第六話

人間の死体

「人間の死体って――?」


 わたるはC組の教室に飛び込んできた清水しみずに訝しんだ顔で尋ねる。現実主義者リアリストな渉は至って平常心。事件好きな清水はやとによる冗談だとでも思っていた。しかし冗談にしては演技が過ぎて見える。

 清水は息を切らして言う。


「下だよ、下! 聞いたんだよ! どんどん、人、集まるぞ!」

「落ち着けって……」

「お前らも行ってこいよ! 俺はD組に、伝えてくる……!」


 興奮状態の清水は渉が口を開くよりも先に廊下の向こうへと引っ込み、隣の教室へと駆けていった。


(何しに来たんだあいつ……)


 渉は首をひねり、りんと視線を交わした。凛は悟ったような顔つきで静かに頷く。行こう、このままここにいても仕方ないよと、その気持ちはまったく同じである。

 渉は黙って顎を引き、「響弥きょうや

 行くぞ、と呼ばれた親友は、珍しく神妙な面持ちをしていた。




「何だこれ……」


 階段を下りて渡り廊下を通り、職員室に向かった渉が開口一番に発した。正確には、職員室へ向かう手前の廊下で、三人は足を止めることになる。

 およそ、二クラス分の人数はいるだろうか。職員室前の廊下のいたるところで、生徒の姿が見て取れる。この全員が野次馬なのか、まるで行事や祭り事状態である。その風景は、文化祭を行なっているときの廊下のそれに似ていた。

 人混みの端に、ゴウと柿沼かきぬまの姿があった。渉を先頭に歩み寄ると、柿沼が気づいて声を上げた。


「おっ。お前ら! 隼から聞いて来たのか?」


 そのとおりである。

「どうなってんだよ、死体って、清水がさっき――」渉は吐息混じりに問い返し、「お前ら、ずっとここにいたの?」と疑問を抱いた。

 ゴウと柿沼は「うん」と声を揃えて首肯する。


「購買行ったときに合流してさ。三人で……つーか、その場にいた全員が聞いたんだよ」

「さっきの悲鳴を?」


 凛が問うと柿沼は続けざまに、いや違う、と否定した。柿沼はゴウの顔を見ながら、少し自信なさげに言った。


「物音、みたいな」

「花瓶か何かが割れる音だったね」


 そう確認し合って、ゴウは職員室と繋がっている事務室のほうを指差した。


「そっから事務の先生が出てきて、ちょうど廊下にいた東崎とうざきと、何だっけ国語の女の先生」

植田うえだ先生?」


 穴埋めするがごとく凛が素早く反応する。さすが、委員長だけあって教師の名前は完璧に把握している。ゴウは「そうそう植田先生」と言って続ける。


「――に声をかけてて、三人で事務室のなかに入っていったんだ」

「その時の事務の先生の様子は?」


 渉が尋ねると、ゴウは「焦ってるみたいな感じだったかな」と言った。

 凛はふむふむと頷く素振りを見せている。響弥は顎に手を寄せて『ふーん』と相槌をしている。


「俺らは事務の先生が何かやらかしたのかなーって思って流してたんだよ。ほら……あの人ドジだし?」

「で、中庭で駄弁ってたら、ね……」

「あの悲鳴が聞こえたって? 職員室から?」


 響弥が問うと、二人はうんと頷いた。

 二人が言いたいことは理解できた。しかし、ただ悲鳴が聞こえただけでこんな騒ぎになるはずがない。


「ねえ、悲鳴って、誰のものかわかる?」凛が口を開いた。

「女子だよ女子」柿沼が答えた。


「職員室から抱え込まれて来てさ、やばかったよな」


 同意を求められたゴウは力強く首肯して、「その人が言ってたんだ。人間……人間の死体って。すごく怯えてた」

 それを、その場にいた全員が聞いたのだろう。清水がクラス中を周っていたように、五人いれば十人に、十人いれば二十人に広まり、そうしてこんな騒ぎになった。つまりその女子生徒が主な要因で、短い時間の間にこれだけの騒ぎに発展しているわけだ。

 ――女子生徒。そういえば、たちばな芽亜凛めありは……?


「その女子生徒はどこに?」


 渉が訊くと、「保健室だよ。たぶん、鍵かかってる」という答えが柿沼から返ってくる。答えた柿沼は、ぐにゃりと顔を歪めた。その時の女子生徒の様子を思い出したのだろうか。少女がいったい何を見たのか定かではないが、人間の死体だと訴えるほどだ、受けた衝撃は計り知れない。

 だから保健室のほうにも人がいるわけか、と渉はそちらを見て納得する。


「悲鳴は事務室じゃなくて職員室から聞こえたんだよな?」

「移動してる……」


 渉が誰にともなく問うと、凛は口元に手を寄せてポツリとそう呟いた。渉はうんうんと頷いたが、ほかの三人はよくわかっていない様子である。

 響弥が「どういうこと?」と訊いたので、渉は考えを述べた。


「事務の先生が事務室で何かを見て取ったのは確かだろう。その隣の物置部屋も怪しいしな……」

「物置部屋ってそんなの……ああ、あったっけ。でもなんで物置部屋?」


 事務室は特別に用がなければ生徒はほぼ近付くことはない。例えば外部からの届け物は事務室に預けられることが多いため、家からの忘れ物が届く際は事務室へ行ってみるよう勧められることがある(ほとんどの場合は担任が受け取りを済ませて、生徒に渡してくれるものだが)。そういった経験がある者は、側に物置部屋があることを知っている。ほかには、資料の持ち出しや整頓のために立ち寄ったり――


物置部屋あそこは骨董品も飾ってあるし、目立って大きな音だったのならそっちの可能性もあるってことだよね? ……きっと驚いた拍子に、物にぶつかって落としちゃったんだろうね」と、凛が補足する。凛は少なからず事務室やその物置部屋に入ったことがあるため知っているというわけだ。

 響弥たちが『なるほどー』といった素振りを見せたので、今度は渉が進める。


「慌てた事務員は誰かに救いを求めた。それが東崎と植田だろう」

「じゃあ三人で死体を運んだのか……」


 考えているのかいないのか、的外れなことを言う響弥に対し、渉は首を振りながら「そうじゃない」と言う。


「そもそも人間の死体だったらわざわざ運ぶ必要はないし、すぐに警察を呼ぶだろう? 女子生徒が見たのは死体に見える何か、またはその一部……」

「一部?」


 今度は凛が口を挟む。渉は「あー」と悩ましい意思表示をして頭を掻く。ポロッと出てしまった言葉に、少しだけ後悔した。


「身体の一部ってこと。例えば、指とか爪とか……推理小説やドラマでよくあるだろ?」

「あ、バラバラ殺人事件?」

「うん。まあ、例えばだけどな」


 凛は納得した様子を見せた。渉はてっきり、また怒られるものかと思ったが、凛も凛で『ゾーン』に入っている。


「先生たちがそれを職員室まで持っていって、女子生徒がそれを見てしまった。ってなると、直に置いてあったわけじゃなさそうだね。普通、そんなもの触ろうともしないよ」

「考えられるとしたら、ビニール袋や包装資材か」

「うん、渉くんの言うとおり指とか小さなものだったら封筒でも十分だしね」

「でも死体って言うくらいだし、もう少し大きなものだろうな」

「いったい何を見たんだろう……」

「うーん……事務室ってのも不思議だ。出どころは……」


 そこまで続けてから、「あのさあ……お二人さーん」と。

 柿沼の声と共に、視界の隅でひらひらと手を振られていたことに気づいた。渉と凛がそちらを見ると、柿沼が苦笑いを浮かべて、隣にいるゴウと響弥のほうを指差している。


「世界に入るのはいいけど、その……」

「吐きそう」と真っ青な顔で響弥が言う。

「よくそんな話を……平然と……」と口元を押さえながらゴウが言う。


 渉と凛は『あっ』と口を開くと、二人揃って肩を落とした。


「悪い、不謹慎だった」

「ごめんっ……」


 ――やってしまった。

 二人は素直に謝罪を口にした。

 こんな推理、『ごっこ』に過ぎない。ただの憶測でしかない。探偵気取り、警察気取りもいいところ、そう思われても仕方のないことだ。

 しかしつい、互いの正義感が共鳴し合い、先走ってしまう。口にするそれが、何を意味しているのか深く考えもせずに――


 昼休みも間もなく終わりを迎える頃、増え続けるギャラリーに紛れて、清水が渡り廊下を駆けてきた。


「よお! 何か進展は?」


 少し息を切らしながら明るい調子を見せる清水に、渉は事実を告げた。つまり、「何も」である。


「ええー!? なか入るとかできないのかよお!」

「できるわけないだろ」

「先生も全然出てこないしね」


 そう凛が物憂げに言ったとき、校内放送を告げる四音チャイムが鳴り響いた。


『緊急連絡、緊急連絡。校内で不審物が見つかりました。生徒のみなさんは速やかに教室へと戻ってください。繰り返します――』


 聞こえてきたのは教頭先生の声だった。以下同文の内容がその場に流れる。時刻は、昼休み終了の二分前……遅すぎるくらいだ。

 そしてどこから湧いたのか、騒ぎを聞きつけた教師たちがやっと職員室前の廊下に現れては『教室に戻れ』を連呼する。

 好奇心に浮かされるがまま集まった生徒たちは、何を聞かされることもなく教室に戻されていく。

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