平手打ち
期末テストのある来週に向けて、今日からテスト週間である。部活動は停止され、ホームルーム前の小テストも行われず、すべてが自習に回される。少しの時間であれど、真面目な者はテスト勉強に取り組むのだろう。しかし二年となった今では、ほとんどの生徒がサボりを決め込む。先生の言うことを聞いて大人しく自習をする……何てことは一年の最初のみだった。
凛と共に登校した渉は、付き添いでB組へと届け物をし、自分たちの教室へと戻ろうとしていたところだった。
「まだ……行方不明のまま、だね」
廊下を並んで歩く凛が言った。彼女の目線はC組の教室へと向けられており、開いたドアから
同じく響弥の席を見ると、彼は自分の机にだらりと突っ伏していた。テスト勉強が嫌なのだろう。その背中は、さながら今日の曇り空のように重たそうだった。
「毎朝、確認してるのか」
渉が訊くと、凛は「うん」と言った。
「どうしても気になっちゃうし……。それに今日は、ちーちゃんの誕生日だからね」
六月二十四日。
渉は「そうなんだ」と呟き、少し申し訳ない気持ちになった。
千里とは付き合いがゼロだったわけでもなく、凛以外の女子にしてはむしろ絡みがあった。知り合いの誕生日はすべて把握しているべき、とは思わないが、その日誕生日の人にはおめでとうくらい言ってやりたい。
トークのタイムラインにはきっと、『ちーちゃんの誕生日です』と自動投稿がされているのだろう。小まめに覗いていない自分を、今日ばかりは恨めしく思ってしまう。
「プレゼントは?」
「あるよー。帰りに渡しに行く」
C組を通り過ぎながら、「そうか」と物憂げに呟く。言おうか言うまいか迷って、訊いてみる。
「俺も行っていい?」
「プレゼントは?」
「……」
見事な返しを食らう。
プレゼント――は、ないけれど。大事なのは気持ちだろ? とも思うけれど――
だがそれは、本人に伝えることが前提だ。形のないものを持って行ったところで、おめでとうの言葉も、この気持ちも、千里本人に伝えることはできない。
黙りこくる渉に、凛はふふっと柔い笑みをこぼした。
「大丈夫だよ、一人で行く。渉くんはテスト勉強しなさい」
「凛に言われたくないな」
「それどういう意味?」
ジトッと睨んでくる小さな幼馴染を見て、渉もまた笑みを浮かべる。
「そういえばさ、オール百点って……マジ?」
「芽亜凛ちゃん? うん、マジ」
先ほど、B組に向かう途中で耳にしたことだ。E組のあの転校生が、中間テストで満点を叩き出したらしいと。話していたのはA組の生徒と思われる。
渉は苦笑した。
「オール百点ね……」
「そこら中で噂されてるね、特にA組」
「A組の連中は焦るだろうな」
「
どんなテストも学年順位一位を貫き通していた秀才――響弥曰く『一位の男』。朝霧がいたら、今回の結果にどんな言葉を放つのだろう。よきライバルができたと喜ぶのか、それとも……。
「響弥くんは来ないの? さっきいたけど」
渉は意識を現実に戻して、控えめに頷く。
「E組には来るなって言ってあるからな。話すときは俺がC組に行ってるんだよ」
そうこう言っているうちに、E組の教室まで戻ってきた。
凛はドアの前で振り向き、悪戯っ気の含んだ目で微笑む。首を傾げるようにして渉の顔を覗き込み、
「芽亜凛ちゃんのため?」
「響弥のため」
肩をすぼめて返した渉に、凛はふぅーんと相槌を打って教室に入っていった。渉が「何ニヤついてんだよ」と言うと、凛は「別にー」と言って笑った。凛の席にはE組外の女子が座っていたが、二人は気にせず、渉の席へと歩いていく。
「あ、めぐっち、あの子だよー」
目の前を横切られた
めぐっちと呼ばれた少女は、組んだ足を解いて席を立ち、渉と凛のいるほうへ歩いていく。脱色し、ピンク色に染まったツインテールの髪を揺らしながら。
「あなた、百井凛?」
渉と凛は、傍らに来た見知らぬ女子生徒に目をやった。
ピンク髪の女子が、腰に手を当てて立っている。ワンピース型の制服は、スカート丈を当たり前のように短くしているし。派手な着こなしをしている者はほかにもいるが、この子の特徴は、この染め上げられたピンク髪だと渉は思った。
少女はくりっとした大きな双眸を、凛にまっすぐ向けていた。渉のほうには目もくれない。
「うん、そうだけど……」
凛が頷いたとき、パンッと。乾いた音が、その場に落とされた。
「っ……」
「なっ――!?」
渉は目を見開いた。少女が凛に平手打ちを食らわせたのだ。
だが渉が反論を上げる前に、ピンク髪の彼女は金切り声で怒鳴りつける。
「この泥棒猫っ! どの面下げて学校来てんの? あんたのしてること、めぐは全部わかってんだからっ!」
その豹変ぶりは恐ろしいものだった。
「お、おい……!」
渉もつい声を荒げるが、少女の視界には入っていない。
「呪いだか何だか知んないけど、全部あんたが原因なんでしょ?
少女はもう一度手を振り上げた。だがそれを予測していた渉は、凛を守るようにして遮る。
血走った目をした少女は振り上げた手を震わせていたが、次の瞬間には手を下ろし、消沈した顔つきで渉を見上げた。
「……何? キモいんだけど、彼氏?」
「自分のクラスに戻れよ」
「……はっ、彼氏持ちのくせに修をたぶらかしたわけ? 尻軽女……死んでよ」
「っ……」
(こいつ……)
もし相手が男ならば、渉は拍子に殴りつけていたかもしれない。しかし少女はもう渉を見ておらず、呆然とし続ける凛を睨みつけている。
辺りは騒然とし、教室にいる者はみなこちらを注目していた。
「めぐ、フラれたんじゃなかったの?」
一ギャラリーとして、
めぐ――と言われたピンク髪の女子は振り返った。
「フラれてない! まだっ、付き合ってるもん……」
「あたしは別れたって聞いたけど」
「誰に? めぐは別れたつもりないから。いい加減なこと言うなら……
低い声で告げるピンク髪に、三城は黙って肩をすくめる。しかしその口角は上がったまま。三城は前の席の桜井と
ピンク髪は再度こちらに顔を向け、立ち尽くすばかりの凛を鋭く射抜いた。
「あんたのせいで、修はいなくなった。……絶対に許さないから」
「…………」
脅し文句を吐いたが最後、ピンク髪はツインテールを翻しE組から出ていった。凛は最後まで、何も返せなかった。
周囲の視線がばらつきはじめ、渉は凛に向き直る。
「顔、見せて」
「……いいよ、平気だよ」
「でも赤くなってる」
渉は凛の顔を覗き込もうとするが、彼女は目を合わせないよう逸らし続ける。が、ふと何かを見て、「……あ」と声に出した。
「芽亜凛ちゃん……」
凛の視線を辿って見ると、教室に入ったばかりと思われる芽亜凛が、こちらを見て目を丸くしていた。
渉は、凛と芽亜凛を交互に見た。二人の間の意思疎通のようなものを感じて、どこか居心地が悪くなる。
芽亜凛は一度ゆっくりと瞬きをして、ニコリと微笑んだ。
「凛、おはよう」
「おはよう……」
そう返して「渉くん、また」あとでね、という意味を含ませつつ、凛は席へと向かう。芽亜凛も同じように動き出す。
そのとき、ほんの一瞬だけ、芽亜凛は渉のほうに目をやっていた。睨み殺すような、目つきだった。
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