敵意
金属を擦るような雑音がつんざいた。
渉は芽亜凛の両脇に腕を通し、後ろに引き寄せる形で響弥から距離を取らせる。
「何のつもりだよっ!?」
彼女を抑え込みながら渉は吠えた。正直どう止めるのが正解なのか、わからずにいる。本来ならばこのやり方は危険が過ぎるだろう。芽亜凛にはナイフで、こちらの腕を刺すことだって可能なのだから。けれど考えている間もなく身体は動いていたのだ。
渉の危惧に反して、芽亜凛は抵抗することも攻撃することもなく、カッターナイフを強く握り締めて響弥を睨み続けていた。響弥は扉の前で腰を抜かしている。
「……何も知らないから、言えるのよ……何も知らないから……っ」
芽亜凛の歯はカチカチと音を立てていた。全身は強張り、今にも暴れ出しそうである。
まさか人に向けられた刃物を、二日連続で見るとは思わなかった。得物を取り上げるべきかと、渉は注意を払う。
だが突然に、芽亜凛は糸の切れた人形のように、だらりと力を失った。下ろしたカッターの刃をしまう音がその後に続く。
(えっ、と)
渉は迷いながらも、彼女を解放した。
芽亜凛は力なくうなだれたままくるりと身を翻し、椅子に置かれた鞄を手にして、静かに図書室を出ていった。その背中をしばらく見てから、渉は安堵の息を吐いた。二人きりでいた時以上に、鼓動はうるさくなっている。
床に転がっているイヤーカフを拾う前に、渉は親友へと手を伸ばした。
「立てるか……? 怪我は?」
「……ないよ」
響弥は目を伏せたまま、差し出された手は取らず自力で立ち上がった。その様子に覇気はなく、終始左耳を気にして触っている。
渉は行き場を失った手を引っ込めて、イヤーカフを拾った。表面には、深く短い傷が入っていた。
響弥に視線を戻し、「見せて」と言って耳の様子を確かめる。響弥は左耳を覆っていた手を素直に外した。
「……少し赤くなってる。痛い?」
響弥はかぶりを振った。
芽亜凛のカッターナイフは、響弥の左耳――イヤーカフを斬り付けていた。驚いた響弥が拍子で伏せていなければ、頸動脈に当たっていたかもしれない。
偶然――奇跡的に助かっただけで、俺は響弥のことを守れなかった……。悔やんでも悔やみきれず、渉は苦々しげに唇を引く。
すると響弥は「そんな顔すんなよ」と、苛立った口調で言った。意識の外だった渉は驚き、首を傾げる。
「そんな顔って何?」
「…………」
「何だよ?」
言いたいことがあるならはっきり言えと、今度はこちらが苛立ってしまう。
響弥はついと手のひらを差し出した。渉がその上にイヤーカフを置くと、彼はそれを摘み上げて、グリグリと転がして眺める。何となくふたりの間に気まずい空気が流れ、先に口を開いたのは響弥だった。
「芽亜凛ちゃんと、何話してたの?」
「……凛のことだよ。あいつ、凛のことしか頭にない。ほかに興味がないんだよ」
「……」
「響弥、俺の言いたいことわかる?」
「わかるよ」
親友は間髪入れずに言って、
「渉のことならなんでもわかる」
そう言って妖しく笑ってみせた。
「でもごめん! 好きなんだ。仕様がないよな」
手を合わせて拝んだ響弥が見せたのは、いつもどおりの屈託のない笑顔だった。
「傷入っちゃったなー」
「そんなの付けるなよ」
「付けねえよー」
口を尖らせて答えると、響弥は傷の入ったイヤーカフをポケットにしまった。両手に巻かれた包帯みたく、また愛の証だとか言い出したらはっ倒そうかと思っていたところだ。
響弥はもう片方のイヤーカフも外して、しばらくそれを見つめていたが、何を思ったのかすぐに付け直しはじめる。
「なぜ付け直す」
「付けてないと落ち着かねえんだよー! でも片方ないと違和感がある……」
「じゃあ新しいの買いに行く?」
咄嗟の提案にも関わらず響弥が喜んで賛成したので、午後は買い物に行くことが決定した。近場のショッピングモールに行けばアクセサリーくらいあるだろう。ゲームコーナーも設けられているため、夕方まで暇が潰せる。
――と思っていたのだが。
自転車を取りに昇降口を出たとき、ふとそれが視界に入った。
前方の門の前――他校の生徒が立っている。
上は白のセーラー服で、下は紺のロングスカート。茶色がかかった長い髪を三編みにして、お人形のような奇麗な姿勢で佇んでいる少女……。
渉は吸い寄せられるように校門へと駆けていった。女の子は渉に気づくと、ひらひらと手を振る。
「お久しぶりです望月さん」
「に、
礼儀正しく一礼して、少女――朝霧虹成は柔和に微笑む。
「呼び捨てを許可した覚えはないですが、まあいいでしょう」
「悪い、つい……。どうしてここに?」
涼しげな夏服で鞄を前に提げている虹成。その見た目からして学校の帰りのようである。
虹成は質問に答える前に渉の隣に目をやり、「……そちらのかたは?」と表情を変えた。渉が釣られて隣を見ると、響弥はまるで植物を観察するみたいに、じーっと虹成を見下ろしていた。
「ああ、えーっと……親友」
「親友ぅ? えっ、望月さんの?」
「うん」
渉が答えると虹成はどこか引きつった顔で「はっ」と鼻で笑った。似合わないとでも思われたのだろうか。響弥は「なあ渉、」とやおらに口を開く。
「小柄で可愛い凛ちゃんのこと好きなのはわかるけど、ロリに浮気はやべえよ」
「してねえよ」
「じゃあ何だよ、どういう関係?」
「それは……」
返答に困り、渉は虹成の様子を窺う。彼女はなおも引きつった表情で、「何、この人……」
不審者を見るような目で言った虹成の言葉は、もちろん響弥に向けられたもの。ちなみに虹成の身長は中学生にしては高いほうで、おそらく平均以上。凛の背より高い。
明らかな警戒色を宿す少女に、響弥はムッとした顔つきで人差し指を突き出した。
「いいか中学生、よく聞け。俺は渉の親友、一番の親友! 特技はペン回し! 趣味は歌とギター! ……中学生で? ちょっと可愛いからって? 俺は渉みたいに甘くない!」
響弥は一人、自己紹介のような何かを捲し立てる。一番重要そうな名前を言っていないところが何とも彼らしかった。渉は静かに頭を抱えた。
「わかったか三つ編みっ子! お前に渉は渡さない! 俺のほうが渉に相応しい! それ以上に、凛ちゃんのほうが相応しいっ! 以上!」
残念な高校生に絡まれている中学生の虹成は、きょそきょそと周囲に目をやっている。渉も同じく辺りは気にしたが、誰もいないようで安心した。
虹成は響弥を視界に捉えて、ため息混じりに一言。
「キッモ……」
「あ? 今なんつった!?」
「急に喚いて意味わかんない。馬鹿じゃないの」
「何だとお!?」
「寄らないでよ変態!」
「へ……変態だとおっ!?」
「ひっ……」
身を縮めた虹成が防犯ブザーを手にしたところで、渉は響弥の首根っこを掴んで引き離した。防犯ブザーを持っている中学生というのも珍しい気がするが、虹成らしいと言えばそのとおりである。しかし騒ぎになられては困る。
「この子は朝霧の妹だ。わかったら大人しくしてろ……」
むぅ、と拗ねる響弥を後ろに置いて、渉は虹成と向かい合う。
「学校は早帰り?」
「今日までテスト期間です。藤北はいつまでで?」
「俺らも今日が最後。そっか、中学もか……自信のほどは?」
「まあまあですかね。楽しかったですよ」
虹成は肩をすくめて笑う。期末テストを楽しかったなどと答えられるのだから、かなり余裕と見た。
「用というのはその、望月さんのことを待っていたんです」
「俺?」
「言い忘れていたことがありまして……少しお時間よろしいですか?」
それはまた急な話である。渉はもちろん承諾し、頷くのだが。
「できれば外で構わないので、二人きりでお話したいんですが……」
そう言って虹成は渉の背後へと視線を送る。渉が釣られて振り返ると、覗き込んでいた響弥が慌てた様子を見せた。
「えっ? わ、渉? まさか俺よりこの中学生を優先するんじゃないよな?」
「いや、そういうのじゃないけど……」
「また俺を待たせる気か……!? お前それでも親友かよ!」
響弥は泣きそうな顔をして訴えてくる。さっきも彼を放って芽亜凛を優先したのだ、不信感を抱かれても、それは渉の自業自得である。
だけど置いていくつもりは、はなからない。本人は元気そうだが、つい数分前あんな目に遭ったのだ。今日は精一杯響弥に構ってやりたい、というのが渉の正直な願いだった。
「響弥も一緒じゃ駄目?」と、一か八かで交渉。
すると虹成は意外とあっさりと承諾した。
「声が聞こえないくらい離れてくだされば構いませんよ」
その目は相変わらず響弥を見て据わっているけれど、わがままを言うような子ではないのだ。むしろ高校生よりも大人びている。
これじゃどっちが先輩かわからないな、と思いながら、渉は虹成と響弥を連れて駐輪場へと向かった。そのまま裏門を出て、近場の公園を目指す。
先導するのは行き先を知っている虹成。渉と響弥はその後ろを付いていった。
虹成と向かうその先で、渉はその兄――朝霧修のさらなるヒミツを知ることになる。
* * *
その場所――
「望月さんこの公園、パワースポットだっての知ってました? 風水的に場所がいいみたいで、元は坂折公園の対比として作られた様ですけどね。坂を下りるになぞらえて、坂を上る……で、咲幟公園。今じゃ市の思惑どおり、小さい子供や学生まで訪れる人気スポットとなったわけです。だって『折る』なんて……名前からしてちょっと不気味じゃないですか」
虹成はこちらを振り向きながら、そんな誰も知らないような
「パワースポットじゃなくて心霊スポットだったりしてー」
「……はっ」と虹成は鼻で笑った。
「あぁ! また馬鹿にした! また馬鹿にしたぞこいつ!」
「馬っ鹿じゃない。冗談はその跳ね返った頭だけにしてください」
「なんっ……こいつぅ!」
手をバタつかせる響弥の袖を、渉はリードのごとく掴んで制した。目的地に着き、駐輪場に愛車を停めて園内へと入る。
咲幟公園の遊具はどれも色鮮やかで、手入れが行き届いているように見えた。しかしまだ夏休み前の平日のその日中、さすがに人の姿はない。
響弥には遊具で遊んでいてもらうことにして、渉と虹成は奥のブランコへと向かった。そのうちのひとつに座る手前で、虹成は振り向く。
「藤北の裏サイトって知ってますか?」
それはまた予想外の話題であった。
例の掲示板――裏サイト。渉が最後に見たのは数日前である。スレッドなどは開いていない。ただ、E組のことで賑わっていたのは確認している。
渉が頷くと、虹成はブランコに腰を下ろして言った。
「私、管理って今どうなってるのかなーって……何となく気になりましてね、昨日あの人のパソコンからアクセスしてみたんです。そしたら、管理者ごと書き換えられてて、アクセスできなくなってて――」
「ちょちょちょ、ちょっと待て。な……何が書き換えられてたって?」
初耳な上に早口で言われても理解が追いつかず、渉はついストップを入れた。毎度のことながら虹成と話す時は頭の整理が追いつかない。情報という言葉に殴られているような気分になる。
「管理者です。あのサイトを運営してたの、うちの兄なんです」
「あ、朝霧……!? か、管理者が……!?」
「はい」
虹成はさらりと肯定する。
(いや、はいって言われても……)
言い忘れにもほどがある。どうしてそんな重大なことを言ってくれなかったんだ――と思ったが、まず尋ねた覚えがなかった。そもそもあのサイトと朝霧が繋がっているなんて誰が考えるだろうか。
渉は戸惑い尋ねた。「え、なんで……?」
「私に訊かれても。死人に口なしなんですから、わかるはずないですよ」
今はもういない身内に対して虹成は厳しすぎる言葉を使ってみせる。彼女の性格にも言動にも大方慣れたけれど、そんなショッキングな振りにまだ渉の心は締め付けられる。
虹成は爪先を地面に付けたままブランコを揺らした。
「警察があいつの住んでた場所を突き止めたんです。それでこっちに、いろいろと許可申請が来ましてね。で、パソコンとかそう言った端末に警察は探りを入れてたみたいですけど……最終的になんて言ったと思います?」
渉が首を振ると、「ロック解除の仕方、わかる人います? だって」と虹成は呆れて言った。
渉は話の続きを促す。「そ、それで?」
「失礼、話がずれましたね。パソコンに侵入するのは難しくないんですけど、あいつ、肝心なものには十枚壁設置してるから……。望月さん、今そのサイトって見れます?」
「ああ、ちょっと待って」
渉はスマホを取り出すと、裏サイトのホーム画面を表示して虹成に見せた。朝霧についても機械についてもそのセキュリティーとやらに関しても、深く考えるのはやめにする。今考えても意味はない。
画面を見て、虹成は「ふーん」と鼻を鳴らした。
「運営状況は変わってないみたい……相変わらず悪趣味」
「朝霧のこと知ってるってことは、虹成は覗いたことあるんだよな?」
強固だった虹成の瞳がふやりと揺らいだ。
「売春のことバラそうとした時、このサイトを利用したんです。けど送られてきたのはダミーサイト。アカウント承認の時点で私だってことがバレてたんですよ」
「あぁ……まさか兄が管理人とは思わないもんな……」
――それで援交を仕向けられた、と。
堂々と学校の『裏サイト』などと明かしているサイトだ。まさに噂を流すにはちょうどいい場所――虹成はそう踏んだのだろう。だが兄のほうが一枚上手だった。いや、そういうことも危惧してこのサイトを餌にしていたのなら何枚も上手である。
「まだ動いてるってことはサーバーが落ちてるわけじゃないんですよね……?」
虹成は画面を見ながら問いかけのような呟きをする。しかし詳しくない渉は反応ができない。その代わりに、管理人名が書かれている利用規約を表示させた。
「ほらこれ、今は――こうなってる」
「……カナギ?」
「え?」
カナギ? と渉は問い返す。
虹成は現在の管理人名『夜十七夜』を見て言ったようだ。
「読みが――十七夜ってカナギとも読めるから……これを読むとしたらヨカナギか、ヤカナギかなって」
「へえ……」
――知らなかった。
以前清水たちとも話したが、あそこにいた全員はこんな読み方思い付かない。記号がどうとか卍がどうとか言っているような連中だ。
「初見で読めない名前を持つと苦労しますね、まったく」と虹成は苦笑する。それは自虐だろうか。虹成の字も初見では読みづらいもの――だがそれを悟っても、渉は彼女の名を素敵だと思っているし、折り入って突っ込んだりはしない。
「あいつが見せてきた時はただのアルファベット、ASって表記だったんです。シンプルだったので覚えていますよ」
「ああ、朝霧
「そりゃあなんでもできますよ」
虹成はスマホから目を離して答えた。
「匿名なんてのは筒抜けで、個人の情報がわかるわけですから、言っちゃえばどのアカウントが誰のものかわかるってことですね」
「名前もバレバレってこと?」
「そうですね。あとは登録時に使用したメールアドレスなんかも」
規約にあるとおりだ。いくらハンドルネームがあろうとIDを変えようと、管理人には中身が透けて見えている。
つまり他人が裏で何を漏らしているのか、運営側には手に取るようにわかるわけで――それをやっていたのが朝霧だと……。
「もしかしてこれ、サイバーテロなのかも」
「サイバーテロ……」
「望月さんコナン読みます?」
「聞き覚えのある台詞だな……」
会話にどこかデジャヴを感じる。
虹成は顎に手を当てて考える素振りをし、至って真面目な顔つきで言った。
「修を殺してサイトを乗っ取った……この管理人が事件の犯人って可能性です」
(乗っ取り――)
自分と凛の元に届いたメールも同じようなものだ。犯人は千里のトークアカウントを利用して、別々に送信した。元のアカウントさえ手元に来れば、端末の移動なぞ造作もないのだから。
「このこと警察には言った?」
「言ったところでどうにもならないでしょう。だから――望月さんにだけ、です」
最後のほうは渉から目を逸らし、虹成は耳を赤くした。いつの間にやら、随分と信用されてしまったようだ。
虹成の推理が当たっていようと外れていようと、管理人が違うのは事実。前任が亡くなっている時点で怪しむべきだが、虹成は警察を頼ってないらしい。家族にパソコンのロック解除を頼む警察なんて当てにならないということか。
「ありがとう、こっちでも何か調べてみるよ。藤北にはまだ警察がうろついてるし、伝えられたら言っておく」
「……お役に立てれば、光栄です」
虹成は微笑してブランコから腰を上げる。
スマホの時計は十二時をとっくに回っていた。虹成と別れたら響弥とお昼ご飯でも食べに行くか。
「虹成はこのあと帰宅?」
「いえ、私は試合があるので、そちらに向かいます」
「何の試合?」
気になってつい訊いてしまった。
虹成は答えるのにためらいがある様子で、「……笑いませんよね?」
渉は「笑わない」と言った。この天才中学生が何を習っているのか、素直に気になった。
「……柔道クラブ」
――部活かと思いきや、クラブだと……。
意外な返しに驚いたが、渉は自らの経験をもとに探りを入れる。
「もしかして
「えっ……ご存知なんです?」
「そこ、俺が通ってたところだよ!」
天上柔道クラブ――この辺りにある数少ない柔道クラブのうちのひとつだ。渉は幼い頃から中学のはじめまで、このクラブに属していた。凛は別の柔道クラブに通っていたため、大会が被らない限り遭遇することもなく、最後までバレることはなかった――と思う。
「中学で剣道部に入って辞めちゃったけど、小さい頃は凛に内緒で通ってたんだ」
「わ、私も剣道部なんですよ!」
「マジか!」
「マジです!」
思わぬ共通点であった。渉はその頃には警察官への道を志していたため、柔道と剣道を早くから習っていたのだ。
大人しそうで真面目な雰囲気のある虹成が武闘派だったことに渉は驚いた。人は見かけによらない。
「柔道は男性対策に習いはじめたんですよ」
――前言撤回。彼女にはぴったり過ぎる理由だった。
「いつの間にか極めてしまって……」と虹成は頬を掻き、「ああ、うわぁ……ちょっとテンション上がるかも……」と口元を緩める。
渉は得意げに言った。「俺のことも先輩呼びしてくれていいんだぞ?」
虹成は凛のことは『百井先輩』と呼んでいるのに、渉のことは『望月さん』だ。この差はいったい何なのかと気になっていたところである。遠慮せずに呼んでほしい、と提案してみるが――虹成はムッと眉を吊り上げた。
「先輩呼びは敵意の証です。私、百井先輩に一度試合で負けてるんですよ」
「あっ……そうなの……?」
「はい。次は絶対に負けません」
(あー……、なるほど)
敬意ではなく敵意。
前に再会した時、喫茶店で凛に熱のある意識を向けていたのはそういうことだったのだ。あの時点で彼女らは初対面ではなかった。凛はまったく覚えていないようだが――何だか不思議な縁を感じる。虹成が『また会える』と断言したのも、いつかまた柔道の試合で顔を合わせるからという意味だったのだ。
共通の話題で盛り上がったところで、二人は響弥のほうを見る。響弥は遊具で遊んでいたりはせず、野良の黒猫相手に猫じゃらしを向けていた。猫は毛を逆立てて威嚇しているようである。
動物からも好かれない親友を見て、渉はほくそ笑んだ。
「虹成は響弥のこと苦手?」
「……苦手ですね。言っちゃ何ですけど、望月さんって鈍感じゃないですか。そのうち取って食われますよ」
「それは勘弁願いたいな……」
鈍感は余計であると思いつつ、乾いた笑いが漏れた。
「見えているものがすべてとは限らない。本当の姿なんて誰にもわからないものです。それに私の経験上、ああいう人畜無害そうな人ほど野蛮ですからね」
「それは兄貴のこと……?」
「すべての生き物に対してです。不吉と言われる黒猫の正体は天使かもしれない。うるさいカラスの本来の姿は純白かもしれない、そういうことです」
「愛くるしい姿で惑わす天使か」
「私、猫は好きです」
虹成はいたずらそうに笑って、響弥のほうへと駆けて行く。彼の相手をしていた黒猫は驚き逃げていった。渉も親友を迎えに向かう。
「猫ちゃん逃げちゃったじゃーん! 渉も遅ーい!」
「待たせて悪かったよ」
「すごく好かれてましたね。今にも引っ掻かれそうな勢いで」
ぐぬぬ……と唸る響弥を連れて、渉は駐輪場まで向かった。虹成にこれからショッピングモールに行くことを告げると、
「首輪でも買って付けておいてくださいよ」と言われた。最後まで口の減らない中学生であった。
そうして虹成と別れた後、渉たちは目的地で昼食を取り、店内をぶらついたりゲームセンターに立ち寄ったりしながら夕方まで共に過ごした。
ふたりで過ごせる時間が残りわずかとも知らずに。
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