閑話 朝霧修

リップサービス

 ずぶ濡れの感慨に浸った。

 制服の内側に染み込む雨水のように、じわじわと興奮が浸透していく。腕のなかに広がる温もりに、あぁよかったと。心が温まるって、こういうことなんだろうな、と。

 きみの後を追って来て、正解だった。でなきゃ今頃、一人でふたつの轢死体を拝むことになっていただろう。

 五体満足。だからちゃんと、見てたよね、望月もちづきくん。

 ……見逃しようがないよね。一瞬の出来事なんだから、瞼を閉じるよりも速やかだ。

 あっ、震えが大きくなった。そっか、なら、よかった。

 この状況でもなお、僕の心臓は一定のリズムを保ち続ける。まるで時計の針みたいに機械的だ。

 一人はひとつを見て震え、一人は一人に感慨する。


 人の死ぬ瞬間を目の当たりにしたきみを見れて、本当によかった。


    * * *


「ねえ……しゅうくん」


 ベッドの上で、聖良せいらさんが僕の目を見つめる。恍惚状態の身体は海老反ったまま不自然に硬直し、肩は呼吸に合わせて上下している。

 体力、ないなぁ。めぐみほどじゃないが。と脳内でほかの女性と比べながら「ん、何?」と聞き返した。

 すると聖良さんは、「元気、出た?」と、甘味の詰まった声で内部情勢の確認を要請してくる。

 ふむ。男子高校生の元気は今しがたゴム詰めとなり、傍らのゴミ箱に廃棄されたばかりであるが、まさかもう二回目をご所望か。僕も張り切らないとまずいな。

 なんて冗談はさておき、もちろん清純な思考を持ち合わせる僕は「お陰様で」と聖良さんの優越感に貢献してみる。


 仰向けのまま「よかったー」と笑むのは、今日の『バイト』相手の聖良さん。

 年齢は、そうだな――僕は女性の歳をべらべらと広めるほど軽薄ではないし、他人のプライバシーに気を使うほどお人好しでもない。なので――成人済みとだけ言って伏せることにしよう。

 好きなものはセックス。趣味もセックス。はじめてする時にそう自己紹介された。

 ほかの男とも寝てる経験豊富な聖良さんだけど、春を売ってる僕が一番若くてマイブームらしい。その割に年上の余裕は最初の一回で潰れてしまう。性欲はあれど体力はないみたいだ。


「イヤなことはエッチして忘れよーね。修くんならアタシのこと、いつでも呼び出していーし、好きなよーに……」


 身体を起こした聖良さんの口がそれ以上紡げないよう、キスで黙らせた。ついでに両耳も塞いでやると、嬉しそうに腰をくねらせる。誰が、呼び出すって? 

 勘違いしているようだが、僕は相手を求めていない。求めるのはいつもあなたたちで、求められるのが僕だ。まさか同じ場所に立っているとでもお思いで? 猿のように上手に綱渡りするあなたたちを、僕はいつでも切ることができるんですよ。

 僕が求めるのも応えるのも、自分に都合のいいものだけ。

『バイト』を受ける上での条件は三つある。避妊をすること、身体に痕をつけないこと。そして、秘密を厳守すること。三つとも手前に『お互い』が入るため、平等のように思わせているが、法律がある以上白と黒は隔てられている。十八歳未満の僕と、成人済みの彼女たちじゃ、そもそも立場が違うのだ。

 つまり、主導権はいつだって僕にあるってこと。


「やる気になっちゃうからダメ……」


 交わる熱から逃れるように聖良さんが顎を引いた。

「珍しい」と率直な感想。いつもならはじまる二回目だけど、「今日はしないのかな?」

 聖良さんは艶のある唇を三本指でいじる。


「修くんが大丈夫なら、したい」

「……大丈夫、というのは?」

「無理してないかなって。だって……今日はいっぱい、疲れたでしょ……?」


 キスしてから急に乙女チックになっている聖良さん。エッチして忘れよーねと言っていたのは何だったのか。欲望に正直であるほうが人生楽しく過ごせると思うよ、僕は。

 それに、あれが励ましで言った台詞ことなら、本当に余計なことなんだ。


 同級生の女子が目の前で自殺した。

 目撃者の一人である僕は、運転士と車掌さん、並びにその後駆けつけた警察各位によって雁字搦めにされ、約二時間の拘束の後解放された。

 聞かれたのは、名前と学校とそのときの状況と経緯。

 警察って繰り返し同じ質問をするけど、血塗られたレッドカードを掲げたのは彼女自身だ。その理由を僕は知らないし、聞かれても答えようがないというか。

 望月くんは知ってたっぽいけど、警察には話してないみたいだ。人身事故を目撃して傷心中の若者に多くを求めてもね。

 そう、人身事故の通報。

 それだけだったら、聴取の時間も半分で済んでいただろうに。


 追加の一時間は、望月くんが通報し損ねた例の箱についてだ。

 送り主は二重底で脅かす気だったのか、今頃してやったりの笑みを浮かべているだろうね。でも僕はあの箱を見た時、つまらない真似をするなと思ったよ。

 気づかれない仕掛けは仕掛けとしての役目を果たしていない。二重底に気づいてほしければ、あの箱はもっと重くしておくべきだった。現にあの場にいた二人は気づいていなかったし、僕が言わなかったらお蔵入りだ。こんなオモチャひとつに、僕の手を煩わせる犯人はつまらないね。

 箱のことは警察に任せておけばどうにでもしてくれる。被害者も、加害者も。どんな形であれ、いずれ見つかるだろう。


 聴取の合間に、聖良さんには『少し遅れそうです』と連絡してキャンセルも促した。しかし、遅くなってもいいからしたいと返されて今に至る。

 警察の人も言っていたけど、「つらかったね」だってさ。イヤなもの見ちゃったね、って。

 違うよ、聖良さん。聖良さんの言うことは何もかも逆で、最初から間違っているんだ。

 僕は、満足して帰ったんだ。あんなにも、いいものが見れたんだから。落ち込む素振りをし続けるほうが苦痛だよ。


「大丈夫ですよ。忘れさせてくれるんでしょう?」


 子供らしい照れ笑いを選択して、僕は再び相手の優越感に寄り添う。

 聖良さんは唇をいじるのをやめて、きゅっと口角を上げた。熱を帯びて潤んだ瞳も、髪や唇をいじる仕草も、欲求の表れ。人と交わるたびに学んだ、心の動きだ。

「じゃあお喋りしながらしよーよ」とヘッドボードの上に手を伸ばす聖良さんから目を逸らし、僕は肩の力を抜いた。

 聖良さんの取った桜色の長財布から福沢諭吉が顔を出し、僕の元へと出張を余儀なくされる。

 ――この瞬間は褒美を待つ犬のようで好きじゃない。尻尾を振るのはあなたたちのほうだ。


「おかわりね。一枚はネタの分」

「ネタ?」


 聞き返しながら五人の諭吉を笑顔で受け取って、鞄のポケットに押し込んだ。

 二回目の料金を頂いたところで、慰めセックスは継続される。聖良さんは背中を向けながら、ベッドに転がった。


「修くんのお話、聞きたい」

「えーっ、僕が話すの?」まあ話しながらするのは、聖良さんには無理だろうな。

「だって修くん、お家のこととか全然話さないじゃない」


 身体だけの繋がりにその情報は必要と思えない。高校二年生ってだけでも十分な情報だと思うが「小さい頃はー、どんな子だったの?」聖良さんは若い男がお好きのようで。

 ……幼少期か。ナンセンスだなぁ。


「お話しても構いませんが……あはは、面白くないかも」

「えぇー? そんなことないよ、話してみて?」


 聖良さんは突き出した尻を左右に振ってアピールする。若い頃はさぞや尻文字の達人として有名だっただろう。漢字の一は小学校一年生で習うから若い頃と表現しても悪口にはならない。

 伝わりづらいジョークはさておき、聖良さんに覆い被さった。軽くキスをして手を握る。……仕様がないなぁ。お互い様か。


「昔から僕は、好奇心旺盛だったようです」


 眼下の耳を唇で噛むと、聖良さんは心地よさそうに息を吐いた。うーん、本当に聞く気があるんだろうか。と同時に話す気があるんだろうかと自分自身に疑問を持ってしまう。

 どうせ聞いていないのなら、僕の独り言ってことでひとつ。




 幼少期の僕。好奇心旺盛。

 探究心という意味では、今も昔も変わっていない。何にでも興味を示す、無邪気な子供だったようだ。

 母は検察官、父は中学校の教諭。何不自由ない家庭で、朝霧あさぎり家の長男として、僕はすくすくと育った。

 父は僕の教育に並々ならぬ熱意を注いでいたようだ。いわゆる、早期教育。

 曰く、〇歳から厳しく育ててきたそうだが、僕の記憶にはない。知能の発達に父が一役買っていようと、先天的に賢い子供であろうと、僕自身どうでもいいことだ。

 この教育論を父が語りたがるのは、僕への当てつけである。

 お前が賢くあれたのは私のおかげだ。お前を伸ばしたのは私だ、と言いたいのだ。自分は決して間違っていなかったと、少しでも肯定的でありたい。

 そんな親の思考を、僕は三歳から見抜いていた。父が僕に当たるようになったのも、ちょうどその頃だ。


 ――なんてね。

 たかが三夜、六回寝ただけの相手に自分の過去を明かすほど、僕の舌は軽くない。いや、隠したいほど重くもないけどね。

 なので、でたらめを混ぜて話している。今言った話だと、父と母がまるっと逆だ。

 正しくは父が検察官、母が中学校教諭。

 ああ、無邪気な子供というのも真実と異なるかな。主観でしかないが、幼少期の僕に可愛げはない。

 聖良さんにはこのままでたらめ続行で話すとしよう。渾身のリップサービスと行こうじゃないか。

 優等生朝霧修は、結構ユーモアだろう?

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