積もる不安

 明くる日。薄い雲に覆われた空は、天気予報じゃ晴れのち曇り。

 ホームルーム終了を経て、渉はA組の教室へ向かうべく、廊下へと出た。目当てはただひとつ、朝霧修の安否……いや、出席の確認。姿が見れればそれでいい、学校に来ていればそれでいい、渉はそう思いながらホームルーム終了を浮足立って待っていたのだ。


 昨日はあれから、響弥、清水、ゴウ、柿沼に幾度となく追及された。四人は盗み見していたものの、声までは聞き取れなかったらしく『何を話していたんだ?』としつこく訊いてきた。渉が勢いで芽亜凛の手を掴んでしまったあの光景さえも、四人は熱烈なアプローチだと思ったらしい。面倒なことになる前に、それは誤解だと弁論しておいたが。四人は半信半疑――納得はいっていないだろう。

 芽亜凛はまったく気にしていない様子で今日も学校に来ていた。凛と当たり前のように挨拶を交わし、当たり前のように接している。

『今後もう、私に話しかけないでください』

 昨日芽亜凛から斬りつけられた言葉だ。言われなくてもそうしてやるよ、と心のなかで呟いて、渉は廊下を急いだ。


「ん……?」


 A組の教室が近付いてきたところで、E組の男子生徒、熊谷くまがや友貴ともきが目の前から歩いてきた。ホームルームの後、先に教室を出ていく姿が見えたけれど、トイレならこんな遠くに行く必要はない。


「熊谷。何……してたんだ?」


 すれ違うとき、彼に声をかけてみる。呼ばれた熊谷はピタリと止まると、純真無垢な瞳を渉に向けた。


「飛行機雲ぉー追ってたんだぁー」

「そっか……飛行機は、見れた?」

「うん、見れたよー! ぶーん、ぶぶぶぅーん」


 熊谷は楽しそうにその場で一回転してから、ふらふらと教室のほうへ舞って行った。

 彼はいわゆる、不思議くんだ。急に走り出したり、授業中に鼻歌を歌ったり。傍から見ればおかしな奴だが、彼は悪意あってしているわけではない。あくまで自然体なだけである。

 それに、渉が気になったのは熊谷のことではない。


 その後ろ。制汗スプレーを手にして、今もこちらを睨んでいる人物。廊下を歩いていた熊谷の背後から、ずっとスプレーを吹きかけていた――背の低い男子生徒と、後ろに連れ添うように別の男子が二名。こちらはどちらも渉より背が高い。

 彼らは渉が熊谷に話しかけたことで動きを止め、距離を取ってこちらを凝視していたのだ。

 渉は背の低い男子生徒と目を合わせると、「……で、お前は何やってんだ?」と突き放すように低く言う。

 制汗スプレーを手にしている男子の名は宇野うの涼介りょうすけ。あとの二人は新堂しんどう明樹はるきつじ勇利ゆうり。三人共二年E組の生徒で、いわゆる問題児だ。ホームルームでは三人揃って姿が見えなかったので、どこかでサボりを決め込んでいたのだろう。

 渉の問いに、宇野は――


「害虫駆除」

「…………」


 平然と言ってのけるその様子に、腹の底から不快感が湧き立つ。呆れて宇野を睨んでから、後ろの二人にも順に視線を向ける。


「二人は……?」


 渉が問うと、新堂は「見物」と淡泊に言い、辻は「暇つぶしぃー」と眠たげに言った。

 二人はするりと前に出ると、渉を挟む形で通り過ぎ、宇野は舌打ちを残して去っていった。遠ざかっていく三人の後ろ姿を見て、渉は嘆息した。

 ああいうのは強く注意するべきだと思うが、肩を掴んでも聞くような連中じゃない。凛ならその場で説教をはじめていただろうか。しかし渉の存在は伝わっただろう。マークしているぞ、と。次またあのようなことを見かけたら、その時も止めに入る。

 対象だった熊谷は気づいていないようだったが――いじめ、絶対ダメ。


 A組に着いた渉は扉から顔を出し、近くの男子生徒に声をかけた。朝霧の出席を問うと、男子は首を横に振って教えてくれた。


「……そっか。わかった、ありがとう」


 朝霧修は、今日も無断欠席だった。


    * * *


 渉は考える。


(月曜、火曜、続けて無断欠席なんて、教師も親も何をしているだろう)


 ――このことを、凛は知っているのだろうか。


(ちーちゃんの時とはわけが違う)


 ――彼女は夜に家族と過ごしているなか、傘を探しに家を飛び出た。それが何を思っての行動だったのかは不明である。そしてそのまま家には帰らず警察沙汰だ。今もまだ行方がわかっていない。


「――き……、――ちづき」


(朝霧は遊園地の帰りだ。普段から家に帰ってなくて、そのせいで親も心配していない。それどころか、何も把握していないんじゃないか……? A組生徒あいつらの話しぶりからして、家に帰っていないことは有名だった。けれど欠席は珍しい。そして、警察への連絡は、おそらくいっていない。朝霧は、今――)


「……望月――!」

「……!」


 渉は、誰かに肩を掴まれて、ハッとする。一限目が終了してから席を立っていなかったが、その意識はどこか遠くに行っていた。

 肩に置かれた手を辿って見上げると、E組の男子委員長、萩野はぎの拓哉たくやが傍らに立っていた。


「お、おぁ……萩野。ごめん、何?」

「放課後、バスケの助っ人頼めないかなーと思って来たんだけど……その様子じゃ無理か?」


 萩野拓哉。男子にも優しくて、高身長で、顔立ちも整っており文武両道。女子からもモテまくりなE組のイケメン委員長。バスケットボール部に所属している彼は、幽霊部員の代わりに渉をこうして誘ってくる。はじめて誘われて以来すっかり気に入られてしまったようで、今ではバスケ部の先輩からも声をかけられる始末。

 通称『便利屋望月』

 ちなみに、男子バスケ部の幽霊部員は、今朝廊下ですれ違った三人組の一人、新堂明樹である。

 様々な思考がちらついた渉は「あー」と声を漏らすが、


「……いや、いいよ。優しい萩野くんのために、行ってやる」

「ほんとか?」

「ああ……気を紛らわせたいってのもあるしなぁ」


 そう言って苦笑いを浮かべた。


「悩み事か?」

「ん、うん……まあ……」

「なーに、困ってるならなんでも言えよ。人に話すだけでスッキリするかもよ? ああ……いや、俺にじゃなくてもいいし。えっと、例えば――神永響弥とか!」


 萩野は指を立てて提案する。

 やはり彼は、優しい。思いやりがあって、心が温かくて。しかしなぜそこで、響弥の名前が出るのだろう。しかもフルネームで覚えられている、響弥という存在。


「あいつに話してもなあ……でも、ありがと。ちょっと元気出たよ」

「そりゃよかった。放課後、よろしくな」


 渉は微笑んで「ああ」と返事をする。

 悩みとは少し違うが、このもやもやとした気持ちをどうにかしたいのは本望だ。


『家族とはうまくいってないみたいなんだ』

『彼が普段から家に帰ってないのをご存知ですよね』

『明日には来ると思うよ』

『今日も無断欠席だって』

『A組じゃ一年の頃から有名な話だよ』

『凛にフラれたから失踪したんじゃないか……とか』


 嫌な声が、頭のなかでこだまする。しかし一番嫌なのは、そんなことばかりを考えてしまう、自分自身だった。


「ところで望月」

「ん?」


 まだ席に戻っていなかった萩野に、渉はもう一度顔を上げる。

 萩野は改まった顔つきになり、そっと顔を近づけて囁いた。


「神永響弥と……ほんとにデキてるの?」

「デキてねえよっ!」


 今日一番、渉は大きい声で否定するのだった。

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