作戦勝ち!

 洗濯し終えた渉の学生服は、ほかの衣類と共にリビングに干した。藤北の制服は家庭内洗濯機でも洗うことができるため、クリーニングに出す必要はないのだ。雨は二十一時になった今でもしきりに降っている。午後からは風も出てきて、雨粒が強く窓を叩いていた。

 ノートパソコンで逐一ニュースをチェックしながら、茉結華はルイスと隣り合わせに座って、テレビゲームに興じていた。同メーカーのキャラクターが集う対戦型格闘ゲームだ。


「ああー、負けちゃった! もう一回もう一回!」


 ルイスとの対戦に負けた茉結華は、コントローラーを宙で振った。ルイスは「いいよ」と言い、快く再戦を受け入れる。

 彼とはこうしてたまにテレビゲームをしている。平日の空き時間や、暇な休日なんかは特にそうだ。今日みたいな臨時休校のときは――本来ならば渉に構っていたいのだけれど――ゲームをすることによって、休日を謳歌している気分になれる。普通の学生みたいに。


 夕方の全国ニュースでは、藤ヶ咲北高校の校長と教育委員会による緊急会見が放送されていた。開かれた場所は学校の会議室のようだ。

 語られた内容は、亡くなった生徒二人の人物像と学校での評判、これから行うべき対応と対策、事件解決への切望などなど。

 学校のオカルト『呪い人』については一切触れられなかった。一件ぐらい尋ねてくれるかと期待して見ていたが、空振りに終わり――明日には、臨時の保護者集会を開くそうだ。


 会見とは別で、報道陣の取材に応じた小坂めぐみの両親は、カメラの前で号泣を上げていた。

『どうしてうちの子が! 娘を返してくれ!』

 小坂の父親は企業の社長であるらしく、愛する一人娘を失った悲しみと犯人への怒りをあらわにしていた。


 ――犯人。犯人ねえ。いるとしたらそれは、呪いそのものだよ。

 小坂めぐみを社長令嬢だと知ってて狙ったわけではないが、企業一帯へのいい刺激にはなっただろう。このまま小坂社長が学校を非難してくれたら上出来だ。

 朝霧修の家族からは一言だってコメントされていない。ノーコメントで通しているのか、報道陣を避けているのだと思う。朝霧の親らしい賢明な判断だ。


「ねえルイスさん。令和に呪いなんてさあ、面白いと思わない?」

「改元はされたばかりだけどね」とルイスは苦笑する。

「あはは、それもそうだねぇ」


 学生二人の死は大々的に取り上げられた。とはいえ、あくまで殺人としてだ。学校の呪いだという話はネット上と一部のテレビ局を除いて、まだ表立っていない。

 まだ――まだ足りない。こんなものでは学校も世間も動かない。まだ、神永かみなが家を頼ることはない。


「呪っていこうよ。幕が開けたばかりの新しい時代をね……って、必殺技ここだぁ!」


 ガシャガシャガシャッ。茉結華のコマンド入力によってコントローラーが荒ぶる。操作していたキャラクターの大技が見事に決まって、ルイスのキャラは画面外へと飛ばされた。残機がゼロになったルイスの負けである。


「ぐあー、負けたぁ……」

「えへへ、作戦勝ち!」


 対戦に勝てた茉結華はご満悦となる。負けたルイスはたいして悔しそうではなく、喜ぶ茉結華の顔が見られて嬉しそうであった。弟のわがままを聞いてやる兄のように。


「キャラ解放もしないとなぁ、こことこことこことこことぉ……」


 茉結華は画面のカーソルを移動させる。ダウンロードコンテンツも含めて、キャラを全部埋めきったら爽快だろうなと思った。

 もう一戦すれば新たなキャラクターが登場するというところで、ルイスは茉結華の顔を覗き込む。


「時間、大丈夫……?」

「ん?」

「お風呂」


 時刻は二十一時半。ゲームに夢中になりうっかりしていた。まだ風呂に入っていないではないか。


「そっか、もうこんな時間だ! ええっ、どうしよう、ルイスさん進めといてくれる?」

「うん、しておく」

「やったぁ!」


 風呂と言っても自分が入るわけではない。茉結華はとっくにシャワーを済ませている。これからは渉の入浴時間バスタイムだ。

 茉結華は洗濯物を外した。バスタオルも適当に畳んで、風呂場へと持っていく。渉の風呂も着替えも、ルイスに手伝ってもらったことはないし、声をかけたこともない。監視を任せたことはあるが、渉の身の回りのすべては基本茉結華がひとりで行なっている。

 渉の世話は茉結華が好んでしていることだから――それ故にルイスは不服に思っているだろう。渉の世話はしたくないが、茉結華の手伝いはしたい、と。なのでゲームの進行はルイスに任せておくとする。


 風呂場の準備を整えて、茉結華は渉の元に舞い戻る。

 夕食の時間に部屋を覗きに行ったとき、渉は壁にもたれて眠っていた。目元の赤みは引いていたが、弁当は半分残った状態で。ペットボトルはほとんど空だったため、新しいものと交換した。一人になりたいと言われたけれど、放っておかないのが茉結華の性。最後に夕方分の鎮痛剤を置いて部屋を出たのだった。


 ハーフパンツのポケットに、ナイフとハンカチと麻酔薬を忍ばせて、茉結華は隠し部屋へと入る。渉は瞳を閉じて、壁の四隅に寄りかかっていた。まだ眠っているのかと思いきや、茉結華が近づく前にぱちりと目を覚ます。眠たげな眼が茉結華を見上げた。


「おはよう、寝てた? 鎮痛剤は飲んだ?」

「……飲んでも変わんないよ」


 低い声で答えた渉はぷるぷると首を振る。まさか飲んでないのかとペットボトルのほうを見たが、その横にある鎮痛剤のアルミ包装は破られていた。夕方置いてきた分もしっかり飲んでくれたみたいだ。

 渉の言うとおり、市販の鎮痛剤じゃ痛みのすべては消せないだろう。骨が折れているのだから仕様がないことである。


 茉結華がハンカチと小瓶を取り出すと、渉は意を決したように姿勢を起こした。いつもやっていることだから、言葉を交わすまでもない。

 ハンカチに小瓶を傾けて麻酔薬を染み込ませる。その様子をじっと見つめる渉の頬には汗が伝っていた。よく見ると、首筋と額にも汗が滲んでいる。顔全体が火照っているようにも見えるが――気のせい、だろうか。


「大丈夫だよ」

「――ん、え?」

「ただの寝汗だから」

「……」


 ――別に心配なんてしてないし。

 気持ちを悟られたような気がして茉結華はムッとなりながら、渉の鼻と口をハンカチで塞いだ。渉は一瞬だけ顔を引きつらせるが、暴れはしない。

 一……二……三……四……。きっちり六十秒、心のなかで数える。今日は麻酔薬を染み込ませすぎたのか、いつにも増してハンカチが冷たく思えた。

 三十秒もしないうちに渉の身体がぐったりとする。倒れないように頭を支えて最後まで数え切ると、手足の結束バンドをナイフで取った。

 抱え上げた渉の身体は、いつもよりも熱く、そして軽く感じた。




 浴槽の蓋を外すと温かい湯気が立ちのぼる。渉の衣服をすべて剥ぎ取り、浴室の壁にもたれ掛けるように座らせて、足先から湯をかけていった。シャワーを使わないのは音を考慮してのことである。

 渉の身体には無数の痣が見てとれる。一番多くて目立つ青黒い痣、治りかけで黄色くなった痣、いまだ広範囲を占めている赤紫色の痣も――大中小様々。

 左の脇腹と腿の内側には、ナイフで刺された傷が赤茶色く残っている。一週間前はここを避けて洗うのが大変だった。塞がったばかりの傷口ではあるものの、湯をかけても開く心配はもうない。


 右の鎖骨は酷く腫れ上がっていた。骨折した辺りは紅潮し、肩と胸に熱を広げている。顔が火照って見えるのは、骨折による発熱が原因のようらしい。

 渉は気づいているのだろうか――気づいていたとしても、茉結華に言う言葉は同じだろう。ただの寝汗だよと強がるのだ。


 首に掛け湯したとき、渉の身体がびくんと震えた。


(っ――え?)


 今までにない反応に、茉結華は目をぱちくりさせる。脊髄反射か――?

 訝しみ、その顔を凝視したが、渉は眉間にしわを寄せて静かに寝息を立てている。起きる気配はなさそうだ。


(……びっくりした)


 洗っている最中に寝返りを打ったり、呻き声を漏らすことはたまにあれど、今のような瞬間的な反応ははじめてだった。起きてしまったのかと驚いた。


「すぐ終わるからね」


 聞こえないだろうけれど、茉結華はひとり言を呟く。

 身体の掛け湯が終わったら、次は頭だ。耳に水が入らないよう手で遮りながら髪を濡らす。この辺りの作業は中腰になってやらないと、こちらがびしょ濡れになってしまうので気をつける。


 分けて置かれた渉用のシャンプーに手を伸ばし、茉結華は再び驚いた。

 ポンプは少しの圧もなく、スコッスコッと空気の音をさせて空振るばかり。一向にシャンプーが出てこない。

 ――空っぽ?

 持ち上げた容器はあまりにも軽かった。水を入れれば一回分くらいは使えるだろうけれど、詰め替えを取りに行くならまだ服が濡れていない今のうちがいい。


「ちょっと待っててね」


 風邪を引かないようにと渉を浴槽に浸からせて、茉結華は風呂場を後にする。タオルで足を軽く拭き、「ルイスさーん、ルイスさーん」と呼びながらリビングに駆け込んだ。


「渉くんのシャンプーってまだあるー?」


 ルイスはゲーム画面を一時停止させてすぐさま立ち上がった。買い溜めのビニール袋から詰替え用のシャンプーを取り出して、「これ?」と茉結華に見せる。


「あー、これこれぇ! ありがとー!」


 茉結華はオーバーリアクションではしゃいでから、急ぎ風呂場に戻った。今度からリビングではなく、洗面台の棚にでもしまっておこうと思いながら。


 そして、浴室の手前で、茉結華は凍りついた。

 床が不自然に濡れている。さっき確かに、足を拭いたはず――なのに。


「渉くん……?」


 カゴに入れてあるバスタオルがなかった。触っていない手すりが妙に濡れていた。

 胸騒ぎが――今朝渉を見つける前に感じたあの嫌な予感とは比べ物にならないほどの、胸騒ぎがする。


「渉くん!?」


 浴室の扉をガラリと勢いよく開けた。茉結華は自分の目を、度入りのコンタクトレンズを、今度こそ疑うことになる。

 渉がいない、どこにもいない。浴槽にいたはずの渉の姿が、どこにもない。

 目の前にあるのは、浴槽から溢れたお湯のしずくと、這いずったような水たまり。その痕跡。浴槽の水面は面影を残すみたいに緩やかに揺れている。白い煙が煩わしかった。


 ――渉くんが逃げた。

 茉結華はまだ目の前の光景を信じられない。

 ――渉くんが逃げた。

 口が塞がらず、呆然と立ちすくむ。

 ――渉くんが逃げた。

 心臓は時と共に止まってしまったみたいで。

 ――渉くんが逃げた。


 渉くんが逃げた。

 渉くんが逃げた、渉くんが逃げた渉くんが逃げた渉くんが逃げた――――


「渉、くん、探さなきゃ……」


 茉結華は機械のように呟くと、浴室の戸を閉めるのも忘れて身を翻した。

 いったいどこからが演技だったのだろう。おそらく嘘は、ついていない。茉結華がただ、渉に騙されたというだけだ。

 だが、そんなことはどうだっていい。今茉結華を突き動かすのは、渉が逃げたという現実のみ。

 心はどこまでも冷え、身体中を行き交うすべての血が煮えたぎる。

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