喧騒
次の日、藤ヶ咲北高校はテスト期間を継続させた。名門校となればなおさら、高校生活は惨く忙しい。
当然ながら、朝の報道番組では前日の死体遺棄事件を取り扱っていた。上空から見た公園の様子や、遺体の捜索を続ける警察が映っていたり、千里の両親の思いがテロップで表示されたり。娘を失った人間に対し、我先にと連絡を迫る報道陣たち――はたしてあの連中に人の心はあるのだろうか。
渉の母は、映像が映るたびにチャンネルを切り換えていたが、どこも同じ話題ばかりだった。息子に観せないようにと必死だったのだろう。けれど渉は、自室でニュースの内容も校長先生の会見も観ていたため、母の気遣いには胸が苦しくなるだけであった。
心配する母を振り切って、今日も早めに家を出る。
通学中、遠目から見る坂折公園は、すでにブルーシートやテープが撤去された状態であった。代わりに花束や飲料水と、それらを置きに来る人々の姿が確認できる。
学校周辺にはわずかにも報道陣の姿が見えたため、渉は裏門から愛車を忍ばせた。
静かな校舎をひたひたと歩き、クラスへ行く前にC組の教室を覗いた。一席には早くも、ユリの献花が置かれていた。
それと、跳ね返った黒髪の――男子が一人。
驚くことに、響弥が一人机に突っ伏して伸びていた。渉も人のことは言えないが、それでもかなり早い時間である。
「響弥――あっ」
つい呼んでしまい、口を塞いだ。だがその行動に意味はなく、響弥は顔を上げてゆっくりと振り返る。渉の泳ぐ視線と、響弥の眠たげな瞳が交差した。
親友は席を立ち、「……おはよ」
「お、おう……。早いな」
「……眠い」
そう言って、ふわぁ……とあくびする響弥。
渉は胸ポケットから清涼菓子を取り出すと、ケースを振って音を立ててみせた。響弥は悟ったように口をあーんと開ける。ケースを弾いて何粒か口に入れてやった。
「んんっ! これ辛いやつじゃん!」
「目、覚めたか?」
「スースーするぅ……」
響弥の目には涙が浮かんでいる。寝不足か疲労か、おそらくその両方だろう。昨日はお互い、心身ともに疲れ果てていた。
特に響弥の家は複雑そうだ。上辺でしか知り得ていなくとも、察することくらいはできる。
渉は廊下の窓を開けた。梅雨明けしていない七月上旬は気圧も不安定。昨日は蒸し暑さを感じて、今日は肌寒さを感じる。
親友同士、同じ空気を吸いながら響弥は渉の隣に並んだ。
「校長の会見見た? 夏休み早くはじまるんだってな」
「みたいだな」
会見は、夕方には映像化されていた。警察署に校長ではなく教頭が来たのも、それが理由かもしれない。
本来なら学校は被害を受けている側。悲報を嘆いて事件解決を願う、それだけでいいはず――
なのに今じゃ、批判の声が目立って見える。今回の会見で、ついに記者の質問にそれは上がった。オカルトの噂が絶えない、それについてはどうなんだと。
学校側は夏休みの予定を早く取るとし、そしてその間に――
「やるべき対策を行いますって言ってたけど……あれってお祓いするとか……?」
渉は響弥に尋ねた。先日響弥や
響弥は困ったような顔で答える。
「……うん、たぶんな。俺のとこは、ほぼ決定。だけど……コレがな」
響弥は人差し指と親指で輪っかを作った。
「お金……?」
「そうそう。費用もかかるし……こっちも商売なんで、タダじゃやらないって言って揉めてんの」
「大変だな……」
「親父もいねえしさー。どこほっつき歩いてんだか」
「は……あ?」
「ん?」
渉は響弥の顔を見て、響弥もまた渉を見た。
「いや、いないって、初耳だぞ」
「え、そうだっけ? 海外出張だか何だかでずっと……。渉のとこと同じ感じだよ」
「…………」
――同じって、
(同じじゃないだろ……)
渉の父が海外出張を続けているのは響弥も把握済みのことだが、比べられても困る。
こっちはいつから響弥の父親が留守なのかも知らないのに。
「なんで言わねえんだよ、そんな重要なこと」
「重要か?」
「重要だろ。今までどうしてたんだよ」
「コンビニ弁当」
「……」
「でも今は叔母さんがいるし……!」
飯の話をしているわけではない。渉は大きなため息をついた。
「そういうことじゃなくて……ああ、テスト前に聞かなきゃよかった」
「え? なになに、知ってたら俺と同棲してくれた?」
(同棲って……)
せめて同居と言ってほしい、などと思いつつ「当たり前だろ」とも返したくなる。知っていたら間違いなく声はかけていた。
「まあ、うちは部屋も空いてるし、家族が許可すればいいんじゃないか」
「ふ、ふぅーん……」
響弥は満更でもない顔で口元を緩める。
『俺、母親いねえからさ』
中学の頃、授業参観で尋ねたときに響弥が言っていたことだ。
「なんか照れる」
「照れるな」
母親がいない。そう平然と言ってのける親友に対し、渉はその理由を問うことができなかった。訊いちゃいけないような気がした。
もしすべてが解決して、それでも響弥の父親が帰ってこないのなら、そのときは――
「もう戻るよ」
早々に登校してくる二年生をちらほらと視界に入れつつ渉は言った。
「はや! もっと一緒にいたいー!」
「勉強に集中。夏休みは一緒にどっか行こう。な?」
「行くー! ネズミーランドー! あ、レプスディアランドでもいいぞ! 遊園地行きたーい!」
贅沢な奴だ、と渉はほくそ笑んだ。
こんな時でもまだ笑える、大丈夫だ――そう思わないと、心のゆとりが保てない。夏休み、何もかもを忘れてはしゃげたら、どんなに幸せなことだろう――
(あれ……?)
E組の教室に向かう途中、頭のなかに疑問がよぎった。
(……遊園地の名前、教えてたっけ)
振り返ると響弥はまだ、廊下にいた。こちらを見て、にこやかに手を振っている。渉は――開きかけた口を固くつぐんだ。
親友の様子が――自分の知らない、どこか遠いもののように見えた。
* * *
教室に入るや、席にいた園元ここあと目が合った。ほかにも女子が数名と、眼鏡優等生の
渉が席に着くと、斜め前の席で園元が身体を向けた。
「昨日のことだけど、夏休み明けまで様子見するって」
「……」
――昨日のこと、とは。
起こった出来事が多すぎて、記憶の処理が追いつかない。しかし、何のことだ? とも返せずに、渉は脳をフル回転させた。
昨日の朝まで記憶を遡り、転校のことだと察して「そっか」と短く返す。
校長の会見もあってのことだ。対策と夏休みの予定、それらを深く考えて、園元の父は決めたのだろう。
「
「うん」
「……どうだった?」
「……シンは……」
園元はうつむきがちに呟いてから、
「付いてくるって」
顔を上げて、変わりない無表情を見せた。
「へ?」渉は思わず首をひねる。
「『私を欲しがっている学校はいくらでもある』って、ドヤ顔で言われたわ」
「ほ、本物の馬鹿だな……」
「まったくよ」
ツンケンする園元の顔には喜色が浮かんで見える。渉は、まだ来ていない隣の席を見つめた。
高部シンは藤北の総合スポーツクラブに属しているエースだ。成績やお金を積んで藤北に入る者がいるならば、彼女は運動の実力のみで入った強者と言える。
園元と高部。席の近い二人がいなくなる――
「よかったじゃん、離れずに済んで」
渉は寂しさを表には出さずに、笑顔を作った。
「まだ決まったことじゃないわ。お祓いで人の死が止めば、それはいいことだと思うけど――酷く滑稽」
園元嬢はまた厳しいことを言ってのける。
「この一ヶ月、翻弄されるだけこっちが動かされて、馬鹿みたい」
「園元は否定派だっけ?」
「もちろんよ。望月もそうでしょう?」
「ああ……うん」
否定派――のつもりだった。
――呪いなんてあってたまるか。そう思ってきたし、その気持ちは変わらない。けど今は、オカルトを否定しきれない自分がいる。
人の死は決して軽いものじゃない。呪いだとか、神の仕業だとか、そんな証明できない死なんて渉は信じられないし、信じたくない。
だがお祓いで解決するのなら――それでいいとさえ思っている。
(お祓いで呪いが止むのなら…………お祓いで……)
「……や、む?」
「え?」
「お祓いで人の死が止んだら、どうなるんだ?」
「……え?」
渉は深く思考した。
(もし止んだらどうなる? 犯人はいないことになるのか……?)
犠牲者が帰ってくるわけでもないのに、このまま終わるのか――?
響弥の家のこと、その経緯と歴史を知った今――神永家が祓をしてくれるならと、甘んじていた。
「まだ何も、解決してない」
まだ解答は出されていない。
呪い人が生まれ、消えた経緯。災厄が止まった二〇〇九年。
――疑え。疑問を持て。オカルトなんかで終わらせて堪るか。
「――そいつと話すと死ぬかもよ?」
その声に、渉の思考は掻き消される。
二人に向けて言ったのは、背の低い不良生徒。
「
「ニュース見ただろぉ? C組の女子死んだじゃん! やっぱオレの言ったとおり、そいつや女委員長が呪われてるってことー。わかったか?」
「別に望月は悪くないわ」
「は? お前馬鹿か?」
宇野はわざとらしく眉をひそめた。
「関わったら死ぬんだから死ぬんだよ。死にたくねえならそいつと話すな」
「それ……信じてるの?」
「信じてるわけねえだろ。でも死ぬんだから死ぬんだよ、言わなくてもわかるだろ」
――矛盾だらけだし、支離滅裂だ。
渉は嘆息し、宇野から視線を逸らした。「いいよ園元、前向けよ」
園元はしゅんとしてみせて、次の瞬間には「あ」と。その直後、後ろから――
「ぶあっ!?」
「……っと、なんだ男子、そんなところにしゃがんでいては邪魔だろう。ああ、しゃがんでいたのではないのか」
宇野の悲鳴と、まったく悪びれる様子がない高部の声が聞こえてきた。
見ると、宇野は後頭部を押さえており、高部は涼しい顔をして鞄を肩に掛け直していた。おおよそ、宇野に鞄をぶつけたといったところだろう。
「おはようここあ! と望月!」
顔を引きつらせる宇野を避けて、高部は爽快な笑顔をこちらに振り撒く。夏服になっても、彼女は変わらず学ランを羽織っている。
「おはようシン。早いのね」
「ああ、マスゴミが増える前に登校してきた」
口悪く述べながら高部は隣の席に着いた。中身がほとんど入ってなさそうな薄い鞄を脇に掛けて、長い脚を組む。そんな薄地でも十分ダメージがあったようだが、いったいどれほどの勢いだったのか……渉は惜しくも見逃してしまった。
「こっの……デカ女……」
「おお、男子。頭大丈夫か?」
「た、高部、もうやめろって」
なおも煽り続ける高部を渉が制する。朝から喧嘩など誰も見たくないだろう。現に教室にいる女子の何人かは、こちらを見て引いている。
「――女に守られてイキがんなよ」と、今度は別の男子の声が上がった。
攻撃的に言ったのは、高部に続いて教室に入った
「お前の女、今日休み? うるせえ奴がいなくなって清々したな」
なあ? と、新堂は宇野にアイコンタクトを送る。宇野はぱっと顔色を明るくし、「だよなあ!」と同意する。
「あいつがいるせいでガッコーセーカツ楽しめなくてさぁ。オレも清々したところ」
二人の嘲笑に園元は顔を伏せ、高部は口を閉ざしたまま耳だけ貸している。渉は凛の席を見ずに、視線を落とした。
――凛は休みだろう。
連絡なんて貰っていないが、幼馴染としての勘が告げる。あんな状態の凛を見たのははじめてだった。いくら強めのメンタルとは言え、親友を失えば誰だって……。
渉は奥歯を噛み締めて、ぐっと堪えた。言いたいことは山ほどあるが、我慢だ。こいつらは構ってほしいだけなんだ。無視するのが一番なんだと、気持ちを落ち着かせるべく念じる。
「お家でよろしくやってればいいのに、なんでこいつは来てるんだろうな」
笑い声が止んで、新堂の低い声がした。
「お前に言ってんだよ、エムヅキくん。自覚ある?」
「……いちいち大声で言うことじゃない」
渉はそう静かに言って、新堂のほうを見据えた。
「言いたいことがあるなら、こうやって騒ぐんじゃなくてさ。もっと人がいない場所で、俺に直接言えよ」
隣で高部が口角を上げた。園元は、渉と高部と新堂を、順に目で追っている。
新堂は机から足を下ろすと、まっすぐこちらに歩み寄ってきた。そのさなか、ポケットに入れていた手を出す。その手にはグリップのような大きさの細い金属が握られていた。空いているほうの手で渉の胸ぐらを掴み上げ、手に持つ金属を素早く回して――刃を出した。
「ちょ、ちょっと……!」
園元は悲鳴に近い声を上げる。高部は彼女を庇うように片手を広げて、男子らを窺っていた。宇野は後ろのほうで目を丸くしている。
バタフライナイフ――俗に言う折り畳みナイフの一種で、新堂は休み時間によく回して遊んでいた。ペンを持つと無意識に回してしまう生徒がいるように――彼も癖でやっているようだった。
それを今、渉に突き付けている。
「殺すぞ」
そう言って、新堂は刃先を近付ける。渉はナイフを一瞥し――意識は刃先に集中させたまま――新堂に視線を移した。
「人がいないところでって言ったろ? 危ないよ」
渉は表情もないまま落ち着いて言う。
説得とは違う。まとう雰囲気は、どこか冷たい。
「うむ! 望月の言うとおりだぞ」
高部の力強い声色も混ざる。園元は視界の端で、こくこくと頷いていた。
睨み続ける新堂の、ナイフを持つ手が緩んだように見えた。
――彼は決して馬鹿じゃない。むしろ賢いほうである。大人たちがネタを食いに学校周辺に湧き出すなか、教室で騒ぎを起こすのは賢明でない。そんなことは新堂だってわかっているはずなのだ。
だから渉は彼の賢さを信じ、臆することなく態度で示す。後は新堂が応じるのを待つだけ――
「あんまさぁ、死亡フラグは立てないほうがいいと思うよ」
這入ってきたのは、のんびりとした爽やかな声。登校してきた
振り返った新堂が何か言う前に、姿勢を低くした宇野が『ああん?』と威嚇する。向葉は宇野を無視して、席に着きながら言った。
「わかんない? モブはモブらしく黙ってろってこと。目立つのが危険だってどうしてわかんねえのお前ら。暑さで溶けるのは勝手だけどさぁ、頭は冷やしておくべきじゃない?」
お前らとは誰のことを指しているのか――おそらくは全員だろうけれど――彼の言い回しは癖が強く、理解に苦しむ。
教室にはすでにクラスメートの半分が揃っている。ほとんどの生徒が渉らの剣呑な空気に一歩引いていた。
向葉はアイスを口に咥える手前、続けた。
「あー、頭って言うのは不謹慎?」
そうして姿勢を前に戻し、スマホをいじりはじめる。
静寂。一瞬にして、熱っぽい空気に濁りが生じた。新堂は舌打ちしてナイフを折り畳むと、渉から離れていく。渉は襟元を整えて座り直した。
宇野はともかく、いつもはクールな新堂も、飄々としている向葉も、わざわざ介入してくるなんてどうかしている。ニュース、テスト、同級生の死――みんな気が立っているのだ。
この気持ちを誰に共有すればいいのか。渉は一人、胸にかかった黒い靄を払拭できず、ただ悶々とする。
(そう言えば橘も、『目立つのが危険』とか言っていたような……)
ちらりと彼女の席を見た。しかしこういう時に限って、その姿は見られない。
――だけど彼女は見ていた。
三時間のテストを終えて、帰るばかりの放課後。
渉の目は自然、芽亜凛のいる席に向けられた。彼女の後ろ姿は帰り支度をしているふうには見えず、奇麗な姿勢を保ったまま。
凛はやはり登校してこなかった。だから少し話してみようと思ったのだが――やめた。今日は大人しく帰ろう。
しかし、芽亜凛の様子は気になるものではある。渉は敢えて前方の扉から出ようとし、なるべく自然な素振りで彼女の顔を窺った。
芽亜凛は渉を凝視していた。
「…………っ」
渉は動きを止めた。
こんなふうに芽亜凛が視線を逸らさないときは、何か理由があるときだけ――遊園地で確信していたことだ。
心臓の鼓動が速くなる。どうする? どうしよう。何の用なんだ? いろんな思考が波のように押し寄せた。
「くっ……」
渉は歯を食いしばり、顔を背けた。そのまま逃げるように学校を後にする。
わからないことだらけで苛々する。らしくない。自分の心はもう、真っ黒い泥に侵蝕されているのかもしれない。
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