灰燼に帰す

「あんた本当しつけえな……」


 翌日、バスケ部の朝練から教室に戻る途中で、萩野は見知った先輩に絡まれている望月渉に遭遇した。


「とか何とか言うて、今日も来てくれるじゃろ?」

「だーかーら、今日はカラオケだって言ってんでしょうが! てかあんた朝部活は?」

「見てのとおり、ワタ公を誘いに来とる」

「補欠誘うためにサボってたら意味ないだろ!」


 昇降口の前で金髪の先輩に肩を組まれながら、対等に言い放つ渉。

 渉は部活動に入っていない帰宅部だ。鞄を肩に掛けているから登校してきたばかりと見受けられる。


「今日もワタ公の突っ込みはキレッキレじゃのう」

「たいぎいですよ先輩」

「お、方言覚えよって生意気じゃ生意気じゃあ!」


 見た目も台詞もチンピラのそれだが、金髪の先輩は嬉しそうに頬擦りしている。渉の唸り声は萩野のいる位置まで聞こえている。何を見せられているのだろう……と萩野の眉が平坦になったところで、先輩は渉から離れた。


「じゃ、今日は勘弁しちゃろう。また来るけえのお」

「来なくていいです」


 萩野は振り返った先輩に挨拶をしようと口を開いたが、目にも留まらぬ速さで廊下を突っ走っていく背中に、「お」の口で停止する。


(ま、まあいいか……)


 相手も気づいていなかったようだし、と前を向くと、「萩野?」――目の前にいた渉の顔に、萩野の心臓が大きく跳ねる。


「お、おお……望月、おはよう」

「うん、おはよう。ん? 部活行くところ?」

「あー、それが――」


 萩野は今朝の、つい先ほどの出来事を口にする。


「体育館に行ったら顧問がいてさ、二年生は今日の部活に出なくていい、すぐに教室に戻れって言われたんだ」

「へえー、理由は?」


 萩野は「わからない」と左右に首を振った。登校したらいつも直接体育館に向かっているため、教室の様子もまだ見ていない。ほかの部も同じように言われているのだろうか。バスケ部二年だけが追い返されたとは思いたくない。


「そっか……じゃあ、教室で説明あるかもだし、行くか」

「ああ、ちょっと待って」


 来たときも確認したけれど――萩野は二年C組のシューズロッカーを覗き見る。ちょうど脇に松葉千里――ではなく、別の生徒がいて驚いた顔をされる。


(教室を見たほうが早いか……)


 ついちらちらと二年C組に意識が向いてしまうが、藤北のシューズロッカーは番号制であり、生徒のネームプレートがない。萩野は千里の出席番号を知らないので、ロッカーを見たところで確認のしようがないのだ。

 渉の元へ戻ると、「誰か待ってる?」と不思議そうな顔で尋ねられる。


「あれだったら俺先行くけど……」

「いやいや、大丈夫だ。行こうか」

「うん……」


 弱い返事をした渉に、余計な疑念を抱かせてしまったかと、萩野は少し後悔する。渉には誤解されたくない。渉にだけは。

 萩野と渉は隣に並んで廊下を進みはじめる。萩野は小さく口を開いて、閉じた。


 こういうとき、どんな話をすればいいんだっけ――望月と普段どんな話をしていたっけ、どんなふうに話をしていたっけ。あれ? 望月ってこんなに口数少なかったっけ、こんなに小幅で歩いてたっけ。望月って左で鞄持ってたっけ、だから距離を感じるのか――渉の左を歩く萩野は右肩に掛けていた鞄を左に移す。これで少しは近くになれたかな、と高速で思考を巡らせて階段を上る。

 二年E組の教室は、二階に上って左側の廊下を三クラス分進んだ先にある。このままのペースだと一分前後で着いてしまう。――それまでに何か会話を。


 萩野は渉を横目で見た。ふわりと長い睫毛が一度開閉する。肌の綺麗な横顔から、きゅっと結んだ唇へ視線が下りる。小さくて薄くて柔らかそうで、


(っ……)


 萩野は反射的に目を逸らした。

 ――俺、今、何を考えた?

 二階に到達して廊下を曲がる。B組の教室を横切る。

 嫌だ、このまま何も話さずに、教室に着いてしまうなんて、嫌だ。

 萩野拓哉は考える。部活のこと、先輩のこと、シューズロッカーのこと。勉強、運動、委員会。朝食は取ったか、何を食べたか、望月の好きなものは、それは自分も好きか。それから、それから、それから――昨日は何して過ごしたか、俺はね、俺は……それは……、望月には――

「えっ?」渉が言った。「え?」と萩野が口にする。隣を見ると渉はおらず、少し後ろで足を止めていた。


「いや今……なんでも話せたらいいのになって……」

「……言ったの? 俺が?」

「うん」


 頷く渉に、萩野は目を丸くする。

 望月には――なんでも話せたらいいのにな。

 無意識のうちに口からこぼれ出たそんな言葉に、萩野の首から上が熱くなる。


「あ、わ、えと……悪い! 考え事してた!」

「萩野でもぼーっとすることあるんだ」


 渉は吹き出し笑いをしてまた歩きはじめる。それだけで、萩野の胸にかかった靄が晴れていく。渉が笑ってくれたことが嬉しくて、「俺にだって悩みはあるよ」と調子づいて言ってみる。


「悩みって?」


 渉が隣に並んだところで萩野も足を進める。


「悩みは、悩みだよ。誰にも相談できんくらいのやつ」

「え……それ、一人で抱えてんの?」

「まあ一人っていうか、ほかに相談できる相手がいないっていうか……。ははは、望月に相談できたらいいんだけどさ」


 軽く笑い飛ばして言うと、渉は「相談しろよ」と――その力強い声に、萩野の歩みと表情が固まる。


「俺に言いたいなら、言ってくれ。それで萩野の悩みが解決するなら嬉しいし、まだ解決するかわかんねえけど……でも、話すだけで気が楽になると思う。なんか萩野、言いたくても言えないって顔してるし、言いたいことあるなら言ってほしい。俺にできることなら協力するし、むしろ協力したいっつーか……って――あっ……ごめん、俺あの、一人でっ……ごめん! 言いにくいこともあるよな、悪い、今のは忘れてくれ、マジで、ごめん……」

「……………………あ。ははははは」


 萩野の口から漏れたのは、喉がひりつくような乾いた笑いだった。それは渉にではなく、自分自身に対する苦笑い。何を話そうか迷っていた自分に、渉は最高の答えをくれた。何を迷っていたのやら、と萩野は嬉しい落胆をする。


(やっぱ、俺、望月のこと――)


 


「わかった! 俺、望月に相談する! 教室戻ってからでいい?」


 渉は瞬きを三回した後、コクコクと首を振る。

「よし、じゃあ急ぐか!」萩野は鞄を掛け直し、先ほどよりも速いペースで進んでいく。後をつける渉も自然と早足になる。

 目的の、二年C組の真ん前にいたはずなのに、萩野拓哉は気づかない。




 E組の教室を横切ると、部活終わりのような賑わいが廊下にまで聞こえてきた。教室内にはまだ登校してきていない者もいるが、ほとんどの生徒が自分の席や友人の席で談笑に励んでいる。

 萩野と渉の席は後方なので、後ろのドアからなかへと入る。


「あれうちの生徒だよねー、うわーマジかー」

「学年集会決定だね」


 ざわつく室内でも、瀬川と世戸せと、女子陸上コンビの声が一際目立ってすり抜ける。萩野と渉は顔を見合わせて、「あれって何のことだ?」「さあ……?」と肩をすくめた。


「ねえねえ瀬川ちゃん、あれってなになにぃ?」


 世戸と瀬川の元へ天真爛漫に跳ねていく桜井さくらいを視界に捉えながら、萩野は席に着いた。渉も鞄を片付けながら意識を傾けている。

 瀬川は「しっしっ」と桜井を冷たくあしらう。


「そっちのボスに聞けっつーの」

「楓知らないって言うんだもん」

遥香はるか、余計なこと言わない」


 黒板前の席から諌めるように言ったのは椎葉しいばみのり。「あーい」と脳天気な返事をして、桜井遥香は椎葉の隣に戻っていく。世戸グループと三城グループの仲は相変わらずのようだ。

 そして、ボスこと三城グループのリーダー三城楓は、黒板をまっすぐ見て腕組みしている。


(あ、そうだ、三城!)


 萩野は昨日の伝言を伝えるべく、人や物で溢れかえった通路を抜けて黒板前に向かう。火曜日の今日は一限目から体育があるのだ。


「三城ちょっといいか、あのさ――」


(えっ……)


 回り込んで見た三城の目元には、泣き腫らした痕があった。ぷいっと顔を背ける三城に、萩野は何も言えなくなる。――三城まで、何があったんだ?


「萩野くん」


 椎葉が後ろから肩を叩き、萩野の袖を引っ張った。萩野は三城のほうを一瞥してから、椎葉に連れられて廊下に出る。


「話があるなら私が伝えておくよ。今ちょっと、あれだから」

「……あー」


 萩野は思考を巡らせた。このまま椎葉に伝えていいものなのか。彼女が三城に伝えてくれるとは限らないし、むしろ伝えづらい目に遭わせてしまうかもしれない。

 逡巡の末、ある考えが頭を過る。


「椎葉って体育委員だよな?」

「うん、ほとんど仕事してないけど」

「きょ、今日の体育で、気をつけてほしいことが――」

「待って」


 椎葉は片手を低く挙げて萩野の言葉を制する。


「今日、中止」

「え?」

「今日の一限は、丸潰れだって。合同もC組とだし、無理だと思う」


 萩野は目をぱちぱちする。椎葉も三城と同じ体育委員だったことに気づいて、それなら彼女に告げればいいのではと名案したのだが。

 いったい、C組がどうしたというのだろう。何か悪さをした生徒がいるのだろうか。それで二年生の部員がみな教室に戻っていたり、学年集会が開かれるという噂が立っていたりするのか。

 ここで萩野は思い出した。C組の教室を見てくるのを忘れていたと。


「萩野くん!」


 振り向くと、廊下を駆けてきたのは凛だった。委員長同士の会話に気を遣ってか、椎葉は教室に戻っていく。


「おお百井、おはよう」

「おはよ! 全員揃ったクラスから順に、視聴覚室に移動だって」


 そう早口で言っているそばから、D組の生徒が続々と出てきた。廊下の一番向こうにはA組がもう並んで歩いている。


「やっば、私たちも急ご!」

「も、百井! 百井はその、学年集会の理由知ってるの?」

「ううん、知らない。でもなんか、ニュースでやってたとか……? そんな話聞いたから、たぶん、いい話じゃないね……」


 とにかく急ご、と凛は言って、教室に入るや整列を呼びかける。

 まさか、


(まさか、違うよな。松葉じゃないよな……誘拐は防げたんだし、絶対違うことだよな)


    * * *


 視聴覚室に二年生全体が揃い、緊急の学年集会がはじまったのは、ちょうど朝部活終了のチャイムが鳴ってからだった。

 一時間たっぷりの集会が終わった後、C組だけは残るように言われて、萩野たちE組は教室へと戻っていった。ただ、百井凛だけはその場から動けず、教師に付き添われて保健室に向かったようだ。

 ――授業の内容は、ほぼ頭に入ってこなかった。


 昼休みになり、萩野は登録したばかりの連絡先をタップした。ワンコールで通話先――橘芽亜凛と繋がる。


「たち――クロネコ」

『はい、どうかしましたか』

「……落ち着いて、聞いてほしい」


 萩野は誰にも聞こえぬよう声を潜めて、学年集会で明かされた真実を口にした。


「松葉家が、全焼した……」

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