一マイル先でも受信しちゃうんですよ

「お前はいつになったらノックを覚えるんだ?」


 取調室を出た先の廊下で後手に扉を閉めた長海は、相棒の刑事に言い放つ。

 日焼けとは無縁の肌と、白金色の地毛を持つ若い刑事――その愛称は――ネコメ。

 ことごとく色素の薄い男だが存在感は真逆である。外を歩けば目立つことこの上ないし、異質で整ったその容姿から、声をかけてくる物好きが絶えない。――ほとんどは長海が追い返すため、ものの十秒で逃げ帰っていくが。刑事に見えない風貌が余計にギャラリーを呼ぶのだろう。

 けれど、初夏でも羽織っているモッズコートから覗くジャケットの襟には、捜査一課の赤バッジが確たる証拠として輝いている。

 ネコメは涼し気な顔で「しましたよぉ」と首を傾げた。


「聞こえませんでした?」

「ああ、絶対にしてない」


 長海が断固として否定すると、ネコメは彼の胸の前でノックするジェスチャーをし、「心にしたんです」といたずらっ気に微笑む。

 廊下で長海は額に手をやった。――どうしてこいつはこうも適当なのだろう。彼と組まされたのは先月からだが、相も変わらずマイペース、自由奔放という言葉が似合う男だ。


「あれ? 響きませんでした?」


 アーモンド型の大きな目がこちらを見つめる。信頼関係に響きそうだなと思ったが長海はため息をひとつ。


「いい大人が言い訳するな」

「これは失礼――俺も聴取に加わっていいですか? 男のほうに付きたいんですが」


 いつものごとく、長海の口頭注意を右から左へと聞き流し、ネコメは一息に言ってみせる。

 そして返事も聞かずにドアノブに手を伸ばすので、長海は「駄目だ」とぴしゃりと言い、ネコメの手を掴み取る。ほんのりと桜色が透き通るミルク色の肌は、春の日差しのように温かい。


「来ても邪魔になるだけだ」

「見るだけでも?」

「駄目だ」


 長海は再度強く言って、ドアノブに手をかけた。

 ――風田刑事の補佐は自分が任された仕事だ。相棒の手助けは必要じゃない。それに彼が聴取に立ち入ったところで『見るだけ』では到底済まないことも知っている。

 ネコメはムムムッと口をきつく閉じた。何か言いたくて仕方ないというふうにぷるぷると震える薄い唇は、しかし堪え性がないためすぐに開かれる。


「俺子供好きですよぉ? きっとお役に立てるのに」

「何の役に立つって?」


 長海が横目で見ると、ネコメは待ってましたとばかりににんまりと笑い、


「少なくとも子供相手に叱責したりしません」

「……………………」


 頬の筋肉が硬くなる。

 長海は、一度目線を宙に預けてからネコメを正面で捉えて、「……………………へえ」と。それが不愉快さを表すせめてもの相槌だった。


「……それは俺のことを言ってるのか」

「俺のアンテナは長海さん専用なので一マイル先でも受信しちゃうんですよ」


 滑りのいい舌で直接的な表現をかわす相棒。言っている意味はまったくわからないが、とりあえず長海の声は廊下に聞こえていたらしい。

 対等な立場とはいえ長海のほうが先輩だ。年上を敬う気持ちはないのかとつくづく疑ってしまう。


「とにかく、終わるまで大人しくしてろ。いいな」


 教師が問題児を廊下に立たせるような語気で長海は告げる。こう言ってネコメが大人しくしていたためしはないのだけれど。

 やれやれ、と背を向けたとき、隣の部屋からけたたましい物音がした。先ほど神永響弥の椅子が倒れたときと似通った音。だが今のはもっと激しい――まるで誰かが乱暴に物を蹴り飛ばしたみたいな。

 長海はネコメの顔を見ようとして振り向き――その動きは九〇度で止まることになる。


「ま、待て!」


 後ろにいたはずのネコメが、隣の部屋の前にいた。長海が目を離したほんの一瞬の隙に移動をしたのか、扉の表面を穴が空くほど見つめている。そこは言うまでもない、綾瀬と灰本が聴取を行なっている一室だ。

 待ったをかけて長海が駆け寄ると、ネコメはのんびりと視線を上げた。一見変わらないにこやかな顔つきは、どこか真剣味を帯びている。普段のネコメと、仕事モードのネコメ。それくらいの違いは長海も読み取れるようになっていた。

 だが今にもノブに手を伸ばして乱入しそうな、そんな危うい雰囲気がある。長海が見ているので表面上は大人しくしているが、内心は入りたくてうずうずしているのだ。

 長海はアイコンタクトで頷き、扉をノックした。


「綾瀬さん? 灰本?」


 言いながら扉を開けると、ゼロだった音量を途端に最大にされたような衝撃が耳を裂いた。

 聞こえてきたのは絶叫。野生生物に等しい咆哮。奇声。

 一室の中央にあるはずのデスクは壁際で突っ伏しており、二人分の椅子は背もたれが天を向いている。幸いにもノートパソコン周辺は無事なようだが、代わりに一人の少女が狂ったように吠えている。

 その両脇には綾瀬と灰本が、少女の肩と腕を押さえて、諌めるように言葉をかけていた。


「落ち着いて、落ち着けよ、な? 大丈夫だから」

「ああああぁぁぁあああ! やだ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあぁあああ! ああぁあああああっ!」


 少女は両手で頭を抱え、髪をぐしゃぐしゃと振り乱す。唸り声とも叫び声とも取れる大声は、彼女の小柄な体格に見合わない。もし今『悪魔に取り憑かれてしまった』と表現されたら、霊も呪いも信じない長海でもその存在を肯定するだろう。


「い、いったい何が……」


 長海は目を丸くする。別室でいきり立っていた男子高生が可愛く見えてくるほど、こちらの状況は荒々しい。

 刑事が二人がかりで押さえなければならない少女の怪力にも長海は驚愕した。

 片方が女性とはいえ、綾瀬も警察官だ。日々の自主訓練は積極的に受けているし、灰本は男性刑事のなかで力こそ劣るが、技術は負けていない。

 そんな二人を、ただ一人の少女が手こずらせている。手を貸したほうがいいのだろうか――長海が頭の片隅に湧いた思考を実行する前に、綾瀬がこちらに気づき、二度見までした。


「おぉ、お前ら何しに来た! 見せもんじゃねえぞ!」

「すみません、大きな音が聞こえたもので」


 少女――百井凛は、頭を振って喚き続けている。廊下にその声はだだ漏れ。いい加減扉を閉めるか部屋を出るかしたほうがいいだろうと長海も考えていたところだ。

 引き返しかけた長海の目の前を、白金色の風が横切った。ひらりと揺れたモッズコートの端が視界から消え、――風なんかじゃない、と我に返る。

 風、もといネコメは悠々と凛に歩み寄り、中腰になって目線の高さを合わせた。そんな彼を連れ出そうと、長海が背中に手を伸ばしたとき、


?」


 普段よりも低く、重みのこもったネコメの声だった。

 同時に、少女の奇声がスンと止む。何言ってんだお前――と、半分まで反論していた綾瀬も『お前』を言う直前の口で停止する。伸ばした長海の手も、背中の前でピタリと静止していた。

 凛は、手品をはじめて目にした子供のように目と口を開き、呆気にとられていた。

 ネコメはもう一度、「わかりますか、犯人」と確認を仰ぐ。少女は口をぱくぱくと動かし、必死に言葉を絞り出す。


「はん、にん」

「はい」

「はん、にん、は……」


 言う間に、凛の身体から力が抜けたのか、両脇にいる綾瀬と灰本の押さえ込みが緩くなる。

 ネコメがこくりと首を振ると、「わ……私、です」

 少女の瞳から一粒の滴が落ちた。


「私が、ちーちゃんを……殺したんです。私が……」


 次第にしゃくりを上げはじめ、凛の双眸から止めどなく涙がこぼれ落ちる。


 警察が現場に駆けつけた際、凛は損壊した遺体を抱いていた。自身が汚れることも厭わず、親友の亡骸にすがりついて泣きじゃくっていた。彼女の顔や制服に付着していた血液はすべて遺体のものだ。

 署に連れられた凛は着替えを勧められた。それらを施したのは婦人警官たちだ。

 警察は当初、彼女の心のケアを思って、また後日に聴取をしようとしていた。しかし、「できます、受けます」そう言ったのは本人だ。


 この状況から察するに、少女の精神は相当参っている。親しい人を亡くし、遺体を目にし、その後すぐの取り調べだ。まだ高校生の身には重すぎるといえよう。前述どおり、後回しにするべきだったのだ。


「うう、私が、いるっから……ちーちゃんがっ」

「だからそれは違えって! あんたのせいじゃねえよ」


 綾瀬は何度も言い聞かせているようだ。あなたのせいではない、と。

 長海は四人の大人に囲まれる少女を不憫に思い、部屋中を見回した。何にしてもデスクと椅子は元の位置に戻したほうがいいだろう。

 倒れたデスクに近付くと、察した灰本が手を貸してくれた。


「彼女ははじめからあんな調子なのか?」

「……はい。自分が殺したとの一点張りです。あの状況から見て犯行は不可能だと思いますが」


 長海は「ああ」と頷く。一連の事件の犯人は一人か複数犯。本当に凛が自白をしているとすれば、協力者がいたことになる。だが、目撃者のふたりには当然ながらアリバイがある。凛の言っていることは虚言だ。


「彼女は、どうやって殺したと言っている?」


 デスクを起こして尋ねると灰本は小声で、「私が呪い人だから、と……」――そのとき長海の視界に、ノートパソコンを掲げているネコメの姿が映った。

 長海は転がっている椅子のひとつを元に戻してネコメのほうへと歩み寄る。

 ネコメは、聴取中に灰本が記載していた報告書を見ていた。そこには百井凛の聴取内容のほかに、遺体や遺留品の状態などが記されているが――


「ん?」

「あ、気づきました?」


 訝しんだ長海の顔をネコメが横目で見る。

 ネコメは片頬で笑い、「今回の相手は厄介ですね」と意味あり気に呟いた。妙な言い回しをする彼の意図を長海が察することはできない。しかし『厄介』には同意する。


 画面には、百井凛のスマホに送られたメール。証拠品としてスクリーンショットがされており、『今日の午後十二時、坂折公園で待ってる。目印は白い傘』という内容がトーク画面で表示されている。

 松葉千里の遺留品は、傘、鞄、スマホ。つまりメールの送信は、間違いなく被害者の携帯からされていた――だが、この遺留品には謎がある。

 調べでは、傘は彼女の捜索願が届いた日からなくなっていた。しかし、その他の紛失物は連絡されていない。なら、ほかのふたつは、いったいいつ消えたんだ――?


 事件が表立ってからも松葉家を狙う、堂々たる犯行。そして、いたいけな少女にわざわざ遺体を発見させる、極まった残虐性――、――ギギギ。

 鈍く軋んだ音に、ネコメは長海を一瞥する。「……くそっ」と悪態をついた長海は奥歯を強く噛んでいた。

 ――自分の鳴らした歯軋りにも気づかず、犯人への怒りがぐつぐつと湧き上がる。

 ネコメはノートパソコンをデスクに置くと、長海の手を引いて外に出た。綾瀬と灰本は席を元通りにして、聴取の再開をするだろう。

 扉を閉めると、第一声。


「あの目見ました? いやあ昔を思い出すなあ。事件の中心はあの子ですよ」


 いつにも増して軽口を叩くネコメ。長海は握り締めた手を、真っ白な壁に叩きつけた。骨張った拳を震わせて、熱のこもった息を吐く。

 ――目前のことにすぐ熱くなる。短気なところは自分の欠点だと理解している。でも、それでも抑えられずにはいられない。

 怒りに震える長海に、ネコメは何も言わない。ただ隣にいて、冷たい壁に背を預ける。


 怒りに身を任せても事件は解決しない。亡くなった人が戻ってくるわけでもない。

 警察にできるのは殺人鬼を逮捕し、この事件を幕引きにすること。

 一人の刑事である前に、我々は人間だ。人間のしたことは人間が裁くしかない。ネコメという刑事は、それを一番よく知っている。

 そしてまもなくして、取調室から出てきた風田に長海が謝罪をしたのは言うまでもない。

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