悲しみの全校集会

 車内で聞いた詩子の話曰く、響弥のことは母親に代わって、幼い頃だけ世話していたようだ。その頃からやんちゃで活発で、友達の多い子だったと詩子はからからと語った。普段の響弥を見ていれば納得が行く。渉は、瞼の裏に浮かぶようだと思った。

 学校での響弥の様子を訊かれた際は、非がないように月並みな言葉を並べておいた。祓のことに触れる勇気は、とても湧かなかった。


 送迎してくれた詩子に礼を言い、渉は家へと帰る。姉の果奈に経緯を説明すると、あの後何度もメールをした、という旨を言い返された。おまけに迎えに行くつもりだったと心の内を明かされ、渉は感慨深く礼を言った。

 部屋に戻ってスマホの電源を入れると、未読通知のなかにりんのメッセージがあった。

『明日行きます』

 絵文字も顔文字もスタンプもなかったが、渉はその一言だけで、気持ちが晴れた気がした。




 翌日――七月五日、金曜日。

 果奈より先に家を出た渉は、通学路で凛と出くわすんじゃないかという淡い期待も虚しく、一人で藤ヶ咲ふじがさき北高校に着いた。外の空気はじっとりと湿気に濁っていて、雨は今にも降り出しそうであった。

 徒歩だと言うのに、いつもと大差ない早い時間に着いてしまって、渉はどう時間を潰そうかと考える。いつもなら響弥と駄弁っているところだが、彼は入院中の身。凛は朝部活だろうし、どうしたものか――

 そんなことを考えながら上履きに履き替えていると、突然廊下から声をかけられた。


「あ、渉くんだ」


 驚いて見れば、制服姿の凛が緩い表情で顔を向けていた。渉がおはようと挨拶をすると、凛もそのように返した。


「ん、部活は?」と渉は尋ねる。

「今週までないよ。忘れてたんだ?」

「おー……忘れてた」

「ま、帰宅部には関係ないもんねー」


 凛はそう言って後ろ手に組み、ふわりと軽い羽のような笑みを浮かべた。

 テスト期間は終わったけれど、今日まで部活は停止続き。再開は来週からとなる。響弥の一件もあって、渉はすっかり忘れていた。


「そっちは職員室の帰り? 早いな」

「うん、テスト受けられるようにお願いしてきたんだ。渉くんこそ、朝早いね」

「委員長さんには敵いませんよ」


 冗談を交えて隣に並び、渉は凛と教室へ向かう。


「具合は、もう大丈夫……?」


 できるだけ自然に言ったつもりだった。凛はひくりと唇の端を引きつらせ、


「ううん……まだ落ち着いてないよ。でも――学校じゃ泣かない!」


 渉を見てそう断言してみせる凛。気持ちを悟らせるのには、十分すぎる言葉だった。


「あ、お弁当あるよ。教室で渡すね」

「ん、ありがとう」


 登校を再開してばかりだと言うのに、それまでと変わりない様子で渉の弁当を作ってきてくれたというのか。一見たくましくも見える凛の素振りは、渉には強がっているように見えた。

 ――凛の心は、まだ癒えていない。


 E組の教室に差し掛かった時、なかから東崎とうざき先生が出てきて二人とすれ違った。C組担任の東崎がなぜE組から? その疑問は教室に入ってすぐに払拭される。

『8時30分~全校集会。体育館へ集合』

 黒板には白のチョークで、遠くからでも目に入る程度の大きさでそう書かれていた。


「集会あるんだな」

「今書いてきたところだろうね、字も東崎先生っぽいし」


 凛は隣で当然のことを言ってのける。しかし東崎の字かどうかまでは渉には判別できない。今しがた登校してきたクラスメートも同様に、黒板に目をやっては席へと向かっていく。

 凛は渉の席に昼食の手作り弁当を持ってきた。渉はそれを受け取る間際、幼馴染の名を呼んで、「集会じゃきっと、黙祷とか……」と、ぼそぼそと心配をあらわにした。


 今日の集会――確実に事件について触れることになる。それで凛が傷付くことを渉は第一に懸念するのだ。

 凛は半ば唖然とし、しかし渉と目が合うや、行き場のない微笑を浮かべた。


「言ったでしょ、学校じゃ泣かない。大丈夫」

 渉は頷き、「……ああ、そうだったな。つらかったら言えよ、……隠してやる」


 最後の意味は、伝わっただろうか、凛は再度きょとんとしたけれど、うんと深く頷いた。




 体育館のなかは外より湿度が高いように感じた。生暖かい湿った空気が、舐めるように肌にまとわりつく。教室で履き替えた体育館シューズが、床と擦れるたびに甲高い音を立て、悲鳴のようにこだました。

 続々と集まりつつある生徒たちを眺めていると、「百井!」と、体育館の前方から萩野はぎの拓哉たくやが駆けてきた。教室で姿を見かけなかったが、委員長として走り回っていたのだろうか。


「学校来たんだな……待ってたぞ」

「ご心配おかけしました」

「萩野さっき教室にいた?」


 横から渉が指摘すると、萩野は照れくさそうに頬を掻いた。


「それが、部活あるもんだと勘違いして……体育館に直行だよ。あれ俺の鞄」


 彼の指差すほうを見ると、壁沿いに鞄がひとつ置かれていた。渉と凛は意外そうな顔をして、


「わあ、渉くんとおんなじだね」

「男は身体を動かしたがるもんなんだよ」

「ははっ、望月にもバスケ部の思考が付いてきたか?」


 萩野は笑い飛ばして渉とハイタッチをし、「あ、そうだ、テスト受けられるかどうか訊いてやろうか? 石橋いしばし先生ならきっと……」と言った。

 そんな気遣いに、凛は手のひらを顔の前で振る。


「大丈夫大丈夫! 今朝伝えたよ」

「そうか、ならよかった」


 相変わらず、萩野は男子にも女子にも平等で心優しい。委員長として相方が戻ってきてくれて嬉しいのだろう、凛の登校に喜んでいるのは渉だけじゃないようだ。

 三人で話していると、教頭先生によるマイクテストが響いた。生徒はかなり集まってきている。萩野は周囲を見渡して、「そろそろ整列しないと、俺先に誘導してくるな」と前方に親指を向けて言って駆けていった。


 体育館の時計は八時を過ぎている。担任の指示に従って、学級委員が整列を促す頃合いだ。


「ねえ、響弥くんは?」と、唐突に投げつけられた凛の問いに、渉はその場で固まった。

 渉はすぐには答えられずに「きょ、響弥は……」と狼狽する。訊かれることなど百も承知のはずだったのに、いざとなってためらいが生じた。


 しかし渉はその先の言葉を止める――いや、止めざるを得なかった。

 後方の扉から悠々と入ってきた芽亜凛めありを見てしまえば、渉が言葉を切るのは必然的であった。


「た、ち……ばな……っ」


 芽亜凛は視線に気づいて、まっすぐこちらに歩み寄る。渉は武者震いで身体を微震させ、引きずるように足を踏み出した――だが、芽亜凛と渉が対峙することはなかった。

 芽亜凛は渉の横をスッとすり抜けて、


「凛、おはよう」

「う、うん……おはよう芽亜凛ちゃん」


 渉は、背後から聞こえる二人の声に奥歯を噛み締めた。

 ――昨日のこと、何とも思っていないわけか?

 図書室のこと。響弥のこと。忘れたとは言わせない。渉はよくもまあ平然と現れたものだと感心さえ覚えた。

 芽亜凛は渉には一度も目をくれず、「あ。並ばなきゃ」白々しく声に出し、E組の列へと歩いて行った。




 各学級委員は最前列で整列を促す。並び方は出席番号順のため、渉は後ろから二番目。芽亜凛は転校生であるため出席番号が最後。つまり女子列の最後尾――渉の斜め後ろに並んでいる。

 出席の確認と報告が完了した後、開始の号令がかけられた。はじめに教頭先生が、集会の理由を手短に説明した。


「本来なら早急に開くべき集会ですが、テスト期間で行うのが難しく。なので今日ですね――テスト明けの本日に、開かれました」


 話題は先日の『悲しいニュースについて』に移され、東崎先生がステージ端から登場し、マイクの前に立った。


「――亡くなった、松葉まつばさんは……明るくて、前向きで……いつも僕を見ると、元気な挨拶をする……優しいっ……生徒でした……っ」


 先生の言葉は切れ切れで、涙ぐんでいた。次第には生徒側からも、潤んだ瞳ではなをすする者、耐えきれずにハンカチを取り出す者、素直に涙を流す者が見て取れた。

 渉もこらえるのに必死だった。そして――どうしても凛の様子が気になってその背中を捉えようとしたけれど、彼女の小さな体躯はほかの生徒に隠れて見えないままだった。


 東崎の話のその延長線。亡くなった生徒――松葉千里ちさとに対する黙祷が行われた。――初夏の三度目の黙祷であった。

 その後は校長先生の話が入り、最後は教頭にバトンが渡される。


「ここで、お知らせがあります」


 渉の頭の片隅に、響弥のことがよぎった。

 だがその予感は半分当たり、半分外れだった。


「昨夜、男子生徒と国語教師の植田うえだ可奈子かなこ先生が事件に見舞われまして、只今入院中です」


 一瞬にして体育館全体がどよめいた。事情を知っていた渉とて呆気に取られた。


(は……? 植田先生……?)


 ――男子生徒というのは響弥のことで間違いない。だが、植田先生……? なぜ響弥と植田先生が、同時に被害に遭っている?

 渉は一人、思考を巡らせる。とてもじゃないが、は振り向けずに。


「以前お知らせしたとおり、夏休みは予定より早くはじめます。えー、二十日はじめだったものを一週間早くいたしまして、来週の金曜日に終業式を行います。来週いっぱいは今までどおり、学校生活に真剣に取り組むようにして――」


 教頭は夏休み開始の日程を明らかにした。登校日については後ほどプリント配布で伝えるという。夏休み開始が一週間も早まったというのに、喜ぶ者はおらず、特に二年生たちはみな安心したような雰囲気に包まれていた。


 号令をもって集会は終わり、生徒らは各自教室へと戻る。

 渉は周囲が動きはじめるのを見てから、体育館の隅に佇んでいる石橋先生の元に駆け寄った。


「先生! 植田先生は……容態は、どうなんですか?」


 単刀直入。前置き不要で渉は静かに尋ねる。

 石橋は何の動揺もなく、「知らなくていいことだ」と厳かに答えた。こういう質問をしてくる生徒は少なからずいるだろう、と予想していたのだろうか。

 それでも渉は引けずに留まった。心の内はびっしょりと冷や汗をかいているが、ここで引くわけにはいかない――

 と、そこへ凛と萩野がやってきて、渉と石橋を交互に見た。


「渉くん……もしかして植田先生のこと?」


 凛にはすぐに察しが付いたらしい。幼馴染との以心伝心に、渉は肯定も否定もしない。だが顔には確かに書いてあった――それは萩野にも通じたようで、


「先生、俺からもお願いします」

「私も……! 教えてください、先生」


 いつもクラスで頑張っている委員長二人の頼みが、その場で重なった。「お願いします」と言った渉に続いて、凛と萩野も声を揃える。

 生徒三人に頭を下げられて、石橋は――ため息をついた。それを合図に、口火を切る。


「……重傷だそうだ。意識が回復するかどうかも、怪しいらしい」


 三人以外には聞こえないような、低く掠れた声で言った。顔を上げた三人は戦慄した。


「そんな……」

「絶対安静のため、植田先生は男子生徒とは別の病院にいる」


 そこまで聞いて、渉はまさかと思った。昨夜同じタイミングで鳴っていた救急車のサイレン――あれは植田先生のことだったんじゃないか?


「せ、生徒って……いったい誰なんですか?」


 恐る恐る萩野が尋ねた。けれど石橋は、自分は答える気はない、と言った顔つきで渉のほうを見る。当事者のきみに託す、そう言っているように見えた。

 渉はその意思に応えるよう、意を決した。


「先生、俺……植田先生を襲ったのは、響弥を襲ったのと同一犯だと思うんです」

「きょ、響弥くん……!?」

「神永が……?」


 二人が驚くのも無理はない。響弥だと知っているのは当事者と関係者、それと学校の教師だけである。石橋は渉が居合わせていたことを担任として知り得ていたため、任せるような視線を送ったのだ。


    * * *


 教室に戻ると、ショートホームルームが開始された。凛は空き教室で、テストの続きを受けることになる。

 授業中でも、渉は体育館で石橋の言った、最後の言葉が頭から離れずにいた。

 三人の視線が泳ぐなか、石橋先生は言った。

『今を、生きるんだ。今を生きろ』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る