不審物とその正体

 E組ではすでに先ほどの出来事が、噂となって広がっている状態だった。あの人混みのなかに、二年E組の生徒も少なからずいたのだろう。おそらく、ほかのクラスも同様に。

 渉が教室に戻って一番驚いたのは、橘芽亜凛が着席していたことだった。彼女のことを探していた凛も同じように思ったのか、「どこにいたの?」なんて会話をしていた。耳にすることができたのは、『先生に呼ばれて廊下で立ち話をしていた』といった内容。

 芽亜凛と関わるなと告げておいた矢先に親しげに話す二人を見て、渉は一人、不満を抱くのであった。


 昼休み終了後。本来ならすぐに五限がはじまるのだが、続け様に校内放送が流れた。午後の活動はすべて中止、生徒はすぐさま帰宅するように、といった内容であった。あの騒ぎを思えば当然のことかもしれない。

 しかし、この放送をきっかけに、生徒の間で飛び交う憶測は徐々にエスカレートしていった。渉と凛が話していたように、女子生徒が見たものは人間の死体ではなく、身体の一部だとか、生首だとか、腕だとか。真実味を帯びたものから、そうじゃないものまで様々な意見を耳にした。

 ――笠部かさべの時と同じだ。

 上辺だけの噂が無作為に広がっており、渉はいかに自分が無責任極まりない話をしていたのかを痛感した。いつもはアホらしいと軽蔑している渉だけれど、自分だって、そんな一生徒と変わりなかったのだ。

 生徒たちは速やかな下校を強いられた。部活動などはもちろん行われない。


望月もちづきー、先行ってるぞ?」


 柿沼に言われて、渉は顔を上げる。クラスのみなは続々と教室を後にし、『この後どうする?』といった会話がそこら中で聞こえた。


萩野はぎのとの約束、果たせなかったな)


 そう思いつつ凛のほうを見ると、彼女は芽亜凛と教室を出ていくところだった。渉の忠告も虚しく、凛は聞く気など毛頭ないらしい。嘆息して、重い腰を上げた。


「お、キタキタ」


 C組前の廊下に行くと、響弥がニッと笑って手を振った。清水とゴウ、柿沼も揃っている。

 柿沼は「遅いぞー」と言って、「せっかくの早帰り、エンジョイしないと!」とサムズアップ。

「そうだそうだー!」と清水は拳を振り上げて同意する。

 普通はそうだ。早帰りとなれば、喜ぶ生徒がほとんどだろう。こんな日でなければ、渉も喜べていたはずだ。


「どこ行くよ? ゲーセンかカラオケか?」


 清水が階段へと先導しながら、首だけこちらに向かせて問う。続いてゴウと柿沼がいつものごとく賛同の声を上げる。渉は一番後ろで浮かない顔を見せていた。


「渉、大丈夫?」


 斜め前方にいる響弥は昼間のことを察したのか、心配そうに顔を見る。柿沼やゴウも振り向いた。四人の顔を順に見て、渉は気まずそうに顔色を曇らせる。


「悪いけど……今日はそういう気分じゃなくて」

「もしかして不審物のこと、気になるの?」


 ゴウに言われて、ためらいがちに頷く。そのこともあるが、それだけではない。本当は気を紛らわせたくて、放課後のバスケ部の助っ人を引き受けたのだが、それも今じゃ白紙である。

 柿沼は片眉を吊り上げて「おいおい」と肩をすくめる。


「こういうときこそ気分転換だろー。なあ、響弥?」


 なぜか名指しで振られて、響弥は「うん?」と首をひねる。柿沼は何やら怪しげなアイコンタクトを送っているようで。理解できたのか、響弥は人差し指をピンと立てた。


「んー、そうだよな。気分転換ってのは大事だな。よし」


 そしておもむろに渉の腕を取って組んだ。


「じゃあデートに行こう。二人きりで」

「は?」


 渉の反応と共に、清水とゴウも『えぇ!?』と声を上げる。柿沼だけはニヤついた笑みを浮かべていたようだが。

「たまにはいいだろ? じゃ、お前ら、またなー!」そう言って響弥は三人を割ってぐいぐいと進んでいく。


「おおー! 行って来い! 楽しんでこい! イチャついてこーい!」


 柿沼の元気な送り出しを背中で受けながら、渉は響弥に引っ張られるがままに学校を後にした。

 奇妙なアイコンタクトについてはよくわからないけれど、自分たちに気を遣わせまいと響弥に連れ出すように仕向けた柿沼の優しさは、渉に伝わっていた。あいつらはバカだけど、いい奴らだ。渉はそう、再認識する。


 二人は学校の表門の前にある広い歩道橋上に行って、街々を見下ろした。普段眺めるのは夕方であるが故、昼間に見るこの景色はどこか新鮮味がある。


「はい。響弥様の奢りだ、感謝せよ」

「……おう。ありがとう、響弥」


 自販機で飲み物を買った響弥に缶コーヒーをひょいと手渡される。空を覆う雲は決して厚いというわけではなく、日差しが薄く透けて見える程度のものだった。薄灰色をした空だ。

 雨じゃない日の渉は徒歩通学である。引いているとどうしても邪魔になってしまう自転車は、外でぶらつく分にはなくてよかったなと思える。


「――でぇ? 渉は何を悩んでいるんだよ。ほれほれ、言ってみ言ってみ」

「何キャラだよ……」


 つい失笑して、缶コーヒーを開ける。響弥は買ったいちごオレにストローを挿してチュウっと吸っている。こういうときの気分を『黄昏る』というのだろうか。

 渉は一呼吸置いて「変わらないよ」と言った。


「昼にも言ったろ。昨日から、ずっと……同じだ」

朝霧あさぎりのこと?」


 うんと言って頷いた。不思議と寒気がして、渉は小さく身震いする。


「嫌な予感がするんだよ。こう……胸がざわつくっていうか、頭が重いっていうか」

「そりゃあ二日続けて無断欠席は、心配にはなるけどよぉ……」

「それだけじゃない。さっきので、余計に胃が痛くなった」

「人間の死体……不審物ってやつか」


 響弥は問うようにとはいかずに、一人でに呟く。こちらを説得するわけでもないが、ただ『考え過ぎだ』とでも言いたげであった。

 渉は、缶コーヒーに視線を下げて一口口に含んだ。冷たい液体は渇いた口内へと浸透し、喉を通って胃のなかへ沈む。潤ったところで、口を開く。


「俺は朝霧のこと、好きじゃなかったし、友達っていう仲でもない。ちーちゃんのこともあって神経質になってるだけかもしれない。だけど不安で……とにかく心配なんだよ。こんな立て続けに……妙だとしか思えなくて、気持ちが悪いんだ」


 ――独り言だった。

 親友に対しても、凛に対しても、諦めてしまっている自分がいた。もう同意は求めない。相談しているつもりもない。ただ思いを闇雲に吐き出してしまっていた。

 そんな独りよがりを響弥が汲み取れるはずもなく、

「朝霧のことと、今日のこと、繋がりがあるとは限らないだろ? 渉、考え過ぎだよ」と彼は言った。予想通りの返しに、渉の心は冷えていく一方だった。


「とりあえず、今は学校がどういう動きをするか、だろ? もしかしたら朝霧のほうにも、警察が動いてくれるかもしれないし……」


 響弥の言葉を耳に流しながら、渉は缶コーヒーを飲み干した。それからゴミ箱へと向かいながら、一言。


「ごめん、帰るわ」

「渉……」

「一人になりたいんだ」


 ガコンと音を立てて、缶が目標へと放り込まれる。

 渉は振り返ることなく、一直線に家まで帰った。誰も悪くない、けれど、誰の顔も見たくなかった。


    * * *


「うわ……」


 全校生徒の下校が確認できた藤ヶ咲北高校の駐車場には、何台かの見慣れない車が見て取れた。それは連絡を受けて駆けつけた機動捜査隊を含む警察が乗ってきたであろう、一般的には捜査車両と言われているものだ。

 職員室にはそれらしき人影がちらりほらりと確認できる。教師の何人かはすでに職員室から外れており、休憩室にて各自事情聴取をされている状態だ。

 通報の内容は学校に不審物が届けられたというものだったが、中身を見た若手の刑事はそんな声を漏らした。


長海ながみ、吐くなら表でしろよ?」

「吐きません……」


 長海と呼ばれたその刑事はあからさまに顔を引きつらせていた。一方のガタイのいい男は朱野しゅのという警部。歳は五十代後半であると共に、見た目にも貫禄がある。

 長海は手帳を取り出して、先ほど機捜きそうから聞いた話を繰り返した。


「事務員による話では送られてきたのが本日の昼、一時頃。ちょうど昼休みのさなかだそうですね。事務員は授業で使われる器具だと思ったようで、いつものように物置部屋に運んでおいてから、しばらくして中身を確認してみると、……これが、と」

「異常者の犯行か」


 朱野は低い声でぼやく。二人は、坂折さかおり公園で発見された笠部淳一じゅんいちの捜査にも関わっていた刑事。長海は周りに聞こえないような控えめな声で言う。


「よりによってまた……この学校なんて」

「ああ、妙な話だ」

「先日の自殺した教師とも何か関連が?」

「それを調べるのが警察の仕事だ」


 笠部の死は警察内部でも自殺として片付けられていた。しかしこう立て続けに怪奇な事件が、同じ学校で起こったとなると、あれは本当に自殺だったのだろうかと疑いたくもなる。

 ――疑うのが刑事の仕事だ。

 長海は再度、確認するように『なか』を覗き込んだ。


「奇麗に血抜きされているようですね……それに指紋も」

「鑑識には手こずりそうだとよ。……手がかりは、このだけか」


 事務室に届けられたものは、段ボール箱。なかのものは新聞紙で丁寧に包まれていた。

 事務員が新聞紙を開いた時、なかから出てきたものは人間のものと思われる――手。

 手首から指先までのそれは左手のようらしく、黒の腕時計が巻かれていた。

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