……そんなの、愛じゃない
ゴールデンタイムになってもルイスはパソコンから離れず作業をし続ける。六つのディスプレイには、学校と街中とこの部屋の監視カメラ映像がそれぞれ映し出され、藤北の裏サイトと明日のスケジュールも並べて表示されていた。
観測、報告、細工。情報を用いて内側から撹乱し、動きがあれば逐一茉結華に伝える。外部から気づかれた様子はまだない。連日続く生徒失踪事件と不審物の件で、警察はそれどころではないらしい。
キーボードを打鍵するなか、部屋でドタンと何かが倒れる音がした。それからコンマ数秒遅れて、監視カメラ映像のなかの望月渉が後ろへと倒れる。
夕飯を食べ損なった渉は、茉結華が部屋を出てからというもの、すぐに腕を前にやって二足歩行で室内を行き来しはじめた。足首にはむろん結束バンドがされていて、歩行は非効率的であるというのに――
なのに渉は
尻餅をついていた渉はヒョイと立ち上がり、ふらつきながらも再び歩行をはじめた。今の段階では膝立ち歩きのほうが幾分マシと言えるが、それでもやめないのは何か考えがあってのことか。
カメラ近くに寄った渉は突然と口を開いた。
「なあ……響弥とどういう関係?」
誰かに話しかけるというよりは、独り言のような調子である。ルイスは人知れず驚き、部屋の映像に目を向けた。渉と正面から目が合う映像、後ろ姿の映像、左上からの映像、右上からの映像――それらが、モニターに映し出されている。
「出会ったのはいつ? ……それも答えられない?」
ひとつ屋根の下の同じ部屋で、渉はカメラを通して会話しようと試みているのだ。映像に音声はないため、実質、中距離からする会話である。
渉がふたりの関係について尋ねるのはこれで二度目だ。茉結華に小声で訊いていた一度目をルイスは知っている。どうしようかなと、眼鏡を掛け直して思案した。
現在、茉結華は別のことで忙しい。この部屋に戻るのももう少し経ってからだろう。休校だった今日の録画を確認することはないだろうし――
「彼と出会ったのは……三月。秋葉原で出会ったんだ」
迷った末に、ルイスはやおらに話しはじめた。茉結華と――響弥と出会ったときのことを。
まだ肌寒い三月のその日、ルイスは秋葉原で電化製品の下見に来ていた。暇さえあれば街を訪れて、商品を見て歩く。ルイスにとって秋葉原巡りは日常のひとつと化していた。
そんなある日のこと、街で声をかけてきたのが、
「T……と言っておこうか」
名前まで言う必要はないと考えて、渉にはそう告げておく。
Tという男はいわゆる――ごろつきだった。
「絡まれたのは初めてじゃなかった」
Tはルイスが街へ行くたびに現れては絡んでくる厄介な相手であった。その日もTは、いつものように金を要求した。昔のことと、今の日常を――いつまでもいつまでも脅迫の道具にして仄めかす、卑怯な奴である。
絡まれることを予測していたルイスはこの日、金銭を持っていなかった。だがこちらの事情をTがまともに受け入れるはずもなく――
ルイスはひと気のない路地に連れて行かれ、そこでもしつこく金をせびられた。ないと言っても信用されず、果ては『いい加減にしないと殺すぞ』などと脅され、今が人生最大のピンチだというほどの恐怖を味わった。
そんなルイスの元に現れたのが、
「まだ高校一年生だった、響弥くんだよ」
響弥は、旅行にでも行くような大きなスーツケースを引いて、二人の間に割り込んだ。人間なら誰しも関わりたくないと、本能で感じるであろう人種の前に、臆することなく進んでいった。なんて勇敢な子なんだろうとルイスは正直に思った。それはそう、尊敬の念を抱くほどに。
けれど、Tの対応は甘くなかった。
響弥の胸ぐらを掴み、顔を殴りつける。よろめいたところを、狙ったように蹴り上げて、また殴る。最後には首を絞められて、響弥の口元には血と唾液が伝った。
それを見て、ルイスは――
足元にあった鉄パイプを拾い上げて、Tの後頭部を殴って、
「……殺した……?」
言葉を切ったルイスを急かすように、渉がその先を言い当てる。ルイスはその問いには答えずに、けれども結末までを重々しく語った。
Tを殴りつけたルイスの心中は酷く冷静であった。呻き声を上げてうずくまった背に、もう一度鉄パイプを食らわせる。さらにもう一度、もう一度。やがて静かになったTの頭はものの見事に割れていた。
まだ高校一年生の響弥は悲鳴の一切を漏らさず、崩れゆく死体を見つめて呟いた。
『死体を隠そう』
響弥は持っていたスーツケースを開けて、そのなかに死体を詰め込むように提案した。スーツケースの中身は不思議なことに空である。ふたりは地面に飛び散った血を、土や埃とで誤魔化してその場を後にした。
ガラガラと音を立てて棺を運び込んだのは、ルイスの住んでいるアパートの一室。さてこの死体をどうするか。そう考えるよりも先にするべきことがあり、ルイスはパソコンを立ち上げた。
さっきまでいた路地周辺の住所の特定、店の把握。そして、防犯カメラのハッキング。久しぶりの遊びに、ルイスの心は高鳴った。
凄まじい勢いで画面を流れるプログラミング言語と、衰えを感じさせないルイスの指捌きに、響弥が放ったのは『すごい』の一言。ルイスによる隠蔽工作の末、この日三人は『秋葉原には来ていない』ことになった。
それからふたりは街を離れて、人が寄り付かない小さな山奥に、スーツケースごと死体を埋めた。穴はシャベルで深く深く掘り、被せた土には平らな石を積み重ねて。すべての作業が完了する頃には、もう日がとっぷりと暮れていた。
帰路の途中、ルイスは隣で歩く響弥を盗み見て考えた。はたしてこの子を帰してしまっていいのだろうか、ここで別れてしまっていいのだろうかと、妙に大人びた横顔を見つめて悩んだ。彼が何を考えているのか読み取れそうにないし、この子が黙っているという保証もない。
どうしたものかと悩むルイスを振り返り、響弥は言った。
「これからのことを相談したい、今日泊まってもいいですか、とね。……そうして僕は、彼と出会った」
アパートに戻って初めにしたのは、土と汗で汚れきった身体をシャワーで洗い流すことだった。ルイスが先に入り、響弥は後から入る。服はルイスのものを貸して、下着は新品のものを開封した。
シャワーを終えて現れたのは響弥ではなかった。
自分のことを茉結華と名乗り、濡れた頭をタオルで拭く――白い髪の少年。
茉結華は自嘲気味に笑った。
『不気味でしょ?』
ルイスは首を振った。
そんなことはない、とはっきり告げた。
「運命だと感じた。僕のこれからは、彼と共にあると思った……」
「…………」
「一目で魅了されたよ」
ルイスは陶酔した顔で、ほんのり紅色に染まった頬を緩めている。
茉結華は今後のことを相談した。自分の計画、やりたいこと。ルイスのような人材を探していたことも、全部、全部。赤裸々に明かして――ふたりは共犯関係となった。
その関係はこれから先も続いていくのだろう。ルイスにできることは、茉結華を信じ、支え、彼のために尽くすこと。選ばれた自身の力を、彼だけのために酷使すること。
それが愛だと、ルイスは信じている。
「……そんなの、愛じゃない」
昔話の余韻に浸るルイスを、カメラ越しの渉は一蹴した。話が後半に行くにつれ、口数が減っていた渉だが、沈黙を破ればこれである。
頭から水を掛けられたルイスは画面を見据え、カメラ越しの渉を暗い闇の底に沈めるかのごとくパソコンをスリープモードにした。席を立ってディスプレイの城壁から前に出ると、気配を感じた渉が振り返る。カメラ越しと変わらない、生意気そうな顔で。
「僕はあの子のことが好きなんだ。愛してあげなきゃいけない」
渉と面と向かったルイスは、それに、と言葉を繋げる。
「それにこうも思うんだ。茉結華は僕のことを知っていて、声をかけてきたんじゃないかってね」
胸のむかつきを抑えるみたいに渉は顔色を曇らせる。まるで汚いものでも見るかのような目つきでルイスを見る。
「きみはどうだ?」と、ルイスは涼しい顔をして弾き返した。渉は「は?」と鋭く聞き返す。
「見てればわかる。きみと茉結華が、親密以上の関係だってこと。けどきみは……困らせてばかり……。茉結華の『お気に入り』だとわかっているくせに。……彼のこと、好きなくせに」
「……はあ?」
渉は軽蔑にも似た表情を浮かべて困惑していた。
長話の延長でつい口を滑らせてしまったが、ルイスは後悔などしていない。むしろ、言ってやったという満足感に溢れていた。
「これ以上は言わない。あまりいじめると怒られる。きみは茉結華の『お気に入り』だからね」
最後まで語調を強めて言って、ルイスは部屋の鍵を開けて出ていった。言い逃げされた渉は、後味の悪さを噛み締めながら毒を吐く。
「くだらない……」
思い出話が聞けて納得した反面――ああ、こいつも洗脳されているんだな、と。
渉は一人、絶望した。
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