VSいじめっ子

小坂こさかめぐみさん……すごい剣幕で怒ってたな)


 昼休み。凛は昼食を早々に済ませて、B組に委員会繋がりで足を運んでいた。委員長に用件を手短に告げて、E組の教室へと帰る途中、今朝の一件を思い出したところである。

 今日の用事はこれで終わり。だが、まあ――


(視線は痛いなあ……)


 一件以来、他クラスの生徒からも白い目で見られるようになった。

 教室に襲来した女子生徒の名前は、小坂めぐみ。二年A組の生徒で、よくも悪くも目立っている生徒だ。


 彼女の噂はいろいろと耳にしている。

 まずひとつ目に、見た目が派手なこと。これは第一印象、誰もがそう思うだろう。

 アクセサリー、ネイル、染め抜かれたピンク色の髪。藤ヶ咲北高校では制服さえ着ていれば原則自由であるため、校則違反にはならない。だがそれにしたって、彼女の外見は目立ちすぎている。


 そしてふたつ目。小坂めぐみは一年生の頃から、いろんな面で持て囃されていた。顔がいい。スタイルがいい。声がいい。――今で言う、芽亜凛のような存在だったのだ。

 時にこの学校では、成績がすべてとされる。成績さえよければ、どんな悪行も教師からは見逃される。故に生徒会やそれらの委員会の役目が、重要視されているのだ。

 小坂めぐみは、お世辞にも成績のよい生徒ではなかった。彼女がA組に来たのは二年生になってから――それは凛も耳にしている。

 ではなぜ、落ちこぼれだった彼女が、優秀な生徒しか入ることの許されない特進クラスA組に入れたのか。


 その理由は三つ目。大金を積んで、A組に入ったから。

 これは噂――というより、すでに本人が開き直っている、ほぼ事実に近い話だった。

 A組に入ってからの彼女は、他クラスを見下すようになったという。これらはあくまで噂に過ぎないが、その評判は女子を中心に広まっている。


 三城グループが二年E組の中心なら、小坂めぐみとその取り巻きは、二年生女子の頂点だった。

 なので少なくとも、女子の間で彼女の存在を知らない者はいない。

 渉は知り得ていなかったようで『朝のあのピンク髪ってどこの誰?』とトークで尋ねてきたけれど。凛は、渉くんらしいなぁと思いながら、『A組の小坂めぐみさん』と返し、渉からの返信は『わかった』の一言であった。


(渉くん、また何か調べてるのかな)


 凛が思うに、おそらく小坂めぐみと朝霧修の関係を探っていることだろう。先日倒れたとは思えないほどに、彼は快調らしい。

 朝霧修。小坂は彼と付き合っていると言っていたが、凛もそのことは知らない。朝霧は本当に彼女と付き合っていたのだろうか。それはいつ頃の話で、いつ別れたという話になり……。

 そして凛は遊園地へと誘われ、そこで彼に、告白された。

 考えれば考えるほど、心のなかにもやもやしたものが溜まる。聞きたいことはたくさんあるのに、朝霧の行方はいまだ不明のままだ。


 平手打ちをされた頬は、あの後芽亜凛が冷やしてくれた。彼女は心配こそしていたけれど、事情を訊くような真似はしなかった。

 みんなから避けられるのはつらい。けれどある意味、いい事なのかもしれないと、凛は悲観的に考えてしまっていた。

 オカルトなど信じたくはないが、呪い人が自分であると示唆される今、人と関わらないのが誰のためにもなる。クラス会議で、芽亜凛が言っていたように……。

 しかし、渉と、芽亜凛も言っていたらしい――オカルトもどき。凛も、そんなふうに考えられたらな、とも思うのであった。


「ん……?」


 気づくと、進行方向を妨げるように女子が三人、凛の前に立っていた。

 そのうちの一人は小坂めぐみ。ほかの二名はB組の生徒だ。


「ちょっと来て」


 目が合うや、小坂が強い口調で言う。E組の教室は目と鼻の先だというのに……しかし断る理由もない。


「はい……」


 凛は弱い返事をし、三人に囲まれる形で、すぐ脇の女子トイレへと連れて行かれる。

 先に洗面台の前で女子が数名たむろしていたようだが、こちらを見るや慌てて出ていった。


(うーん、何されるんだろう……)


 ドラマや漫画で見たことのある展開だ。ベタだなぁ、なんて思う。


 凛は、B組女子に背中を強く叩かれ、小坂には腕を押されて、女子トイレの奥へと追い詰められた。体幹には自信があったので、よろめくことはないが、それでも押されるのは痛かった。

 壁を背にして振り返ると、真ん前には小坂めぐみが。胸の前で腕を組み、じっ……と凛をガン飛ばしていた。


「えーっと……な、何?」


 凛は恐る恐る訊いた。

 小坂は腕を組んだまま口を開く。


「お昼食べた?」

「食べた、けど……?」

「そう」


 小坂は素っ気なく言い、後ろへと下がりながら。


「じゃあそれ、全部ここでぶち撒けることになるね」


 やって! という掛け声と共に、小坂の背後からB組の二人が、プラスチック製の棒を手にして飛び出てきた。

 二人が持っていたのは箒とデッキブラシ。普段は掃除用具入れにしまってあるはずのそれらを、二人は何のためらいもなく凛に向けて振りかぶった。

 凛は、振り下ろされた棒をどちらも順に避けた。棒は派手な音を立てて壁にぶつかり、ビィーンと小刻みに震えている。

 予想もしていなかった凛の素早い動きに、二人の女子は戸惑いを見せた。しかしすぐに棒を持ち直し、果敢にも迫る。


「わっ、おわっ。そんなの人に向けたらっ……危ないよ!」


 正論を口走りながら、凛はなおもふたつの攻撃をかわした。振り下ろされたときは身体を反らして避けて、突き出された場合は屈んで避ける。次第に相手側のほうが先に息を切らしはじめるが、凛は平然としていた。


「なんで全部避けんのよ!」

「って言われても……」


 見ていられない! とでも言うように、奥から小坂が声を荒げる。


「貸して! 私がやる!」


 B組女子の一人から箒を奪って、凛に迫る小坂。二人が後ろに下がったため、狭い通路には十分な隙間が生まれていた。凛はそれを目視で捉えて、向かってきた箒をよそ見したまま片手で受け止める。

 小坂は小さく呻き声を漏らしたが、「何ボサッとしてんの! 今のうちに……わあっ!」掴んでいた棒を凛が離したため、小坂は前のめりとなってバランスを崩す。

 凛は小柄な身体を駆使して間を通ると、するりと女子トイレから抜け出した。


「逃がさないで! 追って!」


 後ろから小坂の甲高い声がする。振り返ると、B組の二人が女子トイレから出てきたところだった。彼女らはこちらを指さして走ってくる。もう掃除用具は持っていないようだが、その勢いは先ほどよりも増しているように見えた。


(うわわわわ、追ってきてる! どうしよう……!)


 精一杯の大股による小走りであっても『廊下は走るな!』の張り紙は凛とすれ違いざまに揺れる。続いて駆けてきた女子二人の勢いにも張り紙は耐えていた。が、その後前を駆け抜けた小坂の風圧で、『廊下は走るな!』はヒラリと剥がれ落ちた。

 とにかく、人が来たらよくわかるようにと、曲がり角の少ない一直線の廊下に凛は逃げ込もうと向かう。


「……凛?」


 階段前を突っ切った際、芽亜凛の声が聞こえた。しかし凛は本人に気づくことなく走り抜ける。

 渡り廊下に出れば何とかなるだろうか――そう考えて道を選ぶ。

 凛は柔道部だから相手に手が出せない。手を出してはいけないのだ。できることと言えば、逃げるか避けるか。いずれにせよ、手を上げることは掟破りの行為となる。


 渡り廊下が、目と鼻の先まで近づいたときだった。


「三対一なんて、随分と卑怯な手を使うんだな」


 そんな、聞き慣れた声がした。

 心地いいとさえ思える、よく知っている声。


(? 渉くん……?)


 凛は足を止めて、後ろを振り返った。

 追手の三人も、自分らの後ろを見ている。渉はその目線の先にいた。そのさらに奥には、芽亜凛の姿がある。


「小坂さん、鬼ごっこなら三人でやれよ。人が足りないなら俺が相手になってやる。鬼でよければな」


 渉の口調は柔らかだが、言葉の端々に棘を感じる。名指しをする辺りが特に、喧嘩腰というか威圧的だ。


「…………」


 小坂は無言で渉を見ていたが「ふんっ」とむくれたように顔を逸らした。そうしてツインテールを揺らしながら、彼の横を通り過ぎていく。曲がり角へと消えていく小坂を、B組女子が追っていった。


(よかったぁ……)


 安堵し、二人にお礼を言おうと足を踏み出した。が――渉がくるりと振り返って、背後の芽亜凛に顔を向けたので――凛はピタッと動きを止める。

 何を話しているんだろうと終始窺ってみるが、一言二言で用事は済まされた。芽亜凛は凛の顔を見ることもなく、教室のほうへと去っていく。

 渉がこちらに目をやった。


「廊下を走るのは感心しませんね、委員長」

「む……」


 そう言われてしまうと返す言葉がない。しかし謝るのも何だかおかしい。

 そんなことを考えていると、「冗談だよ。何ともない?」と言って、渉は優しく微笑んだ。

 ――我ながら情けないけれど、助けられたのは事実。

 本気で逃げるとしたら校庭に出るが、貴重な昼休みを使ってそこまでのことはしたくない、というのが凛の本音だ。


「うんっ……ありがとう」


 先ほど芽亜凛に何を言っていたのか。――問おうか迷って、やめておいた。

 訊いたら渉は嫌な顔をするだろう。今はこの笑顔を独り占めしていたいと、凛は思うのだった。




 この日の帰りは、朝から決めていたとおり、千里の家を訪ねた。

『お誕生日、お祝いしたくて』

 凛がそう言うと、千里の両親は笑顔を作って出迎えた。二人の表情は、涙をこらえているように見えた。

 警察はまだ捜索を続けているようだが、進展はないらしい。目撃情報が少なく、近辺の防犯カメラにも千里らしき人物は映っていないそうだ。

 ――愚痴りたくなる気持ちもわかる。

 凛は千里の両親の、熱の入った話に耳を貸し、ただただ聞いてやることしかできなかった。

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