親友の声

 七月二日。期末テスト二日目。

 車通りも少なく、人一人いない通学路で、渉は自転車を走らせる。

 空は薄い雲に張られて、太陽が白く透けている。予報では今日は快晴の模様。昼には気温もグンと上がることだろう。

 自転車に取り付けられた時計を見て、少し早く出過ぎたかもしれないと、渉は漕ぐ足を緩めた。曲がり角を曲がって、「ん?」と目をしばたたかせる。


(何だありゃ……)


 前方の脇に、見慣れない車が一台停車していた。車体が黒くて、かなり長い。どう見ても高級車にしか見えないが。

 ゆっくり距離を詰めつつ眺めていると、運転席から黒スーツの男が降りて、後部座席のドアを開けた。誰か降りるようなので、渉はその手前で止まる。


 車から降りてきたのは、藤北の制服を着た女子生徒。――後輩かと思ったが違う。同じクラスの、園元そのもとここあだった。

 彼女は渉の視線に気づき、おもむろに顔を向ける。


「……」

「…………」


 目が合うや否や、黒スーツの男も渉を見た。それから園元にひそひそと耳打ちする。彼女は首を横に振って男から離れると、「おはよう、望月」とこちらに歩んできた。


「おう……おはよう」


 渉は、背の低いクラスメートと高級車を交互に見る。黒スーツの男はこちらをまだ見て佇んでいたが、どこか安心したような素振りで車内へと戻っていった。運転手なのだろう、車を動かし去っていく。


「恥ずかしいところ、見られてしまったわね」

「園元って……お嬢?」

「否定はしないわ」


 園元ここあは歩道を進みはじめた。渉は自転車から降りて、その隣の道路側に並んだ。


「あれ。うちのパパ」と、園元が指差したのは、看板に貼られているポスター。テレビ出演でも有名な日本の政治家、園元孝蔵こうぞう氏が載っている。


「知らなかった……」

「クラスじゃ知ってる子、割といると思うけど。珍しい苗字だから、結構訊かれるのよ」


 確かに園元は身なりもきちんとしているし、一見お嬢さまに見えなくもない。今まで気にしたことなかったな、と思いつつ「へぇー」と相槌を打った。


「幻滅した?」

「へ?」


 突拍子もなく投げかけられた言葉に、渉は間の抜けた返しをした。園元はこちらを見上げながら言う。


「政治家の子供なんて、温室育ちの甘ちゃんだって――幻滅した?」

「……いや、してないよ」


 小首を傾げた渉に、園元は「そう」とだけ返して前を向き直る。


「いつもはもっと遠くで降りてるの。目立つの嫌だから。けどパパが、危ないって心配して……」


 なるほど、と渉は納得した。道理で今まで遭遇しなかったわけだ。


「いいお父さんじゃん」

「うん……」


 下を向く彼女の返事はか弱いものだった。親の過保護にうんざりしているのか――そう思ったとき、また突拍子もなく園元が告げる。


「望月は、私がいなくなったらどうする?」

「何だよ急に……変なこと言うな」

「寂しい?」

「そりゃあまあ……寂しいかな」

「ふーん。百井に言ってやろー」

「おい」


 からかっているのか、と園元を見たけれど、その表情は少しも笑んではいなかった。元々表情筋の硬い奴だと思っていたが――


「私、転校させられるかもしれない」

「……!」


 その呟きから、察することができた。

 園元の目には、諦めきっているような影が乗っている。かもしれない話ではなく、ほとんど決定している話なのだ。


「事件のせい?」

「うん、それもあるけど、クラスの……伝承のことで」


 吐息混じりの園元は、話すのも煩わしいと言いたげだ。


「別にうちのパパはそういうの信じるタイプじゃないんだけど、でもテレビでも話題になってるの……知ってる?」

「うん。知ってる」

「それを観てかんかんになっちゃって、安全性のない学校には通わせられないって。安全なんて、どこに行っても百パーセントじゃないのに」


 何だか哲学的なことを言ってのける少女は、小さく息を吐いた。

 藤ヶ咲北高校の災厄はオカルト番組ではもちろん、報道番組でも取り上げられている。そういう話がひとつでも浮上すれば、世間が連なって声を上げるのは自然的だ。

 視聴者はみなギャラリー。歴史を探らずとも『呪い』という言葉を扱うだけで簡単に釣れる。理由は、面白いからだろう。関係ない者からすれば、夏の風物詩に過ぎないのだ。


 だが被害者家族や、通っている生徒の親は違う。心配になるのは当然のことで、故に翻弄される。

 じんわりと湧く空虚な気持ちに、渉はため息を抑えた。

『呪いのせい』――そんなものは、考えることを放棄した人間の発する、安くて便利な言葉だ。


「前に、高部たかべが寂しがってたぞ。お前が先に帰っちゃったーって泣いてた」

「シンが? 泣いてたの?」

「ごめん、盛った」

「……」

「ごめんて……」


 励まそうとして彼女の親友の名を上げてみたが、表情は変わらなかった。ただ少し、しょんぼりしたように見える。


「シンにはまだ、話してないの。言ったら、どんな反応するか……知りたくない」

「まだ転校するって決まったわけじゃないんだろ? それに、会おうと思えば……いつだって会える。あんまり抱え込むなよ、な?」

「うん。百井に言っとく」

「……」

「嘘」


 園元は渉を見上げると「ありがとう、望月」とやはり抑揚なく言うのだった。表情に変化こそないが、顔色は多少なりともよくなったように見える。


「亡くなった女の子、親が一流企業の社長なの。お祓いするべきだなんて言ってるらしいわ。学校存続のために……お金を出すという話も」

「そうなんだ……詳しいね」

「嫌でも耳に入るわ。政治家からも企業からもクレームを受けて、学校は大変ね」


 同情しているふうでもなく園元はクールに言ってのける。

 悲劇的な歴史があった藤ヶ咲北高校が廃校にならなかったのは、名門校故――その辺りのサポートが強くあったのだ。さらに噂が広まった以上、対策すべき声も上がってくる。


「ねえ望月、訊きたいんだけど」


 学校の表門が近付いてきたところで園元が言った。渉は横目を落とし、


「何?」

「ほかの女子と私に対する態度、違うのはなぜ?」

「え、」

「望月いつもモゴついてるじゃない。女子と話すの苦手そうね――と思ってたけど、私とは普通に話せてる。なぜ?」


 ――なぜって、言われても。


「身長が低いから舐めてるの?」

「舐めてない」

「じゃあ百井ね。私の身長が同じくらいだから百井と話してる気になるんでしょ?」

「……いえそんなことは」

「嘘ね」

「……嘘じゃないです」


 渉が微弱に反論すると園元は「ふーん」と、わざとらしく棒読みに反応する。

 ――嘘ではないし舐めてもいない。彼女は彼女だし、凛は凛だと思う。だが正直に言うと、身長差のおかげで姿があまり目に入らず、緊張しなくて済むから。……言ったら間違いなく怒られる。


「望月って百井のこと好きよね」

「知ってるなら黙ってろよ」

「百井に言ってあげようか」

「言うのは俺だ」


 不機嫌に口走った渉を、園元は意外そうな顔をして見た。そして渉のしかめっ面を見るや、くすりと微笑む。


「冗談よ。伝えられるといいわね」

「ああ、お互いな」


 門をくぐった先で渉は自転車に跨がった。園元はそのまま昇降口へと向かう。

 ――凛への気持ち。伝えられる日はいつになるのか。

 最後までからかわれてしまったが、不思議と悪い気分じゃなかった。


    * * *


 テスト終了。ホームルームを迎えて、ようやく訪れた放課後。芽亜凛は凛と会話をした後、すぐに教室を出ていった。

 その様子を窺いながら、渉は鞄を抱えて凛の元へと向かう。


「響弥を迎えに行くから、先行ってて。橘は……帰った?」


 念のためにと訊くと、凛はこくりと顎を引く。これなら咎めなく響弥を呼べそうである。


 凛と別れてC組に向かうと、教室内はまだホームルームの途中だったため、渉は廊下で終わるのを待った。少ししてから、担任の東崎とうざき先生が教室を出たので、入れ替わるようにしてなかへと入る。


「よお、図書室行くぞ。大丈夫か?」

「うぅ……テスト疲れだ、気にするなぁ」


「しっかりしろ」と、席でうなだれている響弥を引っ張り起こす。響弥はいつになくぐったりしていたが、渉が肩揉みをしてやると元気な喘ぎ声を上げた。

 中身のない鞄を肩に掛けて、ふたりは廊下に出る。


「凛ちゃんは?」

「先行ってる」

「なんかさー二人の仲、戻ったよな」

「……そう?」

「そうだよ」響弥はへへっと笑って足を弾ませる。「俺としちゃあ感謝感激雨あられ! 嬉しいぜ」


 なんでお前が喜ぶんだ? と思ったが、心に留めるだけにした。

 仲が戻った――というよりも、渉がもう遠慮することなく芽亜凛との間に入るようになったというべきか。逃げることはやめたのだ。小坂めぐみによる、嫌がらせを境に――


「お前はどうなんだよ? 最近忙しそうじゃん」

「ああ、叔母さんが仕事でこっちに来てるから……いろいろとな。俺はその手伝いで働かされてる」


 響弥は苦笑いをして言った。たびたび車で早く帰ることがあったが、それが理由だったのだ。大事なテスト期間に、ご苦労なことである。


「呪い人のことを知るのはいいけどさ、急に調べはじめたのはどういった心境で?」


 渡り廊下に出てから、不意に尋ねる響弥。生暖かい外の空気を肌身に感じつつ、渉は親友の顔を見た。


「オカルトのあるなしを言っても仕様がないだろ? それにこれ以上……行方不明者も、被害者も出さないために、知っておいたほうがいい」


 安全はどこにも、ないからな――と、今朝会ったクラスメートの言葉をなぞった。

 響弥は、人畜無害な丸っこい瞳を徐々に下げていき、進む足を止めた。急にどうしたんだと思い、渉も同じように立ち止まる。

 響弥は泣き笑いのような表情を浮かべて言った。


「俺……渉がいなくなるのは嫌だよ」


 普段は見せない親友の訴えに、渉は無意識に開いた口をキュッとつぐんだ。瞼が自然と開閉を繰り返し、眼球が泳ぐ。

 ――それはこちらだって同じだ。響弥に何かあっては困る。


 E組の呪い人を疑われているのは、渉と凛と芽亜凛。定義どおりならば、親友として深い関係を持つ響弥が巻き込まれる可能性は大いにある。

 ――響弥だけじゃない。誰にも何も起きてほしくない。たとえそれがオカルトであってもなくても。

 渉は窓の外に見える屋外スピーカーに目をやった。


「行方不明ってさ――たまに広報で流れるけど、ああいうのって実はどこかで匿われてたり、身近にいたりするんだよ」

「……と言うと?」

「だぁからぁ、……俺はどこにも行かないってこと。わかった?」


 そう言って、響弥を見た。

 響弥はぽかんとしていたが、渉と目が合うや吹き出すようにへらりと笑った。『心配するな』という下手くそな意思は伝わったらしい。

 そうして再び響弥の足取りが軽くなると、渉も呼応して図書室への道を急いだ。


「行方不明の広報なら二月や三月に頻繁にかかってたよなー。渉覚えてる?」

「覚えてない。学校関係? それとも高齢者?」

「一般人一般人。若いヤンキーとか、おっさんだろ」

「あっそ」


 渉は図書室の扉から顔を出して、なかの様子を確かめた。隅の長テーブルには紺色のファイルが数冊あり、どうやら凛が往復して一人で運んでいるようだった。

 ほかに誰もいないようなので、お構いなく扉を開ける。


「ふうううう! クーラー涼しいー!」


 入ってすぐに響弥が声を上げ、凛が隅から顔を覗かせた。


「響弥くん来てくれたんだ。テストお疲れ様」

「凛ちゃんもなー、お疲れお疲れ!」

「最近忙しそうだね?」

「それ! さっき渉にも言われたよ!」


 渉は鞄を適当に置いて、ファイル運びを手伝った。響弥はボーッと突っ立ったまま、二人の様子を眺めている。

 すべて運び終えたところで、昨日調べたことを響弥に簡潔に話した。どんな事態を調べていたのか、何を知ったのか、このファイルには何が書かれているのか――など。


「――で、これが資料?」

「うん」と凛が頷き。

「滅茶苦茶あるじゃん……」

「うん」と渉が頷く。「だから疲れるのはまだ早いぞ」

「うげぇ……」


 今日は昨日よりも遡ることにする。まず、いつから呪い人と囁かれはじめたのか。それを追っていこうと提案した。


「二〇〇〇年にはもう呪い人って書かれてたよね。じゃあ私はそれより前を見るよ」

「わかった。こっちは二〇〇四年まで見るよ」


 二〇〇五年までは遡ってしまったので、渉は半端に残された二〇〇一年から二〇〇四年分を見ることにする。


「――響弥」

「…………へ?」

「へ――じゃなくて。はいこれ、二〇〇一年のファイル。俺は二〇〇二年を見るから」

「あ、ああ……わかった」


 響弥は意外にも頼りない返事をし、ファイルを受け取った。

 もう名簿は使わなくていいだろう。被害者の名前とクラスを確認する必要は最早ない。


 渉は二〇〇二年のファイルを開いて、新聞の切り抜きに目を通す。凛はうーんと時折唸っているし、響弥は黙ってファイルを見ている。読書でもしているかのような雰囲気が三人を取り囲んでいた。

 渉は残りのファイルにも手を伸ばす。いつまで見ているんだと言うくらい、響弥はひとつのファイルに目を凝らし、渡そうとしなかった。


 しばらくして――何冊かのファイルを見終わった凛が口を開く。


「犠牲者は多いけど、呪い人って言葉はやっぱり、二〇〇〇年に生まれたみたい。そっちは?」

「なんにもない」渉はさらりと答えた。

「何にもない?」

「二〇〇二年から二〇〇四年、犠牲者はいない。新聞にはクラスが撤去されたって書いてあるし……『祟りを鎮めた寺』って……」


 そう言いながら、響弥のほうを盗み見る。彼の顔はファイルに隠れて見えない。

 凛は見ていたファイルを閉じ、「どれ?」と渉の手元を覗き込んだ。そしてそれを目にして、「えっ」と声を漏らした。


「これって……」


 凛の目は、新聞と響弥のほうを泳いでいる。

 ――神永かみなが分寺ぶんじ

 記事の内容に書かれていた寺の名前だった。


「響弥」

「ごめん」


 渉が呼ぶと瞬時に、ファイルの先から声が聞こえた。響弥はゆっくりと顔を晒し、


「……黙ってて、ごめん。……俺の家だよ」


 バサリ――と、響弥が開いて置いた二〇〇一年の新聞記事には、『神永分寺』の文字が見出しに大きく書かれていた。


「まさか響弥くんが最近忙しいのって……」

「うん……はらいの件で、いろんなとこと揉めててさ……。すまん! 今まで言えなくて悪かった!」


 響弥はバッと頭を下げた。どこか反応が鈍かったのも、ずっとファイルを離さなかったのも、知られたくなかったから――

 渉は、閉じたファイルを机に置き、響弥に顔を上げるように言った。響弥はおずおずと頭の位置を戻す。


「お前が謝ることは何もない」

「……渉……、」

「そうだよ、響弥くんのお家は偉大なことをしたってことじゃん。すごいことだよ」

「凛ちゃん――ううっ……ありがとう……っ」


 鼻をすすって泣きべそをかく親友の背中を、渉はぽんぽんと叩いてやった。ふたりを見て柔和な笑みを浮かべる凛は、通知音に反応してスマホを手にする。


(――祟りを鎮めた寺か)


 二〇〇一年から二〇〇四年の間、犠牲者はいない。このことを踏まえると、二〇〇〇年に呪い人という言葉が生まれ、そのせいで多くの寺に依頼が殺到した。おそらく園元が言っていたように、権力者の圧力によって、学校側は対応せざるを得なかったのだ。

 そしてそれを成功させたのが、神永分寺。神永家のおかげで呪いは止んだと、記事にはあった。


 響弥は話せなかったのだ。知られれば、必ず神永家に連絡が回る。下手をすれば批判だって。

 しかし、四年間とは言え確かに鎮めた。今現在、響弥の家には強大な圧力とプレッシャーがかかっていることだろう。


「俺もそっちの記事見ていい? お前んちが何したのか知りたい」

「何にも書かれてないって。ただ、うちがお祓いしたら止んだってだけで――」

「ちー……ちゃん……」


 ――?

 渉と響弥は、凛のほうを見た。凛はスマートフォンを見つめたまま――手を震わせている。


「ちーちゃん、から……」


 掠れた声で言う凛は、必死に呼吸を整えて、恐る恐るとスマホを向ける。画面には、松葉千里とのトークが映し出されていて、左側の吹き出しが新規に追加されていた。


「ちーちゃんから、メッセージ……来た……」

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