望月渉はどこ

 インターホンが鳴った。茉結華は唾液で喉を湿らすと、お面を付けた顔を上げて玄関へと向かった。解錠して、引き戸を開ける。


「いらっしゃいりんちゃん」


 ――待ってたよ、七年ぶりだね。

 訪問者――百井ももい凛は、藤ヶ咲北高校の体操服に、小さなショルダーバッグを斜めに掛けていた。身体の中心に食い込んだストラップが、その豊満な胸部を目の毒にしている。髪型は、松葉まつば千里ちさとのお別れ会で見かけたサイドテールとは異なり、普段どおりのハーフアップ。バッグの口からはペットボトルの頭が飛び出ていて、容量を考えても必要最低限のものしか入れていないように見えた。


(武器はなしか……。隠し持ってる可能性はあるけど)


 一度家に帰り、着替えを済ませて来たのは明白で、見た感じ怪しい点はない。だが上下とも体操着なのはいったいどういったチョイスなのだろう。てっきり私服で会えると思っていたのに。……対峙するのが恥ずかしくてお面を装備したはいいが、それとは別に、これは付けていて大正解だったと茉結華は思った。じゃないと胸部にばかり行く目線がバレバレである。


「……響弥くん、そのお面って……私?」

「そうだよぉ、似てるでしょぉ」


 戯けて左右に揺れる茉結華を、凛はまっすぐな目で射抜く。軽薄な態度とは裏腹に、茉結華は緊張で乾いた唇をぺろりと舐めた。

 ――響弥くん、か……。

 呆気のない凛の反応に胸の中心がツキツキする。彼女には茉結華の白い髪が見えていないのか? 雰囲気の違いに気づいていないのか? 否定する余地はあれど、最早蛇足に思えた。


「お家の人はいないの?」

「うん、私だけ」


 廊下の奥に目を向けた凛は「ふぅん」と薄い相槌を打ち「上がっていいんだよね?」と確認を請う。茉結華はついと片手を横に流し、どうぞとジェスチャーをした。――この家の者はずっと前から茉結華ひとりだ。嘘を言ったつもりはない。

 凛は、『茉結華』であることを隠そうとしない茉結華に、目立った反応を見せなかった。


 互いに少しだけ距離を取りながら、静かな廊下を進んだ。仮にも凛にとっては『幼馴染の親友』なのに、会話がない。メールを貰ったときからわかりきっていたことだが、好意的に訪ねてきたわけではないらしい。

 茉結華はリビングに着くや、社交辞令で訊く。


「お茶でいい?」


 凛は「ううん、いい」と首を振った。水を持参してきたからって遠慮しているのか――別に毒の氷なんて入れたりしないのに。凛はそんな茉結華の考えを即時否定する。


「お茶しに来たわけじゃないんだ。響弥くん、渉くんはどこ?」


 右手を拳銃で弾かれた今朝見た夢が頭をよぎった。でも今のは右手ではなく、脳天を直接ぶち抜かれたような気分だ。


「メールでも言ったでしょ、凛ちゃんが何を言ってるのかわからないって」


 昨夜凛から届いたメールに、茉結華はこのような返信をした。

『ごめん。凛ちゃんが何言ってるのかわかんない。けど、家に来るのはいいよ。十三時でどう?』

 リビングの時計は十三時過ぎを示している。まったく約束通りの時間に訪ねてきた彼女には、敬服せざるを得ない。また破られたら――殺してやろうかと思っていたよ。


 さてあのメールだが、問題は、どうして渉の居場所がバレたかである。

 凛は渉の失踪と千里の死で精神的に追い詰められていたはず。なのに、突然奮起したこの行動力。凛単独の推理や判断というよりは、誰かの告げ口によって動いていると思える。

 いったい誰が、情報を漏らしたのか。井畑芳則を含めて茉結華側に裏切り者がいるとは思えない。仮にそうだったとしても、百井凛に伝える意味も理由もないからだ。

 ならば――考えられる可能性はひとつしかない。


 肩をすくめてみせる茉結華に、凛は「そっか、じゃあ仕方ないね」と言い、ポケットからスマホを取り出した。ロック画面のセキュリティで『〇六一七』――渉がいなくなった日――を設定しているのを茉結華は知っている。


「これ、昨日届いたの」


 凛は腕を突き出して、茉結華に画面を見せた。お面越しに茉結華は目を凝らす。映っているのは、響弥と凛のトーク画面で――


『わたるです。今まゆかのケータイからメールしてる。まゆかの家に監禁されてる。警察に連絡してたすけてほしい。このメッセージは削除する。返信するな。俺はまだ生きている』


 メッセージの下には、凛と『響弥』のやり取り――茉結華の端末にも表示されている部分だ――がはじまっている。、渉が凛にメールを送っていたのだ。

 文面を見て、思わず声を上げて笑いそうになった。緩み続ける頬をお面に守られながら茉結華は思う。渉くんって本っ当に馬鹿だ!


「たぶん、これを送った渉くんは、自分で通報できない状況にあったんだと思う。犯人が近くにいたのか――気づかれたら殺される。そんな思いで、私に送ったんじゃないかな」


 凛は冷静に淡々と言ってみせてスマホをポケットにしまった。その言い草は、自分が渉に頼られるのは当然だと言うふうだ。――知らないくせに、憶測で私と渉くんのことを語るな。


「だから響弥くんも誤魔化さなくていいよ。私は渉くんを助けに来た。犯人が誰とか関係ない」


 関係ない――――?

 茉結華は唇の端が引きつったのを自覚した。

 ――何それ。まるで、『まゆか』には興味がないみたいじゃん。


 茉結華だけじゃない。凛は『響弥』にも興味がないのだ。髪が白くなっていようと口調が変わっていようと、どうでもいい。響弥自身が犯人でも、共犯でも、凛にとってはどうでもいいことなのだ。

 彼女の目的は渉を助け出すこと。凛は最初から、誰のことも疑ってなどいなかった。茉結華はそっとお面を外し、笑う。自分だけが警戒していて馬鹿みたいだ。


「……渉くんは、自分で通報しなかったんでしょ? あー、あれだね。きっと、私が倒れてたから気を遣ってくれたんだ。アハハ、優しいよねぇ」


 茉結華はお面を持った左手をひらひらと動かし、するりと落とした。同時にハーフパンツのポケットに突っ込んだ右手を勢いよく抜く。


「だから渉くんは、愚かなんだよ――!」


 茉結華は大きく踏み込み、手にした折り畳みナイフで凛に斬りかかった。

 凛は半身を引いて右に、左に、斬撃をかわすと、手刀を振り上げて茉結華の手首に叩きつける。一撃は茉結華が手を引っ込めるより速く、さらに二撃目。

「くっ」と茉結華は声を漏らし、折り畳みナイフはカランと音を立てて床へと落ちる。

 肘を脇で押さえ込み、ぐるんと背後に回った凛は、茉結華をテーブルに突っ伏した。五秒あまりのことだった。


「あはっあはっははっはは! 痛い痛い! 凛ちゃん、ははっ! 手加減してよ」


 のしかかる重みはほとんどないのに、肘と手首の関節技を極められて茉結華は完全に動けなくなる。


望月もちづき渉はどこ」

「くふっ、答えさせてみる?」


 背中に当たる膨よかな感触に感動している暇もなく、さらにきつく手首をひねられる。


「ああっ痛いって!」

「折るよ」

「へ?」


 凛のもう一方の手が、茉結華の指に絡んだ。


「親指から一本ずつ、右も左も。計二十本。もう一度訊く、望月渉はどこ。三秒以内に答えて」


 茉結華は耳を疑った。指一本につき三秒? すべて折るのに一分しか掛からないではないか。

 それにこの、普段とは違う口調は――何? 声色は変わらない。だが、ただならぬ雰囲気を醸し出している。今の凛なら『銃刀法違反の容疑で現行犯逮捕する』と言っても何の違和感もない。

 警察のように、手加減がない、容赦がない――そんな雰囲気だ。


「一……」

「ま、待ってよ凛ちゃん」


 凛は、茉結華の親指を握って固定する。


「二……」


 ミシリと関節が軋む。


「三――」

「ううぅ! 言う! 言うから! 言うからあぁ!」

「どこ」


 凛は親指を握った手を緩めない。下手を言うとすぐさま反対側に折られるだろう。くの字に曲がった自分の指を想像して茉結華は喉を鳴らした。


「お、押入れ……押入れの、なか……」

「立って。そこまで案内して」


 自分より遥かに小柄な少女に引っ張り起こされて、茉結華は後ろ手に回されたまま防音室を目指した。

 優位は凛の側にある。なのに茉結華は、緩む頬を抑えられない。

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