現実は残酷で突拍子もない
六月二十八日。金曜日。
『休校のお知らせ。本日明け方、学校周辺で殺人事件が起きた模様です。生徒のみなさんは自宅待機とし――』
午前六時前のことだった。アラームが鳴る前に目が覚めて、スマホを手に取った渉は、画面のプッシュ通知を目にした。
「休校……」
寝ぼけ眼で文字列を眺めていると、次第に頭が冴えていった。渉はベッドから飛び起きる。
すぐにテレビのリモコンを取り、電源を入れた。がむしゃらにチャンネルを切り替え、ひとつの情報番組に目を留めた。
『遺体が発見されたのは都内の公立高校――』
テレビ画面に、藤ヶ咲北高校の校舎が映されていた。
『警察によりますと、校門前にて発見されたのは同校の生徒、朝霧修さんと小坂めぐみさんの遺体で――』
ニュースキャスターの読み上げと、テロップがだらだらと流れていく。まるで聴覚と視覚が支配されていくようだった。これは本当に自分の耳で、目で、見て聞いているものなのだろうかと。
現実味のないニュースに、息苦しくなる。部屋の空気に触れている肌が粟立っていく。
『朝霧さんは今月十七日から行方がわからなくなっており、小坂さんは一昨日の夜から家に帰っておらず、行方が掴めていなかったようです』
被害者の名前と年齢が表示された。顔写真は映らない。
渉は歯を食いしばり、思い至ったようにシャツを脱いだ。制服ではなく、目立たない色のパーカーと適当なサルエルパンツを取って着替える。
『なお、いずれも遺体の損傷が激しく、警察は怨恨犯を視野に入れて捜査を続けております』
着替えている最中もニュースの内容は耳に届いていた。渉はスマホと財布をポケットに突っ込み、部屋を出る。
すると姉の
「なーに慌てて……って何その格好」
「休校だよ!」
「えっ休校?」
渉は果奈より早く階段を下りて洗面所に向かう。顔を洗い終えて、鏡に映った自分を見た。多少の寝癖は仕方ない、と諦めてリビングに向かった。
先にいた果奈と母の会話が聞こえてくる。
「おはよう、果奈これ見た? 殺人事件だって……」
「嘘!? 朝霧くんってあの朝霧くん!? 嘘でしょ……!?」
テレビ画面を注目する二人を置いて、渉は玄関へと一直線に進んだ。シューズを履いて、傘を手にする。窓から見える外の景色は梅雨色だったが、雨は降っていないようだ。
玄関脇に傘を戻して、いつもの通学路――学校への道を走った。角を曲がるところで、幼馴染と目が合った。
「渉くん!」
「凛!」
心臓が飛び出そうなほど驚いたが、彼女の格好を見て渉は安堵した。自分と同じ、動きやすい格好をしている。同じく家を飛び出してきたんだ。――考えていることは、同じなんだ。
渉は強く頷いた。凛もわかりきった顔で頷き返した。
二人は並んで目的地へと駆けて行く。走れば十五分で着くだろう。当然だが生徒とすれ違うことはない。見かけることもなかった。
「嘘だ……」
歩を緩めて、凛は呟いた。
「こんなの……嘘だよ」
学校前は交通整理もされていて、行き交う車を止めさせないようにと、赤い誘導棒が振られていた。向かいの通りでは、野次馬らしき一般人や、テレビ局の姿が見られる。
人混みから離れた場所で足を止めて、渉はスマホのテレビアプリを開いた。凛にも聞こえるように音量を上げる。
『これは連続殺人事件となり得る可能性が――』
切り替え、
『ネット上では、こちら――呪い人が原因ではないかと囁かれておりますが、オカルト研究家の
切り替え……、
『現場の情報によりますと警察は防犯カメラの解析を急いでいるようです』
切り替え――
渉は、中継先が映されているものを探した。そうして、とあるライブ中継に手を止める。一人の高齢の女性が映っており、インタビューを受けていた。
『犯人を見たというのは本当ですか?』
『あれはね、幽霊よ幽霊! 白ぉい人影をね、あたしは見たのよ!』
『それはいつ頃でした?』
『朝の四時頃だったかしらねぇ』
複数のリポーターが女性を取り囲んでいた。その時の様子を詳しく訊かれているようで――
「ふざけんな」
渉は吐き捨てるように呟いた。胸糞悪いと心が叫んだ。どこまでオカルト路線を展開すれば気が済むのか。
「渉くん、これ……」
今度は凛がスマホを向ける。テロップが映し出されており、音量を上げるとニュースキャスターの読み上げがはじまった。
『男子生徒は左腕がなくなっている状態で見つかり、女子生徒の胸には刃物で何度も刺されたような痕跡が――』
渉は静かに瞳を閉じた。凛もスマホの音量を下げて、うつむく。
――なんで、
「なんでなんだよ。なんでこのタイミングで……わけ、わかんねえ」
渉は震える拳を握り固めた。心臓の奥が痛い。胸が張り裂けそうだ。
同級生の死に対する思いとは別の感情である。こうして公にされたことが――まるで見せ物にされているみたいで、どうしようもない不快感に襲われる。行き場のない怒りがふつふつと湧いた。
だって、こんな、急に。思考する余地も与えてくれない。考えていられない。犯人と思われる人物に――話題になるタイミングを計られていたような気がしてならない。
「学校、どうなっちゃうのかな……」
ポツリと凛が口にした。渉は顔を上げて、人混みのほうへと目を向ける。もしかしたら犯人がいるかもしれないと思ってのことだった。
「休みが明けたら、期末テストだよ……」
「実施はされると思う。大変なのは先生だ。家族もな……」
高校の成績はデリケートだ。もし休校が続いて、このままずれていくとすれば、夏休みがなくなる覚悟もしておいたほうがいいだろう。学校は外部からの連絡に追われているだろうし、責任問題になることも考えられないことではない。
――オカルトの噂が原因で……責任問題?
馬鹿げた話だ。
(……考えたくもない)
ふと瞼の裏側に、あの少女がちらついた。喫茶店で話をしたとき、苦虫を噛み潰した顔をしていた、あの少女。
――彼女は今、どうしているだろうか。
視界の隅に、あの子の姿が映った気がして――渉は視線を滑らせる。そして、目を疑った。
「えっ」
嘘じゃなかった。気のせいじゃなかった。
「あ、あそこ」渉はそっと指を差す。
「あそこにいるの――朝霧の妹だ……。朝霧、ニイナ」
あの少女――ニイナの姿が、そこにあった。
はじめて会った時とは違い、特徴的だった三つ編みもしていないけれど、確かにニイナだった。部屋着のような格好をして、野次馬に紛れて呆然と佇んでいる。その表情から感情は読み取れない。
目を向けた凛が小声で言った。
「ニュースを見て、来たのかな?」
「…………」
答えられない渉を見上げて、「話しかける?」と凛が問う。
そのさなか、視線に気づいたニイナが、渉のほうに目をやった。渉は思わず「あっ」と声を漏らす。少女はぎょっとして顔を逸らし、すぐに別のものを探すみたいに首を動かして、ぎこちなく背を向けた。
渉の声に反応した凛がニイナの後ろ姿を見て「あっ……」と漏らす。
「追おう! 渉くん!」
「へ?」
「早く!」
凛は渉の腕を引っ張った。止まっていた足が前へと突き動かされ、渉は我に返ったように目をしばたたかせる。
「ほら、行こう!」
「お、おう……!」
突拍子もない凛の言葉が、行動が、渉の背中を押してくれる。
今は考えて動くよりも、空っぽの頭で行動したほうがよっぽどいいみたいだ。
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