再・VS転校生
クラスメートに刃物を突き付けられようと陽は沈みまた昇る。
期末テスト最終日。四日間のテスト期間が終わろうとしていた。最後の選択科目はクラス共通で行われるため、それぞれが指定の教室に移り、五クラスの生徒混合で受ける。
音楽、美術、書道、工芸。
渉の選択科目は音楽なので、B組の教室で受けることになる。そこには響弥と、同じくC組の
テスト終了後。E組の教室に帰った渉は、ホームルームまでの時間潰しにとスマホに目を落とした。
『このあと遊びに行かね? 二人っきりだぜ二人っきり!』と響弥から連絡が着ている。渉は了解の旨を返信して、スマホを閉じた。
清水、ゴウ、
いやいや、彼らはそんな連中ではない。そうわかっていても、渉は不安に思う。グループトークでは毎日、『テスト疲れたー!』などと五人のやり取りが行われているのに――
「望月、テストお疲れ」
ホームルームを終えた矢先、声をかけてきたのは、帰る準備万端な様子で鞄を提げている男子委員長の
お疲れ様、と渉がオウム返しすると、萩野は唇を緩めて頬を掻いた。
「百井は大丈夫か……?」
「メールは送ってあるよ、既読も付いてる。でも……返事はない」
渉が正直に告げると萩野は顔色を曇らせる。
凛は今日も欠席だった。
大事なテスト期間に二日も休むなんて、普通なら避けるべき事態である。だが今の状態、休むことがむしろ普通とも思える。友達を亡くし、その死体を見たと言うのに平然と学校に来ている、自分と響弥がおかしいのだろうか――
「心配だな……」と萩野は声を落とす。
「明日にはひょっこり顔出してくるんじゃないか? 委員長の仕事を萩野一人に押し付けて、まったく……説教してやらないとな」
「ははは……勘弁してやれよ」
萩野は空笑いを浮かべる。渉にも同じ表情が浮かんでいるだろう。
「望月はこの後どうすんの? 暇?」
「いや、先約が一人……」
「神永か? 相変わらず仲良しだな」
「まあな……。萩野は? バイトは休みだろ?」
「うん。最終日くらいゆっくりしろって店長がな」
そう言って萩野ははにかむ。テスト期間だろうとバイトをしていたのか、努力家にもほどがある。
萩野は「そっか……先約がいちゃ仕方ないよな」と眉尻を下げた。そこまで落ち込まれると、何だか申し訳なくなるが。
そんなとき、扉側から声がした。
「萩野ぉー、一緒に帰ろうぜー」
間延びして呼ぶのはクラスメートの向葉だった。彼は当たり前のようにアイスを手にしながら、萩野だけを見ている。
「あー……わかった。――じゃあな、望月」
……また明日、と萩野は寂しそうに言った。渉は「じゃあな」と返して、彼を見送る。
扉前にいる向葉とは視線を交えることは叶わなかった。渉の姿さえ見えていないようなふうだった。昨日聞いたとおり、彼は本気で関わりたくないのだろう。それが正しい判断だと、渉は思った。
モブはモブらしく……。その安全性を、例えるなら劇場型犯罪。その主役は犯人だが――この教室においては、呪いが主役で、生徒が脇役になる。腫れ物扱いされている渉たちは、呪い――つまり犯人だ。
馬鹿馬鹿しい話はやめよう、と渉は席を立った。早く響弥と合流して帰ろうと、鞄を手にする。
――その視界の端を、針で刺すような鋭い気配が走った。目を向けていたのは、
(橘……)
橘芽亜凛。
渉はゴクリと唾を飲んだ。まるで気にかけてくれと言わんばかりに、芽亜凛は椅子に座ったまま、身体をこちらに向けている。
教室にいるのは片手で収まる程度の人数。渉のことを見ているのは間違いない。意図的な視線はやはり気のせいではないのだ。
渉は人知れず呼吸を整えて、そっと彼女の元に寄った。
「……何か用?」と尋ねてやると、芽亜凛はおろおろと視線を下げた。逡巡めいているその素振りに、渉は首を傾げる。
しばらく沈黙に付き合ってやると、芽亜凛は決心したように口を開いた。
「凛、どうして休みなんですか?」
「は――?」と、思わず喉から漏れていた。彼女にこう返したのは、いつぶりだろう。
「ニュース見てないの……?」
「うち、テレビなくて……」
(マジかよ)
そういえば彼女は一人暮らしだったはず。それならテレビがないのも合点がいった。
渉は眉間に指をやり、「あー……ううーん、わかった。ここじゃ何だし……図書室でいい?」
芽亜凛はこくりと顎を引いた。
図書室への道は静かなものだった。テストお疲れ様――なんて励ましもなく、お互い無言で目的地へと向かう。並んで歩くのではなく、渉が先導する形で、芽亜凛は後ろを付いてきた。図書室を選んだのは、生徒が寄り付かないからという単純な理由である。
人の目がなくなった渡り廊下で、渉は尋ねた。
「凛と連絡は取ってないってこと?」
後ろを振り向き見やると、芽亜凛は瞬きで頷いた。
「ええ、最近は少なめ。……あまり無神経なことも訊けませんから」
渉は『なるほど』と一人納得する。普段どんなやり取りをしているのか知らないが、それでも彼女は相変わらず察しがいいようだ。
(凛も気まずいって悩んでたしな……)
図書室前まで来た渉は、なかに人がいないことを確認すると、先に入室してクーラーを点けた。
「――ちーちゃんが、亡くなった」
前置きなし。席に着くこともなく正面を切った渉は、芽亜凛の目が見開かれたのをはじめて目撃した。
「一昨日公園で発見された。学校からメールあっただろ? その『生徒』ってのが、ちーちゃん」
「…………」
芽亜凛は何か言いたげに唇を蠢かし、うつむいた。
テレビでは被害者名が出されているが、学校から届いた緊急のメールには載っていない。テスト期間が終わった今、明日には夏休みの知らせ含めた全校集会が開かれて、黙祷も行われるだろう。
「凛はそれで――ショックを受けて、休んでる」
「…………そう、でしょうね」
うつむいた状態で芽亜凛は弱々しく反応した。
行方不明だった千里の死――みなまで言わずとも、凛の欠席の理由に繋がってしまうというのに、
「本当に知らなかったのか? 俺はてっきり、」
その続きは渉ではなく、芽亜凛から紡ぎ出された。
「てっきり――私が殺したって?」
「なっ……!?」
予想だにしない返しに面食らい、渉は否定もできずに固まった。だってその考えは――以前、持ったことがあるから。だけどあんなものを見てしまってはもう……。
あれは、女の子一人でできるようなものじゃない。人一人の首を――なんて。可能かどうかとも、深く考えたくはない。
探るみたいに、芽亜凛は渉を真正面から見つめた。
「図星ですか?」
「……んなこと……思ってないよ」
「別にいいです。嫌われてる自覚はあります」
「……」
否定しているのに、芽亜凛は保険のようなものを掛けてくる。
押し黙り、渉は自問自答した。自分は彼女のことを嫌っているのだろうか。お互い様とは言え、嫌な態度はこれまでに何度も取ってきた。だから彼女にそう捉えられてもおかしくはない。
だけど渉はこう思う。『嫌い』ではなく『苦手』だと。言えば、都合のいい奴と思われるかもしれない。けれど彼女のことを否定しきれない自分がいる――それだけは確かなのだ。
「私、冷たかったですかね」
「……何のことだよ」
「友達の話をしてもいいですか?」
渉の頭に浮かぶのはクエスチョンマーク。急に何の話だと思ったが、黙って促すことにする。
芽亜凛は、何も置かれていないテーブルの上を指先で伝うようにして撫でた。
「以前、友人と四人で遊園地に行ったことがあるんです。私はその友人の恋愛相談役……つまり協力関係だったんです」
「それで?」
「友人と友人。見事二人はくっつきました」
くるりと振り返った芽亜凛は、両手の人差し指をピンと立てて見せた。
「……その遊園地って朝霧と行ったところ?」という渉の問いには答えずに、芽亜凛は続ける。
「後日、友人は行方不明になりました」
「……」
まるでひとつの物語が終わったかのような口ぶりだった。めでたしめでたし、と続けられても違和感はないだろう。
淡々と言う芽亜凛は、悲しんでいる様子でもなかった。同情を表すか、冷静にあしらうか――きっと求められているのは後者だと、渉は思った。
「……朝霧のパターンと似てるね。それで、何が言いたいんだ?」
「先月の遊園地、楽しめなかったのはそれが理由です。つい、思い出しちゃうから……。あの時の私、冷たかったですよね。ごめんなさい」
渉のなかに、良心の呵責が湧き出た。
「いや、謝られても困るっていうか……」
――それ以前の問題というか、冷たさならもっと前から感じていた。
思えばそれまでの彼女は、わざと突き放しているようなふうだった。
「次の日、二人きりで話しましたよね。事情聴取みたいに」
渉はギクリとした。話の振り方が卑怯である以前に、芽亜凛の雰囲気が変わったと言うべきか――本調子に、切り替わった。
攻撃の一手が来ると思い、渉は身構える。
「私、まさか疑われるとは思ってなかったから、ショックだったんですよ」
「あ、あれは朝霧の休みが気になって……帰りの様子を訊いただけだろ」
「ほかにもいろいろ訊かれましたよ。覚えてないですか?」
「……覚えてるよ。何? 謝ってほしい?」
謝罪を求めていないことはわかりきっているが、話を終止させるために渉は敢えて訊いた。
案の定、芽亜凛は首を振って否定する。予想通りとは言え、渉はホッとした。
「疑うことは刑事の要ですから、気にしてませんよ」
「刑事ごっこで悪かったな」
「だから私も疑います」
言葉のナイフは、唐突に投げつけられる。
「長海という刑事を、私に寄越しましたか?」
いとも容易く、渉は絶句した。どうしてこのタイミングで、そんなことを――
まさか、最初から?
今までの思い出話は全部、この一手への前振り。散々責め立てた話の流れは、すべてこの問いに繋げるために撒いた餌。毒餌が回り、鈍ったところを仕留める――狩人のようなやり方。
渉は、揺れる瞳を瞬きで誤魔化した。
「何のことだ」
「……そ。言ったんですね。……
またしても勝手な解釈をされたが、渉は嘘をついてまで反論しようとはしない。
芽亜凛は三城
「お前は――きみは、何か知っているのか?」
「何かって?」
「例えば、事件がすべてオカルトじゃなくて、その犯人を知っている……とか」
渉が芽亜凛に抱いている疑心を打ち明けた瞬間だった。
すると芽亜凛は、「……犯人、ですか」と呟き――微笑んだ。久しぶりに見た彼女の笑顔は、やっぱり意味ありげに見えて、
「なんでもいい。知っているなら、話してくれ」
「何を今さら。答えがわからないからって、カンニングですか? 得意の推理はどうしたんです、もう考えることを放棄したんですか?」
「そんなことはない」渉は嫌悪感を隠さずに反発した。「ほかの奴らと一緒にしないでほしい」
芽亜凛は、何か言いかけた口を静かに閉ざした。それから天を仰ぎ、
「犯人……犯人ですか」
「その反応は、何か知ってるってことでいいんだよな?」
「真面目な答えとふざけた回答、どっちがいいですか?」
芽亜凛は再び、両手の人差し指を立てて言う。渉はその指を、左右順に見た。
「……両方」
「二兎追う者は一兎も得ず。貪欲ですね」
その言い草からして『じゃあ教えません』という意味かと思いきや、そうはならず。芽亜凛は右の人差し指だけを宙に残して言った。
「それじゃ、まずふざけた回答です。呪いはあります。呪われている生徒は私」
さらりと言ってのけ、上げていた人差し指を自分のほうへと倒した。
渉は一瞬ぽかんとしたが、ふざけた回答だと言うことを忘れてはいけない。
「きみが呪い人だって?」
「いえ、『オカルトもどき』じゃないです。でも呪いはある……それが私」
「……意味がわからな――」
そこまで言って、ハッと息を吸う。
「それ、会議で
「探す? 何のことです?」
(あ……)
しまったと思い、口を拳で隠した。
(この話、凛から聞いたんだった)
秘密にしておいてと言われたのに、つい口が滑ってしまった。
(まあバレることはないか……)
「凛から何を聞いたかはこの際問いません。でもそれ、大きな勘違いですよ」
渉の考えは面白いほど簡単に粉砕された。
察しがいいのか勘が鋭いのか――と渉は思うけれど。実際あの話は、凛と芽亜凛と石橋の間で起きたものであるため、本来なら消去法ですぐにわかってしまう。
そんなことを知り得ない渉は、咳払いをひとつした。
「自分が呪われているってどういうことなんだよ。比喩表現? それとも何、エスパー少女とでも言いたいのか?」
「次は真面目な回答です」
そう言って芽亜凛は、手振りの役目を終えた右手で、渉を押し倒した。
渉の体幹は強いほうであり、ちょっとやそっとの力で倒れることはない。だが、近すぎる距離感。それに圧された結果、いつかの教室でもあったように――背後の机がガタンと音を立てて、渉はその上に手を付いた。
そして渉は今になって、芽亜凛の胸ポケットにペンが掛けられていることに気がつく。
お互い視線を交差させると、芽亜凛は渉の襟首を掴み、強引に引き寄せて――
「誰が教えるかよ、バーカ」
吐息のかかる距離で、芽亜凛は普段と変わらぬ声色で言うのだった。
「…………」
「…………」
双方引くこともなく、状態を維持して沈黙する。顔には出ていないが、渉の鼓動は痛いくらい加速していた。
――期待した自分が馬鹿だったと、怒りのような呆れのような感情が煮えたぎる。アドレナリンが酷く分泌されているような気がしてならない。頭のなかはドライアイスを放り込まれたみたいに冷えて、冴え渡っている。
渉はゆっくりと身体の力を抜いた。
「結局どっちもふざけてる、そういうこと?」
「……、……」
沈黙のさなか、芽亜凛は伏目がちに顎を引き、「今さら」
ぽつりと降った雨みたいな声で言った。
「今さら、何の意味があるんですか。言ったところであなたは――渉くんは……、ジャンケンの時のようには信じてくれない」
眉をぴくりと動かし、思わず渉は唇を開いた。が、言葉は喉奥に沈んで出てこない。芽亜凛がまるで、泣きそうな顔をしていたから。
なぜ、そんな顔をする。どうして胸が、締め付けられる。
彼女と話すたび、心はざわつき、手のひらで転がすように翻弄される。今だって、さっきだって――
そのとき図書室の扉が勢いよく開いて、渉だけがそちらを見た。入ってきたのは、国語教師の
植田は渉と目が合うや、その上に体重を預ける芽亜凛も見て、大層顔を歪めた。
「またE組の生徒? ここはあんたらの溜まり場じゃないのよ。やるなら保健室でやってよね」
ぴしゃりと言ってカウンターのほうに向かうと、私物らしい荷物を手にして、植田先生は踵を返した。その間に芽亜凛は渉の上からどいた。渉は目を逸らしつつ姿勢を正す。
扉の開閉時、植田は廊下にいる誰かに話しかけていた。「E組の生徒はなかよ、あなたも気をつけなさいね」と。
直後に、もう一人の元気な返事が聞こえた。植田とすれ違うようにして、扉を開けたのは――
「やっほー! へへっ、やっぱここにいた。我が愛しのダーリン」
渉は、響弥に連絡するのを忘れていたのだ。
「きょ……」
「――神永」
渉の声と視界を遮った芽亜凛。彼女は胸ポケットから何か取り出し、刃を出した。
――ペンだと思っていたそれは、カッターナイフだったのだ。
嫌な予感がして渉は手を伸ばすが、遅い。
「神永……響弥あああ――っ!」
自らを奮い立たせるような咆哮と共に、芽亜凛は響弥に向けてカッターナイフを突きつけた。
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