厳しい家庭だったからさ

 画面越しの雨は天から降り注ぐ無数の針のようだった。それに刺されまいと、刑事たちは現場に張られた青へと逃げ込む。辺りを照らす赤ランプは雰囲気を煽り、鈍色の空気に鮮烈を与えていた。

 藤ヶ咲北高校の校門前に、生徒の遺体がふたつ。どこのチャンネルもその話題で持ち切りであった。――そりゃそうだろう、そうでなければ困る。何のためにあの大雨のなか、二人の遺体を運んできたというのか。すべてはこの瞬間のためだ。この瞬間のため――


 朝霧修と小坂めぐみ。消えたはずの生徒が今度は二人同時に、それも見るも無残な姿となって現れる。世間は事件に注目し、あっという間に沸くだろう。まるで悪魔の仕業――否、学校の呪いのせいだと。

 噂はウイルスと同じだ。最初は小さな種でも、それは次第に広がりを見せて猛威を振るう。最高のエンターテイメントじゃないか。

 画面を見つめる茉結華の頬は緩みっぱなしであった。チャンネルを切り替え切り替え、同じ報道をスマホに映し続ける。胸の奥が熱く疼き、高揚感でいっぱいであった。笑いをこらえろと言うほうが無理な話だ。――見て見てみんな、すごいでしょ? 気になるでしょ?


 そのときふと、落ちたしずくが視界に入り、茉結華は隣に顔を向けた。

 それを目にした途端、笑顔が引き潮のように消えていく。満たされていた胸の内側に不純物が入り込む。

 ――何を、泣いてるの?

 そこには涙でびしょ濡れになった渉の横顔があった。吸い込まれるように画面を一点に見つめて、嗚咽が漏れないように唇を固く閉ざし、喉を何度も上下させている。茉結華の抱く左肩は怯えるみたいに小刻みに震えて、折れた鎖骨側の肩は力が抜けきっていた。


 思えば昨夜、朝霧が血まみれで倒れたときも、渉は目に涙を溜めていた。あのときは茉結華も驚いた。まさか朝霧が、渉をなんて。彼にまだあんな力が残っていたなんて。

 朝霧のことを完全に理解しているわけではないが、あの行動は彼らしくなかった。茉結華の思う朝霧修は根っからの自己中心的な人物だ――自分と同じ。いざとなれば他人を容赦なく切り捨てられる、そんな人間である。だからなぜ渉のことを庇ったのか謎だった。死んでしまっては、もう聞くことはできないけれど。

 あのあと茉結華が部屋に戻ったとき、渉は床で気を失っていた。その隙に風呂と着替えを済ませたため、昨晩は麻酔薬を嗅がせていない。副作用で嘔吐することはないが、その代わりにありったけの涙を流している。


「……渉くん?」


 大丈夫? とは言わず語気だけで尋ねる。渉は黙ったまま下を向き、完全にうつむいてしまった。涙がスラックスに落ちては黒くじっとりと沈んでいく。

 どうして渉がここまで涙しているのか茉結華にはわからなかった。嗚咽を我慢し、無言でいるのは強がりなのか。隣でにやけていた茉結華に『ふざけるな』と怒ることもないのだから余計にわからない。渉らしくない。

 そして、こんなに動揺している自分の心にも茉結華は困惑してしまう。


「きょ、今日ね、校門前がこんなだからさ、学校も休みなんだよ。すごいよね、報道陣いーっぱい来ちゃってさぁ……」


 茉結華は精一杯の明るい声を出した。スマホの時刻は午前八時を回っているので、休校なのは言うまでもないことなのに。

 いつもなら饒舌に煽っていたところを、まるで他人事のような台詞で消費する。傷心しきった渉をからかうのはなんだか気が引けて、茉結華は肩を抱く手に力を加えた。


「あ、そうだ。一緒にゲームでもする? 今年になって新しいゲームいっぱい買ったんだよ。うちってほら、厳しい家庭だったからさ、ゲーム機ひとつなかったでしょ? それで中学の頃は渉くんの家に行ったりして――」


 そこで言葉を止めた。渉の家に遊びに行っていたのは響弥きょうやのことなのに、つい自分のことのように話してしまった。まさかそんなミスをするとは思ってもおらず、茉結華は咄嗟に口をつぐむ。

 だがそのことに気づいたところで、渉に指摘されることはなかった。


 茉結華はスマホの画面を消してポケットにしまいこむ。ニュースの音もなくなったというのに、渉はまだ涙をこぼしている。空いた手で右肩を思い切り握ってやれば悲鳴を上げるだろうかと、仄かに好奇心と嗜虐心がちらついた。


(そんなに泣くことないじゃん。あの二人は渉くんにとって、大切でもなんでもないくせに)


 他クラスだし、ちょっと関わりがあっただけの生徒相手に、どうしてそこまで涙が流せる。――ムカつく。

 泣くことができるなら怒ることだってできるだろう。お前のせいだ、お前のせいで二人が死んだんだって、そう言えばいいのに。人殺しだと罵り、蔑み、責め立てればいいのに。

 ――まさか、二人が死んだのは自分のせいだなんて思っているのか……?

 茉結華はわざとらしく咳払いをする。これ以上渉のペースに飲まれるのは、精神上にもよくないことだ。


「あー、うん、朝ご飯にしよう! ね、渉くん二日も食べてないでしょ。いいよ、せっかく休校なんだし今日は特別に持ってきてあげる。ね?」


 その顔を覗き込もうとするが、渉の表情は前髪に隠れてよく見えない。しかしどこか頷いたような気がして、茉結華は困った作り笑みを浮かべた。


「お水は変えてあるし、薬は横に置いてあるから……飲んでね」


 そう言って渉のそばを離れると、空のペットボトルを二本手にして部屋を後にした。朝霧が倒れた畳の汚れは綺麗サッパリなくなっている。渉が眠っていた間に、茉結華とルイスが協力して裏返しにしたからだ。乾いた血の跡など誰も見たくないだろう。

 茉結華は、自分が死んだら渉はあんなふうに泣くのだろうかと、そんなくだらないことを考えながら廊下を歩いた。

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