仕返しでもしようってわけ?
「紹介するね。こちら、小坂めぐみさん。朝霧くんの……あー、元恋人?」
まあなんだっていいや、と茉結華は紹介ついでに言った。
名前を聞かされても、渉には思い当たる人物がいない。完全に初対面だ。
「で、あっちにいる彼は望月渉くん。小坂さんが今必死にいじめてる相手の幼馴染であり恋人」
茉結華が人差し指を向けると、小坂めぐみと呼ばれた少女は無言で渉を見た。渉は言葉も出ずに目を泳がせる。――朝霧の恋人で……必死にいじめている相手がいて……?
目の前で起きている事態に思考が追いつかない。しかし嫌な予感というのはいつでも健在である。渉は早鐘を打つ心臓に耳を貸しながら、本能的に武者震いした。
ひとつ屋根の下、当たり前のように家を出入りしているルイスや、トワという女も、この監禁部屋には一度たりとも来ていない。ルイスを見たのは二日間きりで、それ以降は面会謝絶だ。
そんな茉結華がこの部屋に他人を招き入れた。それ自体がすでにイレギュラーなのだ。
沈黙が続くなか、茉結華は「あれれ?」と首を傾げた。
「二人共だんまり? 何か言ってよ、寂しいじゃん」
ただひとりが、この空気に似合わない軽薄な態度を取っている。素人同士のやり取りを無理やり進行させていくテレビ司会者のごとく、しかしここはテレビで見るような華やかさもなければ、だだっ広いスタジオでもない。三人の少年少女だけが佇む、秘密の監禁部屋だ。
「修はどこ……?」
口を開けば、小坂めぐみは同じ言葉を繰り返す。
「居場所は知ってるんでしょう? だったら今すぐに会わせて!」
「んー、会わせて、かあ……」
他人事のようにぼやく茉結華は季節外れの革手袋をつけたまま、「それはもう少し後でかな」と顎に手を添える。
「あ、後でって……いつなの? 修は無事なの?」
なおも、朝霧の安否確認を求める小坂めぐみ。渉はじわじわと状況を呑み込んだ。
彼女は朝霧の恋人で、茉結華はその居場所を知っているとそそのかし、ここに招いた。行方不明の朝霧修に会いたいがため、彼女はここまで来たのだ。想い人のことで頭がいっぱいになるのは当然だろうし、呼び出されて来たのだから早急に提示してほしいというのもわかる。
しかし、朝霧はもう――
「あのさ、小坂さん」
求め続ける小坂に対し、茉結華は呆れ返った顔つきを見せる。
「小坂さんが言わなきゃいけないことって、もっとほかにあるんじゃない?」
そう言うと、彼女のほうへと一歩踏み出した。普段苛ついたときに渉にだけ見せるような子供じみた態度ではなく、あやすような諭し方でもない。
渉と味方以外に対する茉結華の熱は控えめだ。
「私、メールで言ったよね、目立たない格好で来てねって。……それで、その服装が、小坂さんなりの地味さ?」
じろりと品定めする茉結華に、小坂は両手を胸の前に当てて、女性的な本能で身構えた。
彼女の服装は、膝上丈のオープンショルダーワンピースに、下は裸足で、小さなショルダーバッグを肩から掛けている。どれも紺色で、色合いとしては落ち着いているほうだが、何よりも目立つのは桜色をした長い髪。茉結華によって床に捨てられた金髪ウィッグなど最早比にならなかった。
「だ、だって……修に会うんだから、当然可愛くないと……」
「そっちの事情は聞いてない。普段自分がしないような地味な格好で来てねって意味なんだけど、わからなかった? それじゃただの私服でしょ?」
理解力ないなあ、と呟く茉結華。
渉から見る小坂は、後ろ姿だけでも大いに存在感がある。ほとんどは髪色のせいだが、金髪のウィッグを被っていたとしても、確かにその時点で地味とは言い切れない。
「まあ、目立つから見つけやすいとは思うけど」
「見つけやすいって、何が……? あ、あなたこそねえ――っ」
小坂のボルテージが一段階上がったであろうその瞬間、茉結華はバッグのチェーンを素早く掴んだ。肩から滑り落ちたチェーンはするりと小坂の腕を抜けて、茉結華の懐へと収められる。
「ちょっ……何するの!?」
目を丸くした小坂は一拍遅れて反応した。
「か、返してっ!」
「携帯電話は没収」
「やめてっ! 触らな――」
伸ばした手が茉結華の腕に触れたとき、ヒュッ……と。
口から空気の漏れる音がして、小坂はその場に崩れ込んだ。
(……っ!)
渉は手錠に構うことなく身を乗り出した。――今、何をしたのか。
膝を付き、背中を丸めて肩を震わせる小坂めぐみ。その姿を見てようやく渉は、茉結華が『暴力を振るった』のだと認識する。
茉結華は空いていたほうの手で、小坂のみぞおち辺りをぶっていた。極自然に行なわれた、女性に対する暴力行為。渉のなかでは論外に値する、絶対にしないであろう行為。
その容赦のなさに開いた口が塞がらずにいると、茉結華は渉の様子に気づいてニコリと微笑んだ。
「渉くんは心配しないで」
柔らかな声色で言って、茉結華はバッグのなかに手を突っ込む。やっていることと言っていることが無茶苦茶だ。よりいっそう強くなった警告音に、渉は冷や汗を背中に流した。
「えーっと……あったあった。はい電源オフね、ほかにはぁ?」
バッグから取り出されたスマホは光を失い、茉結華のハーフパンツのポケットへとしまわれる。足元にうずくまる少女には一切気にかけない。
「ハンカチとティッシュと絆創膏……。ハハッ、女子力高いね」
物色を続ける茉結華はせせら笑い、小坂を見下ろした。ピンクの髪を床に広げて、彼女はまだ立ち上がれずにいる。
「お、おい……」
堪らず渉は声を漏らした。だが、茉結華も小坂めぐみも反応しない。
(大丈夫じゃ、ないだろ……)
渉の心配をよそに、茉結華は鞄からポーチをつまみ出すと、ガシャガシャと音を立てて振った。
「化粧品か。――あとは? 何これ、薬?」
そう言って取り出されたのは、花型をした小さなプラスチックケース。花びらに沿って区切られたケースに錠剤が分けて入れられている。
「へえー、今こういうのあるんだ? ピルケース、可愛いね」
見せびらかすように掲げて言うと、足元に崩れていた小坂が腹部を押さえてゆっくりと起き上がった。
「……女の子とも……デートしたことがない、童貞が! 気安く私の鞄に、触んないで!」
罵倒とも取れる言葉を並べてふらふらと立ち上がる小坂は、まだ身体が痛むのか、それともこの男には敵わないと学習したのか、手を出すことはせずに睨みつける。ぶたれた痛みよりも、いきなり殴られたというショックのほうがでかいのだろう。
茉結華はピルケースを持ったままきょとんとし、途端に「ああ!」と閃いたみたいな声を上げる。
「そっかそっかぁー! なぁんだ小坂さん、誘ってるの?」
「はぁ……?」
「だってそれ色仕掛けってやつでしょ? ふたりまとめて相手してくれるんだ? すごーい! 小坂さんってばインラン」
ケタケタと笑う茉結華は、持っていたピルケースがめぼしいものではないと知ると、鞄のなかに放り込んだ。明るい茉結華と相反して、小坂の表情は曇る一方と思われたが、
「あなた……おかしいよ……狂ってるんじゃない!?」
「狂ってる――? どっちが?」
茉結華の笑い声は吹き消され、空気は一瞬のうちに絶対零度と化した。
「私たちからしてみれば、小坂さんのほうがよっぽど狂ってるよ。だってそうでしょ? 色仕掛けも淫乱も、全部小坂さんが言ったことじゃん」
彼の言う『私たち』は自分と渉のことか、それとも響弥のことを指しているのか。
ぼやいたり諭したり、急に殴りつけたかと思えば笑ったり。茉結華の様子は初対面の小坂からしても、情緒不安定に見えるだろう。
「誰に対しての台詞かわかるよね? 叩いて、責めて、罵詈雑言を浴びせて……最っ低だよ」
茉結華の怒りの根源は――ここまで黙って見ている渉にも見当がついている。
いじめの話と、小坂めぐみとの待ち合わせ。彼女をここへ連れてきた理由は――
「そんなこと……あんたみたいな奴に言われる筋合いないわっ!」
図星を突かれても小坂は負けず劣らず、けたたましい勢いで吠える。茉結華は口を閉ざし、鬼の形相で睨みつけた。
小坂めぐみはフンッと鼻で笑った。
「大体この部屋、何? 男二人で気持ち悪い。仕返しでもしようってわけ? 特にあんた、何て名前か知んないけど……その喋り方似合わないし気持ち悪いよ? あっちにいる彼も、あんたも、ただで済むと思わないでよねっ!」
捲し立てるさなか、小坂は渉にも顔をやる。見えた顔つきは非常に険しいものだった。
小坂は短い息を吐き、「わかったらさっさとその鞄……」
返して。そう言い切る前に、茉結華は手にしていたバッグを後ろに投げ捨てた。
「なっ、何す――」
目を見開き駆け寄ろうとした小坂めぐみの細い腕を掴み、茉結華は反対側にひねるようにして壁へと突き飛ばした。
「凛ちゃんがどんな気持ちかも知らないで、よくもそんなことを!」
悲鳴を上げる隙も与えず、茉結華はピンク色の髪を鷲掴みにする。小坂は両手を使って必死に抵抗するが、目の前の男に気圧されて言葉もうまく出てこず涙目となっていた。
「馬鹿っ、やめろ!」
制する渉の声も茉結華は耳にしていない。伸び切った手錠の連結部分が、渉の焦りを表すようにカシャンカシャンと音を立てた。
「私のことはともかく、渉くんにまで手を出そうなんて! 一生早いからね……?」
「ぃ……イヤッ! 離し……離してぇえええンぐっ!?」
口から出た金切り声を革手袋で押さえて黙らせる。そんな茉結華の腰には折り畳み式の黒い棍棒、いわゆる警棒が引っ掛けられていた。何のためにそんなものを装備しているのか――
ほとんど鼻呼吸のみを強いられた小坂は、泣いても喚いても無駄なことを知って大人しくなる。
「いーい? めぐっち? これは遊びじゃない、お仕置きだよ。……いつまでも朝霧くんの彼女ぶっちゃって、『修を奪ったのはこの女だ』なんて、よく言えたもんだねぇ。自分だけ被害者気取り? ちょー、しの、いい、あた、ま」
茉結華は小坂の頭の上でリズミカルに手のひらを弾ませる。小坂は目にいっぱいの涙を浮かべて『うーうー』と唸りながら首を横に振った。
「ん、何? 精一杯謝るってのなら、許してあげてもいいよ」
「っ……ぷはっ――ぁ、だ、誰があんたなんかに」
ギチ。
離したはずの手を、彼女の細い首に絡み付かせた。
「じゃあ死んで? これも凛ちゃんに言ったことだよ」
「馬鹿っ! やめろっ! 何してんだ――!」
「ねえめぐっちぃ……聞いてる?」
茉結華は機械的に首を傾げ、小坂の力が完全に失われる前にその首を解放した。少女の細くて柔らかい首など、茉結華がその気になれば、窒息よりも先に骨折してしまうだろう。
激しく咳き込む小坂を置いて、茉結華はその場に起立する。
「ま、とりあえず土下座してもらおっか。立って、渉くんの前に行って、土下座して?」
再び見下される形となって、小坂は呼吸を整えながら、横に位置する渉をはじめて前方から目の当たりにした。そして、
「ど……どういう……こ、こと……?」
「何? 早くしなよ。土下座くらいわかるでしょ?」
「あぁあ、あの人……、て、手錠……」
茉結華はそれが何だと言わんばかりの顔つきで振り返り、渉の顔を一瞥する。
「か、監禁してるの……? あ、あんたが……あの人の、ことを……」
首絞めによって喘いでいた小坂の喉元は、今は恐怖で震えている。彼女がそう思ったのは、死角にあった手錠を目視したからだけではない。
繋がれた少年の姿が、なぜか冬用の学生服のままで、顔中は酷く傷だらけで――まるで、連れ去られたときから時が止まっているみたいで――ゾッとしたのだ。
「そうだけど、今、関係ある?」
平然と口にする茉結華の言葉に、小坂は身体の芯まで震わせた。
「は……は、犯罪じゃない! 百井凛の……か、彼氏を奪ってるのは……あ、あんただったの!?」
「えっ――奪うなんて、そんな……」
茉結華はちらりと渉を見て、また向き直ったかと思えば「まだしてない」と照れ臭そうな様子で言った。浮き続ける彼に、小坂の顔には嫌悪と苦悶とが滲んでいる。
「ねえ、早く土下座。凛ちゃんにもさせたことだよ?」
「し、知らない……私、知らない……!」
「えー? めぐっちぃ……嘘つくのはよくないよ」
そう言うと茉結華は小坂の後ろ髪を掴んで、今度は無理やり引っ張った。
「いっ痛い! ぁ、あっ、やっ……やだぁ!」
泣き喚く彼女の悲鳴を無視して茉結華は移動を強いる。小坂は痛みに耐え兼ねてずるずると床を這うように、渉の正面まで身体を持っていく。
「はい、ほらめぐっち、渉くんだよ? 何か言うことあるよね?」
茉結華は小坂の身体を跨いで立つと、髪をぐいと引っ張って顔を上げさせる。
(もう、やめてくれ……)
渉は痛みを受けたかのように表情を歪めた。正面にいるふたりの位置は、手を伸ばしても絶対に届かない距離にある。茉結華がそこまで計算しているのだ。
「う……ぅう、うぁ……うぅぅっ……」
しゃくり上げる小坂が言葉に詰まっていると、茉結華は「ないの?」と低く言って首をひねった。
「じゃあ身体で払う? 朝霧くんのお古ってことを除けば、めぐっちも十分可愛いよ」
茉結華は軽快な動作で小坂の肩を押して、仰向けとなった両手を掴んで拘束する。その手から逃れようとする前に、革手袋の冷えた感触が彼女の太腿を撫で上げた。
「っ……やッ、イヤぁぁあああ――っ!」
小坂の悲鳴が耳をつんざいた。渉も反射的に声を上げていた。
「やっ、やめろおおおっ!」
手錠に繋がれた手首に血が滲むほど片腕を伸ばす。けれど指先は届かない。声にならない声で小坂は泣き喚いた。
「こんなに短いスカート穿いてさぁ……襲ってくださいって言ってるもんでしょ。下着は何色? やるために来てるんだし、上下揃ってるよね」
茉結華は勝手な言葉をつらつらと並べる。少女に不快感を与えるのはスカートに潜り込んだ片手だけで十分だった。
「しゅ、修……修……うぅぅっ! 助けてぇ……! た、助けてぇ……っ!」
小坂は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、細い手足をばたつかせる。しかし茉結華を相手にして抜け出せるはずがない。
――どうすれば止められる……どうすれば!
渉は必死に答えを探して、頭のなかの引き出しをすべて開けて――そして、呼んだ。
彼じゃない彼の名を。
「っ……響弥っ!」
その刹那、茉結華はびたりと動きを止め、顔を強張らせた。
渉は繰り返し、嫌がらせのようにその名を呼ぶ。
「響弥……やめろ。その子は、関係ない」
波風立てぬよう穏便に過ごしてきたこの数日間が壊れてもいい。たとえ怒りを買うことになっても、目の前で泣き叫ぶ女の子を放っておくことなど、渉にはできない。
茉結華は天を仰ぎ、「……やーめた」と唇を蠢かした。飽きちゃった、と言い換えても自然な気だるい顔つきで、茉結華は散々まさぐっていた小坂の身体から手を離し、その上に跨るようにしゃがんだ。
「ねえめぐっちー、渉くんってば酷いんだよ。人の名前、わざと間違えて言うの。ねえ、酷いよね、めぐっちもそう思わない?」
にぱーっと。表情も声色もころっと変えて、茉結華は甘える子供のように微笑んだ。
「お仕置きが必要だよね」
今度はいたずらを思い付いた子供のように、茉結華の影が不気味に揺れる。
茉結華は腰元の警棒を外すと、音を立てて引き伸ばしながら、渉のほうへと向き直った。
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