たのしい探し
望月くんには教えてしまったが、僕はゲームが好きだ。カードゲームやボードゲームはもちろん、家庭用ゲーム、ブラウザゲーム、アプリゲーム、アーケードゲーム……一般的にゲームとして括られるものはすべて嗜んでいる。
ゲームを好む理由はひとつ。ゲームは『たのしいもの』だからだ。
『たのしい』が掴めない僕でも無条件に楽しめる。
もし幼少期に積み木やブロックが『たのしいもの』としてそこに存在し、僕の好奇心が上乗せされていれば気に入っていたかもしれないね。まあ、ゲームこそパズルと似た快感を得られるし、そこには好きという感情があるわけで。その快感に気づけない限り、ブロックとはお友達になれないか。
ゲームにも終わりってあるからねぇ……と、つい先月サービス終了したブラウザゲームに思いを馳せる僕である。
そんな己の『たのしい』を模索すべく、僕は蛇と猫とカラスを、五歳になる年に一狩り二狩り三狩りした。
嘘。三狩り目は言葉の綾だ。
記憶の片隅に鎮座する蝉の鳴き声と半袖ハーフパンツの映像から、夏頃だと推定しよう。五歳マイナス三ヶ月程度の僕はリアルハンターを夢見て、アニマル三分クッキングに孤軍奮闘した。この際の三分というのはタイマーではなく、三つに分けるという意味で。……んー、悪魔を召喚する儀式かな? あながち間違いじゃない。
聖良さんには、笑えない子供に代わって笑顔で聞いてほしいところだけど、この話をすれば喘ぎ声もたちまちのうちに阿鼻叫喚へと転職するし、僕の今まで被ってきた猫も倫理観と一緒に逃げ出す。
きっと笑うどころじゃないし、望月くんでも突っ込んでくれないだろう。過激なボケは通用しないんだよね、彼。
まあとにかく、目的遂行のために生き物を追い回していた時期があったんだ。
狩りトークは伏せるとして、僕の話し声より聖良さんのよがり声のほうが大きいし、いい加減に話しても聞こえない。つまり真実を口にしても問題ない。うーん、本格的に独り言になってきたな。
事は、父が休日に魚を釣ってきたことからはじまる。その日父は珍しくキッチンに立ち、母と並んで魚を捌いていた。
父は普段からほぼ家事をしないし、家にいても会話をしない。
僕の両親は、話すとすぐに喧嘩になるからって、お互い不干渉になっていたんだ。ちょうど、虹成が産まれて――僕が事件を起こした頃から。
『修を虹成に近づけないで』とか『お前の育て方が悪いんだ』とか。僕は黙々と暗記に取り組んでいたけど、二人の言い争う声はいつも聞こえてたなぁ。
そんな父が母と揃って、笑っていたんだ。若い頃に戻ったみたいね、うふふ。なんて幻聴が聞こえてきそうなほど、両親の顔は穏やかで、歌い出しそうなくらい声が弾んでいた。
以前幼稚園の先生に教わった、楽しいときは笑顔になるという教訓を忘れていない僕は、なるほど魚を捌くのは『たのしい』ことなのかと、好奇心を起立させた。
自分の感情をひとつでも理解できれば、先生のように読心できるかもしれない。五歳手前の僕はそう考えたんだろうね。無駄な足掻きとも知らずに。
しかしだ。二人の様子を観察していても『たのしい』は伝わらないし、見ているだけで感情を認知することはできない。よって、経験してみる必要があると思った。でも釣った魚はもう残っていなかったし、母がスーパーで買うのは切り身ばかりである。
どうしても魚を捌きたかった僕は、父が釣りに行く次の機会を待つべきか、それとも、生き物なら何だっていいのだろうか、と考えた。
どちらを選択したかは言うまでもないよね、と行きたいところだけど、実際選んだ答えは半々だ。
まずはターゲットのことだけど、昆虫は小さすぎて捌くとは言えない。溝で泳ぐメダカは容易に捕まえられる魚類だけど、昆虫と同条件で却下。生き物の大きさは、両親が捌いていた魚ほどが理想だった。
その上僕は、自分から動こうとはしなかった。チャンスが来るのを待つことにしたんだ。外で生き物を探し、追い回す気になれなかったんだろうね。運動もできるくせに、怠惰なことだ。
来たるファーストインパクトは、幼稚園に侵入したアオダイショウだった。蛇は窓の隙間から滑るように入り、ぼたっと床に着地した。そこの窓にはスズメの巣があったから、卵を狙って迷い込んだのだろう。なぜ僕が詳しく知っているかと言うと、視界のなかで起きた出来事だからだ。
現場にいたのはお勉強中の僕と、絵本を読む女児が一人、おままごとに興じる男女が三人。先生たちは外で水遊びの監督に精を出していたため、室内には園児たちしかいない。
そんななかで蛇との遭遇。野生のアオダイショウが飛び出してきた! というテロップは残念ながら出ない。
侵入者は、近くで遊んでいた一人――絵本に耽っていた女児に噛み付いた。瞬間、部屋中が園児の泣き声で満たされる。蛇は置き去りにされた絵本の下に素早く潜り込んだ。
悲鳴を聞いた先生が来るよりも先に、僕は席を立っていた。筆箱から取り出したコンパスを握り締め、床と本の間からちろりと覗く尻尾を掴んで引きずり出す。全長は五歳児の背丈と張る程度かな。頭が下になるようにぶら下げてから、軽く振り回す。
『修くん!』と叫ぶ声が後ろで聞こえた。僕は振り返らずに、大人しくなった蛇の頭を足で踏みつける。両親もこんなふうに包丁を入れていたなと、胴にコンパスを突き刺して、切り裂く――つもりだったが、逃げられた。
予想以上に暴れる蛇の力に負けて、手を放してしまったのだ。
蛇は、僕の後ろ側でトングを構えていた先生に捕まり、野に返された。僕の手中には血のついたコンパスだけが残った。
「しゅぅくん……修く、ん」
おっと。舌足らずに呼ぶ聖良さんが「むぐ」僕の唇を貪り出した。これじゃ続きが話せないな。
あの後は怪我の有無を先生に訊かれた。だけならよかったんだけど、蛇を弄んだことを母に連絡されてしまってね。
母は、ほかの子が蛇に噛まれたのは僕のせいだと思い込み、後日僕を連れてその子の家まで謝罪しに向かった。僕は詳細を聞かされていなかったから、母が勘違いしていることに気づけなかったんだよね。
相手の親は誤解ですよと笑って許してくれた。母も一安心ってところだろう。玄関であるにも関わらず、急に話が弾み出して、僕は退屈しのぎに猫を観察していた。その家で飼われている、ペルシャ猫だ。
猫は、当時の僕が思っていた以上に大きかった。足元にすり寄ってきたので、しゃがんで毛並みを撫でた。五本指がすべて埋まってしまうほど毛が長くて、まさにもふもふというオノマトペが似合う。
そんな猫の、ゴロゴロと鳴らす喉に両手を伸ばして、僕は五歳児の精一杯の力で絞めた。
猫は、ふぎゃあぐるぐるごるろろろろと狂ったような鳴き声を上げて、家の奥へと逃げていった。
大人たちは話に夢中でその様子を見ていなかったけれど、母は何かを悟ったのか、すぐに僕を連れておいとました。
帰り道、僕は涙を流した。生まれてはじめて自覚的に流した涙だったと思う。目が痒くて、涙が止まらなくて、半袖から覗く両腕には蕁麻疹が出ていて。
そう、これは僕が、はじめて猫アレルギーを自覚した時の話。
* * *
夏休み中のある日の出来事。せみの合唱にかぶせて、夕焼け小焼けのメロディーが街に流れていた。
ぼくは病原菌が伝染らないよう、軍手とマスクを着用して、ゴミ収集所に転がっていたそれを回収した。
持参した黒いビニール袋に入れて、口をしばって、これでよし。不格好だったけど、文句は言わない。
ぼくは気づいてしまったんだ。さばくことが目的なら、最初から死んでいればいいってことに。
さあ、カラスといっしょに帰りましょ。
家に帰ってぼくが現れるや、キッチンにいたお母さんが悲鳴を上げた。
「嫌、やめて、近付かないで」
それならどいてくれればいいのにと、ぼくは両手で袋をだきながら思った。
「お母さん、」
「お願いだから外に出て、今すぐそれを捨てなさい」
まるで犯人に降参するよう説得を試みる警察みたいなことを言うお母さん。何を言い出すんだと、ぼくは不思議に思った。せっかく帰ってきたのに、おかえりの一言もなしで追い出そうとするなんて。
お母さんはぼくに包丁を向けた。貸してくれるのかと思って手をのばせば「早く出て行きなさい!」とどなられる。
ぼくはしぶしぶ玄関の外に出た。さばく場所は家じゃなくてもいいし、でもやっぱり包丁は持っていこう。そう思い至ってドアノブを引いたけれど、開かない。
お母さんが、かぎをかけたのだ。
ナイフの代わりになりそうな、するどくとがった石を集めているうちに、お父さんが帰ってきた。やけに早い帰りだ。もしかしてお母さんが電話で急かしたのかも。
「おかえり」
玄関前に座りこんでいたぼくのお出迎えをお父さんは軽々ともくさつし、かたわらに置いてあるビニール袋を勝手につかんだ。
ぼくが「あ」と声をもらす前に、中身を見たお父さんのヒステリックなさけびが、辺り一帯にこだました。そのどごうを聞いて、お母さんが裏口からかけてくる。
「何てことをしたんだ。野鳥を殺すなんて信じられない。家に帰ってどうする気だったんだ」
「この子は何もわかっていないのよ」
「どうなんだ、修。答えなさい」
ぼとりとしずんだ袋から黒い羽があふれ出て、夕日色の地面をおどった。
ぼくはぽかんとしながら答えた。
「ちがうよ。拾っただけだよ」
「嘘をつくんじゃない! どこで殺してきたんだ、どうしてこんなことをした!」
「もういいの。私の教育が悪かったの。この子は何も、感じていないの。命の尊さがわかってないのよ……」
お母さんは頭をかかえてすすり泣き、お父さんはじだんだをふんだ。
両親はもうもくてきに、どこまでもぼくを否定した。
けれどぼくは、信じてほしいとも、認めてもらおうとも思わなかった。ただ、人は正直なだけでは認められないのだと、静かに学習した。
そして最後に、お母さんはこうつぶやいた。
「悪魔よ……」
ぼくは地面に広がる羽を見て、悪魔につばさがあるのなら、こんな色をしているのだろうと思った。本で見る悪魔という存在は、どれもすみみたいにまっ黒だったから。
――最初に僕を悪魔と呼んだのは実の母だった。けど僕の印象に強く残っているのは、次の幼稚園で出会った女の子の母親だ。
アオダイショウの件から続いた、猫とカラスをねらったぼくの生き物へのあつかい方。その異常性が両親へと伝わり、ぼくは幼稚園を新しく移されることになった。
その幼稚園で同じ年中組の子から、おかしなことを言われた。
「しゅうくんってわらわないよね」
新しい幼稚園に来て二ヶ月。五歳の誕生日をむかえたぼくは、相変わらず席に座って勉強していた。外で遊びましょうというルールはないので自由にしてるけれど、ここの園児は外遊び大好きっ子が多い。今だってぼくのほかには、この声をかけてきた一人しかいない。
「それがかっこいいんだけどね! わらったらもっとかっこいいよ」
無視を続けるぼくにしつこく話しかけてくるのは、絵をかくのが得意な女の子。
ひと月ほど前から、かのじょの視線を感じていたけど、ぼくに話しかけてくるようになったのは数日前のことだ。最近はかいた絵を見せようと視界をさえぎってくるので、ぼくはだんまりを決めこんでいる。
かのじょの絵は、上手なほうだと思う。それを伝えたら耳まで赤くしてはなれていったけど、次の日からは落書き帳による視界ジャックがはじまっていた。
ぼくに笑顔がないって、前の幼稚園の先生とお母さんが言い争ってる時にも、そんなことを聞いた気がする。
「人はたのしいときに笑うものだ。なんでもないのに笑うのはおかしいよ」
「どうして? しゅうくんってしぜんにわらえないの?」
ぼくはおしだまった。答えはイエスだと思ったけど、それは自分の異常性をあきらめることだとも思ったから。
だからぼくは、家に帰って鏡の前に立ち、両手で両頬の皮をつまんで上げてみた。顔の作りは昔からほめられてきたので、いっぱんてきなものより上だろう。女の子が言うとおり、笑わなくても十分だし、できないことをする必要もないのかもしれない。
でもそれはそれ、これはこれであり、ぼくは自然に笑えるよう頬のマッサージを続けた。
後日女の子は、「しゅうくんわらえるようになった?」と聞いてきた。ぼくが首をふると、「わらってみせてよー」と返す。
ぼくは昨日家でやったみたいに頬の筋肉を行使した。なんだかくちびるの端がけいれんしてるみたいだった。女の子はけらけらと笑った。
「へんなの! 今の顔かいてあげよっか」
そう言ってかのじょは、落書き帳に絵をかきはじめた。ぼくが目線をそらすと、「うごいちゃだめ! そのままでいて!」と机をたたいた。
どうしてぼくがこんなことに付き合わなきゃいけないんだろう。しかも、不細工な笑顔を保ったままで。
馬鹿馬鹿しい。ぼくはきびすを返して特等席に着き、小学校高学年で習う漢字をノートに写し出した。
女の子はぼくの後を追ってとなりに座り、「わらってわらって」とくり返し唱えていた。
次の日、決め事のようにとなりに座ったかのじょは、ぼくの頬を引っ張った。横目で見ると、女の子はぼくを見てにやにや笑っている。
――今思えば、これは『好きな子ほどいじめたくなる』という心理現象だったのだろう。
「しゅうくんつまんない。それガリベンって言うんだよ?」
女の子はぼくの頬から手をはなし、漢字ノートに落書きしはじめた。
「お絵かき楽しいのに」
そう言って赤い色えんぴつでかいていたのは、リンゴに見立てた『0』だった。
「れーてんれーてん、れーてんりんごー」
女の子はくすくす笑って、『0』に色をぬっている。楽しさはまったく伝わって来ない。
「お絵かき、たのしい?」
「たのしいよー」
「ふぅん」たのしいんだ。
ぼくは席をはなれ、園児たちの絵がかざられているかべの前に立った。好きな動物さんというテーマでえがいた絵がずらりとはられている。
あの女の子はねこの絵をかいていた。一番上手だってほめられてたから、たぶんこれだ。
ぼくはかのじょの絵をかべから外し、画びょうをひとつ指にはさんで席へと戻る。採点はいつもお母さんがしていたから、ぼくは赤えんぴつも赤ペンも持ってなかったんだ。
ぼくは画用紙をぐしゃぐしゃに丸めた。そして、
「えっ、それ、」と開いたかのじょの口めがけて、丸めた画用紙をつっこんでやった。いすごと女の子をおしたおし、頬に画びょうをつきたてる。ぷつっとやわはだがはじけて、赤い玉が流れ出た。女の子はものすごく暴れていたけど、口につめられた画用紙のせいで声を上げられない。
画びょうを三本指でしっかりとつまみ、かのじょの頬をキャンバスにして縦に一線引いてやった。「ははは」女の子の皮膚はアオダイショウよりもやわくて容易い。数字の『1』みたいな赤が、体液まみれのキャンバス上にできあがった。
ぼくは、不器用な笑みを浮かべて言った。
「なぁんだ、つまんないの」
* * *
あの時、本当は『100』って描きたかったんだよね。百点満点という意味かな。僕、百点以外取ったことなかったし。よい子は女の子の顔に落書きしちゃいけないよ。するときは、せめてインクを持参してね。
しかしどうして、あんな猟奇的な行動を取ったのか、今でもよくわからないし覚えていない。感情を自認していなかったからね。……あれは僕なりの怒りだったのかなぁ。
頬を引っ張られ、ノートに落書きされ、〇点の刻印を押された、その腹いせ。うーん、心が狭い。
でも、画用紙のがさがさした感触と、彼女の唾液と涙が付着した左手のべたつきははっきりと覚えている。その後はまあ、大変だった。僕ではなく、具体的には大人たちが。
「壊れちゃう、壊れちゃうよぉ」と……これは現実のほうの声か。
聖良さんの嬌声により、僕の意識が帰還した。聖良さんの意識はある意味飛びそうだな。いや、何度か飛んでたのかな。
舌と唇はとっくに解放されていたのに、口より身体が動いていたようだ。少し酷くしすぎたみたい。ペースを落とそう。僕のホラ話はもう少し続きそうだから。
じゃあ続きはCMの後で。
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