直感と本能

「望月……」

「へ?」

「話、つまんなかった……?」


 昼休み、渉と机をくっつけ合って昼食を取っていた杉野すぎのは、眉尻を下げて尋ねた。どうやら自分の話を聞いていないのかと不安に思ったようらしく、渉は慌てて首を振る。


「あ、いや、ちょっとボーッとしてて。……決断力の話だろ?」


 そう聞き返せば、杉野はコクリと頷いた。一緒に食べないか? と声をかけたのは渉であり、それを快く受け入れた杉野の話を無視するはずがない。上の空だとしても、耳はしっかりと杉野に向けていたつもりだ。

 杉野は話を続ける。


「俺は優柔不断だからさ……したいことがあっても決断できないし、どっちって訊かれるとすげえ悩んじゃって……」

「いろんな事を考えちゃうってことか」

「うん……だから流されやすいのかも」


 杉野はしゅんとして、長い前髪を指で梳いた。

 自虐のような彼の口ぶりに、渉は『ううーん』と唸る。傍から見ても杉野は消極的なタイプだ。だけどそれを悪いと思ったことは、渉は一度だってない。


「もしもとかタラレバって注意力が高くて、俺はいいと思うよ。……本当に迷ったときは、自分の好きなほうを選べばいいんじゃないか?」


「……例えば?」と返す杉野の語調には真剣味がこもっている。

 渉は「例えばー……」と呟き、少し考えた。


「服や文房具で悩んだら、俺はどっちも買うなあ……。見た目と質と、あと使い方や用途? そういうの考えだしたら切りないし、食い物なら今食べたいほうを選ぶ」

「どちらか一方だけを選べ、と言われたら?」

「んー、一方か……」


 答えを舌の上で転がしながら、渉は食べ終わって空になった弁当箱を片付ける。

 この際どちらも選ぶというのはズルなのかもしれないと思った。そしてこの話もタラレバ――仮定の話だ。


「直感って言ったら困る?」

「……うん、わかんない」


 その答えを聞き、渉は閃いたような笑みを浮かべる。


「なら先に目が行ったほう、もしくは頭に浮かんだほうを選ぶ」

「へえ……?」

「人間、これだと思ってるほうに目が行きやすいんだってさ。迷っていても、本心では決まってるってことだろうな」


 テレビか何かで聞いた、おそらく心理学の一種であり、渉が特別詳しいわけではない。しかし本能を利用するというのが印象深かったため覚えていた。

 杉野はふむふむと首肯をする。どうやら納得してくれたようだ。彼が弁当を片付けはじめたところで、渉は改まって問うた。


「で、何を悩んでるんだよ」

「えっ」

「杉野がこんな話するの珍しいからさ。だからきっと何かあるんだろうなーって思ったんだけど……もしかして深刻な話?」

「あ、あはは……どうかな……」


 わかりやすく空笑いをした杉野は、隠し事をするかのように首に手をやった。その素振りは、言いたくても言えない、それすらも迷っている――というふうに見えた。


「まあ、無理にとは言わない……」


 話せない仲じゃないだろ、と責めるのは自意識が過ぎるというものだ。他人に言えない悩みや不安なら誰しもあるだろうし、それを無理に聞き出そうとは思わない。渉自身がそうであるように――話したいときに話してくれればいい。


 渉は水筒を手にして、教室の前扉に目を向けた。杉野は長い前髪の下、瞬きをして、「望月は、俺の名前……」と――そこで言葉を止める。渉の目線を辿り、杉野もそちらを見やった。

 視線の先には、たちばな芽亜凛がいた。昼休みに入ってすぐに教室を出ていった彼女が戻ってきたのだ。

 どこかで昼食を取ってきたところだろう――少なくとも凛の元ではないはずである。早くもテスト返しが開始されている今、後受けしている凛とは接触が禁じられているのだ。

 杉野が椅子を引いた音で、渉の意識は引き戻される。


「お茶なくなったから自販機行ってくるよ。……聞いてくれてありがとう」

「あ……うん」


 渉に気を遣ったのか、杉野はいそいそと教室を出て行った。適当な返事をしてしまったことを心苦しく思いながら、渉も席を立つ。


 芽亜凛の席のその傍らで立ち止まり、「少し話がある」と、渉は声の大きさに気をつけて言った。思えばクラス会議の後から、芽亜凛に近付くのは容易くなった。それ以前は彼女に構う者も多く、話しかけるのもためらわれていたのに――

 芽亜凛は資料を片付ける手を止めずに、


「私はありません」

「……っ、は?」


 半笑いのような声が渉の口から漏れた。芽亜凛は気にせず片付けを続ける。その横顔が崩れることも、こちらを見やることもない。

 渉は小さくため息をついて言った。


「じゃあ一方的に言わせてもらうけど、構わないかな」

「おかしな人……いったいどうしたんですか、そんな怖い顔をして」


 そう芽亜凛は言うけれど、彼女はまだ一度も渉を見ていない。教科書やノートを机の上で、トントンと音を立てて揃えている。その音さえ神経を逆撫でし、渉は唇を噛んだ。

 机上に片手を置き、静かに尋ねる。


「……響弥に何をした?」


 今までの、いろんな出来事を含めて――ようやく訊けた。尋ねたくて仕方がなかったことだった。

 芽亜凛は、機械人形のごとくピタリと手を止めた。ゆっくりとこちらに顔を向けて、


「望月さんが何を言っているのかわかりません」


 機械的に、そう言った。

 とぼけるつもりか。ならば、とぼけようのないくらい明確に告げるまでだ。


「きみが跳び箱の事故に遭ったあの日……保健室に響弥と一緒にいたよね」


 渉は周りに聞こえぬよう注意を払う。


「あいつはきみに手当をしてもらったって喜んでたけど、それは嘘だ。響弥の手のひらには大きな傷跡があったんだよ。刃物で切られたような――傷跡がな」


 顔を近付けて言う渉の様子は、傍から見ればナンパしている様にも見えるのだろうけれど、構うものか。


「響弥はそれを隠してた……それで思ったんだ。傷を付けたのはきみで、響弥はきみのことを庇ってたんじゃないかってな」

「どこに、そんな証拠があるんですか?」


 今度は身体ごと渉のほうへと向けて、芽亜凛は強気な姿勢を見せる。表情、声色、仕草。芽亜凛の様子は何ひとつと言って代わり映えしない。

 しかし、渉は――取りやすくなって助かる……とほくそ笑んだ。


「証拠なら、昨日のきみの行いが物語ってる。それとも……こっちのほうがいいかな?」


 そう言って手を伸ばし、芽亜凛の胸ポケットにしまわれているカッターナイフを素早く抜き取った渉は――目を丸くする。


(あれ……?)


「ペ、ペン……?」


 それは、昨日見たカッターナイフと見た目がそっくりな、ただのボールペンだった。外に出ていたクリップ部分だけでは見分けがつかないほどに、そっくりである。

 渉がよそ見している隙に、芽亜凛はガタンと大きな音を立てて立ち上がった。その目には涙が浮かんでいて――


「ひっ、酷い……っ! 信じられません……」

「な、何が……」

「急に、お、女の子の胸を触るなんて――!」

「は……はあ!?」


 二人の大きなやり取りに、クラスの何人かが顔を向けた。

 芽亜凛は胸元を押さえて身を縮める。渉は自分の耳を、目を、この状況を――疑いたくなった。動悸がして、思考が乱れていくようだった。


「望月殿、今の話マジで?」と、黒板側から窺っていた玉森たまもり和可奈わかなが、数歩前に出て言った。


「メアリン泣いてる……」

「ちょ、マジじゃん、待て待て待て待て」


 同じグループに属す谷村たにむら美島みしまも順に言って、三人は芽亜凛のそばに駆け寄る。待て待て待て待てはこっちの台詞だと渉は思った。


「ご、誤解だって! 俺は別に、その……」

「私のペン、返してください……」


 震えた声で芽亜凛が言うと、三人が一斉に渉を見た。その視線が自分の手に集まっているのを感じ、渉はおずおずとペンを差し出した。谷村が受け取って、芽亜凛の元にペンが帰る。


「望月くんって紳士のイメージがあったから、ちょっとショックだなあ……」


 美島から追い打ちを食らい、渉はどうしたらいいのかわからなくなった。

 ただひとつ理解したのは――まんまと逆手に取られたこと。刃物だと思い込んでいたそれは、ただのペンに変わっていた。

 ――やられた。橘芽亜凛に。


 そのとき、狼狽する渉の視界に、一人の刑事がちらりと映った。先を急ぐような早足で通り過ぎた、神妙な面持ちの彼の名は、


長海ながみさん……?)


 ――間違いない。取り調べでお世話になった、長海刑事だった。


 渉は周囲の視線を振り切って廊下へと出て、「長海さん!」

 D組とC組の境にいた長海は、渉の呼びかけに振り向いた。渉は小走りで彼の元へ行く。警察に自ら話しかける生徒など、彼を除いて何人いるのだろうか。


「望月渉くん? 先日ぶりだね、どうかした?」


 名前を覚えていてくれたことに渉はひとまず安堵する。生真面目そうなこの刑事なら、一度聞いた名前もすべて覚えてそうな気がした。本当にまっすぐな目をしている人だ。


「植田先生のこと、重傷って聞いたんですけど……そんなに酷い傷なんですか?」

「――傷じゃ、ないんだ」


 長海は迷いなくかぶりを振って言った。


「と言うより、外傷は少ないと言ったほうが正しい」

「が、外傷は少ない……?」

「持病の線も疑われている」


 渉は思わず首をひねった。


「……でも、教頭先生は『事件に見舞われた』と言ってました。それって病気じゃないってことですよね?」


 渉はほとんど事実に近い、言い逃れができないような指摘をする。

 昨夜の響弥の状態からして、植田先生も同じように刺されたのかとばかりに考えていた。外傷が少ないということは、致命傷は別。

 ――まさか同一犯による犯行ではないのか。それとも二人が同じ日に事件に遭ったのは偶然の一致で……?

 長海は感心したような表情を見せた。


「きみはたいした生徒だな……でも嘘を言ったわけじゃないよ、あくまで可能性の話だ」

「俺は誤魔化されるほうが不安です」


 渉は顔を険しくして言った。子供らしい素直なわがままだ。

 長海はやれやれと言った様子で微笑して――観念したのか、表情を引き締める。


「劇物だ。おそらく先生はそれを盛られて――」


 そこまで言って長海の言葉は遮られる。「長海ー、こっちに来てくれ」と、後ろから来た別の刑事に呼ばれて。

 長海は振り返り「すぐ行きます」と言った。


「悪い、行かないと……あれ?」


 長海がもう一度渉を見た時、そこに彼の姿はなかった。




 俺に構わず仕事に向かってほしい。そう思った渉は、早々に踵を返してクラスに戻っていた。先ほどまでの異様な空気はなくなって、玉森たちはまた三人で談笑している。芽亜凛の席に人がいることもなく――

 芽亜凛の姿が、ない。

 教室中、見渡しても彼女の姿は見られない。それどころか鞄さえも――

 渉は席に戻り、杉野の肩を叩いた。


「杉野、橘さん知らない?」

「橘さんなら……さっき早退したよ」

「は……?」

「具合が悪いから、病院に行くって……」


(病、院……?)


 渉は弾かれたように前方を見て、教室の時計を確認した。

 時刻はちょうど十三時。響弥のいる病院の面会時間は、ちょうど十三時から……。


「悪い杉野! 俺も早退する!」


 そう言って、引ったくるかのように鞄を手にして渉は飛び出した。机のなかには教科書や資料がまだ、中途半端に残されたままである。だが気にしている余裕はない。


 直感か、本能か。どちらにせよ、嫌な予感がした。

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