第五話
憂さ晴らしのち雨
「あっ」
反射的に上げた
「ラスト」
渉は人差し指をピンと立てて最後の勝負を持ちかける。
「オッケー」と清々しい返事で朝霧が姿勢を戻すと、ゲーム機から五戦目を告げるゴングが鳴った。
「朝霧もこういうとこ来るんだ」
「勉強ばっかしてると思った?」
「う、んー……A組って課題も多いし、遊んでる余裕なんてないんだと思ってた」
偏見だよ。とは言わず、朝霧は興味深そうに頷いている。こういった言いづらい本心を告げても、図書館で渉が不貞腐れても、彼はいつも穏やかに笑っている。
渉の通常が無愛想ならば、朝霧は物柔らかな顔つきがデフォルトだ。
『いつも不機嫌そうだし』と言われる渉が、実際不機嫌になっても珍しくも何ともないように、朝霧が微笑むのもまた、ある意味リアクションが薄いと言える。なお上記を口にしたのは普段から喜怒哀楽の激しい響弥だったりする。
もっとも、表面上はにこやかで腸は煮えくり返っている可能性もなくはないが、笑いながら怒るタイプが一番怖いので朝霧に限ってそれは考えたくはない渉である。
「たまにはね、息抜きも必要だろ?」
「まあな……」
その割には一度もこのゲームセンターで朝霧を見かけたことがないのだが。来ているのは休日か、まさか深夜なんてことはあるまい。しかし元より、朝霧のことを知ったのはつい最近なので覚えていないだけかもしれないな、と渉は自己解決した。
――この考えは、今になって覆ることになるのだが。
はじめに目についたのは二人用シューティングゲームだった。襲いかかる吸血鬼を銃型コントローラーで撃ち倒していく、ルールも操作もシンプルな代物だ。――銃で吸血鬼が倒せるのかという疑問は存在自体がフィクションのため渉も突っ込まない。
店に行くたび響弥たちとプレイするお馴染みのゲームだが、その誰とペアになってもいまだ、上位十位まで記録できるランキングには入ったことがない。簡単そうに見えて甘くない、シビアなゲームなのだ。
そんなシューティングゲームに、たまに来る程度の優等生朝霧修と挑んだところ、初のランキング入りを果たしてしまった。しかも、十位中四位という好成績で。
目を剥く渉を置いてけぼりに、「僕ら相性いいのかも」と手慣れた様子でパネルに名前を入力する朝霧。渉をアルファベット、朝霧は苗字をイニシャルに、最後は自動入力で中央にアンパサンドが挟まれ、ランキング四位に『A&WATARU』と記録された。
「朝霧渉。結婚したみたいだね」
などという朝霧の戯言は無視して、渉は一位の名前を脳内ハードディスクに保存した。ちなみに二位の欄に記録されているのはソロアンドワカナ。ワカナという名前の女子がクラスメートにいた気もするが、渉が関与することはないだろう。
「このゲーム、二丁拳銃でやる奴いるのかな」
半ば棒読みで疑問をぶつけてみると、
「二人用を一人でやるってこと? さあ、そういう物好きもいるんじゃないかな」
そうしてまた店内をぷらぷらと歩く朝霧は、格闘ゲーム機を前にして「次はこれをやろう」と提案したのだった。
そして、今。渉の目前には『K.O.』と赤文字が表示されている。体力バーが尽きているのは言わずもがな渉のほうで。
五連敗の称号を背負って椅子から動けずにいる渉の肩に、ポンと厳かに手が置かれた。
「
――と、朝霧修は哀れみと爽快の滲んだ笑顔を浮かべるのだった。
「……お前、常連だろ」
「そんなことないよ」
「この連勝モードってやつ、一位の名前がASなんだけど。これお前だろ」
「何のことかな」
「さっきのシューティングゲームの一位の名前、A&Sって奴、あれもお前だろ。ASって、朝霧修ってことだろ!」
たまに来るなんてとんでもない大嘘だ。それとも通っているのは別の店なのか。どちらにせよ朝霧がゲームをやり込んでいるのは明白な事実である。
うまいならうまいと言ってくれよ、恥をかいたじゃないか。格ゲーに挑む手前、「俺結構やってるけど大丈夫?」「お手柔らかに頼むよ」と交わした会話を思い出し、渉は頭を抱えた。――何がお手柔らかだ、滅茶苦茶強いくせに。
「萩野に負けた腹いせにきみで憂さ晴らししようなんて目論んでないよ」
「完全に本音だろそれ」
そしてその目論見どおり憂さ晴らしは完了したと。
負けは負けで、やはり朝霧なりに悔しかったのだろう。表情にこそ出ないし、出さないようにしているのかもしれないが。陰で泣かれるよりもずっといい、と渉は思った。
それにこうして憂さを晴らしたり、ゲームが好きだったり、負けず嫌いだったりと、朝霧にも意外と子供っぽいところがある。それが知れて、嬉しさと少しの安心感を覚えた。
――朝霧も普通の男の子なんだ。
渉はため息を漏らし、さほど重くない腰を上げた。
「そろそろ帰らないと」
その言葉に同意して朝霧も出口に身体を向ける。
百八十センチもある彼の身長とその容姿は、姿勢のよさも加わって他人の目を奪う。引けを取って後ろをついていくと朝霧は決まって速度を緩めるため、最近の渉ははじめから横に並んで歩くようにしている。
四六時中脚光を浴びる秀才が、なぜ自分のような凡人に構ってくれるのか、渉は今でも疑問に思っている。
元を辿れば声をかけたのは自分のほうだが、それにしても朝霧は渉のことを優先してくれている。――渉自身そんな気がしてならず、時折、自分なんかが彼と並んで歩いていて大丈夫なのだろうかと自虐的に考えてしまうのだった。
だから、普段は見せない朝霧の素顔が知れて嬉しかった、と彼の顔を盗み見る口元が緩む。
単に朝霧が無差別なのかもしれないが、それは渉のことを優遇という名の差別をしていることにもなる。好意を向けられて嫌な気はしないが、なぜだかとても不安になるのもまた事実。本人も言っていたとおり物好きなだけ、の可能性も否めないけれど。
「そんなに見惚れるなよ」
「見惚れてない」
突っ込んでくれと言わんばかりのボケをかますのも朝霧の特徴だ。彼は意外と冗談を口にする。おそらく、ムードメーカーの響弥と等しい頻度で。ほかの同級生に対してもこんな調子なのか知らないが、少なくとも渉の前ではボケてばかりだ。
「なあ、あの勝負って、喧嘩とかじゃないんだよな?」
帰りの土産とばかりに、渉は気になっていたことを口にした。
あの試合、朝霧はじゃれ合いと言っていたが、バスケで睨み合う二人の
「喧嘩なんてしないよ。好きな人を懸けてただけ」
訊かれても言えないことかもしれない――という懸念は不要らしく、朝霧はさらりと答えた。
「っす、好きな人!?」
思わず声が上擦る。
――どういうことだ? 好きな人? いつの間に恋の話にまで発展していたんだ。というか、
(あ、朝霧は……確か
告白しようとしているって、言っていたのは異次元少女の
(ということは……)
「萩野も凛のことが好きだったのか……」
知らなかった、と地面を見つめる渉。学級委員同士、信頼もし合っているみたいだし、好きになる気持ちもわからなくはないが――
「
朝霧は小首を傾げ、出入り口へ歩む足を止めた。視界から朝霧の足が消えたので渉も立ち止まり、振り向く。朝霧はあからさまに眉をひねらせていた。
「どう考えたら百井さんが出てくるんだ? 別にきみに対する当てつけじゃないんだし、ここで百井さんが出るのはおかしいと思うんだけど」
「う……」
それは、と言う前に朝霧が一歩前に出て視界を遮る。
「それとももっていうのはきみ自身じゃなくて、まさか僕のこと?」
さらさらと疑問を捲し立てる朝霧に圧され、渉は尻込みする。朝霧の手はどこにも触れていないのに、渉は四肢をがっちりと掴まれているような錯覚を覚えた。
(ま、まずい……)
ごめん知ってたんだ、と白状するのは、仮に朝霧がほかの人に話していたとして『僕の好きな人を望月くんに言ったでしょ』とその相手に飛び火する危険性がある。伝言というのは拗れやすいものなのだ。――かと言って、知らないと嘘をつくのは朝霧と気分に悪い。
「その……風の便りで聞いて……」
目を逸らす渉に、朝霧は軽く顎を引き「ふぅーん」と鼻で返事する。
「確かに彼女は素敵な人だ。けど、恋愛対象じゃないよ。僕も萩野もね」
「へ? あぁ……そう、なんだ……?」
本当に!? と飛びつきたいほど渉の心のなかは跳ねているが、朝霧の様子は顔色からして、珍しく真面目に呆れている。それが答えだった。
(凛じゃないんだ……へぇ、そう……)
平常を装いつつ頬を掻く。幼馴染がモテるのはそれだけ魅力がある証拠だし、凛を好いてくれる人がいるのは単純に嬉しい。けれど、ライバルが増えるのは正直言って困るため、朝霧たちの気持ちが恋愛感情じゃなくて安心した。
「どこの誰だか知らないけど、きみにそんな嘘を吹き込むなんて許せないなぁ」
冗談混じりにぼやき、再び歩き出す朝霧を渉は「たはははは……」と乾いた笑いを漏らして追った。芽亜凛の言うことが嘘とは考えにくいが、俺らが勘違いしていたのかも、と疑心を諌めてゲームセンターを後にする。
「ん? じゃあ萩野の好きな人って、誰なんだ?」
きょとんと見上げる渉を横目に「残酷だね」と朝霧は存外に呟いた。ん? どういう意味だろう、と渉はまだ明るい夕方空に答えを求める。
西の彼方に黒い雲。今夜は雨になりそうだ。
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