第九話

恋バナ

 りんは、徒歩で通学をしている。地区も距離も一緒であるわたるは、晴れの日は自転車通学、雨の日は徒歩通学をしているようだが、凛は天気など関係なしに毎日が歩き、または走りだ。

 今日の天気は雨。凛は早めに家を出て、早くから職員室に出向き、担任の石橋いしばしから今日の予定を訊いた。

 職員室の窓には雨粒が見て取れる。傘を差して校門を通る、極わずかな生徒の姿も。

 ――テスト週間で部活動はないのだから、家でゆっくりしていればいいものを。


 二年C組の担任、東崎とうざきとも会話を交わした後、凛は「失礼しました」と一礼して職員室を出た。

 東崎先生によると――千里ちさとの行方不明について警察から新たな連絡は入っておらず、今は別件で忙しいらしかった。

 昨日、刑事の数名がA組のほうをうろついていたのを凛も確認している。おそらく朝霧あさぎりしゅうのほうにも捜索が入ったのだろうと、凛は渉と同じ予想をしていた。先ほど――言葉を濁した東崎の様子からも、察しが付いてしまうことだった。


 朝霧のことは千里のときみたいに集会が開かれることはなく、公にもされていない。欠席に疑問を抱いている生徒は多くいるけれど、公表されない限り、真実は知れないまま。

 ――動ける人間が動かないなんて。

 一生徒が口出しすることでないのはわかっている。けれど朝霧へはどうしても、同情するような気持ちになってしまうのだった。


「あ。いいんちょ、いいんちょー」


 凛が教室に戻ると、扉前の席から声が飛んできた。声の主、桜井さくらい遥香はるかは「やっほー」と手を振る。後ろの席には三城さんじょうかえでが座っており、同じように軽く手を一振りした。

 教室内はまだ人も少なく、ガランとしている。


「えっ……と」


 凛は様々な意味を含ませて目を丸くした。


「おはよう……桜井さん、三城さん」

「おはよ」

「おっはよぉー」


 微笑んでくる二人を見てどうすべきか悩み、とりあえず桜井の隣の席を借りて、凛は座ることにした。渉も芽亜凛めありもまだ学校に来ていない。宇野うのたちE組問題児の姿もなかった。


「二人は今日、早いね……」

「あたしのは部活の癖。遥香はいつもの気まぐれっしょ」

「そだよー」


 難なく肯定した桜井は手鏡を取り出して前髪を整えている。彼女は女子バスケットボール部で、三城は女子陸上部。二人共スポーツ万能で、部活に熱心に取り組んでいることを凛は知っていた。

 せっかく声をかけてくれた彼女たちにうまい返しができず、凛は悩み悩み言葉を絞り出す。


「なんか、二人が話しかけてくれるなんて……意外かも」


 それは嬉しいと同時に、自分と関わってしまって平気なのだろうかという、不安にも似た気持ちであった。


「あー、いいんちょ避けられてるもんね」

「…………」


 ――いや、そのとおりだけれども……。

 桜井遥香の嘘偽りのない返しに、凛は笑みを浮かべたまま硬直した。しかし下手に隠されるより、かえって清々しい気もする。


「別にさ、あたしは呪いなんて信じてないし。クラスの連中は、あんたのこと……呪い人だと思ってるみたいだけどね」


 くすりと笑った三城の顔には、呆れの色が見えた。彼女は上辺だけの付き合いはしない――少なくとも凛は、三城のことをそのような性格だと思っている。

 凛はまたしても頷く。「うん……だね」


『対象』として見られていることに、もう悲しいなんて気持ちにはならない。わかりきっていることだし、痛いほど感じていることだ。

 三城は否定派で、桜井は――どちらにせよ楽しんでいるってところだろう。


(話してみれば案外普通なんだなぁ……)


 クラスには、明らかに避けてくる生徒がいる。主に男子生徒なのだけれど、そのこともあって、全員から避けられていると勝手に思い込んでいた。――みんながみんな、そういうわけじゃないんだ。

 三城らとは、普段から話をする仲とではないし、深い関わりはない。『仲がよさそうな四人だなー』と、三城グループを外から見ていただけで、互いに関わることはあまりなかった。話しかけられれば対応するような間柄である。

 だからわざわざ声をかけてくれたのには何か理由があるはずだ――


「ねえねー」と横から声を上げた桜井に、凛は「んっ?」と顔を上げた。


望月もちづきくんとはチューとかしてるの?」

「……へ?」

「どこまでいった仲?」

「――!?」


(渉くんのことだよね……?)


「い、いったって……ななな何?」

「ん? 例えばエッチとかさー」

「エッ……」

「あれ? 二人って付き合ってるんじゃないの?」

「つ――付き合ってない、よ!」


 思わず声が裏返る。

 渉は時折からかわれているようだけれど、それは幼馴染だからであって、付き合っているふうには見えないだろう――と凛は思っていた。しかし思えば芽亜凛にも、転校初日に訊かれていたし――千里にはよくからかわれていた。


「二人って幼馴染でしょ。ね?」と三城がなんでもないようにフォローする。

「うん、うん。ただの、幼馴染。それ以上でも、それ以下でも、ない」

「えーっ! なんで付き合わないの!?」

「なんでって言われても……」


 困ってしまう。

 渉のことは好きだし、将来の夢を聞かされたときは心から嬉しかった。だけど、それとこれとは別問題で――付き合うとか付き合わないとか、一方的には決められない。

 凛が考えを巡らせていると、廊下を歩いていた生徒に桜井が声をかける。「あ。みのりおはよー!」

 前の扉をくぐった椎葉しいば穂は、その場に立ち止まった。


「……おはよう。何やってんの」

「委員長の恋バナ」

「じゃないです!」と凛は素早く立ち上がる。


「……まあなんでもいいけどさ」


 椎葉はそう言って、凛がいた自分の席へと着いた。凛はその後ろの、安浦やすうらの椅子を借りて座ることにする。


「いいんちょ、望月くんと付き合ってないんだってー。ビックリじゃない?」

「ふーん……」


 椎葉は長いポニーテールを横へと梳いて流し、会話がしやすいように身体を向けた。


「望月って、一部の女子に人気だよね」

「一部?」


 興味をそそられて突っ込んでしまった。椎葉はうんと頷く。


「隣がよく騒いでるからさ」

「隣って、美島みしまさん……?」


 美島由希ゆき。確か美術部だったと記憶している。あまり話したことはないし、あのグループのなかじゃ口数も少ないほうという印象だ。


「ユキリンはBL好きだからぁー」

「びーえる……?」


 凛が首を傾げるなか、「やめてよ遥香、あたしその話嫌いだって言ってんじゃん」と、三城楓が不機嫌そうに声を散らした。


「楓には不都合だもんねー。だって神永かみながくんとぉー……」

「遥香ぁ?」

「ごめんなさーい」


 二人のやり取りを見ていても、何がなんだかさっぱりだったので、椎葉のほうへ顔を向けた。


「わかんなくていいと思う」

「あっ……はい」


 訊いちゃまずいと察した凛であった。

 一度口を閉じた桜井が「楓はさー」と言って、話の舵を取る。


「神永くんとはどうなのよ? この前いい感じだったじゃん」

「ちょっと話してただけでしょーが!」


 三城はむうっと頬を膨らませる。凛は、まさか? と察した。


「えっ、三城さんってもしかして――」

「か、かかか勘違いしないでよ……! 響……いや、神永とは……幼稚園と小学校が同じだったってだけで、別にそういうのじゃないから」


 必死に否定する三城の顔は明るい赤と化している。――なるほどなるほど。普段は鈍感である凛も、この反応にはさすがに確信を抱いた。


「それって、幼馴染ってこと?」

「う……んー、そうなるかな……」

「わあ、はじめて知ったよ!」

「なんか嬉しそうだね……」

「そりゃあね! うん。そっか、幼馴染なんだ……そっかぁ」


 凛はぼやぼやとした笑顔で恍惚に浸る。幼馴染仲間ができたような気がして、なんだか嬉しい。――渉くんは知っているのかな。

 などと考えた矢先、「望月に言ったりしないでよ?」と、あっさり釘を刺されてしまった。「神永に……伝わりそうだし!」

 彼女は渉にではなく、その先に通ずる響弥きょうやに伝わってほしくないらしい。


「それなら言わない」と凛は真剣に告げた。

「なら、いいけどさ……」


 三城は納得したような顔つきになる。幼馴染の間にもいろいろあるんだなあ、と凛は思った。響弥を思う三城は普段よりも乙女で可愛らしく見えた。恋をするって、そういうことなのかもしれない。


「いいなあー、あんなのが幼馴染なんて。神永くん顔だけはいいじゃん、顔だけは」

「顔だけって言うな」

「私も幼馴染ほーしーいー! 二人だけずるいぞー!」


 うわーんと泣き喚く桜井に、凛は失笑し、三城は顔を引きつらせる。


(桜井さんは響弥くんに似てるなあ……)


 ――なんて言うか、テンションが。

 凛が心のなかで呟いていると、「ねえ、望月って昔からあんな感じなの?」

 尋ねた三城に、凛は頭をひねる。「あんな感じ、って?」


「んー……一途っていうかさ」


(一途……? 一生懸命ってことかな)


 少女はどこか間違った解釈をした。


「まっすぐではあるけど、あはは……ひねくれてるからねー。素直じゃないっていうかさぁ」

「あー……」


 凛以外の一同が声を揃える。渉は今頃雨のなか、傘を片手にくしゃみをしていることだろう。


「じゃあいいんちょは告ってくるのを待ってるんだ? ダメだよー、自分からいかないとー。本当に神永くんと付き合ってたらどうするの?」

「え?」

「バカ遥香……略してバルカ」

「何それ何か強そうー!」


 椎葉の突っ込みと、それに乗る桜井遥香。教室には徐々に生徒が増えてきている。

 この機を逃すまいと、凛は今度はこちらから訊いてみた。


「三城さんは響弥くんと、よく遊んだりしたの?」

「……あぁ」


 三城は、力なく逡巡めいた。


「たまにってくらいだよ。あたしが一方的に誘って引っ張ってただけで……遊んでたって言えるかも微妙だね」

「そうなんだ……」


 てっきり明るい返しが来るだろうと、凛は期待していたのだが。


「小さい頃は奥手だったり……?」

「だから童貞なのでは?」

「遥香」

「はい」


 椎葉が桜井を黙らせた。


「奥手っていうか、内気――? だから、高校で会ったときは別人かと思ったよ」

「へえー……」


 三城以外の一同が声を揃えた。響弥は今頃C組の教室で、自分の席に突っ伏したままくしゃみをしていることだろう。


「三城さんしか知らない響弥くんってわけだ。なんかいいね、それ」

「ん、そう……? あたし、本人に言ったら傷付けちゃいそうでさ……昔のことはあまり言えないんだ」


 そこまで言って、三城は目を伏せた。二人の関係は複雑なのか、踏み込んで訊ける話じゃなさそうだ。

 そっかぁ……と凛が曖昧に頷くなか、「それよりさ」

 語気を強めて、三城楓は顔を上げた。「あの女には気をつけたほうがいいよ」


「……あの女?」

たちばなのこと」


 内緒話をするような小声で言って、三城楓は目を吊り上げた。


「あたし見たんだよね、昨日――警察に事情聴取されてるところ」

「…………」

「……ほら、昨日警察に訊かれてたのってA組の生徒がほとんどだったでしょ?」


 反応の薄い凛をわからせるみたいに、椎葉が彼女をフォローする。三城は「そうそう」と同意をした。


「なのに事情聴取されるってことはさ、つまり……そういうことなんじゃない?」

「……そういう――こと……」

「あまり信用しないほうがいいと思うよ、あたしは」

「でも事情聴取にもいろいろあるし、たまたまってこともあるんじゃないかな――?」


 そう言って凛は、『あっ』と口をつぐんだ。考えを抑えきれず、つい口に出してしまった。

 だって正直……それが何だって言うんだ? たったそれだけで、何を疑うと言うのだ? そんな気持ちのほうが、強かった。

 しばらくの沈黙を挟んで。


「楓はねー、いいんちょーのこと心配してるんだよ」と、のんびりとした声で桜井が介入した。三城は「……うっさいなあ」と、負い目を感じているような、渋い表情を浮かばせる。


(そっか……)


 そうだよね、と凛は思った。じゃなきゃ、わざわざ話しかけてくれたりしないよね、と。


「……うん、わかった」


 凛は頷き、この席の主が来る前に席を立つ。


「いろいろ教えてくれて、どうもありがとう……。嬉しかった」


 正直な気持ちを告げて、自分の席へと戻っていく。

 三城、椎葉、桜井――彼女らの言うことも理解できる。だけど、まだ、決まったわけじゃない。いくら芽亜凛の様子が怪しくても、何の証拠もないのだから。


 やがて、渉や芽亜凛も教室に入ってきた。渉の表情は浮かない。何かあったのだろうか――その理由は、すぐにわかることになる。


「凛、今日の放課後、二人だけで図書室に行かない?」


 朝の自習時間を終えて、隣の席の芽亜凛が言った。


「うん、いいよ。勉強?」

「お話」


 凛は「わかった」と当たり前のようにオーケーした。


 そして昼休みになって、を訪れたときに気づくことになる。

 ――A組の小坂こさかめぐみが無断欠席をした。


『お前の友達を信用していない。けど、凛のことは信じてる』

『あまり信用しないほうがいいと思うよ』

『疑いが当たっていたなら、私を避け続ける人は助かるわね』

 渉や三城、芽亜凛の言葉が、頭のなかでぐるぐると渦を巻く。嫌な予感に苛まれる。


「凛」


 約束の時間。芽亜凛に呼ばれた時、凛はこれ以上ないほどの心拍数を感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る