VS転校生

「訊きたいのは昨日のことだ。遊園地の帰り……朝霧とあの後何か話した?」

「話ならしましたけど。その内容を教えろと?」


 芽亜凛は平然と肯定してみせるが、いちいち棘が目立つ。なぜ、そんな言い方をするのか。

 渉はうんともノーとも答えられずただ、じっと芽亜凛を見つめた。彼女は顔色ひとつ変えず、同じように渉を見つめ返してくる。


「A組の奴に聞いたんだよ。朝霧が、家に帰ってきてないって。それで……何か知らないかと思って」


 芽亜凛はため息をつく。


「随分アバウトですね。朝霧さんとは方向も違います。私はバスで帰りましたけど、あの人はあのまま駅のほうへ歩いていきましたよ」

「何か様子がおかしかったとか、そういうのは?」


 彼女は目線を下げながら、顎に手を当てて考える素振りをした。そして沈黙の後「いいえ、特には」と首を振った。

 芽亜凛は自分の鞄からペットボトルを取り出し、音を鳴らしながら蓋を開ける。水を口にする彼女を見て、渉は遊園地のことを思い出した。マイペースというか、自由気ままというか。

 芽亜凛はどこか上の空で『望月さん』と言って続ける。


「望月さん、彼が普段から家に帰ってないのをご存知ですよね。そんな人がたかが一日無断欠席したくらいで、何を慌てているんです?」

「きみもA組の奴とおんなじようなこと言うんだな。……知ってたんだ? 朝霧のこと」

「いろいろ見てますので」


(そのいろいろとやらをぜひとも教えていただきたいな)


 渉は鋭い目をして芽亜凛を見る。彼女も猫のような大きな瞳を渉に向ける。互いの瞳には、相手の姿が映っている。

 確かに彼女は、他クラスの女子とも仲がいいのだろう。人付き合いも交流も――少なくとも渉よりは広そうで、それらから情報を得ていてもおかしくはない。


「望月さんが考えてること、その不安の原因、当ててあげましょうか」


 思考を巡らせる渉に、芽亜凛は告げる。


「『凛にフラれたから失踪したんじゃないか』……とか」

「っ……」


 心臓を掴まれた。胸のあたりが熱くなり、痛みに似たものが走る。頭の先まで熱が迫り上げてきて、彼女の一言に、渉はどうしようもない不快感に襲われる。


「失踪って……縁起でもない。第一、そんなことでいなくなるような奴だとは思えない」

「でもそう思えないから、こうやって詮索しているんでしょう? 不安がない人は、こんなふうに訊いたりしないじゃないですか」

「それは、そうだけど……。凛は関係ない」

「あぁー、じゃあもうひとつのほうかな」


 安心する隙を与えずに芽亜凛は続ける。まだあるのか、と内心ドキリとした渉に、芽亜凛は前のめりになって告げるのだった。


「私が何かしたんじゃないかって思いました?」


 にんまりと口角を上げる芽亜凛。その表情は、教室に現れた小悪魔と同じものだった。目が離せない。外すことを許してくれない。身体が、動かない。

 芽亜凛の肩から、さらりと絹のような髪が流れ落ちる。花の香りか、果実の香りか、ふんわりとした甘い香りに、渉はゴクリと喉を鳴らした。


「なーんて」


 そう言って芽亜凛は、すっと椅子に座り直す。

 ようやく彼女から視線を外せた渉は、はあっ……と重たく息を吐いた。無意識に椅子を引いて、後ろへと下がる。動揺が抑えきれず、目をしばたたかせる。


(図星だ……)


 見事に、どちらも言い当てられてしまった。自分が不安に思っていることも、渉が今怪しく思っている人物が橘芽亜凛であることも。両方、いとも容易く指摘された。


(俺って、そんなにわかりやすいのか……? いや、それにしても把握されすぎだ)


 ――この、橘芽亜凛という少女に。



 芽亜凛は髪を梳き、「話はこれだけですか? もうないなら帰りますけど」

「……、……」


 渉は逡巡した。この少女の異様さはいったい何なのだろうと。妖艶、魔性――殺気……?


(『人を殺せる魅力』……)


 ふと思い付いた言葉だった。けれど――彼女を表すにはぴったりな言葉だ。

 この子は内側に、得体のしれないものを飼っている。渉には認識できない何かを。橘芽亜凛は――


「凛といて、楽しいか?」


 突拍子もなく、渉の口から吐き出された。


「凛にものすごく肩入れしてるみたいだけど、その割には男子には冷たいし……もしかして、男嫌い?」


 芽亜凛はすでに鞄を手にしていたが、渉の問いを聞いて手を離し、顔を見る。


「別に。凛は大切な友達だし。男の人は、面倒だから」

「面倒?」

「下心。ある人とない人って、わかりません? そういうのだと、あなたのオトモダチは特に苦手です」

「だったら……朝霧のことも苦手なわけ?」


 芽亜凛は目を伏せて、頷いた。意外だった。

 以前武道場で二人といた時、朝霧の対応は馴れ馴れしさそのものだった。女子に対する下心も、あるように思えた。だがあの時、芽亜凛は顔色ひとつ変えず、嫌がる素振りも見せなかった。相変わらず男子には敬語だったけれど、基準がまったくわからない。


「まあ……でもあの人に比べれば可愛いもんです。遊園地で慣れましたし」

「響弥ってそんなにダメ?」

「吐き気がします」

「…………」


 芽亜凛の即答ぶりに絶句する。渉が言葉を失ったのは、彼女が本当に嫌そうな顔をして言うからだ。まさに『反吐が出る』と言いたげな。

「鈍感な望月さんにはわからないでしょうね」とすかさず追撃を食らう。

 彼女と響弥の接点といえば、転校初日に告白をした、されたの関係であること。お姫様抱っこで保健室まで運ばれたこと。

 あの時の保健室、響弥のことを掴んで引き止めていたのは芽亜凛のほうだ。つまり、起きたとなればその時――


(いったい何をしたんだ……)


 当時のことを整理しながら、渉は頭を悩ませる。だが響弥のことを訊くのはNGだ。


「わかった。じゃあ……」

「まだあるんですか」

「まだまだあるよ。松葉まつば千里ちさとについて、とか」


 今度はこっちから仕掛ける。

 松葉千里。

 これは言わば、渉の切り札のようなものだった。核心的な一手。

 こんなこと凛には聞かせられないし、知られたら――いや、今は考えてはいられない。


「前に全校集会で言われたから知ってるよね、きみが転校してきた日に行方不明になった子。二年C組の生徒で、。面識はあった?」


 これはどうだと、渉は目を伏せている芽亜凛の様子を静かに観察する。

 橘芽亜凛は、「――うふ」と、笑った。


「ふふっ、うふふ、あはははは。面白い質問ですね」

「……そんなに面白い?」

「ええ、面白くて――不快です」


 最後を言った彼女の表情からぱたりと笑みが消える。刺し殺すような視線で渉を射貫いてくる。


「千里さんは友達ですよ。あの日、凛と三人で帰りましたもの」

「ふーん……正直だね」そう口では言いつつ。


(マジかよ……初耳だぞ……)


 三人で帰ったなんて、凛からも聞かされていない。


(焦るな、慌てるな、動揺を悟られるな)


 渉は心で念じる。


「後日、凛に訊かれましたよ。帰りの千里さんの様子はどうだったって。ちょうどさっき望月さんが訊いたみたいにですね」

「それじゃあ凛と別れて、それからはになったってことだ?」

「…………」


 表情のなくなった芽亜凛。渉はにやりと頬を緩めた。

 そうだ。疑っていることを知られたなら、渉がそれを隠す必要はもうない。こちらがはっきりと向けている敵意。少女にはそれが痛いほど伝わっているはず。

 彼女は目を細めて、身を隠すように縮めた。


「酷いですね。観覧車のとき、パーを出せって教えてあげたのに」

「結果はあいこだったけどな」

「でも勝てたじゃないですか」

「チョキを出してれば一発で勝てた」

「あいこの後にパーを出して勝てたじゃないですか」


 それは――そうだった気がする。なんであの時続けてパーを出したんだろう。あいこに動揺して、同じ手を出してしまっただけだろうか。


「ああ、安心してください。私のことを信じてパーを出し続けた、だから勝てた。なーんて思ってないですから。あれはあなたの運勝ちです」


 本当は思っているんじゃないか、と突っ込みたくなる言い回しである。しかし彼女の助言があったからこそ、勝ちに辿り着けたのは事実。

 勝利への前触れにはなったのだから。


「あの時なんであんなこと言ったんだよ。俺を勝たせたかったのか? やっぱり、あのジャンケンは、わざと負けてたのか?」

「訊いて何になるんです?」


(その返し自体、それは『肯定してる』ってことじゃないのか)


 どう捉えられても構わないのか。芽亜凛らしくない。なぜ攻撃の手をやめる?


「いいじゃないですか、もう。凛と楽しくお喋りできたんでしょう? よかったじゃないですか」

「じゃあチケット、チケットは偶然か?」

「……チケット?」

「遊園地のチケット。朝霧が誘う前にきみが誘ってた、あれは偶然?」

「だから、そんなの訊いて――」

「いいから答えろ――っ!」


 渉は怒鳴り声と共に椅子から立ち上がり、芽亜凛の腕を奪い取るように掴んでいた。

 そのとき――ドン、と。手前の扉が音を立てた。

 渉がそちらに目をやると、見覚えのある頭がふたつ。じっと目を凝らしていると、清水しみずとゴウの顔が見えて、ひゅっとすぐに隠れた。そして後ろの扉にも――鬱陶しいほどチラつく黒髪は響弥のもので、もう一方は柿沼かきぬまだ。

 普段から渉とつるんでいる男子四人が揃いも揃って。おそらく、清水とゴウ、柿沼を呼んだのは響弥だ。


「あ、あいつら……」


 渉はぼやきざまに芽亜凛のほうへと視線を戻し、腕を掴んでいたことに気がついて、慌てて手を離した。彼女の白い手首には、渉の付けた指の跡が、痛々しくも残っていた。うつむく芽亜凛はすぐに腕を引っ込める。


「ご、ごめんっ……」


 謝罪の言葉にも、芽亜凛は無反応だった。これ以上は続けられないと思案して、渉は姿勢を正す。

 すると今度は芽亜凛のほうから、腕を掴み取った。感触に驚き、渉は視線を落とした。

 芽亜凛は、跡の付いていないほうの手を伸ばしたまま「……偶然じゃないです」と、震える声で言った。


「私は知ってて、凛を誘いました」

「知ってたって、誰かに聞いて――ってこと?」

「朝霧さんが同じチケットを持っているのを、たまたま見たんです。……日付まで一緒だとは思いませんでしたけど、もし違ってても変更は可能でしたし、二人きりになるのは防げたはずです」


 芽亜凛は言葉一つひとつを絞り出すように言う。

 彼女は朝霧がチケットを持っていたのを見て、自分も同じものを買った。しかし先にチケットを渡していたのは芽亜凛。となると彼女は、


「どうしてそこまでして……」

「二人をくっつけたくないからです。……だって困るじゃないですか」


 そう言いながら、芽亜凛は渉を見上げる。潤んだ瞳。曇りきった表情――


(男子がいるから、怯えているのか……?)


 こうして見ると芽亜凛のことも、普通に『普通の女の子』に見えた。


「わかった、いろいろ答えてくれてありがとう。あー……あの馬鹿共は適当に引き付けておくから、そのうちに後ろの扉から出て――」

「望月さん」と、遮るように言った芽亜凛は、まるで感情のない声色を発して立ち上がった。


 彼女はもう、渉の腕を掴んではいない。


「今後もう、私に話しかけないでください」


 芽亜凛は刺すような眼差しで、身を切るような一言を浴びせた。そしてこちらが口を開くよりも先に、無駄のない動作で鞄を取り、芽亜凛は教室の前扉のロックを解除して出ていった。

 扉の前にいた清水とゴウは、目の前を通過した少女に圧倒されるや否や、教室のなかへと入ってくる。後ろの扉に張り付いていた響弥と柿沼も、前の扉からなだれ込んできた。

 口うるさく追及してくる四人の言葉は、渉の耳には入っていなかった。ただぼんやりと、芽亜凛の言葉を考えていた。


「響弥」

「う、うん!?」


 渉はゆっくり口を開くと、濁った瞳で言葉を紡ぐ。


「……明日から、昼休みは俺がC組に行くよ。……放課後も、俺がそっちに行く」


 響弥はおずおずと頷いて、ほかの三人は顔を見合わせ首を傾げる。

 帰りの空は、ぽつりぽつりと、冷たい雨が降っていた。

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