人じゃないなら何だと思う?

 デジタル派かアナログ派か。二択を迫られたとき、刑事の長海ながみ十護とうごは後者を選ぶだろう。

 メモは愛用の手帳に記したほうが自分向きだと自覚しているし、仕事で使っているパソコンにはいまだ悪戦苦闘する。ふと我に返って周りを見たとき、自分はただの機械音痴なのかと疑問に思うこともある。

 だがこれも仕事のうちだ。そう割り切って、長海はノートパソコンを立ち上げる。


 七月二日の正午過ぎに、二名の学生が警察署に連れてこられた。一人は男子、一人は女子。少女の制服はこの辺りでは珍しいベージュのワンピース型で、ふたりが藤ヶ咲北高校の生徒なのは一目瞭然だった。

 またこの学校だ。通報を受けて、本部にいた警察官はみな戦慄した。

 通報者はコンビニへ行く途中だった高齢の男性。坂折さかおり公園にいたふたりを見て不審に思ったという。真昼に制服姿でぶらついていれば、怪しまれるのも無理からぬことだ。だが、本当の理由はそんなものではない。

 男子はその場でうずくまり、嘔吐を繰り返していた。

 女子生徒は、顔も手も制服も血まみれだった――

 現場は予想以上に凄惨で、あまりにも衝撃的なものだったのだ。


 これから署内にて、事情聴取が行われる。

 携わるのは、今までも藤北の事件に関わってきた第五係――風田かぜた班に一任された。


「藤ヶ咲北高校の神永かみなが響弥くんで合ってるかな? 私は警視庁の風田という者だ」


 風田刑事はデスクに着くや否や、軽い自己紹介からはじめた。

 風田が任されたのは少年、神永響弥の聴取。今回長海はその補佐として、離れのデスクでパソコンを前にしている。お前もタイピング作業に慣れたほうがいい、と風田に押されて記載役を任されたのだ。

 少女のほうには綾瀬あやせがついている。同性同士のほうが心も開きやすく、この場において適任だろう。普段はがさつな綾瀬刑事とはいえ、彼女とて優秀な女性警官だ。心配無用とは思うが、そちらにも補佐役として灰本はいもとがついている。


「きみらが遺体の第一発見者で間違いないね?」


 続けて風田が尋ねると、響弥はおずおずと頷いた。

 彼の染色されていない艷やかな黒髪は好青年な印象を与えるが、アイロンとヘアワックスで外向きに跳ねているところを見ると年相応に着飾っているといえる。少し長めのもみあげの間からは、イヤーアクセサリーがきらめいて見えていた。その顔はどことなく不服そうで、口を真一文字に結んでいる。

 響弥の反応に風田は伏目がちになる。


「……つらかったろう。少しだけ話を聞かせてもらうが、安心してくれ、時間は取らせない」


 言葉を選びながら、あくまで少年と同じ目線で問いかける。長海はここまで真摯な対応はできない。――取り調べの際、自分はいつも淡々としてしまう。上司の横顔を見つめながら、そこに自分の姿を重ね描いた。

 響弥は丸めた背中を伸ばすことなく、鼻から深く息を吐いた。疲れ切っているように見える。


「まず、きみらがいた坂折公園。どうしてそこに行ったんだ?」


 風田はやや前のめりになって、最初に感じた疑問を口にする。長海は準備万端とばかりに、キーボードのホームポジションに指を揃えた。しかし、


「……………………」


 静止、静寂。その状態で十秒が経過した。

 長海はちらりと少年を盗み見る。響弥はだらりと首を下げて、まるで電源の切れたロボットのような体勢になっていた。出頭して懺悔する被疑者のようにも見える。


(おいおい……)


 長海は眉間にしわを寄せないよう、目を大きく開いた。あの現場を見て憔悴しているのはわかるが、反応が鈍すぎやしないか? 見かけによらずメンタルの弱い子なのだろうか。風田は静観しているし、沈黙がもどかしい。

 三十秒が経つ前に響弥はやおらに顔を上げた。


「水、飲んでいいですか」

「ああ」


 いいぞ、と風田が言う前に、響弥はデスク上のペットボトルに手をかけた。少年少女には昼食として弁当とお茶が配給されている。が、ふたりとも弁当には手を付けず、響弥はお茶ばかりを飲んでいた。水はその後、自動販売機で買ったものだ。

 ペットボトルの水を一頻り飲んで、響弥はゲホゲホと咳き込む。まだ嘔吐した喉が痛むらしい。響弥は軽く咳払いをして、ようやく話し出した。


「あそこには、呼ばれたから行ったんです。り……百井ももい凛さんにメールが来て、送り主がちーちゃんで……それで、おかしいなと思って、付いていったんです。ちょうどテスト期間で早帰りだったし」


 掠れた声で響弥は締まりなく舌を動かす。それを風田はうんうんと頷きながら聞いている。

 長海はノートパソコンに向き直ると、少年の言葉を頭のなかで反復しつつ記入をはじめた。

 学校がテスト期間中なのは警察の間でも周知されている。テストだってのに警察が学校にいるなんて最悪、と女子高生に睨まれた。つい昨日、灰本がそのように嘆いていた。

 響弥曰く、不思議に思い、付いていった――それはつまり、学校でふたりが一緒にいたということだろうか。長海はキーボードを逐一目で確かめながら文字打ちを進める。


「それで坂折公園に向かったら、死体を発見した?」

「……はい。メールの内容は、彼女のを見ればわかると思いますけど……」


 そう言って神永響弥は、急いでペットボトルの水を口に含む。死体、と聞いて気分が悪くなったのか、先ほど以上に顔をしかめていた。

 彼女――隣の一室で聴取を受けている少女――百井凛は、被害者と親しかったという。これは以前、藤ヶ咲北高校へ事情聴取しに向かった長海が、直接生徒たちから聞いていたことだ。

 送り主が誰であれ、行方不明の親友からメールが届いたのだ。子供たちは訝しんででも会いに行くだろう。長海も自分が当事者だったら、冷静に判断できたかどうか、自信はない。

 彼らがあの場にいた経緯はおおむね把握できた。あとは犯人への手がかりを掴むだけ――単刀直入に聞こう、と風田は口火を切る。


「犯人に心当たりはあるかい?」


 そう問えば、響弥は意外な反応を示した。表情を強張らせて、唇は半笑いの形になり、「あれが人間の仕業だって……?」


「人じゃないなら何だと思う?」

「……………………悪魔」


 響弥は口元を震わせ、逡巡めいてぽつり答えた。

 昨今世間を賑わせている呪い。――ではなく、悪魔。

 比喩表現としては十分納得のいく答えだと長海は思った。

 ができるのは人間ではない。そう思いたい意思はある。だが、できてしまうからこそ人間なのだ。そうでなければ、今頃警察われわれは働いていない。


「きみの家系は、祓魔師エクソシストじゃないだろう」


 その言葉に長海の思考は、風船がぱちんと割れるように途絶えた。


(風田さん……?)


 何を言っているんだ? 思わぬ角度からの切り込みに、長海は声の主である上司を見やる。

 風田はデスクに肘を立て、鼻の前で指を組んで言った。


「お家のほうは忙しいようだね。上から聞いているよ」


 瞬きをするうちに少年の目の色が変わった。


「別にやりたくてやってやるわけじゃないっすよ」


 響弥は先刻と打って変わって饒舌に言ってのける。


「頼まれたから仕方なく――」

「そうか? でも大金が動くそうじゃないか。叔母さんから聞いていないのかい」

「っ――!」


 彼が立ち上がるさなかに叩いた机の音と、椅子のひっくり返った音が同時に鼓膜へと押し寄せる。風田と長海は微動だにしない。冷房の効いた一室の空気が張り詰める。


「刑事さん……俺らが喜んでるって言いたいんすか?」


 風田は首を振って「いいや。そうは言っていないよ」と凹凸のない声で諭す。響弥は薄ら笑みを滲ませて、


「子供にひがむ前に早く犯人捕まえたら?」

「おい、きみ――!」


 我慢できずに腰を上げた長海を風田が手で制した。

 いくら子供とはいえ、言っていいことと悪いことがあるだろう。そう長海は思うのだが――

 少年は唇を強く噛んだ。


「渉に何かあったら……っ、俺あんたらのこと、一生恨むから」


 不安と焦燥、後悔と侮蔑。彼の潤んだ瞳にはそういった感情が渦を巻いていた。

 そうだった、と長海は思い返す。

 彼は――神永響弥は、まだ行方不明の生徒――望月渉の親しい友人だと聞いている。

 彼もまた被害者の一員なのだ。大切な人を隣から奪われた、心の被害者。風田が止めた理由もわかる。

 長海は羞恥で口をつぐみ、行き場を失った腰を下ろしかけた――そのとき、


「長海さんさっきの音ぉ、なんですかー?」


 澄んだテノールとともに目の前の扉が開かれ、白金色をした髪の男がアポなし訪問を働いた。

 長海は天を仰ぐまもなく白金髪男――否、相棒の腕を引っ捕らえて部屋の外へと連れて行く。


 その日、一人の少女が遺体となって発見された。遺留品は、先端が黒ずんだ白い傘、壊れたスマホ、異臭を放つ学生鞄。

 少女――松葉まつば千里ちさとは、鞄のなかから発見された。

 首から下が、ない状態で。

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