お前とどういう関係なんだ

 カラオケに行ったのは放課後になってすぐ、時刻で言えば午後五時前のことだった。男子五人でお馴染みのソファールームを選ぶ。いつもなら渉が個人的に頼んでいる唐揚げを、この日は柿沼が注文した。分けてやるからと言うので、渉は割り勘を想定して承諾した。

 四人揃った個室に響弥が最後に入室して、持っていたコーラとメロンソーダをテーブルに置く。


「ほい、渉。コーラ」

「俺ドリンク付けてないけど」

「何言ってんだ、俺からのサービスだよ。せっかく凛ちゃんとくっついて、ハッピーエンドぉーを迎えたんだから!」

「は、ハッピーエンド……?」


 生徒の失踪が続いていると言うのに呑気なものだ。そう思いつつ渉はドリンクを受け取った。


 全員が席に着いたところで、「俺の唐揚げも奢りだぜ!」と柿沼がドリンクを掲げる。

「俺はポテトー! おめーらも食えよ食えよー?」と清水が言って、「もう食べてるー。ちなみに僕は部屋だーい!」とゴウが答えた。


「いや、お前ら、それは……」

「遠慮すんなって。いつも無理やり付き合わせてるのは俺らだしよ」


 戸惑う渉に、清水はいたずらっぽい笑みを向ける。


 ――遊園地で幼馴染の凛に告白した。彼女も同じ気持ちだと言ってくれた。渉が一番にメールで報告したのは、親友の響弥であった。響弥はグループトークを通じて、清水たちに報告する機会を与えてくれた。冷やかしだって予想していたのに――彼らは心から祝福してくれた。

 なかでも響弥は、誰よりも喜んでいたように思う。まるで自分のことのように。


「ではではぁ、渉のリア充化を祝して……かんぱぁい!」

「乾杯!」


 五人はグラスを掲げた。アイドルグループのライブ映像を流して、観賞して。歌って騒いで、食べて飲んで――

 渉のドリンクは毎度響弥が用意してくれた。

 そうしていつ頃か、渉の意識は途絶えた。




 そんな夢から覚めた渉を、硬い畳の感触が迎えた。

 身体が酷く軋んで痛い。腕は後ろに回ったまま、ずっと同じ体勢で眠っていたようだ。乱れていた学生服は、ボタンもきっちり留められて元に戻っている。

 渉は辺りを見渡した。部屋は変わっておらず、明かりも灯されていない。茉結華の姿はなく、不気味なほど静かだ。


(マジで何なんだよ……なんでいないんだよ、あの馬鹿!)


 家に連れ込んでおいて乱暴した挙げ句、放置とはどういう了見だ。渉はまだ、そんな甘いことを考えていた。


 不変的な状況に現実逃避したくなるが、まずは後ろに回っている腕をどうにかしなくてはならない。

 渉は寝転がったまま身体をひねり、下半身を腕の輪に通した。制服が擦れて動き辛いが、足の付根から太腿までが通る。膝を深く折って身体を丸めて、難関なのはそこからだった。足首を繋がれているため、片足ずつしか通すことができないのだ。

 チッ。口から舌打ちが漏れる。腕をいっぱいに開いて――足を滑らせて――何とか手を回すことができた。身体の柔軟性に自信のある渉でも一苦労だった。


 渉はふーっと息を吐き出し、閉め切られている引き戸に目をやった。身体を起こして膝を付き、移動する。

 見た目は襖のようだが、表面を触ると紙質でないことがわかる。全体が木材でできていて、模様は貼られているだけのようだ。開放を試みるも、戸はビクともしない。向こう側から突っ張り棒か何かで固定されているのか。


(俺を閉じ込めてどうしたいんだ)


 最悪のタイミングで出くわしたくはないので、渉は戸から距離を取り、両手の親指を縛る結束バンドに目をやった。今一番ストレスを与えているのはこれだ。こいつのせいで、身体の自由がまるで利かない。

 渉は結束バンドに歯を立てた。縛られているとは言え所詮はプラスチック。噛み切ることは可能なはずだ。しかし、隙間なく付けられた結束バンドは、その部分だけを狙うのが難しい。噛もうとすると指まで巻き込んでしまうのだ。

 噛み千切るには時間がかかりそうだと、渉は肩を落とした。すると先ほどまで調べていた戸が音もなく開かれて、明かりに反応してそちらを見ると、白い髪の彼が顔を出していた。


「おはよう、渉くん。もう朝だよ」


 そう言って引き戸を全開にし、部屋のなかに入ってくる茉結華。奥の部屋は明かりがついていて、机と椅子とパソコンが見えた。どうやらこの部屋は、大きな一室をふたつに隔てたものらしい。

 渉は咄嗟に手を足の間に隠した。前に回していることがバレたら、また何をされるかわかったものじゃない。けれど茉結華は別段気にする素振りを見せず、まっすぐ歩み寄ってきた。その両手には、ラベルのないペットボトルが握られている。


「お腹空いてるでしょ? 帰ったらご飯にしようね、今日は早帰りになると思うからさ」

「は、早帰り……?」

「うん、予定通りならね」


 だからそれまでいい子にしててね。その言葉がなければ、『一緒に学校に行こうね』という平和的な意味にも捉えられたかもしれない。


「トイレはあそこ。綺麗に使ってね」


 茉結華はある一方を指して言った。向かい側の部屋に設けられている、洋風の引き戸のことである。一見して物置部屋にも見えたがトイレのようだ。


「これはお水、好きに飲んで」


 ポンッという音を立てて、茉結華はペットボトルのキャップを開けた。二本あるペットボトルには、ストローキャップが取り付けられていた。茉結華はそれをわざわざ見せてから、蓋をパチンと締めた。


「手、俺が前にしてると思って、それ持ってきたの?」

「いいや? でもどのみちそうしてたでしょ、渉くん身体柔らかいしね。……できなかったら私がトイレさせることになるし」

「……」


 こちらの動きは想定通りか。渉の思考も行動も、すべて読まれている。

 つまり、ある程度の自由は最初から与えるつもりだったわけだ。排泄管理は冗談でもぞっとしない。

 茉結華は『えへへ』と照れくさそうに笑って、渉の手に触れようとした。渉はそれを避けようとして手を引っ込める。


「何だよ」

「新しいのに替えるんだよ」

「必要ない」

「渉くんが決めることじゃないでしょ」


 茉結華は嫌がる渉の腕を無理やり掴み、構うことなく結束バンドに指をかける。呻き声を漏らす渉に、茉結華は含み笑いした。


「……噛んだね?」

「…………」

「ねえ、噛んだでしょ? だから嫌がったんだ……悪いことするなあ、渉くんは」


 茉結華はプラスチック部分を撫でながら目を細めた。渉は何も言わず、ただ黙ってその顔を見つめた。普段なら図星に耐えきれず目を逸らしているところだが、渉は自分の行いを咎めていない。だから、それがどうしたと言わんばかりの態度を示してやる。

 茉結華は空いていたほうの手で、渉の顎を乱暴に掴んだ。


「次やったら――歯、全部抜くからね」


 口角を上げて囁く茉結華の目は、笑っていなかった。

 引き寄せられる腕も、無理やり掴まれている顎も、ものすごく痛い。その間違った力加減に、渉は唾を飲んだ。


(響弥の出せる力じゃない……)


 渉の知っている響弥は、体育の成績も悪くて、マット運びで音を上げるような奴だ。姿形は同じ……だけど、同じ人間とは思えない。触れ合うたびに、思考が乱されるようだ。


 いつの間にか渉の指には、新しい結束バンドが取り付けられていた。茉結華はハーフパンツのポケットから折り畳みナイフを取り出すと、古いほうの結束バンドを切る。足も同じように、先に新しいものを取り付ける。


「あのさ……」


 渉が口を開くと、茉結華は手を動かしたまま「んー?」と返した。

 訊きたいことはたくさんある。響弥のことも、彼自身のことも――そしてこの状況のことも。

 だが渉が選んだのは、そのどれでもなかった。


「家に連絡……してあるんだよな?」

「…………え?」


 茉結華は結束バンドを切ろうとした手を止めて、顔を上げた。


「何日間か泊まるって……俺んちに、連絡してあるんだろ?」

「…………」


 ぽかんと、茉結華は目を丸くした。まるで何を言っているのか理解できないといった顔つきで。やがて、「ぷっ、ふふっ……ふふっふ、くくっ……!」と吹き出して笑う。


「え!? なに、連絡? 連絡って、渉くん……! ふふっははは」


 堪えるのが困難な様子で、茉結華は笑い続ける。渉は微動だにせず、ただ冷静さを装って相手の返事を待った。


「あー可笑しい。渉くん、これはお泊り会じゃないんだよ? 笑わせないでよ、もー」


 茉結華は渉を馬鹿にしているわけではない。ただ当たり前のことを言っているだけなのだ。お遊びなわけがないだろうと。

 しかし渉だって本気である。決してふざけて訊いたわけではない。

 渉は、これが本当はすべて響弥の独断で、大きな悪ふざけで、企みで……と思いたかった。

 ――少しの希望と望みを、確認したかっただけだ。


 結束バンドの取り替えが完了したとき、死角で見えない扉から、細身の男が一人――向かい側の部屋に現れた。顔に赤縁眼鏡をかけ、下ろすと少し長そうな髪を後ろで結んでいる。服装は茉結華と同じくラフなものだ。

 茉結華は振り向き、男に言った。


「あ、ルイスさんおはよう」


 ルイスと呼ばれた男は、人見知りそうな笑みを浮かべて、茉結華と――渉にも一瞬だけ目をやり、「おはよう」と言った。その声に力強さはなく、かと言って緊張や怯えがあるふうでもない。無条件に人に好かれそうな声をしていた。パソコンのある席に着いて、手に提げていたコンビニ袋を隅に置く。


(ルイス……?)


 ――兄弟? 親戚? まさかなと、渉は考える。響弥とは似ても似つかない、見るからに他人で、見るからに真面目そうな青年だ。

 茉結華は再度渉を振り返り、ふふっと笑った。


「ルイスさんは普通の人だから、迷惑かけちゃ駄目だよ」

「……今日は、六月十八日、火曜日でいいんだよな?」


 自分の聞きたいことを優先して渉は尋ねる。茉結華はうんと頷いて、顔だけ振り向かせた。


「ルイスさーん、今何時?」


 ルイスは複数台ある液晶ディスプレイのうちひとつに目をやり、「午前五時四十三分、二十九秒」と機械的に答える。茉結華が部屋に来たのは五時半頃か、随分と早起きなことだ。

 優秀な部下を自慢できて満足だというふうに、茉結華は立ち上がった。


「そろそろ準備しないと」

「ま、待て……! あの人は何なんだよ?」

「だから普通の人だってば」

「お前とどういう関係なんだ」


 渉は茉結華の手を掴んで、できるだけ声を抑えて言う。この距離では小声でも会話が筒抜けだろうけれど、ルイスはふたりのやり取りを気にしていない様子でモニターを見ている。

 茉結華は困ったようにはにかんだ。


「渉くん、


 物乞いする子供に言い聞かせるような口調で茉結華は言う。渉は口をつぐみ、そっと手を離した。


「寂しがらないでよ。昼には帰るからさ、いい子にしてたらいろいろ教えてあげる。ご飯もね」


 そう言い残して、茉結華は部屋を出ていく。

 渉は、閉鎖されたひとつの部屋で、見ず知らずの男と二人きりになってしまった。

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