悪魔の三歳児

 悪魔の三歳児という言葉をご存知かな。第一次反抗期の三歳児を指す言葉だ。

 二歳児よりも体力が付いた分活発に暴れ回り、知識と言語力が増えた反面、考えなしで言葉を発する。わがまま、駄々こね、イヤイヤ。それら第一次反抗期の特徴を一番に引き出し、全身で活用するのがこの悪魔の三歳児だ。よく『子供は残酷』と言うが、そのはじまりと言っていい年齢じゃないかな。

 そんな、三歳の頃のあさぎりしゅうくんの話をしよう。


 まずはじめにネタバレしておくと、僕に反抗期は来なかった。ちゃんと自我は芽生えていたし、反抗する意思も持ち合わせていたけれどね。波風立たないんだ。感情という意味でも、家族間という意味でも。


 例えば、欲しいもの。幼少期の駄々こねと言えばこれだろう。デパートやスーパーのおもちゃ売り場やお菓子売り場で、欲しいものが買ってもらえずに駄々をこねる。酷いときはその場から動かなくなり癇癪を起こす。

 しかし僕の場合は、わがままにもならなかった。お店に行っても欲しいものはパズル類が多くてね。元々それらの知育玩具は母が進んで買っていたため、すんなり聞き入れられることがほとんどだったんだ。


 母は積み木とブロックをやらせたがったけど、僕はパズルがお気に入りだった。

 とっても賢いあさぎりしゅうくんは、一つひとつのパズルを解くのに時間を要さない。だからかな、達成感はいつも薄かった。でも、解き終わった時の快感が、気持ちよくて、くせになった。

 パズルには、答えがあって、形があって、終わりがある。延々と続けるブロックよりも、こっちのほうが楽だったんだろうね。

 そして、いつも最後には、元に戻した。知恵の輪はぐるぐるにねじって。ジグソーパズルはピースを外してばらばらに。ルービックキューブは六色全面をぐちゃぐちゃのモザイク状にした。

 飽き性だった僕が、遊び終えたパズルを二度解くことはなかった。


 一方で、ブロックには正解がないから、自分のなかで答えを見つけなくちゃいけない。

 それが、気持ち悪かったんだ。考えれば考えるほど、胸の中心がむかむかしてね。

 何が正しいのか。何が間違いなのか。

 それがわからない僕には、正解を見つけ出すことなんてできない。


    * * *


 三才の冬に、妹の虹成にいなが産まれた。日づけで言うと、十二月三日。ぼくのたんじょう日は十月二十四日だから、その四十日後のことになる。

 はじめて妹と対面したのは病院のベッドの上。虹成はママにだかれてねむっていた。


「静かに。そっとね」


 ママに言われて、うん、とうなずく。

 近くで見た妹は、小さくて、丸かった。以上がぼくの感想。かわいいとか、弱そうとか、そんな気持ちにはならなかった。人って、肉のかたまりなんだな。

 グーの手に人さし指でふれると、もぞもぞと開いて、にぎられた。力、つよ。反対の指で、頬にふれた。ふにふにしていて、つつけば中身が出ちゃうんじゃないかってくらいやわらかかった。

 そのあとすぐに虹成が泣き出して、思わず耳をふさいだら「そんな恥ずかしい真似はやめなさい」とお父さんに注意された。ぼくははずかしいと思わなかったから、ずっと耳をふさいでいた。お父さんは顔のしわをふやして、ぼくをつれて行った。

 うるさいな。病室を出るさいごにいだいたのが、そんな感想だった。だれに対する感想だったのかは、わからないままだ。




 ママと虹成が退院した日の翌日、じけんは起こる。ママとお父さんがせんたく物をほしているときのことだ。ベッドにいた虹成のこきゅうが止まった。

 げんいんは、ぼくだった。

 いつものようにパズルで遊んでいると、頭上からサイレンみたいに大きな音がふってきた。ねむっていた虹成が急に泣き声を上げ出したのだ。こまくがキンキンとふるえて、ぼくは耳をふさいだ。

 仕方がなしにパズルから顔を上げて、ベランダにいる両親をちらりとかくにんする。二人は気づいてはいるものの、すぐにかけてくる様子じゃなかった。ぼくは今すぐこのサイレンを止ませたかったので、クッションを持ってベッドのさくを開けた。

 えい。というかけ声はなしに、クッションで虹成の顔をおおった。虹成はすぐにしずかになったし、動かなくなった。とたん、はいごからべつのサイレンが上がった。ママの悲鳴だ。


 二人はすぐさま赤ちゃんを取り上げた。こきゅうが止まっていることに気づき、ママはそせいじゅつをほどこした。お父さんは受話器に向かって声をあらげている。あんなにもあおい顔をした人を、ぼくははじめて見た。

 二人のけんめいなきゅうしゅつげきのすえ、虹成は息をふき返し、その後はんそうされた病院でも、命にべつじょうはないとしんだんされた。先生になる前はじょさんしせつではたらいていたママのけいけんが役に立ったのだ。

 病室で、ママがぬれそぼった顔でつぶやいた。


「うちの子は悪魔の三歳児じゃないって、思ってたのに……」


 ――この時は真意までわからなかったけれど、大きくなってから、あの時の言葉は皮肉めいていたんだなと知った。

 反抗期はない、けれど、悪魔のようなことをしでかす三歳児。

 それから少しずつ、母親の、息子を見る目が変わる。




「変なことしないで。普通でいるのよ」


 虹成の一件以来、ぼくを幼稚園に送るさいにママが口にする、お決まりのせりふだった。

 へんなことって、何? ふつうとは、なんだ?

「普通に考えればわかるでしょう」ってママはよく言っていた。ふつうが正しくて、へんがまちがいなのだとしたら、何が正しくて、何がまちがいなのかもわからないぼくに、はんべつするのはむずかしいことだ。


 だから、ぼくはママがくれた学習ドリルをといていた。ほかの子が室内で走り回っているときも、外で遊んでいるときも、ぼくはいすにすわってドリルと向き合っていた。じょうしゅうかすればこれがふつうになり、ぼくにとっての正しいになる。

 でも、その日の問題をとくのは苦だった。答えは取り外されているので自分で見ることはできないけれど、考えなくてもとける問題ばかり。つまり、ふつう以下ってことになるのかな。かんたんすぎて、つまらない。ママはぼくの学力を見あやまっていたんだ。

 席で頬杖をつき、ドリルのページをぱらぱらとめくっていると、一人の先生がぼくの近くに来た。


「修くんもお外で遊ぼ? ずっとお勉強しててもつまらないでしょう」


 えっ……? と、ぼくは少しだけおどろいた。


「つまらないって、どうしてわかったの?」

「お顔に書いてあるからよ」


 ふふっとほほえんで、先生はそうしてきした。ぼくには両親の気持ちも、虹成の気持ちも、先生の気持ちも、周りにいる園児たちの気持ちもわからないのに。

 ぼくが自分の顔を手のこうでこすると、先生はさらにニコニコとわらう。


「楽しいときは笑顔になるんだよ」

「先生は今たのしいの?」

「うーん……」


 先生は「修くんがお外に来てくれたらもっともーっと楽しくなるかなぁ」と言ってえがおを少しだけ引っこめた。

「ぼくもたのしくなれる?」と問うと、先生は「うん!」とまんめんのえみでうなずいた。それなら少しだけつき合ってみてもいいかな。

『たのしい』という、かんじょうを見つけるために、ぼくは立ち上がった。

 先生に手を引かれて外へ行き、ほかの子にまざっていっしょに遊んだ。ジャングルジムに上ったり、シーソーに乗ってこいだり。

 先生はぼくを見てわらっていた。目が合うとにこりと歯を見せられた。ほかの子もニコニコわらっている。だけど、先生はうそつきだった。

 この日ぼくがわらうことは一度もなかった。


    * * *


 きっと先生は悩まれていただろうね。幼稚園でただ一人の、笑わない子供に。

『楽しいことが見つかるといいね』そう言っていた先生が母と揉めているところを、僕は見たことがあった。


『うちの子は……笑わないんです』

『え?』先生は戸惑った。

『あの子、まったくと言っていいほど笑わないんです。家でもそうなんです。だからもう放っといてくれますか』

『いや、でもそれは……っ』

 先生の声は逡巡めいて聞こえ、そして、

『笑わないんじゃなくて、笑えないんじゃないですか?』

 核心を突かれた母は目を吊り上げて言い返した。

『あなた、私の育て方に不満があると仰るんですか?』

『いえ……しかし修くんの今後を考えても、ご家庭でのコミュニケーション不足は』

『うちの子は普通です――!』


 母の金切り声が遠くで聞こえる。

 僕は愛撫するのを終えて、聖良さんと繋がった。

 次はまだ『たのしい』がわからない五歳児の、血生臭い話をするとしよう。

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