましょう」


 ゴクリと唾を飲む音が聞こえた。


    * * *


 神永響弥と別れた後、芽亜凛はトイレの便器にうなだれた。嘔吐反射でゲホゲホと咳き込み、消化不全の昼食を流していく。

 封水に落ちていく涙は生理的なものだ。これも覚悟の上。別に悔しくなんかない。

 爆速で唸っていた心臓がようやく落ち着きを取り戻してきた。肌着越しの背中は汗で冷え切っている。

 痛む喉に片手を添えて、まだ震える右の手のひらを恐る恐る見た。火傷をしたみたいに真っ赤に染まった表面は、ぶつぶつと膨れ上がっている。今までアレルギーなんて持っていなかったのに、信じられない。蕁麻疹だ。


 ため息を殺して個室を出ると、視界に入った他人の足元に目を見張った。

 素早く顔を上げて、視線がぶつかる。

 両手を後ろに回して立っていた千里ちさとは、瞬きを繰り返した。

「大、丈夫?」と、訝しげに芽亜凛を見やり、壁際に後ずさる。

 芽亜凛は手も洗わないで、トイレを逃げ出た。

 胃液で荒れた食道が、熱のこもった右手が、膿み腐ったようにじくじくと疼いていた。

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