招かれざる客
「あなたは馬鹿ですか?」
翌日、部活終わりに芽亜凛の家へ足を運んだ萩野は、リビングに上がった途端罵声を食らった。正確には、萩野の後ろからひょっこりと現れた人物を見て、芽亜凛の放った第一声だった。インターホンの画面に映っていなかったのか、それとも芽亜凛自身見ていなかったのか。
出だしから怒りを買った理由がわからず、萩野の顔が引きつる。
「お、俺……協力者の話してなかったっけ」
「してませんし聞いてません」
仁王立ちする芽亜凛の鋭い目つきが、萩野の斜め後方を捉える。萩野は、すっかり萎縮している彼の袖を引っ張り一歩前に押し出した。
「――紹介する。望月渉だ! 信用できるし頼りにもなるいい奴!」
「はっ、はじめまして……望月です」
渉は上擦った声で会釈した。
昨日のうちに、萩野は渉に話を持ちかけていた。自分一人で動くより協力者がいたほうが助かる、詳細はまた明日話すよと。持ち越したのは、松葉家の件で渉も傷心しているだろうと気を遣ってのことだ。
話したのは今日の放課後、バスケ部の助っ人に渉を呼んで二人きりになった時。それと芽亜凛の家に来るまでの道のりで。周囲は窺ったし、跡をつけられた様子もない。誰にも聞かれていないはずだ。
細心の注意を払ったことも告げて、それでも萩野が「怒ってる?」と訊くと芽亜凛は「はい」と即答した。やはり無断で話したのが悪かったのか――そう思う萩野を芽亜凛は一刀両断する。
「私、誰にも言うなって言いましたよね」
芽亜凛は別段、渉を連れてきたことに怒っているのではない。萩野が約束を破ったことに怒っているのだ。それはそうだろう、二人だけの秘密とばかりに思っていたのだから。
しかし萩野は「えっ?」と反射的に返し、
「それは、先日のことだと思ってた」
「は?」
「きょ、今日のことは誰にも言わないでって橘が……」
「……」
芽亜凛は不意を突かれたように黙り込んだ。初日の話はしていなくても芽亜凛のことを話してしまえば約束を破ったも同然だが、萩野拓哉は悪意なき眼を張り付けている。
萩野は誤解が生じていたことを正直に謝った。
「悪かった! 相談もせずに決めちゃって、本当に悪いと思ってる」
「そうですね、よりによって最悪の人材を派遣してくれました」
ギロリと芽亜凛に睨まれた渉は、猫に会った鼠のように身をすくませる。最悪と言われた渉の目はどこか潤んでいて、そのまま萩野の後ろに隠れてしまった。
「萩野……、俺、帰るね」
「え? なっ、望月――」
「駄目です」
ぴしゃりと言った芽亜凛の言葉に、背を向けたまま渉は動きを止める。
「知られたからにはこちらの指示通りに動いてもらいます。萩野くんがなんて説明したのか存じませんが、そんな甘い気持ちでのこのことやって帰られても迷惑です。勘違いしないでくださいね。迷惑というのは私だけじゃなく、萩野くんにとっても大迷惑という意味です」
俺はそんなことないよ、と言いたかったが火に油を注ぎそうなため萩野は唇を閉じた。てっきり追い返すのかと思っていたので、芽亜凛の意外な対応には安堵した。迷惑ではないが、渉に帰ってほしくないという意見には萩野も大賛成なのだ。
「な、望月。橘もそう言ってくれてるし、大丈夫だよ」
「でも……邪魔なら帰るよ」
「そんなこと――」
「ええ、邪魔ですよ。私は望月さんを必要としていません。望月さん以外だったらまだマシだとも考えています」
喧嘩する気満々というか取り繕う気は毛頭ない芽亜凛の態度に、萩野は笑顔を保つのが精一杯だった。何とか場を収めたいが……と逡巡していると、ムッと顔をしかめた渉が萩野より前に出た。
「ごめん萩野。萩野のこと疑ってるわけじゃないけど、俺はこの子が頭のおかしい女に見えて仕方ない」
「え?」
「だって犯人からみんなを救おうとしてるって、それ本当は、自分が犯人と通じてるってことなんじゃねえの。だからこの先の行動もわかるし、時を越えてきたっていう嘘も通じる」
犯人が身近にいることや芽亜凛が時間遡行してきたことは、おおむね伝えたとおりだが、渉の言うことは寝耳に水だった。信じる信じないではなく、ただ彼女のためにできることならしてやりたいと思っていた萩野は、芽亜凛自身を疑ったことはなかった。自分が騙されていると考えたこともない。昨日までの自分なら、渉の考えを信用していただろう。
だが――すでにネコメ刑事が証明を済ませてしまった今、渉の推理は『今さら』である。
渉は胸の前で腕を組み、口をへの字に曲げる。そんな渉を芽亜凛は鬼のような形相で睨み付け、しばし沈黙が流れた後ため息をつき、「この手だけは使いたくありませんでした」と言って続けた。
「小学二年生の頃……凛の上履きが盗まれたとき、渉くんは凛がよく注意していた不良女子に『ブス』と言って泣かせました。上履きはすぐに見つかって、女の子を泣かせた渉くんは凛にこっ酷く怒られました」
「……あ?」
目をしばたたかせる渉を無視して芽亜凛はさらに続ける。
「小学五年生、凛から貰ったバレンタインチョコを面白半分に取り上げた男子と取っ組み合いの喧嘩になり、男子をボコボコにした渉くんは教師からも凛からも叱られました」
「ちょっ」
「小学六年生、修学旅行で行った京都にて、班員に置いていかれ迷子になった渉くんを他校の先生が見つけて声をかけますが、渉くんは不審者だと決めて疑わず、日暮れ保護された際傍らにいたその教師を見てものすごく後悔し……」
「待ってそれは俺しか知らないやつっ!」
ついに渉は顔を真っ赤にして狼狽した。
「そんなことあったんだ……」ぼそりと萩野が呟くと、渉は顔を覆って天を仰ぐ。穴があったら入ってしまいそうだ。
「恥ずかしがることないじゃないですか。望月さんにとって私の話は妄言なんでしょう?」
「ううっ……まさか俺が言ったってのか……嘘だろ……」
「思い出話をしてくれたのは渉くんであってあなたではありませんよ」
過去に渉から聞いた話ということだろう。そのときは今よりずっと仲がよく、『渉くん』と呼んでいたのかなと萩野は思った。
渉はどっと息を吐き、ぺこりと頭を下げた。
「頭がおかしいってのは撤回するよ、……ごめん。でもオカルトは」
「信じられないのが普通です。なかでも望月さんは、そうだと決めつけてかかるド刑事タイプなので、だから邪魔だと言いました。ごめんなさい」
「ド刑事タイプって……」
渉は苦々しげに頬を掻く。一時はどうなることかと思ったが、素直に謝り合える二人を萩野は誇らしいと感じた。
「考えないでください。余計な詮索もしないでください。萩野くんもです」
「ああ、しない。しないよ」
な? と言って首を傾けると、渉もおずおずと頷いた。
渉は霊やオカルトを信じない現実主義者だが、その分目の前の事態や物事を受け入れるのが早い。よほどのことがない限り臨機応変に対応できるだろう。
剣呑な空気が晴れたところで萩野は報告を切り出す。
「――橘の言ったとおり今日は何もなかったよ。元々生物学だった体育は明日だよな。俺は跳び箱の注意をすればいいのか?」
「はい。三城楓に伝えていただければ大丈夫かと思います」
「……俺は何すればいい?」
ぶっきらぼうに尋ねる渉はとっくに腹を括ったらしく構えている。
「望月さんはA組の朝霧修と仲良くなってください」
「朝霧修……?」
渉が名前を言うと同時に、萩野も心のなかで呟いていた。どうして朝霧なんだろう。
「A組の学級委員です。二年生の生徒会執行部でもあります」
渉は顎に指を当てて「……顔見ればわかるかも」と自信なさげに言った。
「彼は百井凛に告白しようとしていますが」
「ええっ!?」
今度こそ声を揃える萩野と渉。話は最後まで聞けと言わんばかりに芽亜凛は腕を組む。
「……が、望月さんが先に接触してしまえばそのようなことにはならないはずです。自分のためにも、うんと仲良くなってください」
「俺のためは余計だけど……、頑張るよ」
「あっ、そうか――百井と親しい望月が接触すれば、告白もしづらくなるってことか」
それに何の意味があるのかピンとこなかったが、萩野は思ったことを口にした。
ほかに理由を付けるなら――次に狙われるのが朝霧ということ……?
「いえそういうわけではなく」
萩野の思考も虚しく、芽亜凛は否定した。
「ただ望月さんにできる仕事がそれくらいなので縛り付けておきたいだけです」
「本当にそんなのでいいの?」
「はい。もし遊びに誘われるようなことがあれば二人きりで行ってきてください。くれぐれもお気をつけて」
萩野と渉は、同時に息を吸い込んだ。
「まさか、やっぱり……」
「あ、朝霧って奴が殺されるのか? 俺は用心棒ってこと?」
「全然違います」
「じゃあなんで……」
考えるなと言われたが、知人が関わるとなると理由を知りたくなってしまう。それは渉も同じらしく、瞳を輝かせている。
芽亜凛はため息混じりに言った。
「望月さんは朝霧修の担当です。望月さんが接触すれば、彼が殺されることはおそらくないでしょうし、行動の制限もできる。そういう意味での縛りです」
「……わかった」
渉は不服そうな顔のまま了承する。そういうことなら仕様がないか――と、萩野はやはり朝霧を救うという解釈で呑み込んだ。
それから、三人の親交を深めるべく萩野が持ちかけた食事会は呆気なく却下され、早々に帰宅を命じられた。芽亜凛にとっては深める親交などないのだろうし、顔見知りと外で目立つことは避けたいとも言われた。
かくして望月渉を加えた六月五日の報告会は終了した。渉と話す機会が増える。学校にいる間は二人きりの秘密にできる。萩野の胸は高鳴っていた。
芽亜凛の言った『お気をつけて』の意味は、最後までわからなかったけれど。
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