第四話

夢と現実

 何がきっかけで意識が戻ったのかと言えば、足元をすり抜けた冷気だろうか。妙に寒いな、と思ったのが悪夢のはじまりだった。


(ん……)


 瞳を開けると、そこには愛しいあの人の寝顔が――というのはスマホの待受画面に限った話で、萩野はぎの拓哉たくやの視界に入ったのはジャージの両膝。コンクリートの床。肘掛けの上で固定されている、自身の両腕。


「なんだ……これ……」


 鼻にかかった寝起きの声が問題なく出る。とりあえず、夢ではないようだ。

 萩野が眠っていたのは、鉄でできた椅子の上だった。

 肘掛け上の手首と指の関節は、鉄のリングで固定されて曲げることもできず、足首もおそらく同様に、椅子の前脚部分に繋げられて動かない。胸にはベルトが巻かれており、こちらも背もたれに繋がっているようで腰を浮かすことも叶わない。

 まるで映画の世界に入り込んだみたいだ、と萩野は俯瞰した。いつかの休日に向葉むかいばたちと観た『泣ける映画』。アメリカでは昔、電気椅子を用いて死刑執行していたという。その映画でも用いられていたが、椅子に座らされて固定されるという点では同じ状況だろう。


 ――制服に着替えもしないで、いったいどこにいるんだ? どうしてこうなった?

 記憶を遡ろうにも途切れた部分が見つからず、深く刻まれた光景だけが瞼の裏で再生される。ゴールリングに弾かれたバスケットボール。削除されましたの文字。体育館にこだました告白。彼に貰った絆創膏――

 ズキズキと痛む頭痛に耐え、萩野はコンクリートの壁を見渡した。左手には光沢感ある扉が、右手には黒色のビニールカーテンが行く手を遮っている。冷たい一室を照らす照明はほとんど炭化しており、光そのものが灰色だ。人の手が施されているのは確かだが、飾り気のない造りは業務用倉庫を思わせる。


 萩野はため息をつくついでに、脇に構え続けているテーブル――その上を二度見した。

 置かれているのは包帯と針金とテープ、片手で扱えそうな鋸、ナイフ、ラジオペンチ、スパナ……その他名称のわからない怪しげな器具が一式。加えてこの椅子である。今考えられる最悪な答えが頭に浮かび、萩野は吐き気をこらえた。


(これじゃ、まるで……拷――)


 そのとき、重圧を帯びた金属音が部屋全体を震わせた。

 ギイィと開いたドアから現れたのは、モッズコートの刑事よりも白い髪。その顔を見て、萩野は自分の目を疑った。


「か……神永かみなが……?」


 冷房の効いた部屋で半袖にハーフパンツというラフな格好で現れたのは、紛れもなく神永響弥きょうやだった。ドアを閉めた両手はゴム手袋をしており、下は長靴を履いている。

 ――なんだろう。彼のこの、異様な雰囲気は。

 何が原因だ、髪色? 部屋の造り? それともこの状況? もし彼の髪が普段どおり黒だったら?

 否。そうでなくても、萩野拓哉は怯んでいた。

 学校で見る響弥と違うのは、何も髪色だけじゃない。目だ。目つきが違うのだ。いつも子犬のような丸い目で尻尾を振っている彼が、今は猛禽のごとく鋭い眼差しで萩野を見下ろしている。


「神永……これ……どういう状況?」


 ――ここは、神永の、家?

 ふと浮かんだワードに萩野が帰りの出来事を思い出していると、響弥はテーブル上からラジオペンチを手にして、えへへと笑った。


「はじめまして、萩野くん。今夜はたくさんお話しようね」


    * * *


 陽の光に照らされた二人を、教会の鐘の音が祝福する。瑠璃色を基調としたステンドグラスは、彼の虹彩を思わせる雅な煌めきを放ち、式場には赤白黄色の花びらが、どこからともなく舞っていた。

 艶のある群青色のタキシードは彼によく似合っていて、萩野も同じようにシルバーのタキシードを着込んでいる。式を見守るのは二年E組のクラスメートたち。誓いの言葉を話すのは、石橋いしばし先生の顔をした神父だ。

 ――その命ある限り力を合わせ、愛をもって互いに支え合うことを誓いますか。


『誓います』

『誓います!』


 ――それでは指輪の交換を。

 彼の持つ指輪を前に、萩野は左手を差し出した。


「兄ちゃんいつまで寝てんの? バイトあるんじゃねえのー?」


 萩野を現実に戻してくれたのは、そんな弟の声だった。見知った天井を背に兄の寝ぼけ眼を覗き込む、弟の匠斗たくとと視線を交わし、萩野は布団から飛び起きる。


「…………やばい!」


 今日は土曜日。ラーメン屋のバイトが昼間から入っていたのだった。

 萩野は大慌てで支度をし、汗で髪型が崩れることを考慮しつつもわざわざワックスでセットして家を出た。

 バイト先はマウンテンバイクで走って五分ほどの位置にある。距離にして短いが、匠斗に起こされていなかったらと考えるとゾッとする。

 この店でバイトをはじめたのは一年の頃だった。ほかの飲食店より時給がいいからと応募したところ、あっさり雇ってもらえて今に至る。面接の時点で『きみ、顔がいいから接客に向いてるよ』と店長に諭され、ホール仕事に採用されたのだ。夜の終わりがけだとキッチンの補助に回ることもあるが、大抵は多忙極まりないホールについている。


 バイト先に到着して裏から店に入り、従業員への挨拶も忘れずに――タイムカードを押して更衣室に移動。店の制服に着替えて早速ホールへと回った。


(やっぱ土日は多いな……)


 まだ十二時前だというのに、客の足は絶えない。満席になるのもすぐだろう。

 萩野がホールに立ってすぐにまた、表の鈴が鳴った。


「いらっしゃいませー! え……」


 営業スマイルで振り返った先にいたのは、「え、萩野?」「やあ萩野、偶然だね」

 萩野と同じ表情で口をあんぐりさせる私服姿の望月もちづきわたると、軽快な笑みをこぼす朝霧あさぎりしゅう

 ――いや、偶然じゃない。わざとだろ朝霧。

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