思考するな
「疲れた……」
「そうだな……」
昼休み、渉と柿沼は揃って肩を落とした。C組の教室で席を固めている響弥、
「噂は聞いてるぜ? 大変だったみたいだな」
「本当に疲れた……」
死んだ魚のような目をしている渉の肩を叩いて励ます響弥。約二時間行われた二年E組のクラス会議は噂となり、ほかのクラスにまで知れ渡っていた。
あれからE組は教室で通常の授業を開始した。しかしあの異様な会議が頭から離れず、幾人もの生徒が上の空で授業を受けたことだろう。
渉もその内の一人だった。早く休み時間にならないものかと、珍しく芯から気力を失っていた。
身体全体が重くて怠い。今だってご飯がなかなか喉を通らないでいる。
「都市伝説でクラス会議なんてなあ……まさに異常事態! マスコミも来てたみたいだしE組は大変そうだ」
焼きそばパンを食べきった響弥は戯けている。親友が元気そうで何よりだが、あんな会議に付き合わされたら響弥だって疲労感を感じるだろう。
「E組で信じてるやつってどれくらいよ?」
頬杖を付きながら清水が訊いた。
「二割、くらい」
「わーお。そりゃそうか」
渉の答えを聞いて、手に持ったスマホへと視線を戻す清水。二割と答えたが、実際はもっと多いのかもしれない。ただ、面白がっている奴が目立っていたようにも思える。
「もう笑えない話ではあるよな。現に起きちゃってるわけだし……」
響弥はコーヒー牛乳を一口吸って、空になったパンの袋を丸めながら言った。
「お前は肯定派なのに俺と関わってていいのかよ」
「おー、めっずらしー。望月が弱音吐いてる」
清水ににやけ顔で言われて、渉は「うるせ」と返す。
響弥は信じてる側の人間であり、彼が否定から入ることはまずない。だからつい、意地悪なことを言ってしまった。部外者は安全地帯から傍観しているのが一番なんだ、と。
自分たちのことを特別視して、卑屈気味になってしまっている。自覚して、さらに悲観的に捉えてしまいそうだ。
そんな渉に反して、響弥は天然色を下げて笑う。
「ははーん、大丈夫だって! 俺は渉のそばが一番安全だって思うし。俺に何かある前に渉、守ってくれるだろ?」
「……努力はするよ」
突っ込む気にもなれず、キレのない返しをしてしまう。身体の怠さは気のせいではないようだ。頭も働いていない。遅れてやって来た五月病にでもかかってしまったのだろうか。
「はいはい。イチャつくのは構わないけどよ、お前ら掲示板見てる?」
スマホから顔を上げた清水が片眉を吊り上げて言った。
「掲示板……?」
何だよそれ、と渉は訊き返す。言われてみればゴウも柿沼も、先ほどからスマホ画面を注視している。
ゴウは目だけを動かして、「藤北の裏サイトのことだよ。さっきから見てるけど……これはちょっとなぁ」
柿沼も『うーん』と唸り声を上げる。
「やばいことになってんな……」
二人の顔つきは心地悪そうである。一方、響弥も知り得ていないようで、渉と顔を見合わせて首を傾けた。
裏サイト。ニュースでたまに見るあれのことだろうか。そこに書かれた卑劣なコメントが原因で、生徒が自ら命を……とか。そういった類の掲示板が、藤ヶ咲北高校にも存在していると?
「ページ送ろうか?」と言った清水は、トーク画面を通じて渉と響弥にサイトアドレスを送信した。
タップして読み込み、そのページへと飛ぶ。画面を見た響弥は「あれ?」と口にした。
「これって一年の頃にクラスのトークに送られてきたやつじゃん」
「おう、ほとんどがそれで入ってると思うぞ。てか響弥が入っていないとは、びっくりだ」
清水は意外だと言わんばかりの声を上げる。渉はクラスのグループトークをあまり覗いていないため記憶にない。
「いやぁ、なんか面倒臭そうで……こういうのって個人情報とか抜かれたりしないの?」
「どうだろ、承認制だから漏れることはなさそうだけど……」
ゴウに言われて響弥は「ふーん?」と微妙な反応を返す。
彼らの会話を耳に入れながら、渉は自分のスマホ画面と睨めっこを続けていた。
「どしたよ? すぐには承認されねえから、まだ入れないはずだぜ?」と言う清水。
渉は、「いや、入れた……」「え?」反射的に声を漏らす清水に、画面を見せた。
画面には掲示板のトップ画面が映っており、いくつかのスレッドが並べられている。先ほど一人で確認していたのだが、マイページとやらも表示できるので、登録完了されていると確信した次第だ。
「本当だ、はじめてじゃなかったん?」画面を見て、清水は目を丸くする。
「んー……記憶にないし、はじめてだと思うが」
「ええー! じゃあ入れないの俺だけ!?」
横から覗いていた響弥が声を上げる。「早くしてくれよお」とスマホを天に向けて振ってみせるが、承認制なのだから電波は関係していないように思える。だが悲しくも誰も突っ込んじゃくれなかった。
渉は、掲示板の説明と利用方法などにも目を通した。欄には、すべての書き込みは匿名である、と示唆されている。個人の情報はサイトの管理者のみが把握できるようで、書き込みやスレッドの削除依頼もそちらで行われると記載されてある。
「管理人名は……読めないな。ヨル……ジュウシチヤ……?」
管理者のハンドルネームは『夜十七夜』――初見で読めるような名前ではない。読ませる気などないのかもしれないが。
「あれじゃね、ネトゲとかでよくある、記号や漢字で名前囲うやつ。ああいう類じゃねえ?」
「それって卍とか?」
「これは……全部IDで管理されてるのか?」
清水と響弥の言っていることが全く理解できなかったので、スルーして疑問を漏らした。
マイページにはアルファベットの大文字と小文字、数字で構成されたIDが表示されている。言わばこれが名前のような役目を果たしており、申請すればいつでも変更可能と書かれていた。
「みたいだね。匿名掲示板ってそういうものじゃない?」とゴウが同意する。
「ふーん……?」
そういうものなのか? 渉は疑わしげに眉を寄せながら、問題の掲示板を覗こうとして手を止めた。
トップページ下部に表示されているメールマーク。そのマークから、赤い感嘆符が飛び出ていた。
(通知……? こんな表示、さっきまではなかったような……いや、見落としていただけか)
そう思いながらタップして、自然と顔が強張った。
「……な、何だこれ……」
口から出たのは、困惑。ただでさえ減退している食欲がさらに失せるような文面が、そこにはあった。
「何?」と響弥が覗き込む。
「メールマークに、誰かからメッセージが来てたっぽくて……押してみたら、これが」
「どれどれぇ?」
清水ら三人も画面を覗き込もうとして渉の後ろに回った。男子五人が目にしたメッセージは――
『もう! 冗だんだよ! 夕がた先に包ちょう冷やして、二刀借りてる。きょうの夕がた仲よくかえろ? M』
「…………」
みな黙りこくった。
最後のMという字は行を変えて、下部に記されている。送り主の名前――イニシャルってところだろう。
――それにしても、これは……、
「なんか……キモイな」
「うん」
呟いた柿沼に即時同意する。
こういうのを怪文書というのだろうか。差出人は何を思ってこんな文面を送ってきたのだろう。ただの送り間違いにしても意味不明なメッセージである。
「個人のやり取りもできるっつーことは、裏で正体を明かしてもらうこともできるのか」
響弥がぼんやりと感嘆の声を上げる。
逆に言えばなりすましもし放題というわけだが、響弥の言うとおり、友達同士でIDを把握し合っている生徒もいるだろう。直接IDを聞き合えば確実であるし、少なくとも身内間でのなりすましは防止できる。
「危なそうで、俺は嫌だな」
渉は拗ねた子供のように口を尖らせる。
「いやいやいや、望月よ……サイバーテロ対策だよ。そういうの好きだろう?」
「こんなのから何を学べって言うんだ……」
「え、最近そういうの多いんじゃねえの? コナン読もうぜ!」
サムズアップする清水のことは無視して、渉はゴウに尋ねる。
「これ、個人メッセージの送り主は特定できないの?」
「ID書いてない?」
「……ある」
「掲示板でID検索してみれば、その人の発言はすぐわかるよ。スマホだとここを押ーしてぇ……」
インターネットに強いゴウは、渉のスマホでページ検索を表示してくれた。
渉は、イニシャルMのIDをコピーして、一番盛り上がっているスレッドで検索をかけることにする。
開いたのは『二年E組の噂と原因について語ってくれよ』というタイトルのスレッド。そこには今日のクラス会議のことがびっしりと書き込まれていた。呪い人の信憑性や、誰が怪しいかだとか。次死ぬのは誰だとか、目を疑う内容が書かれている。
見ていて気分のいいものではない。そう思いつつページ検索をタップして、イニシャルMの書き込みを特定してみたのだが、
『R委員長じゃないって! 絶対違う!』
『証拠はないけど、違うと思う!』
『なんでそんなこと言うの? 違うったら違うってー!』
その語彙力と説得力のない書き込みに、開いた口が塞がらなくなった。
(こ、こいつ……アホなのか?)
R委員長とは凛のことだろう。ほかにもスレッド内にはM月、Tバナというワードがあり、これは渉と芽亜凛のことを指しているようだ。
知らない場所で、自分たちの悪口が書き込まれている。普通ならば落ち込むのが正しい反応なのだろう。だがあいにく、渉はこんな掲示板の戯言を真に受けるような心は持ち合わせていなかった。
よく見ればイニシャルMの書き込みに対して『本人乙』とまで書かれているではないか。
――凛はこんな掲示板はやっていない。
証拠はないが、そう言い切れる自信を渉は持っていた。幼馴染の勘というべきか。なのでイニシャルMが、凛本人のものとして貶されているのは心底気味が悪いし、不愉快だ。
「悪いやつじゃなさそうだけど……空回りもいいところだぞ……?」
画面に向かって独り言を口にする。
(……まあ、凛のことを思ってるみたいだし、必死に守ろうとしてるようには見えるな)
イニシャルMの書き込みは頭の悪さが窺えるものであったが、凛を庇護する内容がいくつも見られる。結果は虚しく逆効果みたいだが、不思議と悪意は感じられず、子供じみた可愛らしさが目立っていた。
(まさかお前、橘芽亜凛じゃないだろうな?)
まさかな……と首を振った。凛のことになると、どうしても芽亜凛の存在がちらついてしまう。
もう一度あのメッセージを見直そうとタップする手前、
「望月、ちょっといいか?」
振り返ると、E組の男子委員長、萩野拓哉がそこにいた。
目が合った萩野は手招きをする。人前では話せない内容なのだろうか。弁当はまだ半分ほど残っていたが、現状食べ切れそうにない。渉は憂う気持ちを飲み込んで、弁当に蓋をした。
響弥たちは席を立つことを気にしていないようなので、渉は静かなまま萩野の元へ向かう。
「お楽しみのところ悪いな、邪魔しちまって」
「いいよ、萩野こそ今日はお疲れ様。……助っ人の頼み?」
「いや、今日はいいよ。望月に訊きたいことあってさ」
廊下に出て、萩野は人差し指で頬を掻いてみせる。やはり何か重要な話のようだ。
「この前さ、
どうって――渉は当時を思い浮かべる。
「なんて言えばいいのかな……失敗したよ」
「失敗? 妹には会えたんだろ?」
「うん、お前とお前の弟のお陰でな。けど、朝霧のことは謎のままだし、妹には嫌われたしな……」
朝霧ニイナと会ったのは一昨日のことだ。話を聞くことはできたけど、彼女に拒絶されたことはややトラウマになっている。芽亜凛にも同じようにされたことを、つい思い出してしまう。
「あのさ、望月……朝霧のこと調べてたのって、もしかしてさ……」
そこまで言って萩野は、訴えかけるような目を渉に向けた。
もしかして――の、その先を――渉は思考しかけて、息を呑む。もしかしてってなんだよ? と道化を演じることもできたが、渉は萩野から目を逸らして拒んだ。朝霧のことは、話すこと自体がためらわれた。
逸らした先の視界のなかで、萩野がとある雑誌を脇に挟んでいることに気がついた。意図せず目を凝らしてしまうそれは、オカルト雑誌ムイチ。
「読んだの……? それ」
おもむろに、口を開く。
「ああ……うん、一応な」
「凛も、見たのか?」
そう言った渉の顔つきが変わる。萩野は本能的にぶるぶると首を振った。
「俺一人で見たよ。三城から聞いて借りたんだ」
「……そっか」
しかめっ面のまま、安堵のようなため息をついた。
――話が脱線してしまった。
(萩野は俺に、何を訊きたかったんだっけ……)
虚ろな思考がぼんやりとよぎった。
「望月、仲よかったんだ? 朝霧と。知らなかったよ」
切なげな表情を浮かべる萩野。そういう彼は、朝霧と仲がよかったのだろうか。
渉はゆるりと首を振って否定する。
「いや、全然……仲がいいってほどじゃないよ」
「でも、無断欠席のことが気になって調べてたんだろ?」
「う、うん……萩野も知ってたんだな」
ってことは凛も……などと考えてしまう自分に嫌気とむかつきが増す。知っていてほしくない。けれど、知っているんだろうな。
「まあ、委員長同士だからさ……嫌でも知っちまうんだよ」
萩野は目を伏せて、何か言いたげに口元を緩める。不安と苛立ちが入り混じっている表情だ。自分にも同じ表情が張り付いているのかなと、渉はため息を殺した。
「腕時計――知ってる?」
「え……」
それは出し抜けの問いだった。渉はふらりと顔を上げる。
(腕時計……?)
「ほら、今ってみんな、スマホで時間確認するだろ? 腕時計なんて、あまり見ないよなって」
「……そうだな、イマドキ珍し――、……っ!」
――なぜ、気づかなかったのだろう。
腕時計、雑誌、このタイミングでの呼び出し。朝霧
雑誌を手にしてやって来て……そこに書かれていた、人間の腕と腕時計の存在。
「は、萩野……違う、違うよ……そんな、はずが――」
締まりなく頭を振った。萩野の本当に言いたかったことが、わかってしまった。
彼は確証を得て、ここまでやって来たのだ。
「いつも、してたんだよ……黒の腕時計」
「だけど、あの日は! ……あの日は……」
口にしながら、脳をフル回転させて記憶を辿った。辿ってしまった。
――高校生とは思えないお洒落な服装。出で立ち。どこにでもあるような学生同士の会話。友達を作るのが下手なんだな……なんて思ったり。苛ついたり。先導する彼の姿や、作ったような笑顔も。
そんな、あの日の遊園地の光景が、チカチカとフラッシュバックした。
――そして、見つけた。
凛とスマホで時間を確認している時。彼は、朝霧だけは、左手を掲げて目を落としていた。自慢気に煌めいていた――黒の腕時計に。
「うっ……」
思わず呻き声を漏らした。寒気さえ感じて、身体を両腕で抱き締めるようにして縮める。
寒い。頭が痛い。鳥肌が止まらない。
「望月……?」
心配そうな萩野の声が頭上に降ってくる。視界が二重に見えて、萩野の腕を咄嗟に掴む。喉の奥が痛くて、息苦しさを感じた。
「ごめん……」
萩野に寄り掛かったまま、渉は、細い息を繰り返した。それ以上の言葉は、続けられなかった。
「わったるー、まだ話してん……」
「望月!」
響弥が教室から出てくる。渉はずるりずるりと膝を折った。萩野に支えられる形で。
「お、おい、大丈夫か? しっかりしろ……!」
「……渉? 渉――っ!」
駆け寄ってくる足音も、親友の声も、確かに耳に届いていた。薄く瞼を開いたまま、呼吸し続ける。
やがて少年は、男子ふたりに支えられながら、保健室へと運ばれていった。
――とっくにわかっていた。だけど、考えないようにしていた。だって誰も、信じたくないだろう。
休校前日。あの日朝霧が、学校に届けられていたなんて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます