第五話
今日はお前さんらが主役なんだ
「あたしの酒が飲めねえってのか?」
性格は几帳面で生真面目。捜査の情報や上司の伝言など、少しでも気になったことがあれば愛用のメモ帳にすべて綴っている。加えて堅実でお人好しな面があり、先輩や後輩からも愛のあるイビリを受けることがしばしばだ。
仕事終わり、仲間の行きつけの居酒屋に足を運んで早一時間。ここでのやり取りでもその性格は見て取れるだろう。
グラスを引っ込めて杯酌を断ろうとした矢先、荒い口調で言ったのは、長海と同じく普段からスーツを着込んでいる――女性刑事。
気の強そうな目でジトッと見据える彼女は、酔いもまだ回っておらず、腕まくりしたジャケットも着たままである。対する長海は暑さですでにジャケットを脱いでしまい、背後に畳んで置いていた。
「ベタですよ
グラスに注がれる何杯目かのビールを渋い顔で見つめる、長海の左隣から諌めるように言ったのは、眼鏡を掛けた若い男。いかにもインテリという言葉が似合いそうな彼の名は
綾瀬と呼ばれた女性刑事は二人の先輩に当たる。綾瀬は、後輩の言葉を右から左へと聞き流し、表面張力になるまでビールをいっぱいに注いだ。
「まあ飲めよ長海。今日はお前さんらが主役なんだ、遠慮するな」
そう言ったのは、綾瀬の隣で好物の枝豆を摘んでいる、上司の
長海は「はあ」と曖昧な返事をし、自分の右隣を横目で見た。――お前さんら、と言われても……。
「ははぁ、隣はもう限界だな」
「起きてるんですかねアレ」
「さあ?」
視線を辿って、長海の右隣にいる彼を、綾瀬と灰本が茶化しにかかる。班内で一番若く、日本人らしからぬプラチナブロンドの髪をした刑事――
冒頭こそエンジン全開で喋り倒していたが、十数分前から徐々に寡黙と化し、今ではこのとおり。六月下旬に合わぬモッズコートを羽織ったまま、半目開きでウトウト状態だ。しかし好物だという焼き鳥のハツはちゃっかりとたいらげている。
「ネコメは昔から酒に弱い」
誰が付けたのか知らない妙なあだ名を、風田は慣れ親しんだ様子で口にする。
ネコメ――それが白金頭の刑事に付けられたあだ名だった。
「ま、恒例ですからね、自分の時もそうでしたし」
灰本もまた自身の好物であるお茶漬けを片しながら言う。長海はそちらに目をやった。
「灰本も知り合いか?」
「ええ、第五係に来る前です、一時期彼と組まされたので」
「へえー……」
「何ならあたしだって組んだことあるぞー? 二週間もった。お前は?」
「一週間です」
灰本の答えを聞いて綾瀬はげらげらと笑い声を上げ、長海は自然と顔が引きつったのを自覚した。
「だからガンバですよ、長海」
「もう酒はいい……」
「では班長に」
灰本が最後の一杯を風田のグラスに注ぐなか、長海も好物の砂肝を完食した。
変人。変わり者。腫れ物扱い。そして――オカルトに特化した刑事。長海がその相棒――と言う名の世話役――に任命されたのはつい先日のことである。それまでは別の班で別の捜査に勤しんでいたようだが。
「みなさんそのあだ名で呼んでるんですか?」
「ネコメ?」
「はい」
長海の問いに、綾瀬は「ああ」と頷き、「みんな呼んでるだろ。
若くして上司にまで知れ渡っているのは、彼がそれだけ悪目立ちしているということなのか。訊かないほうがよかったと思いながら、長海は嘆息した。
「……刑事っぽくないと言うか、俺は遠慮したいです」
「お前は堅すぎるんだよなあ、灰本を見習え」
「綾瀬さんそれどういう意味ですか。言っときますけど、自分は流されて呼んでるわけじゃないですからね。あの本名を聞いたら……呼ぶ時あだ名のほうが緩和されるんですよ」
悪口にも聞こえる会話を、本人を前にしてするのもどうかと思うが。ちなみに、横の彼には猫っぽさの欠片もない。
「では名付けたのは朱野警部なんですね?」
「いいや、――俺」
「風田さん!?」
あだ名の話もそろそろ切り上げようとした矢先、長海は驚いて風田を見た。
「そう。こいつがまだ巡査の時に付けてやった。以来定着している」
「うんうん。あたしが言うのも何だけど、下の名前キラッキラだろ? フルネーム言うときアレだからさぁ、緩和だよ緩和、お互いにさ」
「な、なるほど……そうだったんですね……」
普段ジョークも言わない風田が命名、それはある意味貴重なことかもしれない。道理でみな親しんで呼ぶわけだ。なお、綾瀬の下の名前は『くる
「しっかしまあ昨日のあれは驚いたなあ」
話は一転し、綾瀬が口火を切る。
「子供のことをまるで他人のように扱ってたよ。……仮にも親だろ、心配にならねえのかなー」
「まあ……家出しても仕様がないレベルのご家庭でしたね」
昨日、綾瀬と灰本が訪問したのは、今扱っている事件の被害者と思われる少年の両親の元。父と母、被害者である息子、そして妹が一人いるその家庭環境は、刑事数人曰く酷く冷めたものだったという。在学中の高校では数日間の無断欠席が続いており、にも関わらず捜索願は出ておらず、両親は何の関与も興味も示していなかった。
少年は名を
「ショップ調べたのは長海だっけ?」
「はい、腕時計ショップ『オズ』です」
「どっから湧いた金かも調査しねえとな。高校生が百万だろ? ありえねー……」
首を左右に振って言う綾瀬は半ば気が引けているように見える。
先日、くだんの学校に送り届けられた被害者のものと思われる片手と腕時計。警察はそれらを手掛かりに捜査を進めているが、最早これはただの生徒行方不明事件ではない。異常者の犯行。じきに殺人事件として、捜査本部も置かれるだろう。
「写真見る限りじゃ、問題を起こしそうな子には見えませんでしたけどね」
「ああ、あたし好みのイイ顔してた」
「綾瀬さんは面食いですもんね」
「否定はしない」
被害者の少年がどんな人物だったかは明日学校へ行き調査する予定だ。
詰まったスケジュールのなか、今宵は新メンバー歓迎という泡沫の祝杯。主役の一人は眠り呆けているが――
「息子をバケモノ呼ばわりする人間の気持ちなんざわからんさ」
風田もあの家庭についてはよく思っていないらしい。
「あれ? 風田さんって、お子さんは今おいくつで?」
長海はふとよぎった疑問を口にした。
「俺はバツイチ、独身だ」
「……あ――す、すみません……」
「馬鹿、謝るな」
風田は苦笑してグラスを手にする。その薬指には長らく外していないような、食い込んだ指輪が見て取れる。
「ったく、デリカシーねえなぁお前ぇ」
「綾瀬も昔聞いてきたよな」
「そりゃあ聞きますよ、もちろん!」
彼女の頬がほんのり色付いて見えるのは酒のせいだろうか。こういった話も内部では時折繰り広げられることだ。――いわゆる大人の恋バナ、と。
「そういうお前さんは、恋人はいるのか?」
風田に問われて、長海は視線を傾ける。
「あー……、いやぁ俺は今は、女はいいかなって思ってます」
「何かっこつけてんだよ」
綾瀬が鋭く突っ込んだ。
「三十過ぎて泣き見ても知らねえぞぉ?」
「そうそ、綾瀬さんみたいになっちゃいますよ」
班内で唯一の女性刑事はチッと大きな舌打ちをし、「黙ってろ」と灰本を睨んだ。そのときだった、長海の右肩に重みが寄り掛かったのは。
拍子に横を見ると、つむじから奇麗に生えた白金髪が視界に入る。寝ている男に肩を貸すほど優しくはないので、長海はぐいと押し退けるが、すぐにまた肩を枕に使われた。それを見た綾瀬が一言。
「あー、こりゃあ確かに女にかまけてる暇はなさそうだなぁ?」
ニヤついた顔で言いながら、風田と同タイミングで立ち上がる。続いて灰本も上着を持って起立した。
「お前さんらの分は俺が持つから」
「え? ちょ、ちょ、待ってくださいよ」
「班長の奢りだってよー。よかったな長海ぃー」
「ああ、自分も帰りますので」
焦る長海を置いて、みな続々と座敷から足を下ろしていく。
「いやいやいや、みなさん助けてくださいよ」
「ムリムリ。あたし置いてったし、さすがに九も下の男は家上げれんわ」
「だから言ったでしょう、恒例だって。あ、ちなみに自分も置いていきました」
「そ、そんな……」
話題の中心となっている男は長海の肩口でスヤスヤと寝息を立てている。できることなら自分も置いていきたいが、一人で帰ったところで自責の念が残るだろう。無理矢理にでも起こすしかなさそうだ。
「どうにかしろよー、相棒」
軽いエールを最後に送り、じゃあな、と綾瀬が手を振る。後ろに続く風田は妖しく微笑みながら、そして灰本は肩をすくめながら、三人共に長海の視界から消えた。
「……おい、起きろ」
一人、いや二人で残された長海は、スリープ状態の相方の肩を揺さぶってみる。色白の肌を薄ピンクに紅潮させる片割れはまったく起きる気配がなく、白金の前髪の下から覗く無駄に長い睫毛を微震させるだけだった。人の気も知らないで……と、その幸せそうな寝顔に苛立ちを募らせる。
とりあえず店を出て、長海はタクシーを拾うことにした。
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