第七話

まるで答え合わせですね……

わたるくん、渉くん」


 昨日に続いて最悪のモーニングコールだった。茉結華まゆかの声がいつにも増して、ぐわんぐわんと渉の脳内を叩き起こす。渉くん、渉くんと、親友の声帯で呼び散らかす――寝ても覚めても終わらない悪夢だ。さてどちらのほうがマシなのか、徐々に覚醒しはじめた脳みそで考えてみても、目覚ましの声は止んではくれない。

 重い瞼を開くと真っ白な影、もとい真っ白な頭髪が振り子のように揺れていた。催眠術でもかけるつもりかよと睨み上げて、渉は身体を起こそうとし――悲鳴を上げた。


「いっ! ……て、え」


 思わず漏れた低い声。渉の両肩と右手の先にかけて、突き刺されたような痛みが走った。

 腕はいつものように後ろ手に縛られている。そのせいで毎朝、骨や筋肉が軋みを上げるが、それとはまた別の問題であった。


(そうだ、俺……骨折して……)


「安静にしてなきゃ駄目だよ、渉くん。鎖骨折れてるんだから」

「鎖骨……」


 いったいどの面下げて『安静にしてろ』などとのたまっているのか、渉が呟くと茉結華は視界の隅で頷いた。どうやら折れているのは右の鎖骨のようだ。折れやすい骨ではあるが、柔道でも剣道でも今まで骨折は経験していない。昨夜の当たりどころが悪かったのか――


「起こしてあげるよ。痛み止めも持ってきたから、後で飲んで」


 茉結華は渉の身体を平行になるように見下ろし、クレーンゲームのように両手を開いて持ち上げる。ミシミシと両肩は軋んだものの、自力で起きるよりは遥かに楽だった。

 右肩に触れないように渉の身体を支え、茉結華はハーフパンツのポケットからスマホを取り出す。渉が不思議そうにそちらを見やると、ふふふっと笑った茉結華は端末を操作して、


「今日のニュース、見る?」


 横向きにしたスマホ画面を、渉の前に差し出した。


    * * *


 学校前の道路を挟んだ歩道上には、レインコートを着たマスコミが群れを成していた。日差しを通さぬ梅雨の厚い雲が、道路にも街路樹にも、群衆にだって土砂降りの雨を叩き付けている。風がないだけまだ救いか、とは言えこの天気でヘリを飛ばしている勇敢なテレビ局はいない。

 校門前はブルーシートと黄色いテープで覆われていた。近隣住民から話を聞いてきた刑事の長海ながみは、前方で警備をしている制服警官に挨拶をしてテープをくぐる。なかにいた同班の綾瀬あやせ灰本はいもとが揃って長海を見た。


被害者ガイシャは市内在住の小坂こさかめぐみさんと朝霧あさぎりしゅうさん。二人ともここの学校の生徒です」


 灰本に続いて綾瀬が言う。「女の子のほうは二十六日の夜から連絡が取れてなかったそうだ。心配したご両親が昨日捜索願を出してた」

 今朝、藤ヶ咲ふじがさき北高校の校門前で二人の遺体が発見された。一人は下着姿で刺殺された少女の遺体。もう一人は左手がなく、頭部と両脚に激しい損壊が見られる少年の遺体。二人とも必要以上に痛めつけられ、惨殺されていた。


「発見されたのは?」と問う灰本に、「今朝の五時頃」と長海が答える。


「第一発見者は近隣のコンビニバイトの店員。ちょうど日が昇り明るくなってきた頃だろう、遠目から見て不審に思ったそうだ」

「もっと早い目撃証言ならさっき聞いたぞ。午前四時頃、住人のかたがこの辺りで白い幽霊を見たって。幽霊が犯人なんて、ネコメじゃあるまいし」


 綾瀬は呆れた様子で鼻を鳴らした。白い服装ということだろうか、長海は念を入れてメモ帳にペンを走らせる。防犯カメラでそれらしき人影を確認できれば手掛かりにもなるだろう。


「わざわざ校門前に遺棄したってことは、犯人は学校内に警備員がいないことを知っていたってことですよね」と、灰本は校内の警備資料のコピーをぱらぱらとめくった。

 確かにそれも一理あるが、仮に警備員や教員がいたとしても、視界が遮られるほどの大雨のなかにいる人影に気づけたという保証はない。


「やっと腕時計の詳細が掴めて持ち主が特定できたってのに、ろくに捜索もできないまま死体開示か。ふざけやがって」


 綾瀬は腕組みをして、憎々しげに目を細めた。

 朝霧少年の無断欠席は今月十七日からである。そして左腕と腕時計が学校に届けられたのはその翌日。切断された腕の解析は鑑識も音を上げるほど難しく、警察は腕時計から調査を広げていたのだが――もっと早く朝霧修の欠席に焦点を合わせるべきだった。息子を放任していた家庭環境のせいだと言うのは簡単だが、これは警察の落ち度だ。


「まるで答え合わせですね……」


 ぽつりとぼやいた灰本に、長海は「言葉に気をつけろ……」と指摘した。答え合わせ――この状況にはぴったりすぎる言葉であるが、口にするのは憚られる。

 腕の特定が警察への問いで、腕時計がヒント。そして正解に辿り着いた暁に、答え合わせの死体開示――ふざけるのもいい加減にしろと、長海は犯人に怒りを覚えた。


「なーんで二人同時なんだぁ? 女の子のほうは、少なくとも死後二十四時間は経ってるだろ? でも少年のほうは腕を斬られていても、見つかったときは死後八時間程度。おかしくねえか?」


 問題はそこである。犯人の思想など理解したくもないが、綾瀬の言うとおり不可解な点は多く見られた。

 死亡推定時刻は違えど、同じ場所同じ時間に二人も遺棄するのは、犯人からしても高リスクなことである。加えてこんな荒れた天気でも揃えて遺棄しなければならない理由があった。まるで廃品回収に出すかのごとく軽率で、しかし計画された犯行なのだ。

 さらに疑問を上げるなら、少年に対する怨恨の深さと切り取られた腕にあるだろう。ただの死体損壊ではなく、生かしたままの犯行。やはり犯人は独自の段階を作り上げている。つまりは、


「騒ぎを大きくするためにわざと発見を遅らせた――?」


 長海が呟くと、綾瀬と灰本はぎょっとしたような目でこちらを見た。


「死体損壊と死体遺棄、しかも犯人はその一部を学校に送りつけてるイカれ野郎だぞ。これ以上の事があるか? あたしは、被害者と遺族を弄ぶクソ野郎としか思えねえよ」

「犯人の目的が快楽以外にあるとしたら、騒ぎを大きくして事を荒立てる、劇場型犯罪……」

「でも犯行声明もなければマスコミにだって何の繋がりもねえだろ。陰でこそこそしてるだけじゃねえか」


 綾瀬の言うことももっともらしいが、灰本の言うように快楽殺人とは少しピントがずれているように思う。事を大きくしているのは事実なのだから、犯人には何か目的があるのだろう。俗に言う劇場型犯罪とは舞台が異なっているような――


「オカルト、じゃないですかね」


 そう言って灰本はくいと人差し指で眼鏡を上げた。「オカルト?」と、綾瀬が怪訝そうに問う。


「ネット上でも噂になってますよ、例のオカルト雑誌のせいで――学校の呪いだとか」

「呪いが原因だって言いたいのか? いやいや灰本、それはないだろぉ」

「いえ、そうではなくて……」


 言葉を選びながら、灰本はオカルト嫌いな長海のほうを一瞥する。長海は続きを促すような真剣な眼差しを送り、灰本は無言で小さく首肯した。


「犯人は、学校の呪いを題材に殺人を行なっているということです。これだけ手順を踏んで、事を大きくしているにも関わらず、犯行声明を出さない。つまり、人の手によるものだと思わせたくないからですよ。――現にこの学校には、そういった話が昔からあったそうです」


 一息に言って、灰本は自分のスマホを取り出して二人に見せた。映っていたのは、ちょうど今放送されているワイドショー番組。オカルト研究家の川口かわぐち氏がゲストに呼ばれ、藤ヶ咲北高校の事件と『今ネット上で話題の呪い人について』を長々と語っている。

 さすが灰本。足だけでなく現代文化にも視野を広げて調査するのは長海にはない部分だ。


「なるほど。呪いのせいにしちまえば犯人なんてものはなくなる、それが目的ってことか……チッ」

「犯人の目的が何であれ、四人も殺す気です。逃すわけには行かない」

「――四人? 四人って……」


 まさか、と灰本の眼鏡の奥で瞳が震えた。綾瀬も気づいたようにハッと顔を上げる。長海は深く頷いた。


「行方不明の生徒はあと二人います。犯人はまだ、終わらせる気はない」


 もし犯人が段階を踏んでいるとしたら、次に利用されるのは残りの二名。依然行方が掴めていない、松葉まつば千里ちさとという少女と、望月もちづき渉という少年である。

 こちらの二人は消息を絶ってからまだ何の情報も得られていない。これから利用される可能性は十分考えられる。


「……まあ、また新たな行方不明者が出るかもしんねえしな。とにかく地取りだ、ネコメはどうした?」


 半分頷きかけていた長海は、この場にいない相方を挙げられてぎくりとする。


「あいつなら、報告は俺に任せると言って風田かぜたさんと先に地取りへ……」

「え、なんかお前のほうが捨てられてねえ?」


 苦笑した綾瀬は、長海のしかめっ面を土産とばかりに覗き込んで踵を返した。隣で哀れむ灰本もその後を追う。まずは周辺への聞き込みと、防犯カメラを急ぎ解析することだ。

 これ以上、犠牲者を出してなるものか。学校の怪談を利用した卑怯な手口で幕引きになど、絶対にさせない。

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