二人きりの図書室

 藤北の図書室は三階の渡り廊下を渡ってすぐにある。扉を開けた凛が、第一声。


「あれ? 意外と人いないね」


 ――というより、誰もいなかった。

 生徒はもちろん、司書もいない。電気は点いたままなので職員室にでも行っているのか。テスト週間ですぐに下校ができるとは言え、利用するものがゼロ人とは限らないのに。今日担当の図書委員はいったい何をしているのか。

 隣で並ぶ芽亜凛がくすくすと笑う。


「テスト勉強にはもってこいの場所だと思うけれど、藤北の人たちはあんまり、本読まないのかしら」

「ああーねー……」


 かく言う凛もあまり本は読まない。紙媒体の漫画や小説、電子書籍諸々、得意でなかったりする。じっとしているより身体を動かすほうが好きなのだ。

 一応この図書室には、生徒が自由に利用できるデスクトップPCが二台と、ノートPCは数台ある。調べ物や生徒寄せのために設けられたようだが、インターネットの普及する今、それ目当てで来る生徒が果たして何人いるのだろうか。凛もパソコン目当てで来たことはない。


 適当な席を選んで芽亜凛と向き合って座り、凛は単刀直入に訊いた。


「お話って、その……な、何?」

「何っていうか、最近凛と話せてない気がしてね」

「そうかな……? あっ、でも職員室だったり他クラスだったり、テスト週間になっても相変わらず走り回ってるからねー。また二人で喫茶店行きたいね」


 それは校内に不審物があった日のこと。早帰りとなったその日、凛と芽亜凛は喫茶店へと足を運んでいた。不審物って何だろうね、という話をしたのと、限定スイーツがおいしかったことを記憶している。

 当時を思い返して、凛は顔色を曇らせた。


「私、芽亜凛ちゃんと話す時、嫌なことばっかり言ってるよね。悩みとか、相談事とか、暗い話ばかり……」

「そんな事ないと思うけど……私は嬉しいよ? 凛が相談してくれること、打ち明けてくれること、凛と一緒に悩めること。全部光栄に思うもの」


 そう言って彼女は普段どおりに微笑んでみせる。

『話せてない』と言うけれど、芽亜凛とは毎日挨拶もするし、休み時間だって一緒にいる。他愛ない会話やトークのやり取りだってする仲だ。

 だから芽亜凛の言う『話せてない』とは、『不審物の件以来、そういった話はしていない』という意味なのだ。彼女は現在、どこまで把握しているのだろう。小坂めぐみのことは――?


「芽亜凛ちゃんはさ、悩みとか、ないの?」

「悩み?」

「芽亜凛ちゃんからそういうの、あまり聞いたことないなあって。ああっ、言いたくないことなら、大丈夫。無理して聞き出そうとは思ってないから」


 ほかの人と比べても、芽亜凛は自分の話を積極的にするほうじゃない。好きなものも彼氏の有無も、訊けば答えてくれる――それだけだ。

 これだけ一緒にいて、遊園地に行っても食事に行っても、まだ一枚壁がある。

『彼女は何か隠してる』

 渉に言われた言葉が、凛の頭をよぎったとき、


「私……エスパーなの」と、芽亜凛は小さく呟いた。

 凛は「へ?」と口を開ける。


「超能力って言えばわかるかな? 私、他人が考えてることが読めるの」

「えっ……え? えすぱぁ……?」


 突拍子もない話だった。しかし本人は至って真面目そうな顔でこくりと頷く。そんな馬鹿な……。


「当ててみようか、凛が考えてること」

「ん、うん」

「手、握ってもいい?」


 そう言って差し出した芽亜凛の手に、凛は恐る恐る自身のものを重ねる。手相を見るわけじゃないのか、手の甲は上でいいようだ。

 重なった手を、芽亜凛はぎゅっと握った。彼女のひんやりした体温と、凛の熱とが交わる。芽亜凛はしばらく凛の手を見つめて、やがて瞳を交差させた。


「男の子ってよりも、女の子の影があるわね。それも三人」

「三人……」

「一人は髪の短い子で、もう二人は結んでる」


 凛はギクリと顔を強張らせた。


(もしかして、今朝の三人……?)


 三城楓、桜井遥香、椎葉穂――なぜその三人が……。いや、まだ確定したわけじゃ――


「んー、これはE組の――」

「待って!」名前が飛び出る前に、凛は制した。「怖いよ芽亜凛ちゃん!」

「……なら、やめる?」


 芽亜凛の表情は一向に変わらず、ふざけている様子でもない。それが逆に怖いのだが。

 恐怖ではない、ドキドキ感。


「つ、続けてどうぞ……」


 尻込みしつつ促すと、芽亜凛は「そう」と短い返事をして、再び瞳の奥を見つめた。


「他クラスのことも見えるわね……これはB組、いや、A組かなぁ」

「…………」


 凛の瞳が四方八方に揺れる。


「あ、また女の子。ふーん、浮気性ね、嫉妬しちゃう」

「そ、そんなこと、ないよ?」


 言いつつ、瞬きの回数が多くなる。


「んー……凛は、男っ気で言うと、渉くんしか浮かばないみたい」

「かあぁ……! からかってるでしょお!?」


 慌てて反論すると、芽亜凛は真顔で沈黙した後、「えへ」と破顔した。


「バレちゃった?」

「あうぅ……」


 肩から力が抜ける。顔から湯気が出そうだった。芽亜凛の演技があまりにもリアルなので、いとも簡単に騙されてしまった。ポーカーフェイスにもほどがある。


「全部嘘よ、エスパーなんてないわ。相手の反応を見てるだけ……。この手も本当は、鼓動を感じてるだけだったり」

「わああ! 恥ずかしいよぉ!」


 凛はばたばたと手を引っ込める。

 芽亜凛は相手の心拍数で反応を読み取っていた。それにしては図星を突かれすぎていた気がするが。凛の心臓はまだドキドキし続けている。


「からかってごめんね、凛ってわかりやすいんだもの。渉くんと揃って、鈍・感・さん」


 凛は声にならない悲鳴を上げる。隠せるものがないので手で顔を覆った。

 ――穴があったら入りたい!

 人がいなくてよかったと心から思った。


「私も芽亜凛ちゃんのこと当てる!」


 凛がお返しを要求すると、芽亜凛は承知したように姿勢を正した。


「むむむむむむむ」


 凛は唸り声を上げながら芽亜凛の目を見つめる。瞳のなかに自分が反射して見えた。


「芽亜凛ちゃんは、甘いものが好き!」

「そうね」

「芽亜凛ちゃんは、スイーツが好き!」

「うん」

「芽亜凛ちゃんは、そういうお店に詳しい!」

「食べ物のことばかりね」


 芽亜凛はふふっと笑みをこぼした。思考を当てるというよりも、質疑応答。それも、凛の言うことはすでに知っていることばかりである。

 だから凛は、流れに任せて言ってみた。


「芽亜凛ちゃんには、好きな人がいる」

「うん」

「えっ――?」


 思わず反射的に声が出ていた。

「初耳なんだけど……」と言うと、「凛のことは好きよ」と、芽亜凛は何の動揺もなくさらりと答えた。


「あっ……そ、そういうことか」


 友達として――そういうことだよね? それなら凛も、答えはイエスだ。

 しかしそう言われて、安心している自分がいる。男子じゃなくて女子をあげるところが、なんとも芽亜凛らしいなと思った。


「男の子だとどう? うちのクラスだと、んーっと、萩野はぎのくんや杉野すぎのくんは優しいほうかな」


 日頃から男子にアプローチをされ、連絡先を問われ、芽亜凛はそのたびに断っている。その様をストレートに言うならば『迷惑そうにしている』だ。だから好みのタイプなども、凛は聞いたことがない。

 大方『優しい人』なら嫌いではないはず――と思ってその二人をチョイスしたけれど、


「……………………無理ね」


 考えた素振りを見せたかと思えば、芽亜凛は冷静な返しをしてみせた。


「杉野さんには、私なんかは荷が重いだろうし、萩野くんは安全地帯みたいなものだから」

「そっかぁ……好みの問題もあるしねー」


 今朝の余韻が残っているのか、自然と恋バナ思考になっているようだ。


(渉くんも優しいけど……芽亜凛ちゃんに対する渉くんって、キツそうだもんなぁ)


 先日の、校舎裏でのことが再生された。


(二人とも火花を散らして睨み合ってたっけ……)


 それを踏まえて、ふと気づいたことがある。


「芽亜凛ちゃんってさ――渉くんの前じゃ渉くんのこと、望月さんって呼んでる?」

「うん……呼んでる」

「あー、やっぱり……」


 凛はずっと、『渉くん』呼びなのだと思っていた。自分の前で、彼女がそう呼ぶように。


「恥ずかしいとか? それとも、渉くんが何か言ったり……?」

「ううん。恥ずかしかったってのもあるけど……タイミングが悪かったの。前に、暗い話をしたことがあって、それでもう呼べないっていうか」


 ――暗い話。それすなわち、不審物や行方不明、それらの事柄にまつわる深い話。

 渉が芽亜凛のことを疑っているのは、彼自身から聞かされているし知っている。でも、芽亜凛はそんな話――してきたことがない。


 幼馴染だから? だから気を遣って伏せている? もしそうだとしたら、独りで溜め込んでいるんじゃないだろうか。


「私は、芽亜凛ちゃんが渉くんに対する悩み事とか、愚痴とか言ってきても怒らないよ? 私でよければ対処とかできるし、聞くこともできる。もっと……打ち明けてほしい」

「――凛は優しいね」


 間も空けずに返事が飛んできた。まるで準備していたかのような素早い反応だった。また気持ちを読まれていたのかもしれない。


「彼から聞いてることいっぱいあるでしょ? それを言わないのは私を傷付けないためかな」


 だけど、いいの。

 もういいの、と彼女は続けた。


「渉くんがどう思おうと……私は凛さえいてくれればいい。凛が信じてくれれば、私は生きていられる」

「し……信じてるよ、芽亜凛ちゃんのこと」

「小坂さんのことがあっても?」

「っ!」


 心臓が止まったかと思った。

 このタイミングで、この話の流れで、なんてことを言うのだろう。


「小坂さん、今日無断欠席だってね。凛も知ってるでしょ?」

「…………」


 凛は口の渇きを潤そうと、唾を飲み込む。不安と罪悪感とがないまぜになり、足の先まで冷えていくのを感じた。先ほど『エスパー』で指摘された時とは桁違いの速さで、心臓が動いている。


「いいのよ」と芽亜凛は微笑する。「私から離れてくれても、私は構わない」

「なんで……!」凛はつい声を荒げた。「芽亜凛ちゃんは何も悪くないでしょ? 何も、してないでしょ……?」


 唾液を集めてゴクリと飲み干し、乾いた唇をちろりと舐めた。

 芽亜凛は笑みを乗せたまま、けれど視線を合わそうとしない。


「うん、そうね。何もしてないし、何もできてない」

「だ、だったら……! そんな悲しいこと、言わないで? 私だって、小坂さんがどうして休みなのか、わからないんだから……」


 言いながら、凛は前のめりになっていた姿勢を元に戻した。

 小坂めぐみの無断欠席――朝霧のケースと同じだ。親が把握しているかどうかまでは、情報不足で不確かだけれど、昨日に続きA組周辺には警察が多くうろついている。

 ――またしても、関わった人間が姿を消した。


「わからない……けれど少なくとも、凛のせいじゃないわ」

「私が呪い人だったらありえるよ」

「そんなものはないの」

「言い切れないよ……!」

「凛――」


 取り乱す凛を諭すように芽亜凛は優しい口調で言う。「私は生きてる」と。


「凛がもし、その原因だとしたら……そばにいる私はどうして生きてるの? 私だけじゃない、渉くんだって生きてるじゃない」

「だけど、だけどさ……」


 なぜそう言い切れるのかが、わからない。

『あいつは伝承のことをオカルトもどきだと断言した』

『そう言える何かを知っているんだ』

『これが人の手によって作られた偽物だってな』


(偽物って何……? わからないよ渉くん……)


 ――殺人、なの……?

 自分と関わった人間が消えていく。だったら、いまだ行方不明の千里は――


「私ね」


 芽亜凛が静かに口を開いた。


「ちょっと、自暴自棄になっているの。ごめんね、八つ当たりしちゃって」


 凛は首を振る。「芽亜凛ちゃんが謝ることないよ……」

 そう返せば芽亜凛は「暗い話しちゃったね」と、どこか寂しそうに言うのだった。


 転校してきて、曰く付きのクラスに放り込まれて、そのすぐに事件が起こって、周りは物騒な話題ばかりで。他人から疑われて、騒ぎに巻き込まれても――芽亜凛は文句どころか、弱音だって吐かない。

 ――自分よりもずっと大人だ。


「なんで小坂さんのこと、話題に出したの?」

「凛が気になってそうだったから、だから言ってみたの。ほかにも気になること、あるんじゃない?」


 芽亜凛自ら話を振ったのは、凛を思っての優しさだったのだ。

 凛は小さく頷いた。


「……でも訊かないよ。芽亜凛ちゃんのこと、私は信じてる」


 複雑な心境は拭えない。でもこんなにまっすぐな女の子を、見捨てることなんてできないと、凛は思った。


「ありがとう。私も凛のこと信じてるよ。何か訊きたくなったらいつでも言って。凛になら、私……、」


 その先が聞けることはなく、柔らかかった芽亜凛の表情が途端、強張った。


「芽亜凛ちゃん?」

「……こういう勘は利くのね」

「え?」

「ううん、別に。ただ……」


 芽亜凛はなんでもなさそうに微笑んで、


「このまま最後まで引っ掻き回してやるのも、悪くないなって思ったの」


    * * *


 薄く開いた図書室のドアの前で、一人の少年が耳をそばだてていた。


(よく聞こえない……)


 借りていた推理小説と参考書を返却ポストに放って、なかに入ろうとした少年は、室内から漏れてくる聞き覚えのある声に手を止めていた。

 ――教室にいなかったからもう帰ったのかと思っていたけれど、二人でいるのか。


(図書委員は何やってんだ)


「望月」

「――っ!?」


 驚きのあまり声も出ず、望月渉は振り返った。後ろに立っていたのは、学ランを羽織ったE組の女子生徒。


高部たかべ……脅かすなよ」

「なんだ、覗きか?」

「違う」


 高部シン。渉の隣の席の女子である。身長が渉とほとんど変わらず、手足も長くてスタイルのよい彼女だが、口を開けば頭の悪さが露見する。ほかの女子よりは幾分も話しやすいが、なぜいつも学ランを着ているのかは、訊くに訊けないでいる。


「よし、二千円で黙っててやろう。どうだ? 悪い話じゃないだろう」

「……お前何しに来たの?」

「私は図書委員の仕事だぞ」


 今日は私の担当なのでな、と言う高部シン。お前かよ、と渉は心中呆れを漏らす。


「実は恋人のここあが家の用事で帰ってしまってな。一人でやるのも面倒なのですっぽかそうかと思っていた」

「恋人の、は余計じゃないか?」

「きみの突っ込みは厳しいな。モテないぞ?」

「大きなお世話だ」

「どこへ行く?」


 すれ違った渉を高部が呼び止める。渉はじろりと顔を向けると「帰るんだよ」と言った。


「それじゃあ一緒に」

「いや、仕事しろよ……」

「私が一緒のほうが望月は安心だろう?」

「…………」

「な?」


 高部はピースサインをにょきにょきと動かし、笑った。

 なかの二人には言わない、そういうことだろうか。監視できるほうが好都合だろう? とでも言いたいのか。別にバレても問題はないけれど――馬鹿なのか馬鹿じゃないのか、よくわからない奴だと渉は思った。


「わかった、一緒に帰ろう」

「修羅場は嫌だもんな」

「お前って一言多いな……」


 仕方なく承諾したけれど、高部と一緒だったのは校門前までであった。

 彼女と別れて、渉はまっすぐ家へと帰る。

 園元そのもとここあが家の用事で、と高部が言っていたが、渉も同じく、響弥が家の都合で――車で先に帰ってしまっていたのだった。だからちょうどいい偶然だったのかもしれない。

 兎にも角にも、二千円はチャラにしてもらえたようだ。

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