失言
「警部」
「何だ」
「例の腕時計ショップ、訊いてきました」
刑事の
現在、警察はまだ『腕』の特定が終わっておらず、鑑識もお手上げ状態だった。腕の状態は素人の犯行とは思えないもので、持ち主の生死は不明。専門知識を携えていなければ、行うことはまずできない。
このことから複数犯の可能性が高く、単独であっても犯人は医療知識のある者だろうと予想された。
先日から学校周辺で行われている事情聴取兼捜索に加えて、腕時計の特定も進められていた。その筋の者によると、時計はカスタマイズ仕様。つまりオーダーメイドだという。
都内にてフルカスタマイズ可能な腕時計ショップを片っ端から調べたところ、例の腕時計と同じ部品を取り扱っているという『オズ』という店が特定された。店で直接見てもらった結果、この店の商品であることは間違いない。
当初警察は、腕時計の持ち主は成人男性である予想していた。だが浮上したのは高校生。
型の注文表と顧客リストを照らし合わせて浮かび上がったのは、朝霧修という少年だった。彼は事件のあった藤ヶ咲北高校の生徒で、現在無断欠席が続いているという。
同校ではすでに一人、少女の捜索願が出されている。その生徒の行方も、依然掴めていない。
警察は二人目の行方不明者の可能性を考え、少年の家族に連絡。なぜ捜索願が出されていないのか本部は疑問を抱いていたが、親の対応を見る限り納得せざるを得なかった。ようやく訪問を聞き入れてもらい、事情聴取をしたのがつい先日のことである。
例の腕時計は半年前に購入されたもので、価格は約八十五万円。高校生が手を出せる代物ではない。故に家族のサポートがあったのではないかと予想し、行方不明の件と絡めて話を伺ったのだが。
朝霧修の家族は、少年の生活と身の回りの管理、そして金銭面などに一切関与しておらず、息子のことを口にするその様子は酷く冷めていたという。
長海は写真を机に置き、報告を続ける。
「オズにて少年の購入履歴を確認しましたところ、少年は例の腕時計のほかにも三つ、腕時計を購入していました」
「これ全部オーダーメイドってことか……」
「はい。店で再現してもらった三点の腕時計ですが、どれもフルカスタマイズ仕様。価格はひとつあたり十万円前後だそうです。例の腕時計と合わせると、百万円は下りません」
報告を耳にしようと、ほかの刑事も集まってきた。朱野は顔をしかめて頭を掻く。
「高校生が自由に扱える金額じゃねえ。放浪少年が……事件に巻き込まれたか」
朱野は舌打ちをして足を組むと、これからの方針を告げた。
刑事部は引き続き少年の身元周辺の調査、関係者への聞き込み、周辺のパトロール。失踪事件解明の続行はもちろん行われるが、この様子ではただの失踪事件ではなく、じきに捜査本部が設置されるだろうと朱野は言った。
そして少年――朝霧修は、すでに亡くなっている可能性が高いと示唆された。
* * *
次の日。また何もしないと見せかけて、放課後に集団リンチ……何てことのないように、渉は引き続き小坂めぐみを警戒していた。
だが、朝からA組を覗いたとき、小坂の様子は昨日までとは一変し、まるで別人のように落ち着いていた。取り巻きから話しかけられても上の空で、渉と目が合っても、そっと目を逸らしただけだった。
凛は小坂が学校に来ていることに安堵していたようだ。呪い人――オカルトもどきのことを心配していたのだろう。渉は、お人好しにもほどがある、と思った。
昼休みを迎えて、渉はC組の教室へと足を運ぶ。
前の扉をくぐると、「おーそーいー!」と響弥が黒板前から声を上げた。
「昨日は寂しかったよダーリン」
「誰がダーリンだ」
渉と響弥は段差に腰を下ろした。
渉は凛の手作り弁当を膝の上に広げる。響弥のメニューはいつもどおりの焼きそばパンだ。
「今日はどう? ここにいるってことは、もう大丈夫ってこと?」
親友の質問に、渉はうむと頷いた。校舎裏の件について、響弥には『解決したよ』とメールで伝えてある。いじめの存在が明確になった今、彼も心配しているのだ。
「凛には、何かあったらすぐに言えって伝えてあるし。あまり過保護なのも、その……」
渉がまごつくと、響弥は快活に笑う。
「三城に言われてたもんな。えーと、うーんと……スパダリ?」
「何それ」
「スーパーダーリンだよダーリン」
「だから誰がダーリンだって」
一昨日の昼休みは途中でC組を抜け出し、昨日の昼休みはそもそも一緒じゃなかった渉と響弥。彼と休み時間に駄弁ることは、もはや習慣付いてしまっているため、たった一日空けただけでも久しぶりのように感じる。寂しかったと冗談混じりに言った響弥も、同じように感じているのかもしれない。
弁当に目を落とした渉は、響弥の手に視線を這わせた。パンを持つ左手には、相変わらず、白い包帯が巻かれている。膝の上にある右手にも、同様にぐるぐると。
猫じゃらしに反応する猫のごとく、渉がその手を目で追っていると、響弥は「食う?」と言って食べかけの焼きそばパンを差し出した。渉は首を振って断る。そこまで食い意地は張っていない。
「その包帯、ずっと付けてるなーって思ってさ」
「芽亜凛ちゃんとの愛の証だもん」
間髪入れずに自慢する響弥に、渉は弁当に蓋をしながら『ふーん』と相槌を打つ。
「前にさ、なんでそんなに嫌われてるんだよって訊いたよな」
「ああー、俺にはまったく自覚がないけどな!」
「それって、二人きりのときは態度が違うってことか? 俺にはあからさまに嫌ってるようにしか見えねえんだが――」
「渉」
耳朶をかすめた低い声に、渉の瞼が持ち上がった。ぎこちなく首を動かして親友の顔を見ると、無表情で渉を射抜く響弥の瞳と交差した。
(あ……)
渉は察して、開いた口を閉じる。響弥の表情は崩れないまま、
「もし俺が『凛ちゃんは渉以外の前じゃ渉の悪口言ってるんだぜー』って伝えたら、どう思う?」
「……ごめん」
素直に謝った。意中の相手を悪く言われるのは、当然嫌なことだよな、と反省する。
響弥は笑顔が似合う分、それ以外の感情がわかりやすい。今のは中学の頃、ふざけて響弥の頭を撫でようとしたときの表情に似ている。『髪が乱れるから嫌だ』と渉の手を弾いた親友は、嫌悪を瞳に宿らせていた。
うつむく渉に、響弥は両手を振って否定する。
「いやいや、怒ってねえって」
「うん……お前が橘に本気だってことはすげえ理解した」
「わかればよろしい!」
そう言って響弥は焼きそばパンの残りを口に詰め込んだ。
思えば、響弥が妙に真剣味を見せるときは、全部芽亜凛が絡んでいるときだ。体育の時だって、普段は目に見えない気迫や根気や力を見せた。やっぱり、二人きりのときは態度が違うのか? その考えは消さずに、頭の隅にでも置いておこうと渉は思った。
「その包帯、よく見てもいい?」
「ん? 毎朝巻いてるのは俺だぞ?」
「わかってるよ」
渉は人差し指でツンツンと突いて、響弥に手を挙げさせる。響弥は両手のひらを広げて見せて「錬成!」と言ったが、渉は無視を決め込んだ。
親友の手をじろじろ見るのもおかしな話だが、特に変わった点はない。回して甲も見るけれど、ただの白い包帯が巻かれているだけで、愛は目視できない。
「暑そうだけど、これから先耐えれるのか?」
「扇げば平気だ!」と空いているほうの手をパタパタと動かす響弥。
「へえー……。ん?」
響弥の手を持ったままそれに気づいた渉は、互いの手を指先までぴんと伸ばして、よーく見た。気づかなくてもいいことだった。
響弥が「何?」と不思議そうに訊いてくるので、渉は眉間のしわを濃くして首を振った。
「いや気のせいだ」
「えっ、なになに教えて?」
「手、俺のほうがまだでかい」
「えぇ? いや、俺のほうがでかいよ」
「は? いや俺だ」
「なんでムキになってんの?」
響弥が手のひらを合わせようとしてくるので、渉はその手をペシッと払う。
中学の頃は『前へ倣え』で腰に手を当てていたような響弥が。
(すくすく成長しやがって……)
今年の身体測定では、一センチ、渉は響弥に身長を抜かされた。当時は誤差だ誤差だと言って認めていなかったが、彼の成長は止まらないらしい。
手の大きさでも負けていることを知って、渉は嘆息した。親友の成長期を素直に喜べない渉である。響弥は彼の落ち込んでいる理由がわからないらしく、何か言いたそうにそわそわしている。
そんなふたりの視界の端を、スーツ姿の男が二人通っていった。廊下を歩くその人たちは教師ではなかった。
「また行ったな」
「うん」
渉が言うと響弥も頷く。
――刑事だ。
朝からちらほらと見て取れたが、昼休みになってさらにその動きは活発になっている。警察が校内をうろついていても、今の藤北では珍しくも何ともないのだが、ある場所にだけ集まっているのは奇妙な光景だった。
警察が頻繁に行き来しているのは、二年A組方面。他クラスとは離れた位置にあるA組の、教室と廊下には必ず、知らない大人の姿があった。
渉は、包み終えた弁当箱を響弥の膝に置いて立ち上がると、そっと扉から顔を出して廊下を窺った。
「ちょちょちょ、渉?」
「直接訊いてこようと思って」
振り向いて告げる渉に、響弥は引きつった顔をして「何を?」と訊く。
渉は顔色を変えずに、「何を調べてるのか」
廊下に出てA組のほうを見ると、先ほど通過した二人の警察が教室に入っていくのを確認できた。
――ようやく動き出したのか。
朝霧家が捜索願を出したか、もしくは『腕』を辿って行き着いたか。雑誌の情報が本当だとすれば、警察は腕時計のほうを調べた可能性もある、と渉は推理する。
現在、朝霧は臨時休校を除いた平日の六日間を無断欠席している。警察が動くのはあまりにも遅すぎる。朝霧の両親は本当に何もしていなかったのだろう。
「あのっ、刑事さんですよね……?」
渉は前方から歩いてきたスーツ姿の、まだ若そうな男に声をかけた。手帳に目を落としていたその人は、渉の声を聞いて顔を上げる。
「ああ、何か用?」
「何についての聞き込みをされているのか、気になりまして……二年A組を行き来しているんですよね?」
「そうだね。きみは何か知っているのか? よければ聞こう」
人のよさそうな刑事は、手帳とボールペンを構えた。
警察は朝霧の行方不明についての聞き込みをしている。その考えは間違いない。だから渉は、朝霧についてを話すのではなく――考える素振りをして、敢えてこう言った。
「オカルト雑誌のこと、とか」
この話題に持ち込められれば、自然と腕のことも聞ける。そう思ってのことだったが、
「ムイチのこと?」
「! そ、そうです」
渉は動揺した。まさかドンピシャで返されるとは思ってなかった。
――知っているのか、警察は。
「そうか、生徒の間でも広まっているんだな……」
「い、いいんですか? あんなわけわかんない記事を野放しにしておいて」
「誰かがリークしたことは間違いないんだろうけど、よくあるから……」
「……」
ということは、あの記事は本物――
警察の信用を失わせるような発言に、仮にも彼らに憧れを抱いている渉は、悲しさと困惑の混ざった複雑な気持ちになった。
肩を落とした彼を見て、刑事はばつが悪そうに咳払いをひとつする。
「まだ訊いていなかったね。クラスと学年と、名前を教えてくれる?」
「……二年E組の、望月渉です」
本当は言いたくなかったが、警察相手に嘘はつけない。
刑事は手帳に記入して、それ以上の追及はしなかった。雑誌を読んでいるのなら、『例のクラスね』なんて言ってきそうなものだが、深読みしすぎたようだ。この刑事にそういった反応はない。まあ、刑事がオカルトを信じるというのも、おかしな話だが。
「よし、望月くんだね。話はそれだけ?」
早々に切り上げようとする刑事に、渉は意気のないまま頼み事を続けた。
「あの、調べてほしい生徒がいるんです。二年E組の――」
* * *
放課後。藤ヶ咲北高校を訪れていた長海刑事は、昼休みに廊下で話しかけてきた少年――から告げられた生徒に事情聴取をしていた。声をかけると、車のなかで話したいと言ったため、長海は乗ってきた捜査車両のなかで聞くことになった。
「二年E組、橘芽亜凛です」
少女は堅実に答えた。
真面目で大人しそうな子だと、長海は思った。
だが、聞き込みをしていることと、長海が「二年A組の――」と言った途端、
「またその話ですか」
少女はバッサリと切って捨てた。すでに別の刑事から同じ質問をされたのか、事情聴取済みだったのか。
長海が聞き返すよりも前に、芽亜凛は撫で斬りを食らわせる。
「うんざりするんですよね、役に立たない大人って」
それから少女は、刑事を相手に散々な煽りを披露した。主に、大人の駄目なところについてとか。
長海はたいした返しもできず、こんな生徒を教えてくれた少年の顔を脳裏に浮かばせた。不安そうな顔を隠すことなくしてみせた、あの少年。彼に言ったことは思わぬ失言だったと、長海刑事は反省する。
少女と二人きりの、この車両。
それを遠くから見ている人がいたことに、刑事はまったく気づかない。
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