クラス会議後半

 予鈴が鳴る前に凛と萩野は視聴覚室に戻ってきた。芽亜凛は自分の席に着いていたが、空いている凛の分を瀬川、世戸、楠野が順に詰めて座っている。芽亜凛の隣に楠野が来る形となり、一方的に話しかけられているようだ。

 予鈴ギリギリで、石橋先生が廊下へ急かす声を上げている。サボり常習犯の宇野たちがちんたら歩いていたらしい。

 全員が席に揃うと号令がかかった。二時限目のクラス会議のはじまりだ。


「この時間は、本題である最近の事件について整理しよう。まず、何が最初の出来事だったのか……」

「先生はー?」


 そっと挙手した谷村の問いに、萩野の言葉が途切れる。石橋は室内にはおらず、廊下にも姿が見えなくなっていた。


「この時間は自由に発言してもらいたいんだ。それで石橋先生は隣の生徒指導室にいる。だからみんな、遠慮せずに話してくれ」


 萩野が言うと、途端にクラスの雰囲気がほぐれる。石橋先生の配慮なのか、教師がいないだけで緊張感が一気になくなる。

 しかしまた宇野が騒ぎ出すんじゃないか。そう渉はひやりとしたが、「跳び箱はいつだっけ」と女子がぼんやり口にした。

 発言者の岸名は、同グループの世戸たちのほうを見て訊いている。


「六月のはじめだった気がする……先々週ぅーくらい?」


 瀬川が芽亜凛を見て伺った。芽亜凛は軽く顎を引いてみせる。


「C組の行方不明は?」


 男子の誰かが言った。芽亜凛の反対側の隣にいる生徒、棚橋たなはしだった。


「名前は、出さないほうがいいっスよねぇ? あの事件だって大きな話題だし、今だって見つかってないんでしょ? てか跳び箱なんかより、そっちのほうがオオゴトな気ぃすっし」

「どっちが先?」と、誰にともなく三城が問う。すると三城の隣の安浦やすうら千織ちおりが、「行方不明のほうが先……だった気する」

「え、そっちが先?」と意外そうな声を上げたのは桜井さくらい遥香はるかだ。

 教師がいなくなって怠けるどころか、クラス会議は活発になった。

 またしても意外な展開に、渉は半ば顔をしかめる。隣の高部は一時限目と変わらずイヤホンを耳に身体を揺らしているし。


「誰かわかる奴いるか?」


 萩野は困ったようにみんなの顔を見る。

 体育の事故か、千里ちさとの行方不明か。


(ちーちゃんは橘が転校してきたあの日に行方不明となった。体育はその後日にあったから――)


 誰も反応しないのを見て、渉は挙手を試みる。だが先に手を挙げたのは、ホワイトボードの前にいる凛だった。


「行方不明のほうが先だと、記憶してるよ」


 凛の声に、覇気はない。


「さすが委員長。チオもやるじゃん」


 三城からチオと呼ばれて褒められた安浦は顔を赤くしている。

「じゃあこっちが先か……」とホワイトボードを見ながら萩野は呟き、「このなかで、そのC組の生徒と仲よかった人……いる?」

 心ない一言を、放ったのだった。


「…………」


 凛はうつむいたまま、口を固く閉ざしている。覚悟はしていたはずなのに、凛に聞かせるにはあまりにも残酷だ。渉は、悔しいような悲しいような、言葉にできない感情に唇を噛み締めた。

 みな思考しているようで、しばらく沈黙が続いた。譲り合いをしているようにも窺える――

 間もなくして、挙手をしたのは白峰しらみねだった。


「柔道部に、よく顔出してたけ、ど……」


 ただ一人の女子柔道部員に、みんなの視線が集まる。


「ちーちゃんとは親友だよ……」


 泣きそうな顔をして凛は答えた。渉は思わず顔を背けた。萩野は罪悪感や驚愕を滲ませた顔で目をしばたたかせている。

 顔に出したのは萩野だけではない。うつむいたり、口元に手をやったり、みんな静かな反応を見せた。凛の暗い表情を見て、彼女が『そのC組の生徒』とどんなに仲がよかったか、みなに伝わったのだ。

 ただ一人を、除いて。


「委員長、呪い人なんじゃね!? なあ?」


 すべてを台なしにする言葉が吐き出された。

 声の主、宇野涼介は前のめりになってニヤついていた。


「何、言って……」

「一番仲よかったんなら可能性大だろ! ハイ決定! ハイ解散!」


 凛を無視して宇野は喚き散らす。彼とつるんでいる新堂しんどうつじはスマホを片手に耽っていて、宇野の暴走になど眼中にないらしい。

 渉は、芽亜凛の言葉を思い出した。凛のことを守ると言っていた彼女は、この状況になることを予測していたのだろうか。宇野のような奴が、卑劣な言葉を浴びせることを……。

 だが凛が責められることになったら、渉だって黙っていられない。早くもぶち切れてやろうかと脳裏をよぎったその直後、


「……さいってー」


 嫌気のこもったその声は、瀬川の発したものだった。彼女は軽蔑するような視線を、宇野へと向ける。

 次に聞こえたのは大きなため息だった。


「もう少し、言葉を選ぶべきだよね」眼鏡をかけ直した岸名が呆れた声を出した。

「うんにゃぁ……選べる脳みそ持ってないんじゃない?」と続ける楠野。

「脳みそも小さいんだよ、チョコボールくらい」クールに言った世戸は、瀬川から貰っていたチョコボールをひとつ摘んで口へと運ぶ。

 ……何度も言うがここは飲食禁止。彼女らは石橋がいなくなってから、授業中でも堂々と飲み食いしているようだ。


「何だとデカ女共」


 宇野は精一杯の反発をしてみせるが、彼女らには効いていない。ちなみに世戸グループの四名は、全員百六十センチを超えている。


「跳び箱の件は事故でもなんでも、メアリンと関わってる人なんてたくさんいるからねー。わっかんないよねー」


 空気の流れを無視して谷村が声を上げた。その何気ない台詞は核心を突いている。

 続いて、「あれは?」と声を上げたのは椎葉。


「笠――じゃないや、……自殺した教師のやつ」

「にゃはー、あれもオカルトが原因だったら……相当イッちゃってるわー」


 楠野は自分の頭を小突いた。煽りとも取れる楠野の仕草は、しかし椎葉の視界には入っていない。


「確かさ、ちょうどあの日だよね、千晶が言ってたやつ」口を開いたのは世戸だった。

 女子たちの発言は止まらない。話を振られた瀬川は首を傾げてみせる。


「ん? なんだっけ?」

「保健室で聞いたって言ってたアレ」

「あー、オマタのやつ?」

「瀬川さん、何か知ってるの?」と萩野からも追及がされた。


 瀬川は記憶を辿るように宙を見ながら、「集会のあった日にオマタがぁー……いや猪俣いのまた先生がぁー『懲戒処分のショックで自殺なんてね』って言ってたんだよね」

 クラスの空気がざわりと動いた。これには驚いた生徒も少なくない。

 三城たちも世戸側を注目し、すでにその話を知っていた者もそうじゃない者も、お互い疑いの視線を送り合っている。


(……これじゃまるで、犯人探しだ)


 うなだれたくなる気持ちを抑えて、渉は芽亜凛のほうを見る。芽亜凛は変わらず前を向いていた。


「は、話を整理しよう」


 萩野は凛とクラスのみんなを交互に見て、手にしたペンでホワイトボードに情報を足していく。


「一連の流れは……行方不明事件、体育の事故、先生の自殺と懲戒処分の関係……」

「石橋に訊けばわかるんじゃねえの?」


 最前列でボーッとしているように見えた柿沼かきぬまが一言上げて、同じく最前列の桜井が「どうなのさ?」と邪気のない様子で萩野に尋ねる。

 萩野はすぐに首を振った。


「いや、先生は……箝口令だ。いわゆる、な。俺たちは先生から、そう聞いている」


 箝口令とはつまり、口外禁止が言い渡されているということ。

 何だよそれ……とでも思ったのだろうか、何人かは落胆している。

 笠部かさべの件は学校でも地方ニュースでも、亡くなったという情報しか扱われていない。自殺がなかったら、懲戒処分のほうが報じられていただろう。――当事者である渉、凛、芽亜凛は、もちろん知っていることだ。


「あいつの自殺がノロイビトに関わったせいなら、その処分の原因になった人物が一番怪しいってわけっスなー?」


 軽い調子で棚橋が言った。処分の原因になった生徒――唐突に振り撒かれた火の粉だ。

 渉は内心ギクリとする。予感していたことが目の前まで迫っている。まだ明らかになったわけじゃないが――

「こいつ」と、宇野が誰かを指名した。宇野は自分から斜め前の席、派手に染まった頭部に人差し指を向けている。


「怒鳴られてるの見たことあるぞ」


 指摘された男子生徒、向葉むかいば総司そうじは、その端正な顔立ちを気怠そうに向けた。


「俺が笠部に捕まったのは一年の頃だよ」

「あ? ウソつけ」

「糖分はある程度摂取したほうが、頭の回転もよくなるよ。それこそチョコボールとか、いいんじゃない?」


 伏せもせずに笠部の名を上げた向葉は言い方もまた気怠げで。ため息混じりに冗談を仄めかすが、表情はくすりともしていない。

 しかしクラスの雰囲気は少しだけ和らぎ、「共食いになっちゃうよ」と世戸が乗ると、周辺の女子から大層な笑い声が上がった。宇野は言い返す言葉もなく、歯を食いしばっている。


「それに、疑うんだったら――」


 授業終了まであと少し。


(このまま誰かもわからず終わってくれ)


 そう思った時だった。


「俺よりも、望月のほうが怪しいんじゃない?」


 向葉の口から、のんびりと告げられた。


(えっ……?)


 渉は一瞬、自分の耳を疑った。

 顔を上げると、向葉は確かにこちらを見ており、渉と目が合うや満足そうに頬を緩めてみせた。


「みんな覚えてないの? 集会の前日、午後からやけに人少なかったじゃん。辻や新堂、宇野はいつものことだけど……望月たちは何してたの?」


 望月、たち――――


「あの日珍しくいなかったのは、望月くんと橘さん、それと――百井委員長ですね」


 気づかれていた。把握されていた。気づいていたのは向葉だけじゃなく、関田せきたが眼鏡を指で上げながら声にした。彼らのように頭のいい生徒なら、あの日誰がいなかったか覚えていても不思議じゃない。

 クラス中の視線が、三人にばらついて向けられる。渉は息を呑み、凛は口をつぐみ、芽亜凛は目だけをゆったりと動かしている。


「こういうのはぁ、ハッキリしといたほうが、後々いいと思うぞー?」


 谷村が凛に向けてひっそりと言った。その言葉が刺さったのか、凛はうろたえる素振りを見せる。


「あ、あの日はっ……その……」


 そう言って、凛は覚悟を決めたように目を細めた。しかし続けられたのは、凛の言葉ではなかった。


「凛、忘れたの? 言っちゃ駄目って、私たち言われたじゃない」


 芽亜凛がようやく、口を開いたのだ。


「言っちゃダメってどういうこと? まさかそれもカンコウレイかい?」と玉森が芽亜凛をじろりと見て問う。

「学校からの指示だもの。ね、望月さん」


 急にこちらに顔を向けられ、話を振られ、渉の心臓が跳ね上がる。渉はみんなの視線が集中する前に黙って頷いた。


「笠部との関わりは?」


 箝口令など知らないよ、という口ぶりで三城が芽亜凛に鋭く問う。芽亜凛は「さあ……?」と肩をすくめてみせる。

 その態度に腹が立ったのか、三城はなおも問いただす。


「自由に発言する場でしょ? 答えなよ、あたしらだって期待してるのにさ」

「それはこのなかに、オカルトもどきがいるという期待?」


 芽亜凛ははっきりと口にした。、と。

「疑われているのは事実だよ」と今度は椎葉が続ける。「あなたたちが話してくれれば私たちが疑うことはないし、そっちも疑われずに済むことでしょ?」


「どうして晴らす必要があるのかしら」


 芽亜凛の口から出たのは、そんな一言だった。

 いつの間にか渉と凛への視線はなくなり、みんな芽亜凛へと集中していた。普段は、女子には愛敬を振りまき、笑みをも見せている芽亜凛。なのに今日は、どこか喧嘩腰のように見える。自由に発言する場だからか。それとも、わざとそうしているのか――


「私が来てからだって三城さん言ったよね? 私はC組の子とも関わりがあったし、跳び箱の件も見せかけだと言うなら構わないわ。三件目については何とも言い様がないのだけれど、私は疑われても構わない」

「……なんで?」

「だってこれって……呪い人だったほうが有利じゃない」


 視聴覚室中が、静まり返った。

 芽亜凛は動じることなく、そして誰にともなく語り続ける。


「証拠はない、けれど怪しい人物――そう思われてしまったら、誰もその人に近付こうとはしない。それは本物がいたとしてもそう。疑われた者だけが確実に助かるってわけ」


 呪い人を対策する上で――その定義を逆手に取った案。

 独り善がりもいいところな発言だが、この『オカルトもどき』から助かるすべでもある。


「そんなに一人になりたいんだ?」

「そうは言ってないけど、疑いが当たっていたなら、私を避け続ける人は助かるわね」


 その切り返しに三城楓はついに黙り込む。

 芽亜凛の言っていた『凛のことは守ります』とは、このことだったのだ。自分に疑いが向けば、凛が傷付くことはない。彼女はその考えのもと、注目を浴びる主張をしたり、挑発に乗ったりした。

 芽亜凛はこのクラス会議中、一度たりとも笑っていないのだ。


「えっと、委員長はどうなの?」周りの目を気にしながら問う美島。

「うむ、メアリンばっかに押し付けても仕様がないよ。委員長も意見しないと」同意する玉森。


 再び凛に視線が集まる。


「……私は、自分のことを……不幸の原因なんて、思いたくないよ。みんなに迷惑もかけたくない……でも、誰かを一人にするくらいなら……私がそうなりたい」


 バンッ――と、何かを叩いたような音に、数人の生徒が身体を震わせた。

 その音を立てたのが自分であることも、我を忘れて立ち上がっていることも――渉の頭のなかにはない。


「渉くん……?」


 凛が不安そうな声を漏らす。ああ、きっと、


(見せられるような顔じゃないな)


 机に両手を置いたまま顔を伏せている渉は、静かに呼吸を整える。それから勢いよく顔を上げ、注目を跳ね返すようにクラスメートを見回した。夜色の瞳に鋭い眼光を宿らせた少年は、口を開く。


「行方不明の子とは、俺も仲がよかった。体育の事故は、あそこにいた全員が関係者だし。箝口令については、あの日一緒にいた俺だって怪しいんだろ? こんな不確かで信憑性に欠けるものを相手に、俺たちがやれることなんてたかが知れてる。それこそ、他人と押し付け合ったりな」


 今お前らがやってることだ、とまで言ってやりたかったが、渉は言葉を切る。

 ――芽亜凛の言うとおりだ。

 いくら集まっても、話し合っても、真面目に行なったとしても、こんなもの何の意味もない。


「雲を掴むような話、だもんね」


 すぐ右前の席、園元が芯のある瞳でこちらを見上げていた。フォローされるとは思っていなかったので、渉は遠慮がちに首を振る。


「そうだな、望月の言うとおりだ」


 萩野が話しはじめたのを見て、渉は椅子に座り直した。段々と落ち着いていく鼓動を感じ取りながら、萩野の言葉に耳を傾ける。


「誰かを疑い、誰かに押し付けるのは間違ってる。これは俺たちE組と……学校全体の問題だからな。みんなも、真剣に考えてくれてありがとう。学校から言われたこととは言え、付き合わせてしまい悪かった」


 萩野は軽く頭を垂れる。決して、彼が謝ることではないのに。

 渉は、萩野にすべての責任を負わせてしまったような気持ちになった。


「最後に、まだ話していない者は、一言でもいいから意見してほしい」


 萩野の言葉を終着点とし、会議中発言していなかった者が順に言葉を残していく。渉の隣で音に乗り続けていた高部シンは、みんなの視線を受けて「激しく同意だ!」と言って座った。渉は顔を手で覆った。

 クラス会議は予鈴の手前までみっちり行われた。


 この会議を通してわかったのは――橘芽亜凛は伝承が『オカルトもどき』であると断言できる何かを知っているということ。そもそも関わった人間が不幸になるというその定義そのものが、曖昧すぎる。それはどれくらいの範囲で、どれほどの関係なのか、まったくはっきりしていない。

 まさに雲を掴むような話。

 だからこそ、渉はこう考える。


 それは呪いか、あるいは――


 クラス会議は無事終了した。

 しかしクラスメートたちは、次の授業から――芽亜凛と、そして委員長である凛のことを、心なしか避けるようになっていた。

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