臨時休校

 次の日、藤ヶ咲北高校は臨時休校となった。メールの知らせによると、明日も続けて休校らしい。テレビニュース曰く、あの不審物のせいである。

 ニュースでは藤ヶ咲北高校の校舎が映され、『校内に不審物が届けられ、警察は調査を進めており……』と流れていた。その内容はあまりにも薄く、生徒にも告げられた話じゃないか、と渉は落胆した。腕や生首、人間の死体などと生徒の間で飛び交っている憶測のほうがまだ濃密だ。


 なぜ、二日続けての休校なのだろう。

 例えば、学校には防犯マニュアルというものがある。それに従えば、不審物が爆弾や生徒の命を脅かすものならば、まず避難指示が出されるはずだ。

 だが実際に下されたのは、急な下校指示。本当に危険物ならば、二日続けて休校にする必要はない。

 意図的に隠された情報と、連日の休校による怪しさ。それらによって、不審物が『本当に人間の死体か何かだった』という噂に信憑性が増してしまった。生徒同士のグループトークではすでに囁かれており、学校の関係者であれば簡単に浮かぶ予想だった。


 昼過ぎ。そんなE組のグループトークのやり取りをスマホ画面に表示させながら、渉は自室のベッドに寝転んでいた。別画面にして、昨日交わした響弥との個人トークも見て回る。響弥が送ってきたのは、『ニュース見たか? 結局不審物って何なんだよー!』という、まったく可愛らしい内容であった。

 渉は小さく息を吐いて、腕を下ろした。


(朝霧の連絡先、聞いておけばよかった……)


 天井を見つめながら、何度目かの後悔をする。朝霧は今、どこでどうしているのだろう。不審物とは無関係、だよな? 何もできない自分がもどかしくて仕方ない――

 渉はスマホ画面をもう一度見た。

 ――そうか、


「知らないなら、訊けばいいんだ……」


 宝物を発見した子供のように、渉は自分の数少ない友人欄を表示した。凛、響弥、清水、柿沼、ゴウ……いつも集っているメンバーの名前をスクロールして、ひとつの名前に目を留める。

 E組で最も頼れて、最も信頼できる人物。

 萩野拓哉たくや

 彼ならば朝霧の連絡先を知っているかもしれない。クラスは違えど同じ委員長同士なのだから、希望はある。


 渉は、『萩野に訊きたいことがある』と打って送信した。萩野とのやり取りは決して多くはないけれど、『便利屋望月』としてのお礼はこまめに送られていた。

 送信してすぐに、『いいぞ!』とだけ返事が返ってくる。その速すぎる既読と返信に渉は目を丸くしたが、ありがたいことに変わりはない。渉は再度、スマホに指を走らせる。

『……秘密にしておいてほしい内容なんだけど、それでも大丈夫?』

『おう! 誰にも言わない!』

 そう送られてきたや否や、電話がかかってきた。ビクつきながら、「マジか」と渉はドライに呟き、コールマークをタップした。


「……はい」

『あ、望月? 訊きたいことって?』


 挨拶をも省略し、どこか明るい声で単刀直入する萩野拓哉。話が早くて助かると思いながら、渉は静かに切り出す。


「A組の朝霧しゅうの連絡先を訊きたいんだけど、知ってる?」

『あー……朝霧……。悪い、知らない』


 絞り出すようなその声は本当に悪びれているようで、頭を抱える萩野の姿が自然と脳裏に浮かんだ。渉は「そっか」と、落ち込んでいるのを相手に悟らせないように呟く。


『あ、でもあいつ確か妹がいたはず……』

「妹?」


 渉が聞き返すと、萩野は思い出したように声を上げた。


『ああ、弟が前に話したんだ――あ、弟ってのは俺のな。同級生らしいんだけど、一年の頃から滅茶苦茶頭がいい女子がいるみたいで、今年その子と同じクラスになれたーって喜んでてさ。これ、話したこと内緒だぞ?』


 萩野が笑い声を漏らすので、渉も思わず顔が綻ぶ。「誰にも言わないよ」と返して続ける。


「名前とかってわかる?」

『訊いてみようか? 弟の学校、今年からスマホの持ち込みオッケーになったからさ、何かわかったら連絡するぞ?』

「おお……じゃあ、頼む」


 ふたつ返事で引き受けてくれた萩野との通話が終了し、渉はベッドから跳ね起きる。連絡を待つ間に外出する支度を済ませておこう。

 しばらくして、『志智中学校 二年一組 朝霧にいな! 名前の漢字はわからんかった、訊くべきだったかな?』というメッセージが送られてきた。特に問題はないことを萩野に伝えると、次に送られてきた内容には、妹の特徴と学校の情報が添えられていた。


 貴重な情報をくれた萩野と、情報源である萩野の弟に感謝しながら、渉は家を出る。外は雨が降っており、あいにくの空を睨んで傘を手にした。風もなく蒸し蒸しする程度の気温。こんな日に、普段なら外出などしない出不精な渉だが、こういうときの行動力は自分でも不思議に思うくらいにある。


 志智しち中学校。その位置をスマホの地図で確かめる。渉の母校ではないが、地域から遠くない距離に存在していた。家から真東の方向――走って四十五分ほどだろう。

 じっとりとした生暖かい空気を肌で感じながら、渉は水たまりを避けつつ歩いて向かった。萩野の情報だと、今日の下校時刻は午後五時半。徒歩で向かっても時間を持て余す程度の余裕はある。


 歩き続けること一時間。それらしい建物が、公園の木々を通して見えるようになっていた。地図を確認すると、どうやら着いたようだと判明する。

 まだ時間があったので、雨宿りがてら辺りを散策しつつぶらつく。時刻はまもなく午後五時半を迎える。

 散策の結果、渉は表門の前で待つことにした。萩野弟の情報によると、朝霧妹は徒歩で通学しているらしい。学校周りをぐるりと一周してきたので、駐輪場が学校の裏側に設置されていることは確認済みである。自転車通学の生徒は、その裏門から出るのだろう。なので朝霧妹が徒歩だとすれば、シンプルに表門から来るはずだ、という簡単な推測だ。


 やがて職員らしき人が表門を開けにやって来て、下校のチャイムが鳴り響く。わいわい、がやがやとした騒がしい声と共に、学生たちが続々と昇降口から姿を見せた。

 レインウェアを着て自転車を漕ぐ者、傘を差して徒歩で帰る者。目の前を通過する生徒たちは、みな涼し気な夏服を着ていた。そのうちの何人かと不本意ながら視線を交わしつつ、渉はそのときを待った。


 そして、現れた。

 猫の模様が描かれたビニール傘を差しながら、こちらに歩いてくる一人の少女。長めの髪を両三つ編みでおさげにしている、いかにも真面目という言葉が似合いそうな女の子。奇麗に切り揃えられた前髪も、クロスして付けられた黒のヘアピンも、トークで送られてきた特徴と一致している。というか、優美な顔の作りが、どことなく朝霧に似ている。


「あ、あの」


 少女が目の前を通りかかったところで、渉は声をかけた。突然現れた見知らぬ男に、少女はビクリと身体を震わせて飛び退いた。目をぱちくりさせてこちらを見ている。


「朝霧……ニイナさんですか?」


 落ち着いた口調で問いかけると、少女は怯えたような、軽蔑するような目を渉に向けた。顔色が変わったと言ってもいい。知らない人が自分の名前を知っていれば、それは驚きもするだろう。

 渉は慌てて自己紹介と、念のため家から持ってきた学生証を見せた。


「藤ヶ咲北高校の望月渉です。お兄さんのことで訊きたいことがあって――」

「何も話すことはありません」


 少女は差し出された学生証を手に取るようなことはせず、ぴしゃりと言ってのけた。


「じ、時間は取らせないから……」


 渉はなおも続けて言う。すると少女はため息をひとつし、侮蔑混じりの眼差しで渉を睨んだ。


「しつこいなら……警察呼びますよ?」


 少女の素振りは、それ以上近付かないでください、と言いたげである。口調は静かなものだったが、一歩でも近付けば悲鳴を上げてしまいそうな、そんな危うい雰囲気をピリピリと感じる。

 そして、相手が何もできないのを悟ったのか、少女はふんと鼻を鳴らし、通り過ぎようとした。


「頼む」


 渉は、少女に向かって頭を下げた。ただ一言に思いを込めて、掠れた声を絞り出す。傘を握る手に力が加わった。

 視界には、自分の両脚しか映っていなかった。雨粒の立てる音はうるさく、人の気配など感じられなかった。渉は唇を噛み締めた。

 ――もう通り過ぎてしまったかもしれない。

 けれども、頭を下げ続けた。どうかこの思いが伝わりますようにと。

 そうして、少女の声は降ってくる。


「じゃあ、奢ってください。あの店でいいんで」


 渉が顔を上げると、少女は二メートルほど離れた位置からこちらを向いていた。訝しげな表情に変化はなかったものの、どこか諦めたような影が見て取れる。

 少女が指する方向には、ひとつのお店が設けられていた。横断歩道を渡ってすぐの場所にある喫茶店だった。


「ありがとう。わかった」


 渉の言葉に、少女は続けざまに眉をひそめたが、くるりと踵を返して先行する足取りは軽やかであった。

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