今度は逆になるかもね
「そのあとは休憩を挟んで、響弥と凛ちゃんは署で待機。呼び出された教師と親に説明して帰宅。響弥は警察の人に送ってもらったみたい」
手当――ではなく、お医者さんごっこを手際よく続けながら、茉結華は話を進めていた。響弥と凛が死体を発見し、警察署に行ったこと。取り調べを受けたこと――
うつむく渉の目元には影が落ちている。その右手はすっかり萎えて床に崩れていた。指先まで麻酔に支配されているからだろう。けれど、茉結華の胸ぐらが放されたのは『ちーちゃんの遺体』を口にしたときだ。精神面で力が抜けたと解釈したほうが合ってるかもしれない。
「お姉さんも来てたよ。百井
凛に歳の離れた姉がいることは、渉や本人から聞いていた。渉も小さい頃からお世話になっているのだとか、職業は弁護士なのだとか。いつか茉結華も、直接会ってみたいと思っていたところだ。
迎えに来た百井百合はリクルートスーツを着ていた。仕事を放棄して妹の元に駆けつけたのだろう。抱き寄せて凛の頭を撫でる姿は、戦場に舞い降りた女神のようだった。実際、仲のいい姉妹だとも聞いている。ヒールを除けば、妹と身長はさほど変わらず、ただ胸囲と威圧感だけは圧倒的に上だった。噂通りの、きつそうな人だと茉結華は思った。とても、いや絶対相手にしたくない。
「というわけで、帰ってくるの遅くなっちゃった! 警察って長時間拘束するの好きだよねぇ、長すぎだよぉ」
へらりと笑いながら茉結華は救急箱をカタンと閉める。湿布を切らしているので渉の顔には消毒液と、腫れた頬にはガーゼを貼った。どうせ入浴時に取ってしまうが、そのときは軟膏でも塗るとしよう。
「……それで」
渋い顔を上げて、渉はしばらくぶりに声を発した。茉結華も「んっ?」と顔を見る。
「なんでお前は、凛の様子も響弥のことも、ちーちゃんが亡くなったことまで知ってるんだ? ……見てたのか?」
(えっ……)
一瞬、胸の奥が揺れた。目も鼻も頬も口元も、表情筋すべてが強張る。眼球が乾燥していく。
――それは、だって、私が当事者だからで……いや、それは響弥で……、だから渉くんの言ってることは正しくて――正しくて……、
「う、うん。そう、見てたの。木の陰からこっそり」
縦に振った首は錆びついているかのようにぎこちなかった。
茉結華は茉結華で、響弥は響弥。間違えないで、一緒にしないで。私は響弥じゃない。そう言ったのは自分なのに。――私は今、どこにいるんだろう。
渉は顔半分を右手で覆い「そうか……」と小さく声にした。
「お前が、ちーちゃんを……殺したんだな」
「そうだよ――」
飛んできた拳骨を左手で掴み取った。
人の返事も聞かずに殴ろうなんて、渉らしい先手だ。でも、「力入ってないよ」
茉結華は手のひらで包み込んだ渉の拳を解くと、一方的に指を絡めて、ぎゅ、と握った。渉は赤く潤んだ瞳で茉結華を睨みつけている。
「どうして人を殺すんだって、お前との言い合いももう飽きた」
茉結華は思わず笑みをこぼし「私も同感だよ」そう言って渉の親指の付け根を、重ねた指でスリと撫でた。付け根は結束バンドの痕と、噛んだ皮がめくれてざらついていた。
「俺はお前がわからない。人に平気で乱暴して……殺すような奴を、俺は理解なんてできない」
「そうだね」
でも嫌いにもなれない。――それが渉くんでしょ?
渉が茉結華のことを本当の意味で嫌うときが来るとすれば、それは一番大事なものを壊したときだろう。そうすれば渉だって、茉結華を殺したいほど憎めるはずだ。
そんな予定――ないけどね。
「だからさ、今度は逆になるかもね」
「……?」
あからさまに眉をひそめた渉に、茉結華は含み笑いをする。
それでいい。今はわからなくても、じきに察することになるだろう。
茉結華は渉の手を離し、代わりに救急箱を持って「ご飯食べたらまた来るよ」そう言い残して立ち去る。扉を抜けて、うんと背伸びをした。
もう茉結華が渉を殺す必要は、なくなってしまった。
――誰かの犠牲の元に自分が殺されずに済んだと知ったら、それこそ自殺しちゃうか、殺してくれって懇願するか……そんな渉くんは見たくないなあ。でもね、これからはずーっとずっと、一緒にいられるよ。明日はきっと忙しくなるなあ。
監禁生活はもう終わり。終わって、ここからはじまる。
――あー、でも今日もいっぱい悪いことしたし、やっぱご飯は抜きだね。
* * *
少女の遺体が見つかったという速報は、昼過ぎから夕方まであらゆる番組を通して流れた。残忍すぎる犯行について事件性を訴えるものもいれば、オカルティックな話題を広げるものもいた。世間は依然として後者側で、祟りだなんだのと騒ぎ立てている。
警察の評価は最底辺まで落ちた。このままでは犯人の狙い通り、『殺人鬼はいない』ことになってしまう、と。
夜間に緊急で開かれた捜査会議を終えた長海は、今回で四度目の無断欠席を決めこんだネコメを探しに向かった。自販機でコーヒーとミルクティーを買って、エレベーターを使って一直線に屋上へと足を運ぶ。
夜光色のなか、風になびいていた白金髪を見つけて、長海はどこか一安心するのを感じた。
「こんなところでサボタージュか」
そう言って隣に並ぶと、ネコメは長海を見上げて破顔する。
ネコメは手すりの前で黄昏れていた。
「……、よくわかりましたね」
「そりゃ何度も来てれば覚える」
「嬉しいことを言ってくれます」
素直に喜びを表現する相棒刑事に、長海はむず痒くなってミルクティーを渡す。はじめてコーヒーを奢ったときに『俺苦いの駄目なんですよ』と言われ、以来紅茶類を選んでいる。
扉の開く音には気づいていただろうに、夜の屋上で無防備に背中を向け続けるのは相手が長海だと承知の上か。俺じゃなかったらどうするんだ、と反論したくなる長海である。
「会議には参加しろ、と
「出なくても長海さんがメモしてますから」
「俺の手帳は尻拭いのためにあるんじゃない」
そう返せば、ネコメはくくっと笑った。長海が缶の蓋を開けると「長海さん、あの子から何か聞いてます?」と一変し、ネコメは真面目な声色で問うた。
「あの子って、今日の学生のことか?」
「ええ、女子のほうです。以前学校で聴取したとき、彼女と接触しましたか?」
お前が気になっていたのは男子のほうじゃなかったか、と思ったが口には出さず、
「いや、してない。被害者と親しかったことはほかの生徒から聞いた」
「そうですか……」
「何か問題か?」
ネコメが妄言を吐きたそうにしているときは遠慮なく問いただせ、それが彼への扱い方だ、と教えてくれたのは朱野警部だ。だから長海も真剣に向き合う。互いの捜査を円滑化するため、わずかな引っ掛かりでも除去しておきたい。どんなにスピリチュアルな話でもだ。
特にこの手の事件に於いては、ネコメの勘は鋭く働く。
「……自分が犯人だと言い張るのが、どうも妙なんですよね」
「錯乱状態だっただろ。どこが妙なんだ」
「いえ、そうなんですけど……うぅーん、俺はあの子が知ってると踏んだんですがね」
「知ってる? 犯人をか?」
ネコメはうんと頷く。
だからあのとき、犯人は誰ですか、と訊いていたのか。遺体の発見者へ問うには率直すぎると、あの場にいた綾瀬と灰本だって思っただろう。目撃証言と心当たりの有無をすっ飛ばし、ネコメは百井凛が犯人を知っていること前提で尋ねていたのだ。
「でも本当に知らないんでしょう。彼女が渦中の人物なのは間違いないです。でもそれを脱するチカラは別の者にあります。俺はその子に会うべきなんです」
「……………………」
彼の話しぶりがだいぶオカルトめいてきたところで、長海は眉間に指をやる。
――なんだ? こいつは何の話をしているんだ?
そんな長海の混乱ぶりは露知らず、ネコメはミルクティーの蓋を開けている。
「なあ、俺だってできれば真面目に聞きたい。だから凡人にも理解できるよう言ってくれ。第一、お前は学校担当じゃないだろう」
ネコメが学校に聴取しに行くことは上から止められていることだ。出入り禁止を食らったわけではないが――多弁で無神経で悪目立ちがすぎてテスト期間中の生徒の気が散るから、と朱野警部と風田班長から酷い言われようだった。ネコメは意外にもその言いつけを守っている。
「伝言だけでも頼めませんかねぇ」
「俺に頼むな」
「んー、絶対ヘンな子なんですよ。やけに反抗的だったり、大人びていたり、はたまた塞ぎ込んでいたり。警察なんかに何ができるんだーって自暴自棄になってたり……」
そこまで言ってネコメはミルクティーに口をつける。そして「あ」と声に出して言った長海の反応に、喉を詰まらせながら「っ……え?」
長海は上着のポケットから手帳を取り出した。パラパラとめくり、目当てのページを探し出して読み上げる。
「腕時計の詳細と朝霧修について調べていた頃だ。二年E組の
思い出すだけで胃が痛くなるような辛辣な生徒だったが、容姿端麗で印象深かったため、忘れようにも忘れられないでいる。
まるで見えてませんね、長海刑事――とまで言ってきた、その子の名前は、
「
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