第三話

影はいつでもすぐそこに

 木曜日の朝部活終了後、萩野はぎのは体育の件を伝えようと三城さんじょうかえでに声をかけた。

 陸上部員である彼女に話すだけなら昇降口でもよかったのだが、芽亜凛めありの言う『あの人』がどこに潜んでいるのか知れたものではない。そのため、萩野は一度教室に戻ったところで、「委員会のことで話があるんだ」と誤魔化しつつ三城を廊下に連れ出した。

 三城はタオルで首筋の汗を拭いながら「委員会のことって何?」と問う。その前に……。口にしながら、萩野は先日の三城の様子を思い出し、顔色を曇らせた。


「三城、もう平気か? こないだは元気なかっただろ」

「そりゃあね。友達が亡くなったら、悲しいよ」


 松葉まつば家全焼を知らされた日、三城は目元を赤く腫らしていた。そのときはどうして三城が泣いていたのかわからなかったが――

 聞いてから萩野は、自分がいかに無神経な質問をしたのか気づいた。周りから聞いて知ったのかニュースを見て知ったのか定かじゃないが、三城楓もほかのグループに負けず劣らない情報通。加えて、クラスや学年を越えた人脈の持ち主である。そんな彼女が他クラスの生徒の死を知らぬはずもなく……友達ならなおのこと、学校に来て早々泣いていたのだ。


「まあたまに話す程度だったけど、でも知り合いが亡くなるのはさ……」


 三城は言葉を切り、察してくれと言わんばかりに胸の前で腕を組んだ。みなまで言わなくとも通じることだ、萩野は小さく首を振る。感受性の高い三城楓ならたとえ仲が悪い相手だとしても、亡くなったら涙しそうだ。


百井ももいは……大丈夫かな)


 先ほど教室に戻っていくりんの姿を見たが、表情に活気はなく、いつもより顔に白みを帯びていた。そう思うのは凛と千里ちさとの関係を知っている人に限るだろうけれど、萩野の目には、感情を表に出さぬよう押し殺しているふうに映った。


 珍しい組み合わせが廊下で立ち話をしているからか、教室に入っていくクラスメートは必ずと言っていいほど一瞥する。お互い視線に気づきながらも、変な噂が立ったらどうしよう、などと考えないのは本命がいるからだろうか。三城には他クラスの生徒に手を振る余裕だってあるようだ。


「んで? ハギタクが聞きたいのは何?」


 誰が言い出したのか萩野さえ覚えていないあだ名を呼んで三城は肩をすくめる。

 長話をする気はないので、萩野は声のトーンを落として真の用件を告げた。


「今日の体育で、跳び箱に気をつけてほしいんだ」

「跳び箱?」

「七段の跳び箱にいたずらした奴がいるみたいで、事故に繋がる前に、使用しないようみんなに言っといてほしい」


 芽亜凛は三城に伝えるだけでいいと言っていた。撤去作業を命じなかったのは犯人と出くわす危険性を考慮してか。

 三城はふんふんと頷いて、「あー、うん、オッケー。でもさ」と続けた。


「今日、バレーだよ?」

「え?」


 予想外の追加情報に面食らって反射的に返してしまう。芽亜凛の話では女子が跳び箱運動で、男子も室内運動だったはずだが。

 三城は後ろの扉から教室に顔を出すと、ある男子の名前を呼んだ。


明樹はるきぃー、ちょっといい?」


 その名前は男子体育委員の新堂しんどう明樹。萩野とは席が隣同士で、同じく男子バスケ部――だがしかし幽霊部員である。部活動へ誘うたびにバタフライナイフを振り回されるため、先輩もお手上げ状態の、簡単に言うとE組の問題児だ。学力はクラスでもトップスリーに入るので、彼のお目付け役として隣に配置された萩野でもあまり構う機会はなかったりする。

 そんな新堂を下の名前で呼ぶ三城楓。新堂はアッシュゴールドの髪を掻きながら、後ろの扉から顔を出した。


「何?」

「今日の体育って、男子は何やんの?」


 片眉を吊り上げた新堂は萩野をちらりと見てから、


「……サッカー」

「男子は外ってことね? ありがと」


 新堂は訊かれた理由を探るでもなく答えだけ残してさっさと踵を返した。――あの新堂が素直に応じている。あの新堂が……。

 三城は振り向き、ふふんと笑った。


「ね? 今日ギリ曇りだし、男子はサッカーで女子はバレー。だから安心しなよ。てかイマドキ跳び箱って珍しくない? どこ情報よそれ」


 さすが学年カースト上位の三城楓と言うべきか、不良生徒とでも普通にコミュニケーションが取れている。萩野が尋ねても新堂はおそらく答えてくれないだろうに。呆れたように笑う三城に釣られて、萩野はそっかそっかと微笑んだ。

 曇りの日の体育は雨天時と違って、屋外と室内で男女別々に行われる、つまり通常の授業と同じ。


「ああ……バレーなら心配ないな」

「うん。それだけ? あたし勉強しなきゃやばいんだけど」


 三城は頷き、ランダム小テストに向けて急かした。ホームルーム前の小テストまでまだ時間がある。成績に響くわけじゃないのでほとんどの生徒が素で挑むし、萩野のように予習復習を毎日していれば直前で焦らずとも余裕だが、三城楓は意外と真面目な面があるらしい。


「悪いな、ありがとう」

 

 三城にお礼を言って別れた後、萩野は後ろのドアから入ろうとしてとすれ違った。教室からぴょこっと廊下に飛び出たその人物を、思わず横目で追ってしまう。

 いつも違和感なくE組に溶け込んでいるため忘れがちだが、彼はC組の生徒――

 朝から当然のようにわたるの席に座っていた神永かみなが響弥きょうやは、親友の帰りが遅いことに痺れを切らしたのか、きょろきょろと廊下を見渡して「あ。あれ渉か?」と目を細めた。ぱたぱたと駆けていくその先を萩野も覗き込む。


 A組方面から小走りで向かってくるのは渉だった。萩野と一瞬目が合うが、すぐに手前の響弥によって遮られる。

 遅いーっ! どこ行ってたの? という会話が聞こえる。どこでもいいだろ、と渉があしらっている。本当に仲がいいなあと羨ましく思いながら視線を外し、萩野は自分の席に着いた。


朝霧あさぎりと話できたのかな)


 萩野のするべきことは無事終わった。あとは渉が朝霧とどれだけ距離を詰められるかだが、自分にも何か手伝えないだろうかと、萩野は調子のいいことを考えてしまうのだった。

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