第二話

訪問者、経験者

 芽亜凛めありが目を疑ったのは、誰とも知らない人物が立っていたからではない。の、色素の薄い髪色が、一瞬と重なったからだった。顔も背格好も別人であるのに、心拍数は面白いほど上がってしまった。


「……はい」


 芽亜凛がインターホン越しに出ると、モニターに映るその人は『警察でーす』とにこやかに――警察手帳を持った手を左右に振った。モニターで見る警察手帳は文字などがブレていて本物かどうか区別がつかないが、証明写真は現在と同じ髪色のように見える。

 芽亜凛と萩野はぎのは顔を見合わせた。こんな派手な警察がいてたまるかという気持ちはある。がしかし、警察手帳まで見せられては表に出るしかない。


「隣にいてください」


 芽亜凛は萩野の袖を掴み、懇願した。

 ポールハンガーから上着を取って羽織り、玄関扉の施錠を外して開ける。


「どうも、こんばんは。警視庁捜査一課のカテオと申します」


 玄関先に現れた男は再び、警察手帳を掲げた。直接目にする白金の髪は染色された影もなく、天然の輝きを放っている。血色がよく健康的な肌は髪色よりも白く、女性的故の幼い顔立ちをニコニコ笑顔で覆っていた。背丈は萩野と同じくらいだが、厚着にしては線が細い。


「何のご用ですか」


 警察の、それも捜査一課の刑事の世話になる覚えは、今回だってないのだが。

 芽亜凛が訝しげに尋ねると、刑事は細めていても十分大きな黒目の面積を広げた。口元は微笑を浮かべたまま。


藤ヶ咲ふじがさき北高校、二年E組担任の石橋いしばし先生から頼まれましてね。たちばな芽亜凛さん、あなたは


 皮膚の水分がすべて吹き飛ぶような感覚がした。

 刑事の言った一息の言葉に、芽亜凛の顔が凍りつく。


「その表情かお……やっぱりきみは、だね」


 鎌をかけられたことに気づき、芽亜凛はハッと息を呑んだ。

 ――この刑事、何者……?

 今まで会ってきたどの警察よりも鋭さとそして、歪さを感じる。霊感のある者が霊視を日常風景としているように、この刑事にもまた、凡人には見えない何かが見えている、そんな気がした。

 芽亜凛は観念して表情を緩める。視覚に続いて聴覚まで疑うことになるとは思わなかったが、これ以上疑う余地はない。芽亜凛自身、この刑事とはゆっくり話す必要がある。


「立ち話もなんですから、どうぞなかへ」

「どうも、失礼します」


 笑みを崩さぬ刑事は、軽い会釈をして家へと上がる。人の好さそうな穏やかな雰囲気は、警察よりも夢の国の使者のほうが似合うだろう。

 背後で萩野が会釈を返すなか、芽亜凛はリビングでお茶の用意をはじめた。刑事は出されたものに手を付けないというが、本当だろうか。とは言え客人をもてなすのは社交辞令である。


「萩野くん、寝室に座布団があるので、持ってきてくれますか」


 芽亜凛は、カーペットの上に正座した刑事を見て萩野に告げる。スマホ画面を頻りに確認していた萩野は、ビクリと反応して頷いた。男子を自分の寝室に入れるのは本来なら憚られる行為だが、萩野拓哉たくやに対して遠慮する気持ちは芽亜凛にはない。

 寝室に向かった萩野は座布団を手にしてすぐに戻ってきた。刑事に「これ、どうぞ使ってください」と言う萩野の声が聞こえてくる。


「ありがとう。バイトですか?」

「えっ」


 座布団を渡して反対側に着いた萩野に、刑事が言った。


「部活とバイトの両立にクラス委員の役目まで果たして、学生は多忙ですねぇ」

「な、なんで俺が委員長だってわかるんですか?」

「欠席した転校生の家に招かれるくらいですから、ただの近所というだけでなくクラス委員か、指名された生徒だろうと思いました。先ほどから気にしているのはバイト先でしょう」


 萩野がぎこちなく首肯すると、刑事は手のひらを突き出して、「手の大きさ、比べましょう?」と誘った。その色白い左の手のひらに、萩野は右手を重ね合わせる。


「わあ、大きい! 俺より第一関節分差がありますよ。この長所を活かすなら、ハンドボールやバスケなんかが合いそうですね。でも藤北にハンドボール部はないので、宝の持ち腐れになってしまいますかね……?」

「あはは……ありがとうございます。大丈夫ですよ、バスケ部なんで」


 萩野が苦笑して言うと、刑事はその返しを待っていたかのように、「だからリビングに向かう際右足を軸にターンしていたんですね」と言って笑った。


「この辺りだとバイト先は飲食店ですかねぇ。ほら、近場にある和食店だったか中華店だったかで、学生のバイトをよく見かけるんですよ」

「ああ、ラーメン店でバイトしてますけど……」

「あ、やはりそうでしたかぁ。いいですよねぇラーメンって、味わい深くて」

「あはははははは……」

「ふふふふふふふ」


 刑事はただの多弁ではない。曖昧に選択肢を挙げておきながら相手に答えさせ、その上刑事らしく証拠を用意している。相手が自然と口を割るよう、話術で誘導しているのだ。

 芽亜凛は、萩野の目線が自分に助けを求め出したところで、人数分のお茶をお盆に乗せてテーブルに運んだ。


「萩野くん、バイトあるんですか?」

「ん、ああ、一応」

「休んでください」


 芽亜凛が隣に着いて早々、萩野の口から「え」と低い声が漏れる。


「ここにいてほしいです」


 女子らしい仕草や媚びは萩野には通用しないとわかっているため、芽亜凛は真摯に頭を下げる。そうでなくても、萩野には本心で向き合いたかった。

 正直、この刑事と二人きりになることに不安とプレッシャーを感じている。今まで自分と接触してきた刑事たちとはわけが違う。だから萩野には、ここにいてほしい――


「……わかった。バイト先に連絡してくる」

「本当ですか?」

「ああ、休むことは無理だけど、時間を伸ばすことは頼めると思うから」


「ありがとうございます」と言う芽亜凛と、席を立つ萩野のやり取りを、白金髪の刑事はニコニコ微笑みながら見ている。萩野拓哉は芽亜凛にとっての安全地帯。初対面の人との間に挟まれとは言わない、ただ同じ場所にいてくれるだけでいいのだ。

 萩野がバイト先に電話している間、芽亜凛は刑事に向き直る。


「あの、カネコメさんは……石橋先生とはどういうご関係で?」

「石橋信弘のぶひろ先生は私の恩師です」

「恩師……」


 もしかすると、この刑事は藤北の卒業生――

 は、百井ももいりん望月もちづきわたるが、図書室で呪い人についてを探っていた。さらに、に、芽亜凛は凛と二人で呪い人と藤北の歴史を調査したことがある。

 ――あのとき見た卒業生の名簿に、彼の名前もあったのだろうか。


「すみません、お待たせしました」


 バイト先との連絡を終えて、萩野は芽亜凛の隣に腰を下ろす。彼が心配するほどこちらは待たされてなどいない。


「いえいえ、お気になさらず。これから大事な話をするところです――」


 刑事は少しの険しさも見せずに、警察手帳から白い長方形の紙を取り出すと、テーブルの上に置いた。差し出されたのは二枚の名刺だった。


「私の名前はカネコメではなく、カネコです。金古かねこ流星メテオ


 よく間違えられるんですよ。

 へらへらと笑う刑事に、「ご、ごめんなさい!」と芽亜凛は反射的に謝った。

 名刺には『警視庁刑事第一課強行犯係 金古流星』とある。ふりがなの表記はないが、流星と書いてメテオと読むらしい。


「こんな見た目ですが、和名じゃないですよ。純日本人です。私のことは、ネコメ刑事って覚えてくださいね。金古のネコと、流星メテオのメで、ネコメです。上司から付けられた、本人公認のあだ名なんですよぉ。気に入ってるのでぜひお呼びくださいね」


 ネコメは自分の頭を指差しながら、慣れた様子でまくし立てる。名前も見た目も普段から間違われる、疑われる、嘘みたいな本物の刑事。笑うことが当たり前になっているこの刑事が、生まれたときから今に至るまでどんな扱いを受けてきたのか――

 ネコメの名刺を萩野は胸ポケットにしまい、芽亜凛は机上の端に寄せた。

 本題に入ろう。


「死んだことがあるって、どうしてわかったんですか。私は石橋先生にも話してません」

「救ってくれと頼まれたんですよ。お前と同じかもしれない、とね」


 芽亜凛は瞳を瞬かせる。


「ネコメ、さんは……死んだことが、あるんですか」

「ええ、ありますよ。何度も」


 さらりと、ネコメは肯定した。

 ネコメを直視するふたつの目が、小刻みに震えているのが自分でもわかる。瞳の奥が、じんわりと熱くなる。

 この刑事は、見えているのではなく、見てきた人間なのだ。

 ――自分と、同じ。


「どうやら私と芽亜凛さんがお会いするのは、これがはじめてのようですね。間に合ってよかった」


 それは――自殺する前に会えてよかったという意味か。芽亜凛は、萩野の指の跡が付いた手首を人知れず握った。


「以前……私に伝言を残してくれた、刑事さんがいます。私はその人に会うことはできなかったけれど、今わかりました。――ネコメさんが、してくれたんだと思います」


 今こうして芽亜凛に会いに来たように、ネコメは以前にも行動を起こしている。――私に会うために動き、接触し、助言をくれている。ようやく巡り会えたんだ。ようやく。

 ネコメは「だと嬉しいですね」と肩をすくめて笑う。


「さて、芽亜凛さん。あなたは闘うのをやめたのではありませんね。自らの自由を代償に情報を整理し、運命を変えようとしている……そうですね?」


 言葉の半ばで萩野を視線で捉え、ネコメは見え透いたことを口にする。表舞台を降りた芽亜凛の代役を任されたのが萩野だと、ネコメは確信しているようだ。


「……諦めようとしたことならあります。それこそ、ネコメさんの伝言を貰わなければ、私は自殺する勇気も持てず、失った友人たちを思いながら、のうのうと生き長らえていたでしょう」


 死ぬのは怖い――死にたくない。

 どうせみな死ぬのなら、せめて最後は幸せにしてあげようと、エゴで動いた。結果大切な友人たちは結ばれて、後日片割れが失踪した。それが自分の招いた悲劇だとしても、これで最後にしよう。私はもう死にたくない、そう思っていた。

 けれど、ネコメからの伝言で、まだ自分にはやるべきことがあると気づかされたのだ。

 言葉には魂が宿る。奇跡は起こせる。誰かの記憶に残せる。だから、死を選んだ――


「あなたの勇気は偉大です。ですが、自殺する勇気なんて言い方は好ましくありませんね」

「はい……そう、ですね」


 そのとおりだと思う。そんな勇気は、持てないほうが幸せなはずだ。

 ネコメはふふふっと軽やかに笑い、細くしなやかな指を組んだ。


「いいじゃありませんか、安楽椅子探偵。角度を変えて見ることもまた、新ルートを生み出すきっかけとなります。話してください、芽亜凛さん。あなたのはじまりの話を」


(はじまりの、話)


 芽亜凛がまだ、死を知らなかった頃の話。梅雨の檻に閉じ込められる前の話。


「……はじまりはいつも、雨でした」


 芽亜凛はぽつぽつと、言葉を紡ぎ出す。

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