第九話
恋バナ
今日の天気は雨。凛は早めに家を出て、早くから職員室に出向き、担任の
職員室の窓には雨粒が見て取れる。傘を差して校門を通る、極わずかな生徒の姿も。
――テスト週間で部活動はないのだから、家でゆっくりしていればいいものを。
二年C組の担任、
東崎先生によると――
昨日、刑事の数名がA組のほうをうろついていたのを凛も確認している。おそらく
朝霧のことは千里のときみたいに集会が開かれることはなく、公にもされていない。欠席に疑問を抱いている生徒は多くいるけれど、公表されない限り、真実は知れないまま。
――動ける人間が動かないなんて。
一生徒が口出しすることでないのはわかっている。けれど朝霧へはどうしても、同情するような気持ちになってしまうのだった。
「あ。いいんちょ、いいんちょー」
凛が教室に戻ると、扉前の席から声が飛んできた。声の主、
教室内はまだ人も少なく、ガランとしている。
「えっ……と」
凛は様々な意味を含ませて目を丸くした。
「おはよう……桜井さん、三城さん」
「おはよ」
「おっはよぉー」
微笑んでくる二人を見てどうすべきか悩み、とりあえず桜井の隣の席を借りて、凛は座ることにした。渉も
「二人は今日、早いね……」
「あたしのは部活の癖。遥香はいつもの気まぐれっしょ」
「そだよー」
難なく肯定した桜井は手鏡を取り出して前髪を整えている。彼女は女子バスケットボール部で、三城は女子陸上部。二人共スポーツ万能で、部活に熱心に取り組んでいることを凛は知っていた。
せっかく声をかけてくれた彼女たちにうまい返しができず、凛は悩み悩み言葉を絞り出す。
「なんか、二人が話しかけてくれるなんて……意外かも」
それは嬉しいと同時に、自分と関わってしまって平気なのだろうかという、不安にも似た気持ちであった。
「あー、いいんちょ避けられてるもんね」
「…………」
――いや、そのとおりだけれども……。
桜井遥香の嘘偽りのない返しに、凛は笑みを浮かべたまま硬直した。しかし下手に隠されるより、かえって清々しい気もする。
「別にさ、あたしは呪いなんて信じてないし。クラスの連中は、あんたのこと……呪い人だと思ってるみたいだけどね」
くすりと笑った三城の顔には、呆れの色が見えた。彼女は上辺だけの付き合いはしない――少なくとも凛は、三城のことをそのような性格だと思っている。
凛はまたしても頷く。「うん……だね」
『対象』として見られていることに、もう悲しいなんて気持ちにはならない。わかりきっていることだし、痛いほど感じていることだ。
三城は否定派で、桜井は――どちらにせよ楽しんでいるってところだろう。
(話してみれば案外普通なんだなぁ……)
クラスには、明らかに避けてくる生徒がいる。主に男子生徒なのだけれど、そのこともあって、全員から避けられていると勝手に思い込んでいた。――みんながみんな、そういうわけじゃないんだ。
三城らとは、普段から話をする仲とではないし、深い関わりはない。『仲がよさそうな四人だなー』と、三城グループを外から見ていただけで、互いに関わることはあまりなかった。話しかけられれば対応するような間柄である。
だからわざわざ声をかけてくれたのには何か理由があるはずだ――
「ねえねー」と横から声を上げた桜井に、凛は「んっ?」と顔を上げた。
「
「……へ?」
「どこまでいった仲?」
「――!?」
(渉くんのことだよね……?)
「い、いったって……ななな何?」
「ん? 例えばエッチとかさー」
「エッ……」
「あれ? 二人って付き合ってるんじゃないの?」
「つ――付き合ってない、よ!」
思わず声が裏返る。
渉は時折からかわれているようだけれど、それは幼馴染だからであって、付き合っているふうには見えないだろう――と凛は思っていた。しかし思えば芽亜凛にも、転校初日に訊かれていたし――千里にはよくからかわれていた。
「二人って幼馴染でしょ。ね?」と三城がなんでもないようにフォローする。
「うん、うん。ただの、幼馴染。それ以上でも、それ以下でも、ない」
「えーっ! なんで付き合わないの!?」
「なんでって言われても……」
困ってしまう。
渉のことは好きだし、将来の夢を聞かされたときは心から嬉しかった。だけど、それとこれとは別問題で――付き合うとか付き合わないとか、一方的には決められない。
凛が考えを巡らせていると、廊下を歩いていた生徒に桜井が声をかける。「あ。
前の扉をくぐった
「……おはよう。何やってんの」
「委員長の恋バナ」
「じゃないです!」と凛は素早く立ち上がる。
「……まあなんでもいいけどさ」
椎葉はそう言って、凛がいた自分の席へと着いた。凛はその後ろの、
「いいんちょ、望月くんと付き合ってないんだってー。ビックリじゃない?」
「ふーん……」
椎葉は長いポニーテールを横へと梳いて流し、会話がしやすいように身体を向けた。
「望月って、一部の女子に人気だよね」
「一部?」
興味をそそられて突っ込んでしまった。椎葉はうんと頷く。
「隣がよく騒いでるからさ」
「隣って、
美島
「ユキリンはBL好きだからぁー」
「びーえる……?」
凛が首を傾げるなか、「やめてよ遥香、あたしその話嫌いだって言ってんじゃん」と、三城楓が不機嫌そうに声を散らした。
「楓には不都合だもんねー。だって
「遥香ぁ?」
「ごめんなさーい」
二人のやり取りを見ていても、何がなんだかさっぱりだったので、椎葉のほうへ顔を向けた。
「わかんなくていいと思う」
「あっ……はい」
訊いちゃまずいと察した凛であった。
一度口を閉じた桜井が「楓はさー」と言って、話の舵を取る。
「神永くんとはどうなのよ? この前いい感じだったじゃん」
「ちょっと話してただけでしょーが!」
三城はむうっと頬を膨らませる。凛は、まさか? と察した。
「えっ、三城さんってもしかして――」
「か、かかか勘違いしないでよ……! 響……いや、神永とは……幼稚園と小学校が同じだったってだけで、別にそういうのじゃないから」
必死に否定する三城の顔は明るい赤と化している。――なるほどなるほど。普段は鈍感である凛も、この反応にはさすがに確信を抱いた。
「それって、幼馴染ってこと?」
「う……んー、そうなるかな……」
「わあ、はじめて知ったよ!」
「なんか嬉しそうだね……」
「そりゃあね! うん。そっか、幼馴染なんだ……そっかぁ」
凛はぼやぼやとした笑顔で恍惚に浸る。幼馴染仲間ができたような気がして、なんだか嬉しい。――渉くんは知っているのかな。
などと考えた矢先、「望月に言ったりしないでよ?」と、あっさり釘を刺されてしまった。「神永に……伝わりそうだし!」
彼女は渉にではなく、その先に通ずる
「それなら言わない」と凛は真剣に告げた。
「なら、いいけどさ……」
三城は納得したような顔つきになる。幼馴染の間にもいろいろあるんだなあ、と凛は思った。響弥を思う三城は普段よりも乙女で可愛らしく見えた。恋をするって、そういうことなのかもしれない。
「いいなあー、あんなのが幼馴染なんて。神永くん顔だけはいいじゃん、顔だけは」
「顔だけって言うな」
「私も幼馴染ほーしーいー! 二人だけずるいぞー!」
うわーんと泣き喚く桜井に、凛は失笑し、三城は顔を引きつらせる。
(桜井さんは響弥くんに似てるなあ……)
――なんて言うか、テンションが。
凛が心のなかで呟いていると、「ねえ、望月って昔からあんな感じなの?」
尋ねた三城に、凛は頭をひねる。「あんな感じ、って?」
「んー……一途っていうかさ」
(一途……? 一生懸命ってことかな)
少女はどこか間違った解釈をした。
「まっすぐではあるけど、あはは……ひねくれてるからねー。素直じゃないっていうかさぁ」
「あー……」
凛以外の一同が声を揃える。渉は今頃雨のなか、傘を片手にくしゃみをしていることだろう。
「じゃあいいんちょは告ってくるのを待ってるんだ? ダメだよー、自分からいかないとー。本当に神永くんと付き合ってたらどうするの?」
「え?」
「バカ遥香……略してバルカ」
「何それ何か強そうー!」
椎葉の突っ込みと、それに乗る桜井遥香。教室には徐々に生徒が増えてきている。
この機を逃すまいと、凛は今度はこちらから訊いてみた。
「三城さんは響弥くんと、よく遊んだりしたの?」
「……あぁ」
三城は、力なく逡巡めいた。
「たまにってくらいだよ。あたしが一方的に誘って引っ張ってただけで……遊んでたって言えるかも微妙だね」
「そうなんだ……」
てっきり明るい返しが来るだろうと、凛は期待していたのだが。
「小さい頃は奥手だったり……?」
「だから童貞なのでは?」
「遥香」
「はい」
椎葉が桜井を黙らせた。
「奥手っていうか、内気――? だから、高校で会ったときは別人かと思ったよ」
「へえー……」
三城以外の一同が声を揃えた。響弥は今頃C組の教室で、自分の席に突っ伏したままくしゃみをしていることだろう。
「三城さんしか知らない響弥くんってわけだ。なんかいいね、それ」
「ん、そう……? あたし、本人に言ったら傷付けちゃいそうでさ……昔のことはあまり言えないんだ」
そこまで言って、三城は目を伏せた。二人の関係は複雑なのか、踏み込んで訊ける話じゃなさそうだ。
そっかぁ……と凛が曖昧に頷くなか、「それよりさ」
語気を強めて、三城楓は顔を上げた。「あの女には気をつけたほうがいいよ」
「……あの女?」
「
内緒話をするような小声で言って、三城楓は目を吊り上げた。
「あたし見たんだよね、昨日――警察に事情聴取されてるところ」
「…………」
「……ほら、昨日警察に訊かれてたのってA組の生徒がほとんどだったでしょ?」
反応の薄い凛をわからせるみたいに、椎葉が彼女をフォローする。三城は「そうそう」と同意をした。
「なのに事情聴取されるってことはさ、つまり……そういうことなんじゃない?」
「……そういう――こと……」
「あまり信用しないほうがいいと思うよ、あたしは」
「でも事情聴取にもいろいろあるし、たまたまってこともあるんじゃないかな――?」
そう言って凛は、『あっ』と口をつぐんだ。考えを抑えきれず、つい口に出してしまった。
だって正直……それが何だって言うんだ? たったそれだけで、何を疑うと言うのだ? そんな気持ちのほうが、強かった。
しばらくの沈黙を挟んで。
「楓はねー、いいんちょーのこと心配してるんだよ」と、のんびりとした声で桜井が介入した。三城は「……うっさいなあ」と、負い目を感じているような、渋い表情を浮かばせる。
(そっか……)
そうだよね、と凛は思った。じゃなきゃ、わざわざ話しかけてくれたりしないよね、と。
「……うん、わかった」
凛は頷き、この席の主が来る前に席を立つ。
「いろいろ教えてくれて、どうもありがとう……。嬉しかった」
正直な気持ちを告げて、自分の席へと戻っていく。
三城、椎葉、桜井――彼女らの言うことも理解できる。だけど、まだ、決まったわけじゃない。いくら芽亜凛の様子が怪しくても、何の証拠もないのだから。
やがて、渉や芽亜凛も教室に入ってきた。渉の表情は浮かない。何かあったのだろうか――その理由は、すぐにわかることになる。
「凛、今日の放課後、二人だけで図書室に行かない?」
朝の自習時間を終えて、隣の席の芽亜凛が言った。
「うん、いいよ。勉強?」
「お話」
凛は「わかった」と当たり前のようにオーケーした。
そして昼休みになって、そのクラスを訪れたときに気づくことになる。
――A組の
『お前の友達を信用していない。けど、凛のことは信じてる』
『あまり信用しないほうがいいと思うよ』
『疑いが当たっていたなら、私を避け続ける人は助かるわね』
渉や三城、芽亜凛の言葉が、頭のなかでぐるぐると渦を巻く。嫌な予感に苛まれる。
「凛」
約束の時間。芽亜凛に呼ばれた時、凛はこれ以上ないほどの心拍数を感じていた。
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