叫び

 ――悲鳴が轟いた。

 ――――




 昼休み。渉はC組の黒板前に腰を下ろし、響弥と時間を過ごしていた。

 昨日も言ったけれど念には念を入れ、響弥にはメールでも『今からそっちに行く』と伝えておいた。芽亜凛が響弥のことを拒んでいるのは先日の件で決定的になってしまった。昼休みになるといつも教室からいなくなっていたのは、響弥がE組に来るからだった。

 それなら渉がC組に行ったほうがいい。彼女のためではなく、どちらかといえば響弥のために。

 あの二人の接触は――危うい。


「よく飽きないな」


 焼きそばパンを頬張る響弥を見て渉は呟く。響弥は口に含んでいた焼きそばパンを飲み込んでから、食べかけのパンを渉へと向ける。


「購買のパンはうまいからな! 渉も食う?」

「いや、いい」

「遠慮すんなってー。代わりに卵焼き、一個ちょーだい」


 返事も聞かずに口をあーんと開ける響弥。渉は弁当の卵焼きをひとつ箸で挟んで、その口に放り込む。


「うんめえー! 凛ちゃんからの愛の味だね!」

「はいはい、そりゃあよかったなー。……俺はいいよ」


 なおも焼きそばパンを差し出してくる親友を、手のひらで制す。E組にいると『愛妻弁当』と冷やかされるので、普段は合流する前に食べ終わっている渉であるが、C組だとゆっくりと食べられる。

 渉は教室内を見回して、生徒の様子に目をやった。そういえば、清水とゴウの姿が見られない。E組の柿沼も彼らと一緒にいるだろうし、ひょっとしたら五人で過ごせるのではないかと思っていたのだが、いったいどこへ行ったのやら。渉はひとつの席に目を留めた。


「C組は、何も変わらず、か?」

「何もって?」


 響弥はきょとんと目を丸くする。


「ちーちゃんがいなくなって、もう二週間だろ。空席を見ると、なんか、寂しいなって」

「……ああー、うん……」


 頷いて、響弥も同じように千里の席を見つめる。何も置かれていない、奇麗なままの机。


「俺は、普段は考えないようにしてるんだ。けど、そう言われるとな。早く……見つかるといいよな」


 柄にもなく言葉を選ぶ響弥。渉は同意を込めて小さく頷いた。

 千里の両親は彼女のことを可愛がっていた。面識があるわけではないが、親が過保護で……という話を何度か本人から聞いている。凛も顔には出さぬようにしているが、心配しているはずだ。

 もう、二週間。

 愛されて育った千里と――おそらく、そうでない朝霧修。


「橘芽亜凛が、転校してきてからなんだ」


 渉は食べ終わった弁当に蓋をしながら、ぽつりと口にした。


「ちーちゃんの行方不明。あの子が転校してきてからだろ」

「へ? ああ……そうだっけか。でも渉は『呪い人』なんて信じてないんだろ?」


 そう言って響弥は立ち上がり、食べ終わったパンの袋を捨てにゴミ箱へと向かっていく。

 ノロイビト。藤ヶ咲北高校二年E組にまつわる奇妙な話。噂。オカルト。

 渉は『またそれか』と、響弥の的外れな返答に眉間のしわを濃くする。


「そうじゃなくて、俺が言いたいのは……」


 響弥が黒板前に戻ってきたところで渉は続きを述べた。


「彼女が直接、手を……」

「はあー? なんでそんなことすんだよ?」

「それはわからないが」

「凛ちゃん聞いたらそれ、怒るぞー? 渉わかってんの?」

「わかってるよ。……だからお前に相談してるのに」


 渉は口を尖らせて、徐々に肩を落としていく。しょぼくれた渉を見て、響弥の顔つきもどこか挑戦的なものに変わった。


「んー、俺はぁ、誰かを疑うくらいなら……『呪い人』のせいだと思いたいね」


 天を仰ぎながら、響弥は主張した。


「まあ? 本当にあるんだったら……どのみち誰かを疑わなくちゃいけなくなる。E組はさぁ、それわかってるの?」

「だから、そんなんじゃ……」

「渉、何かあった後じゃ、もう遅いんだぜ」


 一途な瞳を渉に向け、響弥はありきたりな台詞を言ってのける。しかし、普段ひょうきんな彼が言うからこそ、その台詞に重みが増す。


「ま、俺は信じてるほうだから根拠のないこと言えるけどさ。……梅雨からはじまったって思ったほうがいいかもな」

「どうすればいいんだよ」

「んー……お祓いとか?」


(それこそありえない)


 オカルトも超常現象も信じていない渉は、「耳を貸した俺がバカだった……」と言って切り捨てた。

 だが響弥は別段冗談ではなかったようらしく「そういや、朝霧のこと知ってるか?」と表情を崩さずに続ける。

「知ってる」響弥の問いに、渉は間髪入れずに答える。


「あいつが昨日と今日、無断欠席ってことも、普段から家に帰ってないってことも」


 愛想なく続けた渉を見て響弥は『ほお』と意外そうな声を漏らした。


「まさか、悩みの種はそれか」

「顔に書いてあった?」

「うん」


 当然だとでも言うように響弥は肯定した。親友に見透かされてしまい、渉は困ったような笑みを浮かべる。


「何ていうか、このままでいいのかなって思ってさ……あいつの親も心配してるかどうかわっかんないし、何かできることはないかなって――」


 考えちゃうんだ、と渉は独り言のように呟いた。


(自分が警察だったらどんなにいいか)


 瞳を曇らせる渉を、響弥はまっすぐ見つめて、何やら考える素振りをしてみせた。


「……やっぱり、遊園地で何かあったのか? 昨日、そのことで芽亜凛ちゃんに問いただしてたとか?」

「どうした、今日は妙に鋭いな……」

「はっははー! 何年一緒にいると思ってんだよ!」


 響弥は笑いながら渉の背中をバシバシ叩く。勘が的中したことが嬉しいらしい。はしゃぐな、と返した渉も心なしか照れくさい。


「そういえば響弥」


 ニヤニヤと頬を緩めている響弥へ、渉は思い出したように口を開いた。


「お前、なんであんなに嫌われてんの?」

「誰に?」

「橘芽亜凛」

「!? 俺が、嫌われてる……の!? 芽亜凛ちゃんにっ!?」

「え、自覚なし? 嘘だろ……!?」

「こっちの台詞だあっ!」


 神永響弥、渾身のオーバーリアクション。勢い余って腰を上げる彼は、しかし本気で泣きそうな顔をしている。


(マジか)


 開いた口が塞がらなかった。そして恐る恐る問いかける。


「な、ないとは思うが……お前、ストーカー行為とか、そういう――」

「んなっ!? するわけないだろ! 渉……酷いいい!」

「いやあ、でもあの嫌われようは相当だと思うぞ? ……俺までとばっちり食らったし」

「えっ、とばっちり?」


 響弥はコロッと素に戻る。

 渉は片手を宙で振りながら、先日言われたことを話す。


「話しかけないでくれってさ。まあ、疑ってるのは俺のほうだし、言われても当然だけどさぁ。でも……」


 振っていた手をピタリとやめ、口元へと寄せる。


「でも、何?」

「いや……あの子だったらむしろ、受けて立つような気、するんだよな」

「ふーん?」


 そうだ。やはりあれは……芽亜凛らしくない。あのとき芽亜凛は、直前まで答えるのを嫌がっていた。けれどその後は答えてくれた。なぜ、答えた? 男子が外にいることを知り、恐怖したから? それこそ、これ以上関わってほしくないから渋々答えたのだと考えるべきか……?

『……渉くんだって困るじゃないですか』

 あの言葉も芽亜凛らしくなかった。あなたとか、望月さんとか、そう呼んでいたのに。考えれば考えるほどわからない。何が本当の彼女なのか。あれは本当に――橘芽亜凛……?

 などと、渉が思考に耽っていると、隣から痛いほどの視線を送られていた。渉はハッと気づいてそちらを見る。

 ただ一人の親友はジト目を作り、口をへの字に曲げて見つめていた。


「な、何だよ……その、何か言いたげな顔は」

「べっつにー? いいよなー渉はぁー、クラスも一緒だし、遊園地にまで遊びに行っちゃってさー」

「拗ねるなよ。俺だって関わりたくて関わってるわけじゃないんだから」

「そうかなー? なーんか……芽亜凛ちゃんのこと、知ったような口利くじゃん。……本当は仲いいんじゃねえのー?」


 響弥は探るような目で見据えてから、つーんとそっぽを向いた。渉は、弁解するどころか、同じく不機嫌そうに眉を吊り上げた。


「…………響弥」


 低い声で言ってから、彼の両肩にぽんと手を置いた。身体をぐるっと回された響弥は、丸っこい瞳を渉の視線と交差させることになる。

 渉は肩に置く手に力を込めて言った。


「俺は、お前か橘――どちらかを選ぶなら、迷わずお前を選ぶ。絶対だ」

「…………渉…………………………抱きしめてもいいですか」

「してから言うな」


 そっと寄り添ってきた響弥の背中をぽんぽんと叩く。二度見してくる周囲の視線が痛い。早く離れろ。


「ハッ! また丸め込まれるところだった!」

「ちっ……」

「渉のことは信じるよ。だけど、芽亜凛ちゃんのことは渡さん! その相手が大の親友だとしてもだ!」

「はいはい……」


 結局こうなるわけだ。

 芽亜凛か、響弥か。二人を選ぶような状況なんて、万が一にも起こりえないと思うが。

 渉が響弥をあしらっていると、ドアの隙間から一人の少女が顔を覗かせた。


「あ、いたいた」


 凛は渉と響弥の姿を捉えて、顔を綻ばせる。


「失礼しますよーっと」

「凛、どうした?」

「あー渉くん、芽亜凛ちゃん知らない? 探してるんだけど、どこにいるんだろ……」


 凛は教室に入るや、無垢に告げてくる。

 こんなときに、また、橘芽亜凛。


「知らないけど……急用?」

「ううん、お昼一緒にするって約束してたから。メールしたんだけどなぁ……」


 言いながら彼女は『ううーん』と首をひねる。芽亜凛が転校してきてから、凛は毎日一緒に昼食を食べているのだろうか。

 響弥は「メール……」と呟いてから俊敏に立ち上がり――次の瞬間、凛の前に跪いていた。


「凛ちゃん……いや、凛様!」

「凛様!? な、何? 響弥くん」

「芽亜凛ちゃんの連絡先を教えてください! お願いしますっ!」

「やめとけ……」

「渉は黙っててぇ!」


 涙ながらに訴えかける親友の姿に、渉は真顔でドン引きした。


「あははー……本人に直接お願いしたほうがいいと思うよ? でも芽亜凛ちゃん、男子からのそういうのは全部断ってるから……望み薄だね」

「ガーン……! はあ……なんで俺は男に生まれてしまったのだろう」


 額に指を付いて響弥は「くっ……」と悔しげな声を漏らす。何気なく言った響弥の言葉に、凛は目をぱちくりさせる。


「きょ、響弥くんが女の子だったら……と、取られちゃうじゃん!」

「え?」

「……?」


 失言だったのか、凛は「なんでもない!」とすぐに訂正した。よく意味がわからない台詞に、響弥と渉は首を傾げている。


「今のは、そのっ……響弥くんはそのままがかっこいいよってこと……」

「り、凛っちゃん! ……結婚してください」

「おい」


 聞き捨てならない発言に、渉は響弥の首根っこを引っ掴み、無理やり離して座らせる。渉はやれやれと首を振ってから凛のほうへ向き直った。


「あのさ、凛……」

「うん?」

「……彼女とは、関わらないほうがいい……と、思う」


 語尾が小さくなっていく。軽く忠告するだけのつもりだった。

 だが――それを口にした途端、二人を取り巻く空気が変わる。

 しばしの沈黙を挟んで、口を開いたのは凛だった。


「……えっと、ごめん、もう一回言って?」

「橘さんと仲良くするのは、止せ……!」


 今度は強く口走ってしまい、渉は気づいた。自分が、自分で思っていた以上に……凛と芽亜凛の関係に苛ついていたことに。


「渉くん、芽亜凛ちゃんと……喧嘩でもしたの? それでそんなこと言うんだ?」


 凛の様子は、一見変わりない。けれど、小柄な体躯から放たれる冷えた熱は、幼馴染にとっては絶大的なものだった。

 渉は瞬時に悟る。――怒ってる。それは恐ろしいほど静かな怒りであり、そうであるが故に怯んでしまう。


「そんなんじゃない……でも、彼女は何か隠してる」

「はははー」


 面白いですねー、とでも言うように凛は笑い声を読む。


「隠してるって、人間誰しも隠し事のひとつやふたつあるでしょ。私だって渉くんに隠してること、ちょっとはあるよ? 例えばー」

「い、いや……」

「あ! お弁当に、賞味期限がちょおっと切れたきんぴらごぼうを入れたり……!」

「あのさ……」

「最近の筋トレは、ちょっとサボり気味だったり……」

「凛、」

「渉くん」


 それ以上の返しは許さないというように、凛は渉の言い分を打ち止めする。渉は口をつぐみ、響弥も口を挟もうとはしない。


「渉くんがそんなこと言うなんて変だよ、おかしい。持久走してて、なんか今日調子悪いなあって思ったら実は肉離れを起こしてたってくらいおかしい」

「いやその例えはよくわからんし、それで平気なお前がおかしい」


 ――調子悪いなあで済むのか。

 凛は渉がなぜこんなことを言い出したのか、それを知りたいのだろう。しかし渉は、昨日のこと、そして朝霧のことを言うわけにはいかないのだった。


「とにかく……! 注意したほうがいいんだよ。彼女のこと、あまり……信用するなよな」


 凛が何を言おうと、渉は引き下がらないし、どうしても引き下がれない。彼女が怒ることは目に見えていたが、しかしまさか――芽亜凛の信用が、こんなにも強くなっていたなんて。

 凛はどこか諦めたような顔つきになった。


「芽亜凛ちゃんは、悪い子じゃないよ。確かに、男子には冷たいかもしれないよ……? けど、渉くんが思ってるような人じゃない……!」


 顔を上げた凛は、怒っているのか悲しんでいるのか、複雑な顔つきで渉を睨んだ。


(このわからず屋……)


 そう、寂しく思ったそのときだった――


「今の……って」


 響弥が口を開く。次に凛が、「悲鳴……?」と続けた。

 教室にいた数少ない生徒たちもざわつきはじめる。

 C組まで響いてきたそれは、確かに悲鳴とも取れる女性の声だった。怯え、恐怖、混乱――そういった感情が一緒くたに存在しているような。

 渉たちが目を泳がせていると、男子生徒が一人扉から顔を出した。見るとそれは、いつもつるんでいる友人――清水はやとだった。

 清水は扉に手をかけた際、勢い余ってドンと大きな音を立てながら、「おい! やべえよ!」

 声を荒げるその表情は強張っており、


「しょ、職員室で――人間の死体が――っ!」


 全員が戦慄した。

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